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ご訪問ありがとうございます2020.7.23我が家の末っ子『りょーちん』は、798グラムで生まれました。23週で破水してしまい、管理入院の末、28週での早産でした。約4ヶ月半のNICUでの入院生活を経て、今は、毎日一緒にいられる幸せをかみしめています。今までの出産と、今回の出産の経緯についてはコチラから『今までの出産&経緯について』私の今までの出産や、今回の早産の経緯について、簡単に書かせていただきます(^^)2006年に結婚し、12月に、第一子を原因不明子宮内胎児死亡にて死産
慢性早剥羊水過少症候群(CAOS)chronicabruption-oligohydramniossequence;CAOS四国がんセンターにおけるCAOSの6例31.pdf(tyuushi-obgyn.jp)参考CAOSとは(1)分娩7日以上前から持続する原因不明の性器出血(2)当初は羊水量が正常(3)破水の所見なく羊水過少に至るこの3項目を満たすものと定義されます。早産の原因となったり、出生後の慢性肺疾患、肺低形成、drylungに関連するために
『神様、私は何かしましたか?』と、問いたいくらい色々一度にやってきてます。【賭けのような10日】の免疫力アップ週間は……怒涛①母の記憶力低下によるバトル&介護&キッチン関連断捨離&(母対応)収納大改造。②緊急入院前から動作の怪しいスマホ。買い替えないと何時壊れるか状態です。苦手なんだよなぁぎりぎりまで!!買い替えない派(σ*´∀`)今回は、買い替え必須と思いながらも……コロナで対応できず今に至る。③ステロイド副作用対応の為、家族の食事関連は全て対応。買い物から調理に至るまで
その日は、静かにやって来ました。34週を迎えた2016年の末、GCU見学を提案されました。GCUへ移る候補者にチビ助が入っていて、年末年始はNICU/GCUどちらで過ごすか分からないから見に行って来てくださいとのことでした。この頃のチビ助の体重は1,200g位。こんな小さな体でGCUでやって行けるのか不安でしたが、その後すぐにお引越しすることもなく、慣れ親しんだNICUスタッフの方と一緒に新しい年を迎えました。2017年1月、36週を迎えました。もしお腹の中にいたら臨月と言われる時
前回の記事に沢山コメントやメッセージを頂いて話を聞いていただきかなり心が救われましたありがとうございますわたしの体調とガンについての疑問について吐き出させてください。最近、茶色いおりものや少しの出血が続いていて、下腹部がズンズンと痛むことがありやはり再発の恐怖が出てしまってこの数日、沢山沢山調べました簡単に、状況を説明しておきます。2019年12月半年ごとの定期検診で引っかかりAGCという結果が出る。2020年1月大学病院を受診して精密検査するがよくわからない
こんにちはキノピコ🍄です随分と久しぶりの更新になってしまいましたみなさんお元気ですか〜?無事に初節句を迎え義両親にも会えましたしかーし…3/4から子供が急に発熱💦ミルクも全然飲まなくて夜間救急外来へ🚗酸素化不良と脱水で入院になりましたぐったりしてたのは2日間くらいすぐに良くなって3日後に退院できました退院したあたりから腹部に若干発赤が出てた突発性発疹だったのかな?インフル、コロナ陰性喉は赤くないし鼻水咳も無かった時期的にも突発だったんじゃないかな
チビ助がB病院に転院する前、転院前の病院で主治医に言われたことがあります。「もしチビ助が命を繋げた場合、一生人工呼吸器になると思います。」出産後、このことはあまり考えないようにしてました。今私のすべきことは、どうなるか分からない未来に不安を感じることではなく、今目の前にいるチビ助と全力で生きることだと自分に言い聞かせてましたなので、B病院の主治医に、「目の治療もしたし、そろそろ抜管しようと思うんです。」と言われた時には驚きました誕生からまだ2ヶ月、こんなに早いタイミングで人工呼吸器
チビ助、退院の日が来ました前日からたくさんの方(途中で異動された元主治医、NICUの看護師さん達、仲良くなったママさん)がお祝いに駆けつけてくれました。育児ダイアリーにも、GCUでお世話になった看護師さん達がたくさんメッセージを書いてくださっていました。そしてNICUでメイン担当をしてくださった看護師さんは、退院の日お休みにも関わらずチビ助の門出を祝いに私服でやって来てくれて3人揃ってとても嬉しかったこの4ヶ月半、チビ助はたくさんの方に優しくしてもらっていたんだなぁと思うとしんみり【4
