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今日は、母の3ヶ月に1回の定期診察のため、私も休みをとって付き添ってます。GW前のせいか、いつもより患者が多く、採血室の受付でさえ、かなり待たされてます。母は車椅子だけど、待合室の椅子もいっぱいで、所々空いてはいるけれど、付き添いの方はみんな立たれてます。見た目は私も健常者(腰のコルセット、膝のサポーター、下半身あちこちの湿布だらけだけど、座るわけにいかないですね😂待ってる間、母は私にひ孫(私の兄の娘の子)の写真を見せて来ます。絵本を読めるようになったってよ〜😄って嬉しそう
♪🎶♪「言葉にできない」(オフコース)先月来てくれた、息子の大学の友人N君が帰り際に教えてくれた。「オレ、最近コレ、聴いてるんです。歌詞が今(の自分の気持ち)と合ってて」♪あなたに会えてほんとうによかった嬉しくて嬉しくて言葉にできない♪…のとこだろうか?運転中だったので、「随分古い曲だね。あとで私も聴いてみるね」とだけ返した(私は運転が不馴れで、会話できる余裕がない)3人の大学の友人(Y君、N君、H君)が夜行バスを使ってわざわざ息子のために来てくれた。今回都合
葬儀後の週末は毎週のように泊まりがけで、息子のマンションの片付けに出向いた。夫と二人、毎回、狭いビジネスホテルに泊まった。自宅から離れ、しーんとしたその空間は、どうしたって、息子のことしか想うことはなかった。ある夜、私は「○○○がいないなら私は居る意味がない!○○○のところに行きたい!」と泣きながら夫に訴えた。「俺だってそうしたっていい。でも○○○は喜ばないでしょ!俺は、○○○だったらこんな時どうするかな、○○○だったらどうしてほしいかなって。そう
息子が亡くなって5か月になる。わたしは日常を過ごす。仕事もある。息子と同じ歳くらいの同僚も多い。やりたいことを求め、40歳を過ぎて今のところに同種転職した。新しいことを学ぶのは楽しい。それらを自分のものにしていくにはなかなか手強い。瞬発力もなくなってきたと感じる。主人は精神薬を飲み始めて穏やかになった。夜眠れない、とは言うが焦燥感は減っているように見える。食事もする。仕事もする。コロナ禍以降も、在宅ワークが中心の生活だ。わたしたちに、会話は、ほとんどない。
葬儀社:「息子さん、野球やってたんですね。小中高ならそれぞれのチームメイトや保護者の方、近所の方が来られるのでは?ある程度の広さが必要だと思いますよ」私の心:『そうかな?まだ誰にも報せてないし…家族だけじゃダメかな…』一番小さな会場は30人くらいのようだ[Aホール](カタログ上では、収容人数80名)次はその倍くらい[Bホール]。(収容人数150名)さらに大きな会場もあるが、それは社葬など社長や権力者向け。息子は普通の大学生。流石にそれはない。決めかねている私のために、実際
小旅行中、長男の見た景色朝がすこぶる苦手だった長男。亡くなる1ヶ月くらい前から突然私より早く起きて暖かい飲み物を飲んで私が起きた時に『おはよ、コーヒーかお茶どっちにする?』って毎朝暖かいの入れてくれてたな。電車が好きだった長男亡くなる1週間くらい前ふと思いついたかのように泊まりがけで見たい電車があると初めてひとりでの、小旅行を計画。ホテルを予約するのも私に全て確認して予約。前日体調悪くてぐったりしてたけど当日は早く出てしっかり楽しんできて、写真を何枚か送ってきてくれて
4月23日おーちゃん13歳のお誕生日を迎えました。毎年恒例のキャラクターケーキを今年は弟たちの希望でONEPIECEにしました‼️弟たちがハッピーバースデーの歌を歌ってくれました。下の弟が、「おーちゃん、今、横に立ってるよ」と言ってたから、きっとお家に帰ってきてくれてたんだと思います。プレゼントもあったから喜んでくれたかな?インスタで出会ったお友達からもたくさんお祝いのメッセージもらったから、おーちゃんにちゃんと届いてるといいな。おーちゃんお誕生日おめでとう。生まれて来てく
2024.3.273度目の月命日まだ3ヶ月なんだね…私だけ、1日が1年に倍速で進まないかなぁそしたら寿命を全うして息子に会える日も近いよね?そんな、あり得ないことを毎日考える3回目の月命日もカレーあれこれ悩んだ挙げ句のカレーこうなったら月命日はカレーの日にしようかなメニューひとつ決めるにも優柔不断な私今月は初彼岸もあったから悩みの種ばかり期間中の一週間の献立平椀、坪椀、汁物…紙にそれぞれ何を作るか書きだして何とか最終日まで成し遂げた私は、"こうしなければいけない!
