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先日のインスタ電話中の大沢さん、初めて観たかも音声は入ってなかったけど瞬きさえ美しくて(誰と何話していたのかな〜)夜中にふと、声を聴きたくなるような、って仰っていたことを思い出して…そんな人がいてくれたらいいな、って事なんでしょうか(でも最近の大沢さんは早寝早起きですよね?!)さて、いろいろな励ましのお言葉を沢山ありがとうございます🙏凄く勇気付けられました思わぬ方からコメントやメッセージ、電話など頂き、自分は誰かに必要とされているんだ、求められているんだ、って沁み沁み感
「セトリサザンオールスターズ2024年9月23日(月・振休)『ROCKINJAPANFESTIVAL2024inHITACHINAKA』国営ひたち海浜公園」S12623・松山千春DATABESE総合TOPPAGENF・アーティスト別LIVEDATABESE総合TOPPAGE◆更新履歴V1.0:2024.9.16初稿V1.1:2024.9.23セトリを掲載※最新情報2024.11.13『【サザン全国13ヶ所26公演】2025
昨日から帰って営業🈺してま〜す!いや〜ビジホ連泊パターン多かったから名古屋一泊翌日神奈川藤沢一泊とナカナカせわしないハードスケジュール💦どちらも安くて良いビジホでしただから、昨日の営業🈺はナカナカキツかった💦で、お初のバンデリンドーム!サザンだよ〜!ファンクラブ会員なって神戸と名古屋抽選挑み(茅ヶ崎は抽選すらなく)奇跡の名古屋とれたのもやっぱり日頃からサザン歌いまくってるタマモノでしょうかカウントダウン横浜食道癌快方明けの神戸以来三度目のサザンラ
「45.文章番号&記事タイトル一覧」S11319D-45・松山千春DATABESE総合TOPPAGENF・アーティスト別LIVEDATABESE総合TOPPAGENF◇更新履歴V1.0:2025.4.14初稿■45.文章番号&記事タイトル一覧2025.4.6(S13253)〜2025.4.13(S13272-1)※文章番号/初稿更新日/タイトル/(主なテーマ、内容)・S13272-10412「竹内まりやOfficial動画そ
1994(平成6)年、桑田佳祐のソロ・アルバム『孤独の太陽』に収録されていた、『すべての歌に懺悔しな!!』という曲の歌詞を巡り、長渕剛が桑田佳祐に「宣戦布告」した事により、遂に、「1994桑田・長渕戦争」とも言うべき、全面戦争が勃発した。桑田佳祐と長渕剛という、2人の大物同士による「全面戦争」は、この年(1994年)の年末にかけて、ますますヒートアップして行ったが、果たして、どのような展開になって行くのか、先行きが全く見通せない状況が続いていた。<1994(平成6)年10
やっぱりドームでのライブってすごいんだなと。健人くんのホールライブもめちゃくちゃ楽しくて距離が近くて良かったけど、当たり前だけどドームって人の数が違う。高い熱量を持つ4万・5万人に埋め尽くされた空間、その熱気と迫力。セクゾラストドームから約1年半ぶりにドーム参戦し、改めてドームに立てることの凄さを知った。(ドームに向かう途中に「チケット譲ってください」の人が何人もいたのもすごい)晴天のバンテリンドームナゴヤ健人くんのドームへの思い、いつか叶いますようにとおけんとさまパシャリいつか必
1979(昭和54)年にリリースされた、サザンオールスターズの3枚目のシングル、『いとしのエリー』は、サザン史を代表する名曲中の名曲であり、私も大好きな曲である。そして、『いとしのエリー』は、桑田佳祐が原由子のために作った曲である。そして、現在、当ブログでは『いとしのエリー』誕生秘話を連載している。1978(昭和53)年6月25日、サザンオールスターズは、『勝手にシンドバッド』で、デビューを果たしたが、『勝手にシンドバッド』は、大ヒットを記録した。サザンは、デビュー早
