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やっぱりドームでのライブってすごいんだなと。健人くんのホールライブもめちゃくちゃ楽しくて距離が近くて良かったけど、当たり前だけどドームって人の数が違う。高い熱量を持つ4万・5万人に埋め尽くされた空間、その熱気と迫力。セクゾラストドームから約1年半ぶりにドーム参戦し、改めてドームに立てることの凄さを知った。(ドームに向かう途中に「チケット譲ってください」の人が何人もいたのもすごい)晴天のバンテリンドームナゴヤ健人くんのドームへの思い、いつか叶いますようにとおけんとさまパシャリいつか必
「セトリサザンオールスターズ2024年9月23日(月・振休)『ROCKINJAPANFESTIVAL2024inHITACHINAKA』国営ひたち海浜公園」S12623・松山千春DATABESE総合TOPPAGENF・アーティスト別LIVEDATABESE総合TOPPAGE◆更新履歴V1.0:2024.9.16初稿V1.1:2024.9.23セトリを掲載※最新情報2024.11.13『【サザン全国13ヶ所26公演】2025
1994(平成6)年に勃発し、世間を騒がせた「桑田佳祐VS長渕剛」騒動について、その原因を明らかにするため、桑田佳祐とサザンオールスターズ、そして長渕剛の、デビュー以来の足跡について、描いている。前回の記事では、桑田佳祐と長渕剛の、デビュー以来の奮闘と、桑田と長渕が、1983(昭和58)年に初めて出会った所までを描いたが、今回は、後年の「桑田佳祐VS長渕剛」騒動の遠因となった、1983(昭和58)年の2人の出会いについて、詳しく描いて行く事としたい。なお、あらかじめ言っておくが
1994(平成6)年、桑田佳祐のソロ・アルバム『孤独の太陽』に収録されていた、『すべての歌に懺悔しな!!』という曲の歌詞を巡り、長渕剛が桑田佳祐に「宣戦布告」した事により、遂に、「1994桑田・長渕戦争」とも言うべき、全面戦争が勃発した。桑田佳祐と長渕剛という、2人の大物同士による「全面戦争」は、この年(1994年)の年末にかけて、ますますヒートアップして行ったが、果たして、どのような展開になって行くのか、先行きが全く見通せない状況が続いていた。<1994(平成6)年10
QR決済よりも現金決済が好き…aniです。今回は100%備忘録ですとある公演の開演1週間前のある日、こいつを発見これは‼️この前まで会場を変えて何回も申し込み、その度に落選一般発売(先着)ではサイトに繋ぐことさえできなかった…また、2010年にはチケットを手にしたのに、喉の関係で中止&払い戻しになった、あの桑田佳祐が…最後の最後にまた誘ってくるのか…機材開放席?ステージが非常に見えづらい?そんな事より、2日前の晩に発表だからもし当たったら仕事を休む申請のほうが問題だわまあ
恋人との別れは悲しいそれがどのような関係であったにせよつまり長い付き合いであったにせよ、短い付き合いであったにせよ公にはできない関係であったにせよ、一点の曇りなき関係であったにせよ喧嘩ばかりの付き合いであったにせよ、陽だまりでよりそうだけの付き合いであったにせよ心と心の、体と体の深いやり取りを交わした相手にさよならを告げるのは多かれ少なかれ涙が流れ、目に見えない血が流れる。ときには消すことのできない傷跡を残すこともある。今も忘れない夢の別れ道通り過ぎてく女性に焦がれ
昨日から帰って営業🈺してま〜す!いや〜ビジホ連泊パターン多かったから名古屋一泊翌日神奈川藤沢一泊とナカナカせわしないハードスケジュール💦どちらも安くて良いビジホでしただから、昨日の営業🈺はナカナカキツかった💦で、お初のバンデリンドーム!サザンだよ〜!ファンクラブ会員なって神戸と名古屋抽選挑み(茅ヶ崎は抽選すらなく)奇跡の名古屋とれたのもやっぱり日頃からサザン歌いまくってるタマモノでしょうかカウントダウン横浜食道癌快方明けの神戸以来三度目のサザンラ
