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今から2年後(2028年)、我が愛するサザンオールスターズが、1978(昭和53)年にデビューして以来、「デビュー50周年」を迎える。私は、愛するサザンが「デビュー50周年」を迎えた暁には、「サザン50年史」を是非とも書きたいと思っている。そして、私は既に、「サザン40年史(『サザンオールスターズと野球界の40年』)」を完結させているので、「サザン50年史」は、その「続編」として書きたいという「構想」が有る。さて、サザンオールスターズというバンドは、1978(昭和53)
「ミス・ブランニュー・ディ」サザンオールスターズ作詞:桑田佳祐作曲:桑田佳祐編曲:サザンオールスターズ弦編曲:新田一郎リリース:1984年6月25日映画『彼女が水着にきがえたら』挿入歌。ユニクロCMソング。1980年代に流行したテクノポップ色の強い楽曲。タイトルや歌詞の内容は流行に流される世間への批評である。一方で、こうした風潮への批評を意図したものではなく「そんな流行に敏感でありふれているように見える女性が素敵に見えて、好き過ぎて仕方がない」と桑田は雑誌のインタビューで語
12月中旬にアップしたまま、終わってましたね💦インスタ、FB、アメブロは内容をできれば使い分けていこうと思ってると、自分あるあるでどっかおろそかになるんですよね実は、年末に2025年の振り返りをするつもりで、1年間の主な写真もピックアップして、少し書き始めたんですけど、結局時間なくてとん挫してました。サザン関係は、サンキューライブ(端折り過ぎw)2回いけたし、九段下も行ったし、32回プロレス行ったとか、いろんなアーティストのライブも行ったとか、万博3回いったとかww書いたうえで新年の
「セットリストサザンオールスターズLIVETOUR2025『THANKYOUSOMUCH!!』〜サザンライブ2025セトリ」S12852・松山千春DATABESE総合TOPPAGENF・アーティスト別LIVEDATABESE総合TOPPAGE◆更新履歴V1.0:2024.12.04初稿V1.1:2025.01.07ニューアルバム詳細を反映V1.2:2025.01.11各公演のセトリを順次、更新中V1.3:2025.02.0
さばんさです。朝はだいたいFMラジオを聞きながら通勤しています。今日ラジオから流れてきた曲をUPしましょう。今日は音楽の日、こちらです↓1991年6月1日発売、原由子さんの3作目のアルバム「MOTHER」より、「花咲く旅路」です。この曲はシングル曲ではなく、現在にいたるまで、アルバム収録の1曲のままですが、多くの人が聞き覚えのある曲だと思います。「鈴なりの花を摘み吹く風に夏を知るおだやかにああおだやかに今ぼんやり遠くをながめてる」そう、
私が大好きな、サザンオールスターズの楽曲、『いとしのエリー』の誕生秘話について、私はこのブログで何度も繰り返し、書いて来ている。そして、2024(令和6)年に、私はこのブログで、「『いとしのエリー』誕生秘話・決定版」のシリーズを、「全23話」にわたって書いた。だが、インターネット上のあっちこっちで、私の文体を元にして、私が書いた「『いとしのエリー』誕生秘話」が勝手にパクられている…という事を知るに及び、私は、「『いとしのエリー』誕生秘話は、私が書いた」という事を、改めてアピ
Ah落葉舞う校庭で肩を寄せ語り合った夢は今も忘れずにいるけどAh好きだったあの歌もあの人も想い出に変わって秋の空に溶けた少女時代斉藤由貴1988年(編曲武部聡志)僕が小学生だった頃、すぐにグループに分れておしゃべりしたりトイレに集団で行く女の子達を見てヘンな奴らだとずっと思っていました。Ah好きだったあの歌もあの人も想い出に変わって秋の空に溶けたとありますが、女性は初恋であっても想い出に変わって秋の空に溶けるものなのでしょうか。多