1979(昭和54)年にリリースされた、サザンオールスターズの3枚目のシングル、『いとしのエリー』は、サザン史を代表する名曲中の名曲であり、私も大好きな曲である。そして、『いとしのエリー』は、桑田佳祐が原由子のために書いた曲でもある。現在、当ブログでは、そんな『いとしのエリー』誕生秘話を連載している。1975(昭和50)年、桑田佳祐の1年後輩として、原由子が青山学院大学に入学し、桑田と原は、青山学院の音楽サークルで出逢った。そして、紆余曲折を経て誕生した、「ベターデイズ
「演出など含むセットリスト2025年2月9日(日)サザンオールスターズLIVETOUR2025『THANKYOUSOMUCH!!』さいたまスーパーアリーナ2日目(8/26)【L2025-02】」S13094・松山千春DATABESE総合TOPPAGENF・アーティスト別LIVEDATABESE総合TOPPAGE◆更新履歴V1.0:2025.2.10初稿フォーマットのみ作成※作成中随時更新『●随時更新~最新記事リンク・文章番号&記事
前年(1998年)に、デビュー20周年を迎えたサザンオールスターズであるが、桑田佳祐にとって、一つ、非常に気掛かりな事が有った。デビュー20周年イヤーのサザンは、ベストアルバム『海のYeah!』が大ヒットし、20周年記念ライブも大成功を収めた。しかし、この年(1998年)のシングルやオリジナルアルバムが、サザンにしては、あまり売れなかったのである。そして、1999(平成11)年は、桑田佳祐にとっては、悩み多き1年となった。新鋭アーティストが、次々に登場する中、桑田は、時代に置いて行
1979(昭和54)年にリリースされた、サザンオールスターズの3枚目のシングル、『いとしのエリー』は、桑田佳祐が原由子のために作った曲であり、サザン史を代表する名曲中の名曲である。そして、現在、当ブログにて、『いとしのエリー』誕生秘話を連載している。私は、8/2に、『いとしのエリー』誕生秘話を書き始めて以来、延々と、この連載を書いて来たが、遂に、『いとしのエリー』誕生の経緯を書く時が来た。そして、私がこの連載で最も書きたかったのは、今回描く、『いとしのエリー』誕生の物語
1979(昭和54)年にリリースされた、サザンオールスターズの3枚目のシングル、『いとしのエリー』は、桑田佳祐が原由子のために作った曲である。そして、現在、当ブログでは『いとしのエリー』誕生秘話を連載している。1979(昭和54)年、サザンオールスターズは、『いとしのエリー』『思い過ごしも恋のうち』『C調言葉に御用心』という、3曲をいずれも大ヒットさせ、サザンは、『いとしのエリー』を引っ提げ、同年(1979年)の「第30回NHK紅白歌合戦」に出場し、サザンは遂に「紅白」
1977(昭和52)年は、サザンオールスターズのプロデビューが決まった年である。当時、学生バンドだったサザンオールスターズは、「イーストウエスト'77」というコンテストに出場し、そこで認められたサザンは、遂にプロの世界に入る事となった。今回は、サザンオールスターズのプロデビューが決まり、沢田研二の『勝手にしやがれ』と、ピンク・レディーの『渚のシンドバッド』が大ヒットし、そして、キャンディーズが「普通の女の子に戻りたい!」と解散宣言して大騒ぎとなり、プロ野球では、王貞治が通算7
1979(昭和54)年にリリースされた、サザンオールスターズの3枚目のシングル、『いとしのエリー』は、桑田佳祐が原由子のために作った曲であり、『いとしのエリー』は、サザン史を代表する名曲中の名曲である。そして、当ブログでは『いとしのエリー』誕生秘話を連載している。サザンオールスターズは、1978(昭和53)年6月25日、『勝手にシンドバッド』で、デビューを果たし、サザンは積極的に多数のテレビ出演をして、『勝手にシンドバッド』のプロモーションを行なったが、その結果、『勝
1992(平成4)~1996(平成8)年といえば、サザンオールスターズと松任谷由実(ユーミン)のキャリアの中でも、特に華やかな時期であるが、サザンとユーミンは、主にテレビドラマとのタイアップで大ヒット曲を連発した。また、その頃は私が10代の中高生の時期であり、私がリアルタイムで、音楽やテレビドラマを浴びるように堪能していた時期でもある。という事で、その頃のサザンとユーミンの活躍にスポットを当てた、「1992~1996年のサザンとユーミン」というシリーズ記事を、書かせて頂いている。