ブギはサザンのルーツ「恋のブギウギナイト」まるで洋楽ディスコの邦題ど真ん中なタイトル。桑田さんはテイスト・オブ・ハニーの「今夜はブギ・ウギ・ウギ」とかシルヴァースの「ブギ・フィーバー」をインスピレーションとして挙げています。「Boogie-woogie」とは20世紀初頭に生まれたピアノのブルース音楽ですが、これをカタカナで「ブギウギ」と書いて日本に定着させたのは笠置シヅ子のヒット曲「東京ブギウギ」(1947年)です。ブギといえば、今回のアルバムには桑田さんがデビュー前に作った
1979(昭和54)年にリリースされた、サザンオールスターズの3枚目のシングル、『いとしのエリー』は、桑田佳祐が原由子のために作った曲であり、『いとしのエリー』はサザン史を代表する名曲中の名曲である。そして、当ブログでは『いとしのエリー』誕生秘話を連載している。1979(昭和54)年2月、桑田佳祐が原由子のために作った「ラブソング」こそ、『いとしのエリー』であり、同年(1979年)3月25日、サザンオールスターズの3枚目のシングルとしてリリースされた、『いとしのエリー』
「サザンライブ2025ユニクロ来場者プレゼント&フライヤーブックレット〜2025年2月9日(日)サザンオールスターズLIVETOUR2025『THANKYOUSOMUCH!!』さいたまスーパーアリーナ2日目(8/26)【L2025-02】」S13101・松山千春DATABESE総合TOPPAGENF・アーティスト別LIVEDATABESE総合TOPPAGE◆更新履歴V1.0:2025.2.12初稿『●随時更新~最新記事リン
1979(昭和54)年にリリースされた、サザンオールスターズの3枚目のシングル、『いとしのエリー』は、サザン史を代表する名曲中の名曲であり、私も大好きな曲である。そして、『いとしのエリー』は桑田佳祐が原由子のために作った曲である。現在、当ブログでは、その『いとしのエリー』誕生秘話を連載している。1976(昭和51)年春、青山学院大学の音楽サークル、「ベターデイズ」の中で結成された、桑田佳祐が率いるバンドは、桑田の高校時代からの友人・宮治淳一によって、「サザンオールスタ
1979(昭和54)年にリリースされた、サザンオールスターズの3枚目のシングル、『いとしのエリー』は、サザン史を代表する名曲中の名曲であり、私も大好きな曲である。そして、現在、当ブログでは『いとしのエリー』誕生秘話を連載している。1977(昭和52)年、サザンオールスターズは、ヤマハ主催のアマチュアバンド・コンクール、「イーストウエスト'77」に出場し、桑田佳祐が作詞・作曲したオリジナル曲、『女呼んでブギ』『今宵あなたに』を披露したが、サザンは見事に入賞を果たし、桑田佳祐
サザンオールスターズライブ「THANKYOUSOMACH」バンテリンドーム行ってきました。いつもライブは中々アリーナが当たりませんので、今回も3階ぐらいのスタンドかな、、と思っていたら受付でQRコードを提示したら、、な、なんと、、かなり、ビックリ!アリーナ9列目神チケじゃん。めちゃくちゃ嬉しかったです。全ての運を使い果たしたかも、、めちゃくちゃ良かったです!!前半は最新アルバム中心の新しい曲ばかり、毎日聴いて覚えてましたが、歌詞まではちらほら解らない所も後半
■沼津でシーラカンス、横浜でLOVEAFFAIR、お台場でその5よ~し!LOVEAFFAIRするゾ~!!『LOVEAFFAIR~秘密のデート』は、サザンオールスターズの41枚目のシングル。TBS系のテレビドラマ『SweetSeason』の主題歌で、ドラマはななこおねいさん(松嶋菜々子)の初主演作です。歌詞はタイアップドラマの内容に合わせて不倫をテーマにしており、登場する数々のデートスポットは、ドラマの舞台にもなっている横浜・大黒埠頭が中心になっている。なお、桑田はマネ
ヒールとはプロレスの悪役のこと。ちなみに善玉はベビーフェイス。「ニッポンのヒールも芸風はBabyFace」と歌詞にあるが、いかにもプロレスファンの桑田氏らしいタイトルだ。1992年9月26日にリリースされたアルバム「世に万葉の花が咲くなり」、その6曲目に収録された「ニッポンのヒール」は氏がディラン化した最初の楽曲である。「少年は大志を抱き方程式を解く人並みに満たない者の存在は無い成功に呑まれ人は絶望を舐める栄光のバッジを胸に老人は説く”有能な君の通夜
