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こんにちは。井上こずえです。このブログは超未熟児でうまれ知的障害・思春期早発症の診断をうけた娘の子育ての中での私の気づきと変化実践報告とやってよかったこと娘の成長等を綴っています。またママの負担が軽くなりそのうえ子どももよく伸びる♪そんなワークショップやおはなし会のご案内等も発信しています。《ワークショップとおはなし会お申し込みやお問い合わせはこちらから》
トトさんは昔から感覚面で苦手なことがあるなぁと私は感じていました。・騒がしいのが苦手(特に甲高い声)・柔らかい感触が苦手・大人に何かやらされるのが苦手・グルグル回されたり、高い高いなど高低のある動きが苦手etc...最初の頃は経験不足からくるものかしら?と思っていましたが、3歳になっても↑の事は変わらず苦手。なので、ずっとお世話になっている訪問OTさんに相談したところ株式会社日本文化科学社が発行している「日本版SP感覚プロファイル」をやってみることになりました。このSP感覚
発達っ子にありがちやけどうちの息子、座る姿勢が悪いです超未熟児で生まれたのもあるけど昔から体幹ができてないしグニャグニャでちゃんと座れないですなので現在の療育では何も言わなくても専用のイスが用意されてまして「そういや…コレやってるの我が家だけやん」と気づいたのは秋頃…(遅っ)療育でちゃんと座れないってのはすぐわかったんでしょうねー。「箱イス」というらしいです。背もたれだけでは横に動く。横にもガッチリあった方が体がホールドされて落ち着くらしい青テープが貼られて誰のイ
(むすこのNICU時代の記事です。前回までの記事はコチラ。妊娠中のあれこれは、テーマ1回目の入院、及び、2回目の入院~出産、をたどっていただけたらと思います。)生後4日目の朝(生後約90時間後)に脳室内出血を起こしてしまったむすこ。先生の話では、脳室内出血のグレードは3。右は脳室の拡大あり、左は出血があって判定できずということでした。(脳室内出血のグレードについて、都立大塚病院のHPから引用すると、脳室内出血のGrade分類GradeⅠ:出血が脳室の周囲の一
ご訪問ありがとうございます2020.7.23我が家の末っ子『りょーちん』は、798グラムで生まれました。23週で破水してしまい、管理入院の末、28週での早産でした。約4ヶ月半のNICUでの入院生活を経て、今は、毎日一緒にいられる幸せをかみしめています。今までの出産と、今回の出産の経緯についてはコチラから『今までの出産&経緯について』私の今までの出産や、今回の早産の経緯について、簡単に書かせていただきます(^^)2006年に結婚し、12月に、第一子を原因不明子宮内胎児死亡にて死産
下書きに色々溜まってたので、いくつか上げておこうと思います↓7月くらいに書いてた来年度中学入学の娘ですが、就学相談は受けません。小学校入学の時は、本当にギリギリ感があったのと、不安が酷かったし、そもそも超未だから、受けるものって思っていて、何となく中学もそうかなと漠然と思ってたのですが…実は、保育園入園後から今まで、2歳の頃保育園で田中ビネーを受けた(受けてみませんか?と言われた)のを最後に、一度も娘の支援の勧めを受けたことが無いのです(私の認識では。。。)保育園の頃に通って
最近、一人じゃ面会に行っていないわたしです。今日は子供らがいるので旦那かわたしのどちらかが行くしか無いのですが、わたしはやっぱり今は面会やめておいて。旦那がいきました。わたしいない方が旦那も聞きたいことが聞ける気がします。医者もわたしいない方が、説明しやすいかな?とか思います。旦那から聞いた話。呼吸は落ち着いてきた。ステロイドの効果。今後は1日10gとか体重増えていくだろう。増えたら呼吸器も変えられると。抜管までにはまだステロイドは必要になるだろう…と。再来週から目の検査ス