「最新記事リンク・文章番号&記事タイトル一覧」S11319・松山千春DATABESE総合TOPPAGENF・アーティスト別LIVEDATABESE総合TOPPAGENF◇更新履歴V1.0:2023.9.12~順次更新■最新記事リンク&記事タイトル一覧※文章番号/初稿更新日/タイトル/(主なテーマ、内容)・S133180429「郡山けんしん郡山市文センターなう。〜2025年4月29日松山千春コンサート・ツアー2025『君の明日』」・S
実質的には、昨日からニューアルバム「がらくた」が発売になりましたよね!タワレコのマルビル店では、若い広場のMVで使用された衣装が飾られておりした。まぁ、私はAmazonで買いましたが(笑)しかし、愛犬がしぼんじゃってるのが可哀そうでした・・・wwちなみに、渋谷のタワレコでは、左後ろに写っているポスター用の衣装が飾られているようです。《経験Ⅱ》サザン47枚目のシングル“涙の海で抱かれたい~”のカップリングのラスト(5曲目)もう、数合わせ的なお遊び曲となっております
本日(6/25)は、サザンオールスターズが『勝手にシンドバッド』でデビューした日である。そして、現在、私は「サザンオールスターズと野球界の40年」という記事を「連載」しているが、その記事は、1978(昭和53)年に、サザンオールスターズが『勝手にシンドバッド』でデビューして以降から、サザンの活躍を描いている。しかし、「国民的バンド」であるサザンにも、当然、デビュー前のアマチュア時代が有ったわけである。というわけで、今回はサザンオールスターズが結成されるキッカケとなった、桑田佳祐
顔ダンス(表情筋トレーニング)ファン、顔ダンスをご存じない姉さん方も、ご訪問ありがとうございます🧡顔ダンス講師の葉子です♡協会HPはこちらから!一般社団法人日本セルフリフティング協会顔の老化を抑えるだけでなく、体においてもスリムな体型を維持することは、女磨きには必須でございます。時間も手間もかからず最大の効果のあるさまざまな方法、わたくしが今まで、時間もお金も投資して検証して参りましたことをここで惜しみなくお伝えしてまいります。self-lifting.jp葉子WORLDへ
ここ最近、少し忙しく、なかなかブログを書く時間が取れなかったが、今回は久々の更新という事で、私の「近況報告」を兼ねて、2025(令和7)年3月19日にリリースされた、サザンオールスターズの10年振りのオリジナル・アルバム、『THANKYOUSOMUCH』について、簡単に書かせて頂く(※「サザン小説」の続編については、また後日、改めて)。サザンオールスターズの10年振り通算16枚目のアルバム、『THANKYOUSOMUCH』は、「全14曲」が収録されているアルバム
「松山千春が、紫綬褒章、受章の桑田佳祐について語ったこと。」S7999・松山千春DATABESE総合TOPPAGENF・アーティスト別LIVEDATABESE総合TOPPAGENF◇更新履歴V1.0:2021.5.4初稿■松山千春が、紫綬褒章、受章の桑田佳祐について語ったこと。2021年5月2日放送「松山千春ONTHERADIO」でのコメント~森進一、いしだあゆみが受章した、旭日大綬章に触れて~あとは、よく聞く紫綬褒章。これ
昨年末、私はこのブログで、「サザンの楽曲を勝手に小説化する」という特別企画(?)を行なった。その際に、私がサザンオールスターズの楽曲の歌詞を元にして、書いた「短編小説」は、・『死体置場でロマンスを』(1985)・『メリケン情緒は涙のカラー』(1984)・『マチルダBABY』(1983)という3本である。今回は、それに引き続く「サザンの楽曲・勝手に小説化シリーズ」の「第4弾」として、1982(昭和57)年のサザンオールスターズの楽曲『YaYa(あの時代(とき)を忘れない