「今日はまたカラオケに行ってくるからな」と朝からおいらが言うと、さやかがうらやましそうに言った。「近頃お父ちゃん楽しそうだね」「はは。まあな。毎日がストレスフリーだからね。今400曲歌えるか挑戦中だぞ」前回61曲歌った時に、違う曲ばかりで400曲歌えるかやってみることにしたのだ。しかし今にして思うとこのとき、フラグが立ったのである。駅前のカラオケ屋は11時からしか開いてないんでその時間に行くと、前の集団がえらく受付に時間がかかっていた。カラオケパーティーをするのかな。で、
1979(昭和54)年にリリースされた、サザンオールスターズの3枚目のシングル、『いとしのエリー』は、サザン史を代表する名曲中の名曲である。そして、『いとしのエリー』は、桑田佳祐が原由子のために作った曲である。現在、当ブログでは、その『いとしのエリー』誕生秘話を連載している。1975(昭和50)年4月、原由子は青山学院大学に入学し、「AFT」という音楽サークルに入ったが、そのサークルで原由子の1年先輩の桑田佳祐という男と出逢った。当時の桑田は「女好き」で有名(?)だっ
私は、このブログで、サザンオールスターズの歴史について、様々な角度が描いているが、今回は、「1980(昭和55)年のサザンオールスターズ」に、スポットを当ててみる事としたい。1978(昭和53)年のサザンのデビュー曲『勝手にシンドバッド』や、翌1979(昭和54)年のサザンの大ヒット曲『いとしのエリー』については、これまで沢山書いて来た。しかし、それらの大ヒット曲が出た年に比べると、1980(昭和55)年は、ちょっと地味な印象が無きにしも有らずだが、1980(昭和55)年は、「サザン
私が大好きな、サザンオールスターズや桑田佳祐の楽曲の歌詞を題材にして、私が「短編小説」を書くという、「サザンの楽曲・勝手に小説化」シリーズは、今までのところ、「46本」を書いて来ている。そして、現在は、『JAPANEGGAE(ジャパネゲエ)』から始まる「3部作」を連載中だが、今回は、その「3部作」の「その3」の「後編」、つまり、このシリーズの「最終回」である。…という事で、私が今まで書いて来た、「サザンの楽曲・勝手に小説化」シリーズの「46本」のタイトルは、下記の通
現在、当ブログでは「サザンオールスターズと野球界の40年」という記事を連載しているが、その1994年編で、私は「桑田佳祐VS長渕剛」騒動について、少し書いた。しかし、その詳細な経緯などについては、スペースの都合上、描いていなかった。1994(平成6)年、桑田佳祐と長渕剛の激しい対立が、世間を騒がせたが、では何故、この2人は、あれほど激しく対立してしまったのであろうか?それを紐解くために、桑田佳祐とサザンオールスターズ、そして長渕剛が、デビュー以来、辿って来た足跡を、改めて辿って
1週間ぶりの投稿でご無沙汰しておりました。本当は早い段階で書きたかったのですが、色々と立て込んでおりまして、1週間経った今日になってしまいました。さて、先週19日(土曜日)に私、桑田佳祐LIVETOUR2022「お互い元気に頑張りましょう!!」愛知・バンテリンドームナゴヤ公演に行ってきました!!かなり大盛況でした。私もライブ鑑賞は2019年のサザンオールスターズの同地での公演以来3年ぶりで、久々のナゴヤドームでもあって、楽しく観ることが出来ました。(昨年のソロ公演はコロナウイルスの状況
サザンオールスターズ「ThankYouSoMuchツアー」さいたまスーパーアリーナ参戦してきました。念願のサザンライブです。数年前チケット取れたのに夫がライブほんの数日前に脚を骨折してしまい参戦を断念せざるを得なかった事があったんです。だからやっと来られた〜!という気持ちが強かったです。その日を迎えるまで絶対怪我しないで、と祈ってました。サートゥ。2月9日でしたね。興奮冷めやらぬうちに書けばよかったのにすっかり冷めた状態です😅知らない曲あったかなぁ?あ、