手術を終えたチビ助がNICUに入る直前、夫と、夫のご両親、私の父母がNICU前でチビ助に会うことができました物心ついた頃から泣いたことがないと言っていた夫『チビ助との初対面に、パパが嗚咽したんですよ。あんなに泣くパパ初めて見ました。この日までとっても大変だったんだろうなと思いました。』と、後に看護師さんが教えてくれました。夫はチビ助と私のためにずっと頑張ってくれて、不安は顔に出さずに絶対に助かるといい続けてくれた。でも夫だって、ずっと不安だったはずです。夫が普段通りの様子でそばにいた
現在新たな投稿は行っていませんが、一部投稿のみ情報を更新しています。この記事は2017年8月1日に投稿したものを、2020年7月20日更新しました。私が発症した【慢性早剥羊水過少症候群(カオス)】ChronicAbruptionOligohydramniosSequence(CAOS)について、私が調べたことをまとめました。自分の主観や不確かな情報は排除しているつもりですが(私の所感除く)、ネットで調べた情報が多数含まれているため「ふーん」程度に見てください
お姉ちゃん。マイコプラズマ気管支炎。熱が出まして、午前中37,8℃午後38,3℃次の日には熱は下がったもの・・超未熟児(出生体重486g)で慢性肺疾患で産まれたお姉ちゃんとしては咳は大敵・・・。気管支拡張剤のお薬の予備を張りながら病院へ・・。休日でしたがお薬と吸入をしましたが、帰宅後せき込み・・嘔吐・・嘔吐・・翌日再受診し咳だけですがレントゲン、血液検査をしてマイコプラズマ気管支炎とのこと肺炎になってなかっただけ良かったかと。・・・・・行きません。息子の面会。万
2017年2月で40週を迎えました。本当はこの時期に出産するはずだったんだなぁってシミジミ今生きているチビ助に、救ってくれた先生&ナースさんに、支えてくれた家族&友達&ママさん達に心から感謝しましたお腹でのんびり過ごす時期に、外に出ることになったチビ助には過酷な3ヶ月半だったと思いますお腹に居ることが出来たら不要だった採血、注射、眼の検査で、痛い思いをたくさんしました。きっと痛い思いをした分、強い子になってくれるね予定日までに目標にしていたことがありました。それはB病院の退院の条件
御訪問頂きまして誠にありがとうございます。今頃ではありますが2014年4月に誕生・同年10月永眠18トリソミー諒くんの事を書かせて頂いてます。楽しかったこと辛かったこと夫婦で決めた諒くんとの過ごし方など私の当時の心境を書いています。文才が無いので思ったまま書いてます。合間にペットの事も書いたりします。18トリソミー諒くん…妊娠30週に入った夜…破水による緊急帝王切開で諒くんは誕生しました。30週とは言っても…超低体重児…800gで産まれた諒くん。体のほとんど
入院生活が突然スタート点滴をして1週間で羊水が増えなければ助かる可能性は・・・と言われて過ごす日々。朝が来るたびに、これが夢ならいいのに・・・とぼんやり思いました。その一方で主治医やナースさんに優しくしてもらい、おいしい病院食(パンケーキやラーメン、パスタ、焼き立てパンの日もありました)を食べ、夫がお見舞いに来るのを楽しみに待つノーテンキな私もいました明るく過ごした方が得だと思ったし、まだどこかで、「羊水はきっと増える!」と信じていたのかもしれません。入院して4日経った日、
24週0日、妊娠7ヶ月の初日に帝王切開が決まりました。これ以上お腹にいるより、外に出した方が予後が良い可能性が高いと言う主治医のジャッジでした。↑血の混ざった羊水を飲み続けることでの肺へのリスクをかなり心配されてる様子でした。決まったのは手術前日のことでした。初めはお互いの両親は呼ばずに、自分達だけで出産当日を迎えたいと思ってました。両親は病院に来たいと言ってくれたけど、万一の場合ボロボロに傷ついた姿を親に見せたくないから・・でも夫は「もしチビ助が将来ピンチに見舞われたとして、自分
息子は支援級(情緒クラス)の小学1年生です。超低出生体重児(469g)で産まれました。金曜夜から、39.5°の発熱があり、月曜まで下がらず、37.5°から39.5°までをウロウロしてました。火曜の朝、いきなり平熱に戻り、明日から学校行けるね!と話していましたが、夜になり、咳が出始め、喘息?ヒューヒュー言ってるなぁ。と思いつつも、なんかウォッウォッも言ってない?いつもはケンケンなのに?クループ?どっち?と思いながら、息子の背中をさすってました。夜中1回、咳が止まり、
体調不良記録です4/14(日)に高熱38℃出し15日に病院行き、解熱剤など貰い帰ってきました(インフルではなかった)喉が赤かったみたいなので食事はあまり進まなかったのでうどんにしてみたら食べましたその後父母に移り、家族3人全滅結局一週間学校お休みしてしまいました翌週まだ吸引がいつもより多めでそれ以外は元気だったので学校行ったのですが給食吐くというトラブルが痰が多い時は給食無理して食べない方がいいと反省バスに乗り始めて疲れが早速溜まり始めたのか、、早寝早起きもしないといけないし、