1979(昭和54)年にリリースされた、サザンオールスターズの3枚目のシングル、『いとしのエリー』は、サザン史上に残る屈指の名曲である。そして、『いとしのエリー』は、桑田佳祐が原由子のために書いた曲である。私は、桑田佳祐が如何にして、原由子のために、『いとしのエリー』という曲を生み出すに至ったのか…という物語として、「新・『いとしのエリー』誕生秘話」シリーズを、当ブログにて連載している。『新・『いとしのエリー』誕生秘話⑥~『茅ヶ崎に背を向けて』(後編)~』私が大好
鎌倉よ何故夢のような虹を遠ざける誰の心も悲しみで闇に溶けてゆく鎌倉物語サザンオールスターズVo.原由子「鎌倉物語」、僕が大好きな曲です。一度、この曲で記事を書きましたが、僕の思い出話だけで終わってしまって、曲のことを書かずじまいでした。それくらい思い入れがある曲とも言えます。2回目に「鎌倉物語」に言及したのは原由子の「鎌倉OnTheBeach」の記事の時。今の彼とデートしながら昔の彼のことを思い出してブルーになっているちょっとめんどい彼女の歌
1979(昭和54)年にリリースされた、サザンオールスターズの楽曲、『いとしのエリー』は、サザン史上に残る名曲中の名曲であり、私も大好きな曲である。そして、『いとしのエリー』は、実は桑田佳祐が原由子のために作った、「ラブ・ソング」だった…。…という事で、私が大好きな、『いとしのエリー』誕生についての物語を、「新・『いとしのエリー』誕生秘話」として連載中である。『新・『いとしのエリー』誕生秘話⑬~『YaYa(あの時代(とき)を忘れない』(前編)~』1979(昭和5
1979(昭和54)年にリリースされた、サザンオールスターズの3枚目のシングル、『いとしのエリー』は、サザン史を代表する、名曲中の名曲である。そして、実は、『いとしのエリー』は、桑田佳祐が原由子のために作った曲である。現在、私は当ブログにて、「新・『いとしのエリー』誕生秘話」を連載している。『新・『いとしのエリー』誕生秘話㉘~『別れ話は最後に』(前編)~』1979(昭和54)年にリリースされた、サザンオールスターズの3枚目のシングル、『いとしのエリー』は、サザン史を代
夏の終りはいつでも気がかりなまま秋の色かな軽快なイントロ。僕が初めて買った原由子のアルバムはこの曲が収録されたアルバムでした。今も大事に持っています。恋は、ご多忙申し上げます原由子1983年今回も小ネタ形式で書くことにします。1)公私共にLifeIsBusy「恋は、ご多忙申し上げます」「公私共にLifeIsBusy」ちょっと変わったタイトルとフレーズ。実はこの曲、資生堂'83年秋のキャンペーンソングなのです。当時の化粧品CMソングは
私が大好きな、サザンオールスターズや桑田佳祐の楽曲の歌詞を題材にして、私が、「短編小説」を書くという、「サザンの楽曲・勝手に小説化」シリーズは、現在、「51本」を書いて来た。そして、昨年(2025年)12/31以来、この度、約5ヶ月振りに、「サザン小説」の「新作」を書かせて頂く。今回、私が、「サザン小説」の題材に選ばせて頂いたのは、1980(昭和55)年にリリースされた、サザンオールスターズの3枚目のアルバム、『タイニイ・バブルス』に収録されていた、『働けロック
私が大好きな、サザンオールスターズや桑田佳祐の楽曲の歌詞を題材にして、私が、「短編小説」を書くという、「サザンの楽曲・勝手に小説化」シリーズを、当ブログにて断続的に連載しているが、私がこのブログで書いて来た、「サザン小説」の中からチョイスして、多少リライトした物を、アメブロ以外の4媒体に「再連載」している。アメブロ以外の4媒体とは、下記の通りである。・note・カクヨム・ノベルアップ+・小説家になろう…そして、今回は、1982(昭和57)年にリリースされた、サザン
私は、サザンオールスターズが大好きである。「今更、何を言っているんだ」と思われるかもしれないが、私はサザンが死ぬほど好きである。そして、大のサザン好きである、この私が、最も大好きで、思い入れの有る曲こそ、『いとしのエリー』である。私にとって、『いとしのエリー』は、特別な曲なのだが、最近、私が書いた、『いとしのエリー』に関する記事で、思いがけない事が有った。それは、「私が書いた『いとしのエリー』誕生秘話が、インターネット上の、あっちこっちでパクられている」という事である。