息子を見送ってから一年3カ月。未だに我が家にはちゃんとした仏壇は設けていません。それでも当時は、まさかこんなに早く我が家が仏事を執り行うことになるとは思いませんでしたから、わからないまま習わしに従って儀式を進めていきましたので、四十九日に早々と納骨を済ませました。ほかの天使ママさんの記事を拝見すると、亡くなった後も遺骨を自宅に置かれてる方も結構いらっしゃることに驚きました。今思えば、そんなに急がなくて良かったのかな?と思います。しきたり上、遺骨は納骨しなくてはいけないものだと思ってい
この一週間、どれだけのおはぎを食べただろうか?春彼岸はぼたもち、秋がおはぎのようだが、私の周りで売られているのは、おはぎばかりだったな。私はこれまで、好んで食べてこなかった。よくある理由だが、"ごはん"と"あんこ"って…でも息子へのお供えにと、母や義兄弟が持ってきてくれた。自分でも有名店まで足を運んだ。一度、20日の春分の日に行ったが、店の外に100人くらい並んでいるのを見てあっさり断念した。(昨日、再チャレンジしてゲット)息子にあげる=私がお下がりをいただく。だか
2024.3.29月命日はちゃんと覚えてるけど、迎えて何回目だっけ??と思うようになりました。悲しみだけでいっぱいだった頃から比べたら、少しは現実を受け入れた生活に馴染んで来てしまってるのでしょうか・・職場で休みをもらう時はいつも休む理由を簡単に言うのが暗黙のルールなんですが、これまでは29日に休む理由を言わなくても皆さんわかってくれてたのですが、今回は「ん?何ですか?」って言われました。「月命日なので・・」「・・あ〜・・」「あ〜・・何だよ」ってツッコミたくなりました。
🌸2024.3.19娘の大学の卒業式でした。地元の大学だったので、私と主人も行って来ました。(息子も)思えば入学時は、緊急事態宣言が発令された年。入学式でさえ行われず、思い描いていたのとは到底かき離れた制約だらけのキャンパスライフを過ごして来た娘息子の写真と一緒に😉2人の子供達が社会人になるまでの、親としての役目はこれで全て終了です。子育てLifeで、あともう少しというところで、先に社会へ送り出せたとはいえ、かけがえのない宝物を1つ失ってしまったことは、予想もしない信
葬儀社の方から受け取った、息子の法要日程表をしみじみ見つめる。○○家法要日初七日忌○月○日二七日忌○月○日•••その日が来る度にザワザワしながらお膳用意したりして。「もう四十九日なんだね。あとは百箇日だけなんだ...。あっという間に、たんたんと過ぎてしまった気がする。よかったのかな...」「こういうものでもないと、前に進まないんじゃない?誘導されることにも意味があるのかもよ」と夫。この突然の事態のあと、息子の友人、バイト先の方、その他多方面の関係者と話をし、息子
今日ってエープリルフールだったのですね・・息子の遺影を見てふと思いました。うぇ〜い!うっそだよ〜ん!!って笑って出て来てくれないかな・・そしたら一発引っ叩いて抱きしめてやるのに。もっと笑える嘘ついてよ!