先日イラストでしか見たことがない着ぐるみが来るというので朝からショッピングモールへうはっで~~らかわいいが~~~普段こんな名古屋弁は使わないヨミッキーよりもいいかもしれないこの昭和チックな感じが最高☆イベントはこのコロナの中どんな感じでやるんだろう?と思っていたけれど心配無用人数制限があり出されていたイスはソーシャルディスタンスでポツンポツンと置かれていたなるほどねですよね
(むすこのNICU時代の記事です。前回までの記事はコチラ。妊娠中のあれこれは、テーマ1回目の入院、及び、2回目の入院~出産、をたどっていただけたらと思います。)久々のNICU時代の記事です。搾乳の件で、産後4日目にして、朝から産後ブルー全開。メソメソ、わんわん泣いてしまった私。そして結局、面会に来ない予定だった主人に来てもらった4日目の昼……。主人が来てからNICUに一緒に面会にいきました。むすこが入院していたNICUは午後からしか面会できないため、この日は私も
移送された新しい子供病院から電話が来ました。電話が来たのは、なんと夜中2時半。移送されてから、約6時間も設置や新しい機械につなぐために時間がかかってしまったそうです。今からでも面会に来てもいいですよ。と言われましたがみんな寝ているので、朝一で行きますと伝えました。そして、朝になり子供達2人と旦那さんと4人で子供病院へ。到着してビックリ!とっても綺麗で、セキュリティーもばっちり。一回一回、免許
※2023年8月、最新の視力のみ更新しました。※内容は2021年9月22日投稿したものです。2016年12月。チビ助の未熟児網膜症の進行は早く、今すぐに手を打たなければならない状態でした。従来のレーザー治療法ではリスクが大きすぎるとのことで、ちょうどそのタイミングにやっていた新薬の治験に参加しました。『治験に参加=我が子が実験台になる』ようで躊躇いはありましたが、従来の治療法だとリスクが大きすぎるとのことで、視界が遮られることない未来にかけることにしました。2019年11月。
こんにちは!みちこです。先生から早産の原因についてお話しがありました。心のどこかで、26週で出産したことは正解だったのか?もう少しお腹にいれたのでは?という気持ちがありましたが、お話を聞いてから、そんな気持ちは一切なくなりました。「もう少し遅ければ、赤ちゃん助からなかったでしょう」という先生の言葉が忘られません、、原因は3つ。①臍帯付着部異常による子宮内胎児発育不全②羊水過少症③絨毛膜羊膜炎どれもほとんど自覚症状がありませんでした。①臍帯付着部異常に
(むすこのNICU時代の記事です。前回までの記事はコチラ。妊娠中のあれこれは、テーマ1回目の入院、及び、2回目の入院~出産、をたどっていただけたらと思います。)むすこが脳室内出血を起こして2日後に退院しなければならなかった私。再出血を起こすのではないか、とてもとても心配で心配で、胸が張り裂ける思いとは裏腹に、毎日面会に行けないことは明らかでした。ともすれば、数週間は会いに行けないのでは……と思っていました。この頃には、超未熟児ママさんのブログを少しずつ見始めて
今回は私の仕事の話です私は某所の保育園で働く保育士です。0歳→1歳→3歳→4歳→5歳→0歳異動して3歳の2月に産休に入る→3年育休→1歳の7月に病欠→0歳の8月に産休→2年半育休こんな感じの経歴です。同期はみんな昇給試験受けてクラスリーダーやってるけど、私は育休長すぎて昇給試験受けてない年齢だけは上の中堅保育士です一応来年の4月下旬に育休復帰の予定ですが。まっっったく、復帰したくない。むしろ、前回の復帰でパワハラにあって病欠した時から退職したいと思っていましたけれど、メンタル