1979(昭和54)年にリリースされた、サザンオールスターズの3枚目のシングル、『いとしのエリー』は、桑田佳祐が原由子のために作った曲であり、サザン史を代表する名曲中の名曲である。そして、現在、当ブログでは、『いとしのエリー』誕生秘話を連載中である。1976(昭和51)年秋、それまで、青山学院大学の音楽サークル、「ベターデイズ」を母体として誕生した学生バンド、「サザンオールスターズ」で、一緒にバンド活動をしていた桑田佳祐と原由子が、遂に交際を始め、桑田佳祐と原由子は、「
人生の午後は、私を生きる。天職・開運アドバイザー江守和代ですはじめましての方はプロフィールをご覧ください☆••*••*••☆••*••*••☆••*••*••☆••*••*••☆一昨日のサザンのコンサートの余韻に浸っております。『あなぶきアリーナ香川のサザンコンサート行ってきた!』人生の午後は、私を生きる。天職・開運アドバイザー江守和代です▶︎プロフィール☆••*••*••☆••*••*••☆••*••*••☆••*••…ameblo.jpだって、最高なん
サザンオールスターズ2ndalbumTEN『10ナンバーズ・からっと』('79.4.5)最高2位年間3位(43.4万枚)A面M1.お願いD.J.M2.奥歯を食いしばれM3.ラチエン通りのシスターM4.思い過ごしも恋のうちM5.アブダ・カ・ダブラ(TYPE1)B面M6.アブダ・カ・ダブラ(TYPE2)M7.気分しだいで責めないでM8.LetItBoogieM9.ブルースへようこそM10.いとしのエリーデビューシングル『勝手にシンドバッド』は発
さっき、11月17日放送の夜遊びの録音を聞きました。トークと曲をかける事で、めちゃハイペースでネタバレしてましたね(笑)小山ルミ、陽水、いしだあゆみ、クールファイブ、弘田三枝子、サブちゃん、テレサとかだけじゃなく、赤道小町、雪の華、元竿師(笑)とか意外なとこまで、披露してるし…聴かなくて良かった(^^;)今、改めて聴いた方が、振り返る意味で価値あった本日は、原坊です!《リボンの騎士》キラスト、disc2の8曲目(7曲目は、君こそスターだで、先に解説済み#222)
昨年行われた、サザンオールスターズライブ「おいしい葡萄の旅」その中で、特に自分の中で”印象”に残った25曲目の「道」と26曲目の「栄光の男」からノスタルジー男の”回顧独想”です!!「道」この”ツーショット”を観た瞬間、35年前のラジオ、「桑田くんと関口くん」を思い出したのは、私だけでは無いだろう、、、ドラマ仕立てのオープニングとエンディング、放送時間の短い、シュールな番組だったが、、、今でこそ、ムクちゃんは桑田氏の事を「バンドの精神力」と称えるが、当時は、「もう少し歌
1992(平成4)~1996(平成8)年といえば、サザンオールスターズと松任谷由実(ユーミン)のキャリアの中でも、特に華やかな時期であるが、サザンとユーミンは、主にテレビドラマとのタイアップで大ヒット曲を連発した。また、その頃は私が10代の中高生の時期であり、私がリアルタイムで、音楽やテレビドラマを浴びるように堪能していた時期でもある。という事で、その頃のサザンとユーミンの活躍にスポットを当てた、「1992~1996年のサザンとユーミン」というシリーズ記事を、書かせて頂いている。
《逢いたさ見たさ病めるMyMind》MUDEMAN収録で6曲目!LPでいうと、A面の最後の曲です!電話をかけるもコールだけで相手はでない・・・そんなSEで始まるこの曲。歌詞は、思いっきり男の失恋ソング。個人的には、わりと好きな曲だけど、今年の店の5周年で演奏して以来、カラオケではマイブームになってるw案外歌いやすい曲でもある。ラストに、Thankyouboy!と叫ぶのがお約束ww松下電器(当時)のラジカセ「ザ・サード」のCMソングとしても使われ、本人達も出演し
①からの続き。サザンオールスターズ9thalbum『SouthernAllStars』('90.1.13)《初回限定盤》3週連続1位年間チャート6位(70.7万枚)《通常盤》週間2位年間チャート14位(48.2万枚)※オリコン集計後、初めてCDでミリオン達成年間合算累計118.9万枚※※『稲村ジェーン』サザンオールスターズ(「SouthernAllStarsandAllStars」名義)同90年年間チャート2位117.3万枚※※M1.フリフ