昨日、お風呂のカビキラーしてから火がついて、今朝から、家の大掃除が始まりました🧹🧼ここ数年、大掃除もろくにしてないので、すぐにバケツの水が真っ黒に🪣💦それが、さっき床磨いてら、久しぶりに本気で泣けてきましたヽ(;▽;)ノ息子が3歳からずっと一緒に暮らしていた我が家いろんな息子のかわいい顔が、走馬灯のように、ほんと‼️走馬灯のように…わたしは、息子でいっぱいになって固まった一人で、涙が止まらなくて(あっ…かわいいナミちゃんが、いたね🐶)お世話になった我が家床や壁のキズも、取れな
2日前、旅先🌸で携帯がなった獣医さんからだ…ナミちゃん🐶(14年間一緒に暮らした我が家の愛犬)の容態が急変したから、すぐ来てほしいという電話出かける前日に体調が悪くなり、貧血がひどいというので、2泊で入院していたナミちゃんもう夜の7時!主人も一緒に旅行にきてる自宅まで約400キロその日、家を出て2泊の予定だ80才超えた両親との旅行留守番している弟くんが、急いでナミちゃんを迎えに行くことに!!焦る💦3年前に大好きなお兄を号泣しながら見送った彼に、住み慣れた我が家でナミちゃんを看取
娘が部屋を片付けたいからと、クローゼットからダンボールを3つ出してきました。中は子供達の作品集が入っていて、幼稚園から小学校までの3人分あります。当時は処分する事も出来ず、転勤族だった為、そのまま箱に詰めたまま十数年‥いよいよ片付けないとです。娘のは、見て懐かしんだ後に処分する事に長男のは、今度来た時にでも一緒に見てから処分しようそうだ!パパのだと、孫ちゃんにも見せてあげよういずれもありがとうの気持ちを込めて♡次男のは‥まだ、処分するのは無理だと思います。私が考え込んでいたら、
昨日、1月17日は阪神•淡路大震災の日でしたね。「あの日から29年たったんやね‥」をきっかけに主人と今までの事の話になりました。当時、主人は阪神大震災の被害に遭いました。自宅は全壊、祖父母の家は全焼しばらくはテントで、その後は仮設住宅での暮らしを余儀なくされました。「大変だった‥それでも、命は助かったから‥」と主人は言います。その1年後に私と結婚して28年「今まで、本当に色んな事があったなぁ‥」と私複雑な環境で育ち、震災、自身の病気、娘の病気、そして‥次男との死別「今まで、大概
金曜日は息子の5回目の月命日そして、長女の子供の手術の日でした私の初孫になる長女の子供は病気を持って生まれてきました先天性食道閉鎖、口唇口蓋裂、右小耳症です出産中から心拍が弱くなった赤ちゃんは産まれてすぐに大きい大学病院に運ばれましたそして翌日には先天性食道閉鎖の大手術を受けたのですその手術をしなければ生きることができなかった孫ちゃんに生きる道が開かれましたほんとに感謝しかありませんその当時、孫の病気のことでいろいろな情報をネットで探しまくっていましたその中で、ある医師の
明日で2度目の月命日私は入ったばかりの仕事を辞めて家に居る22年前、息子の出産を機に、子育てに専念しようと専業主婦を選んだが、あまりしっくりこず、結局1歳になる前から社会復帰した。途中、転職のタイミングでちょっと途切れたことを除いてはずっと働いてきた私が、毎日家に居る。<朝のルーティン>6時10分起床·身支度6時45分息子のご飯(仏壇のお供え)の支度7時15分お供えとお参り7時30分洗濯干しとお茶碗洗い(&夫の起床)7時45分お供えを下げる8時0
いつも私の拙い記事にいいねやコメント有難うございます。12月に入りました。今年もあと1ヶ月、いつのまにか13ヶ月目の月命日の投稿をしないまま時間が過ぎてしまいました。13ヶ月目の息子からのメッセージ蝋燭は「一歩ずつ」・・でした。一周忌が終わり、気持ちは相変わらず落ちる日はありますが、息子の死を少しずつ受け入れてきたのか、忙しさに乗っかって、ちょっと鈍くなってるのか・・泣くことが少し減ってます。少しずつ少しずつ、気持ちが軽くなっていけたらどんなにいいでしょう・・12月に入り、息子
一昨日の月命日から今日までの3日間息子のお嫁さんが毎日、孫娘を連れて家に来てくれました義実家って気を遣うだろうと私からはあまり声をかけていなかったのだけどお嫁さんの方から行きますって我が家にいる間孫娘の食事やオムツ替えをする以外はのんびりと過ごしているお嫁さん夕飯食べていっていいですか、とか用事があるから、出かけてる間、孫守りをしていてほしい、とかありがとう…そんなふうに甘えてくれて、頼ってくれてありがとう…孫娘との楽しい時間を過ごさせてくれてお嫁さんが作っているアル