そうそう勢いでここまで書きましたがきーくんは2018年お正月に誕生し現在は元気な3歳児です!発達の遅れはありますがリハビリや児童デイサービスに通って元気いっぱいの毎日を送っています!といっても風邪をひくと、なかなか治りがゆっくりだったりしますが以前よりも、うんと強くなりました。水頭症でVPシャントもはいってて肺も弱かったりするので以前は風邪をひくたびに重症化、合併症にビクビクしていましたがそれを乗り越えた先は息子なりに成長している気がするので風邪は身
前回の投稿で<<自然療法や食事療法を勉強する日々がスタートしました>>と書きました。学ぶきっかけをくれたのはSさんそれ以外に医師の一言が私たちの療育生活へのスイッチをいれてくれました・・・きーくんがハイハイをし始めてすぐに風邪から肺炎になり入院しました入院すると同時に、どんどん重症化し、意識もなくなりICUへ無気肺による肺炎で、医師から気管切開の可能性もあります。とのこととにかく本人の回復を待つのみでICUに入った初日のみ鎮静薬や抗生物質など投与で2日、3
また期間が空いてしまいました2ヶ月もこの2ヶ月の間にまたまた胃腸炎になり胃腸炎後のウイルス性中毒疹になったりコンタクト治療が始まったりしましたが特に大きな問題はなくスクスクと過ごしていましたそしてやっとやっと迎えられた一歳の誕生日一年前の今日緊急帝王切開になり麻酔から覚めてもその日は我が子に会う事もできず今の状況を知る事もできないこれからどうなってしまうのか不安で不安で祈るしかなかったこんな元気に一歳を迎えられるなんてそんな事すら想像もできないくらい毎日何が
そうそうチビ丸の病院だけどやっとこさ転院したヾ(*´∀`*)ノ眼科、小児科共にね!小児科というか内分泌化(低身長のことだけ)小児科は半年に一度、出生病院に通うよ眼科はおk~とすんなりできたけど内分泌はホルモン治療の為の薬がそこにあるかを確認するとかですんなりはいかなかった出生病院でも全然いいんだけれど先生大好きだし、先生大好きだし先生とっても丁寧で大好きだし。。。何回言うんじゃ都度仕事休んで病院行くのも厳しいし、何より小学生に
弟は28年で自分で生涯を終えました。私は最近思うのです。弟は超未熟児で生まれてきて、地元の産婦人科で生まれてすぐに、母の元を離れ、救急車で大きな小児医療センターへと運ばれました。助からないかもしれないとまで私達姉妹は医者や父から聞かされていました。ずっとICUに入ったまま、3ヶ月。私達姉妹は、弟は家には帰って来れないものだと思っていました。しかし、12月。クリスマスも過ぎた頃。家に赤ちゃんがやって来たのです。両親は秘密にしていました。遅めのクリスマスプレゼントの様に、弟が元気
22週542g、超低出生体重児で生まれた太陽の命の次に私が守りたかったものは、視力。初めてのレーザー治療は1000gになった頃でした。失明するかもと言われたあの日・・・平均1,500〜2,000発といわれていたのに、3,000発のレーザー治療に耐えた日。面会時間が終わっての帰宅は辛かった・・・未熟児網膜症でも“努力次第で伸び幅が変わる”と聞いていたから退院後は、★遊びながらの訓練を心掛けた!★一緒にアイパッチも貼った!メガネもかけた!★沢山お出掛けした!★沢
もう久しぶり過ぎて何から書いたらいいのか分からないのでとりあえず現状と最近の出来事をさんちゃんは現在1歳2ヶ月【修正10ヶ月】になりますそして本日、鼠蹊ヘルニア手術の為入院いたしました今日病院での計測は体重6.03kg身長66.6cm鼠蹊ヘルニアが発覚したのは1ヶ月半前。その時は胃腸炎でミルクの飲みが悪く嘔吐もしていた。病院へ行った所、過去に腸の手術をしているので念のためレントゲンとエコーをすることに。エコーで腸の一部が腫れていたようで腸閉塞の疑いと脱
前回のブログでライオンあくびの新刊が近々でるそうです!と記載しましたが昨日から新刊の予約がスタートしたようです私も早速予約しました!!↓↓大きく口を開けるだけで自然治癒力が動きだすライオンあくび体操【改訂版】あくびは脳と体を目覚めさせる究極の健康法|駒川耕司|本|通販|Amazon大きく口を開けるだけで自然治癒力が動きだすライオンあくび体操【改訂版】あくびは脳と体を目覚めさせる究極の健康法|駒川耕司|本|通販|AmazonAmazonで駒川耕司