何気に、今年のE★SPOTを振り返ってみると、前半はいくつもの取材。後半は、著名人のお客様が多く来られた1年だなーという感じで、有り難い1年でもありました。また、アーカイブをHPにあげたいと思ってます!(^^)!さて、キラストも終了し、サザンの楽曲もぼちぼち大詰めに近づいてきました!現時点では、残すオリジナルアルバムはあと1枚!その前に、先行シングルが4枚ありますので、先にそちらから進めて行きましょう!《DIRTYOLDMAN~さらば夏よ~》サザン52枚目のシ
1979(昭和54)年にリリースされた、サザンオールスターズの3枚目のシングル、『いとしのエリー』は、桑田佳祐が原由子のために作った曲であり、『いとしのエリー』は、サザン史を代表する名曲中の名曲である。そして、現在、当ブログにて『いとしのエリー』誕生秘話を連載している。1979(昭和54)年3月25日、サザンオールスターズの3枚目のシングルとしてリリースされた、『いとしのエリー』は、TBSの歌番組「ザ・ベストテン」で「7週連続1位」、オリコン最高「2位」という大ヒットを記
ある記事について去年のうちに更新をしておきたかったんですが今になってしまいました。https://news.yahoo.co.jp/feature/1149竹内まりやの40周年記念についての記事です。その中で注目すべきは、夫・山下達郎についてのブロック。特に気になった部分を赤字にしました。アレンジャーでありプロデューサーでもある山下とは、ずっと二人三脚で音楽活動を続けてきた。竹内がアルバムをリリースするのは、山下の活動が一段落したタイミングを見計らって、である。
サザンオールスターズ1stalbum『熱い胸さわぎ』(1978.8.25)年間--最高-16位A面M1.勝手にシンドバッドM2.別れ話は最後にM3.当たって砕けろM4.恋はお熱くM5.茅ヶ崎に背を向けてB面M6.瞳の中にレインボウM7.女呼んでブギM8.レゲエに首ったけM9.いとしのフィートM10.今宵あなたに1978年8月25日-『勝手にシンドバッド』が爆発的にヒットしつつある中、絶妙なタイミングでリリースされたデビュー・アルバムが『熱い胸さわぎ』だ
2003(平成25)年、デビュー25周年を迎え、3年振りにバンド活動を再開させたサザンオールスターズは、デビュー曲『勝手にシンドバッド』を25年振りに再リリースし、デビュー当時には果たせなかった「オリコン1位」を25年越しで達成し、同年(2003年)、通算47枚目のシングル『涙の海で抱かれたい~SEAOFLOVE~』を大ヒットさせた。改めて、サザンの健在ぶりをアピールする、充実した1年となったが、翌2004(平成16)年、サザンは更に快進撃を続けた。この年(2004年)、サザ
1979(昭和54)年にリリースされた、サザンオールスターズの3枚目のシングル、『いとしのエリー』は、サザン史を代表する名曲中の名曲であるが、『いとしのエリー』は、桑田佳祐が原由子のために書いた曲である。そして、現在、当ブログにて、『いとしのエリー』誕生秘話を連載している。青山学院大学の音楽サークルで活動していた、学生バンドを母体として誕生したサザンオールスターズは、1978(昭和53)年6月25日、『勝手にシンドバッド』というシングルをリリースし、遂にデビューを飾った
今や、すっかり「テレビ」は衰退していると言われて久しいが、かつて、「テレビ」は大衆娯楽の王座にあり、「テレビ」は人々の生活に密着していたし、この私も「テレビ」は大好きだった(※今も、私は「テレビ」は好きである)。そして、このブログでは、私が思い付いた時に(?)、「テレビ史」に関する記事を書いたりしているが、今回は、テレビの「歌番組」の歴史を、ざっくりと振り返ってみる事としたい。今では、すっかり廃れてしまったが、かつては、「歌番組」が、テレビの重要なコンテンツであり、人々は「歌
ブレイクタイム的話題。調査対象は全国の60代。有効回答数420票と、決して多くはないが。松山千春は得票率11.9%、50票あたり。さだまさしも同率2位。【60代が選ぶ】1980年代を代表すると思う「男性ソロアーティスト」ランキングTOP23!1位桑田佳祐2位松山千春2位さだまさし4位谷村新司5位矢沢永吉6位財津和夫7位長渕剛8位五木ひろし9位稲垣潤一10位藤井フミヤ【60代が選ぶ】1980年代を代表すると思う「男性ソロアー