息子の性格、趣味、思い出に残っているエピソード、最後に伝えたい言葉葬儀の準備の時にこんなテーマをヒアリングされたその時の回答は別のブログに残すことにするあらためて、どんな息子だったのか、ここ数年間を中心に洗い出してみた『すぐハマる』好きになるとトコトン打ち込む食べ物でも、スポーツでも、ゲームでも、アイドルでもでも、その"推し"は、よく変わる乃木坂、エヴァンゲリオン、ウマ娘、五等分の花嫁とその声優たち…二次元から三次元、幅広く
昨日は、息子の六七日の法要でした私には3人の子供がいて息子には姉と妹がいます県外に住む姉家族と妹も帰省していたので今回は皆でお参りできました終わった後には、みんなで孫娘のお誕生会先日は内輪だけで今回はお参りに参加したみんなで法要でいっぱい泣いてお誕生会でいっぱい笑ってそんな2023年の年の瀬…2023年の元旦は我が家に家族皆が集まり一年の始まりはとても賑やかでした年末に息子夫婦に赤ちゃんが産まれてお嫁さんは入院中仲がいい2人お嫁さんがいなくて息子はなんだかつま
今朝も目が覚めて、まず思うやっぱり、大好きだ…好きすぎる❕❕会いたいなぁ♡昨日、たまたま見たドラマ完全に息子かぶりで…見てられずすぐ消した(´-`).。oOでも、初めのナレーションがすごく耳に残ってるもしタイムマシンにのって、好きな日に戻れるとしたら…今まで生きてきたうちのどの日を選ぶだろう?きっとそれは、宝物だった1日に違いない✨息子は、どの日を選ぶだろう?そしてわたしは…考えてたら、息子でいっぱいになってた話したいなー息子の今の思いを聞きたい…あー、会いたい会
桜があちこち咲きほこり職場では新採の人や異動してきた人を迎え新たなスタートの4月…息子がいなくなって初めて迎えた4月こんなに気持ちが落ち込むなんて思ってもいませんでした悲しい気持ち、落ち込む気持ちそして連日の忙しさもあってかイライラの気持ちもプラスされてマイナス感情のオンパレードですそんな時に、山に登るお誘い毎年、春と秋に集まる5人いつもなら「行きまーす!」って何の迷いもなくお返事今回はためらいながらの「行きます」のお返事そんな時、ブロ友さんの山登りの投稿を見て心
今日は朝から雲一つない青空の一日何かワクワクしてあれこれしたくなる青空の日でも、今は青空を見ると心がザワザワする…私の住む地域は、11月ごろから春頃まで灰色の空が圧倒的に多く晴れ間も短く、雨だったり、みぞれだったり雪だったり…一日中、雲一つない青空の日は珍しいなのに、息子が亡くなった11月息子のお通夜と葬儀の日は雲一つない青空が広がってた…お通夜には、たくさんのすごくたくさんの方々が来てくださってお焼香と私達家族への挨拶の列がずっと続いていてロビーは来てくださった方
一昨日、四十九日の法要が終わりました元旦に大きな地震があって被災したニ家族の親戚が来れなくなりごくごく身内だけの法要に…四十九日法要は極楽浄土に行けることを祈って執り行う法要なのだからこれから息子が住む世界はどうか幸せで苦しみのないところでありますようにと願う自分そしてもう一つの気持ち…なぜ息子の四十九日の法要をしているのかこんなことがあるはずがないって息子の死を受け止めきれない自分お経が流れている間優しく微笑む息子の遺影を見ながら2つの相反する思いがぶつかり合って
仕事に復帰してから通勤も辛くて仕方がなかったです。バス停や電車の駅が息子も通勤に利用していましたので思い出がいっぱいなんです。時間が合えば一緒に出かけたり、帰ってきたりもしました。もう、それも出来なくなってしまいましたが‥当時はバス、電車に乗るだけで涙が止まらなくて大変でした。これは今でも変わらず感じる事なんですが、乗車していて、まわりの乗客の人達を見たり、窓の景色を見たりしても「息子がいなくなっても何も変わりなく世の中や日常は進んでいくんだ‥」とか「これだけ大勢の人がいる中で私の様に
リビングでは、孫娘を囲んでお嫁さん、夫、母が楽しそうに過ごしていて私は台所で夕飯の支度をせっせとしていた時突然、キーンという耳鳴りその瞬間、『息子が側にいる』そう思いましたみんながいる方に向かって、「今、耳鳴りがしたから、(息子が)ここにいるのかも」そう言うとお嫁さんが「今、娘がパパって言ったんですよ」って息子は、確かにここにいるんだみんなと一緒にここにいる本当ならここに生きている息子がいて一緒に楽しいひと時を過ごしていたはずなのにいない現実が辛くて苦しくて流れてくる