毎日毎日ネガティブなことしかブログに書いてません。気分を害す方は読まないでください。きっと、私が受け入れるまでの過程で必要な感情なんだと自分で思ってます。それを書き綴って少しずつ少しずつ前に進みたくてブログしてます。今日は午前中に母乳届けに行きました。相変わらずの不安定な呼吸。見てると心が痛む。あぁ。お腹で育ててあげたかったなぁて気持ちがこみ上げてきます。だけど、正直あの時の私には色々と限界だった…とも思います。あの時…とは。前置胎盤で出血が続いてて、いつ大出血するかわからな
右の鼻孔が切れて1か月。最初はミルク注入の鼻管で切れてるのかと思いきや、なかなか治らない。鼻管はずっと左の内側にしてたのに、外側も切れてる!!なぜっ?!原因はCPAPのマスクでした。娘がよく引っ張るから。6月からマスクリニューアルされたからフィリップスさんに相談。すぐ病院の先生に確認とってくれて、使用許可おりた。そして今日到着。きりんさん✨肌に当たるところ最小限、肌荒れ治りそう!おでこの凹み、鼻低くなる心配なくなるかも!頭覆わないから蒸れなさそう!髪の発育状態もわかる!リーク(空
火葬が終わった日に死因が書いてある、いわゆる死亡証明書が届きました。数日前に、出生書も届いたばかりだったのに…私の住んでる国では、赤ちゃんが生まれてから2.3週間の間に出生書が届きます。まさか、、、出生証明を受け取った数日後に、死亡届けを受け取ることになるとは思いませんでした。死亡証明書の一部です。死因が3つ書いてありました。一つ目は、hypoxicrespiratoryfa
誕生から1週間が経過していました。7日目のその夜、いつものNICU訪問へ。この日は、旦那のお母さんが来てくれていたので子供達はお義母さんに預けて旦那さんと2人でNICUに同時に行けました!久しぶりに旦那さんと同時に入室し、同時に先生から説明を聞くことが出来ました。今日の先生からの報告では、今日は安定していて、比較的特に危険な状態もなかった。と言われ安心していました。しかし。
家族にも言っていない秘密・・・笑(夫さんや理解のある友人には話をしてますが。)そして突然の精神世界の話!!笑今日の気づきです。ぜひお付き合いくださいきーくんが妊娠7か月で誕生したとき心底怖くて身体が震えていましたこれからどうなるんだろう彼は生きるのか死んでしまうのか状況を受け入れることに必死だったような実はよく分からないなぜなら私はこのようになることを知っている自分がいたからです。とても不思議な感覚でした。自分でもよく分かりませ
前回、5月10日に今の病院へ紹介された事まで書きました。すぐに、造影剤でのMRIと内診をし、子宮がん検査まで、一通り検査をしました。その子宮がん検査で、陽性反応がでて、組織検査へ。その時までも、まだ境界悪性との判断💦心の中で、検査の内容やDr.の雰囲気から、癌だ…と卵巣は事前検査ができないので、手術で取って組織検査しないと断定できないと言われました。私の手術は、両卵巣、子宮、大網をとる手術でした。子供を2人産んだとは言え、子宮がなくなるのは、現実なのに、信じられない複雑ない気持ち。
順調にいってた離乳食栄養士さんの言葉でお肉や卵を食材に加えるようになって今までと食感が変わってしまったことが嫌だったのかペッと出してしまい、それからというものどの食材も受け付けない全く・・・全く食べてくれないあの手この手と、調理方法を変えてもダメ・・・今までの食事に戻してもダメ・・・好きだった雑魚のおじややお豆腐やお芋さんもダメ・・・その間、栄養士さんからお肉、卵あげてますか?!の確認の電話まで信用ならーーーーーーーーーーーーん!笑焦ってあげなくてもよかった。