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御上神社:滋賀県野洲市三上838御上神社奥宮(三上山山頂):滋賀県野洲市打ち出でて三上の山をながむれば雪こそなけれ富士のあけぼの出典は不詳だが、紫式部が詠んだとされる歌である。後に近江富士と称される三上山は古くから都人に知られた山だったようだ。山容はいわゆる神奈備である。山麓には御上神社という古社があり、元々はこの山を神体としていたという。初めて訪れた時にそのことを知ったのだがあいにく時間がなく、山頂の奥宮と磐座は訪ねることができなかった。奥宮や奥之院は概して山頂や山腹にある。これ
愛媛県西条市朔日市に鎮座される風伯神社さまへ参拝させていただいたあと日を改め、次は愛媛県西条市丸野に鎮座される天来風伯神社さまへ参拝に向かいました。風伯神社さまにお詣りに行った際、少し離れた地図上に同じ風伯神社さまの名前があるのを発見しました。正式な神社名は天来風伯神社さま、300年以上昔から不思議な伝説が残る神社さまでした。スマホのGoogleマップで進んで行くも途中から地図上には道がなくなり、車のナビ上にも既に道路が表示されない山道。『この道で合ってるのかな?』と思いながら
9時にホテルを出発して車で東平安名崎(ひがしへんなざき)へ。東平安名崎は宮古島で最東端の岬です。パノラマの絶景でした!岬の先端にある平安名崎灯台↓ゴロゴロある岩は明和8年(1771年)に起こった大津波で打ち上がったものだと言われているそうです。次に池間大橋を渡って池間島へ。ダグズバーガーでランチしました。綺麗な海を見ながら美味しくいただきました。雪塩ミュージアムにも寄りました。雪塩ミュージアムでは、雪塩の製造工程を見学したあと雪塩ソフトクリームを食べました。数種類の『合わせ塩』が
昨日、伊豆石の採石場跡「室岩洞」の記事をアップしましたが、伊豆石絡みでもうひとつ「ぼなき石」をご紹介します。「ぼなき石」は、東伊豆町大川に残された築城石で、江戸城修築の際に切り出されたものだそう。しかし、サイズが大きすぎて海まで運べず、この場所に放置されてしまったかわいそうな巨石です。石の側面には、採掘者を表す「羽柴左衛門大夫(福島正則)」の刻印が刻まれている名前の由来は、「重すぎて運ぶのに苦労した村人がぼやいた」とか「放置された石が悲しくて泣いた」など諸説あ
もう、4月なん!!・・・寒いです。えーと、最後の散歩報告です。最後に訪れたのが「五輪石稲荷神社」的場石から歩いて10分くらいだったかな。そんなに遠くないです。吾妻連峰がかすんでました。花粉症の人には、過酷な道・・・お寺の裏かな?下って行くと、巨石が埋まっています。まるっこい。小さな案内版到着。看板より、五層に重なった巨石の量感に圧倒されるこの石を「五輪石」と呼びます
赤湯温泉街に烏帽子山公園があり、そこに烏帽子岩という不思議な石があります。この石は赤湯七石の一つで「米府鹿の子(べいふかのこ)」紀元2,396年より紀元2,424年に至るまで書かれた古文書によりますと、「塩釜明神より慈覚大師の方へ使いの神来り問答終り塩釜に帰らんとする時、えぼしを置きたる石なり」とあります。然し、この石のは磨涯碑なのであります。」板碑の一種。(梵字が書かれたもの)供養碑で鎌倉時代に生まれた新佛教の所産で浄土門の彌陀碑が最も多いようです。「この碑は
高津区主祭神天照皇大神(あまてらすおおみかみ)赤城大明神を祀る鎮守の神として始まったとされ、江戸時代には弁財天と毘沙門天を祀る神仏習合の神社でした。明治維新後、神仏分離令に従い、伊勢神宮から天照皇大神の分霊を勧請し、社名を「溝口神社」と改称しました。境内には、樹齢500年以上の長寿けやきがそびえ立ちます。落雷にあった跡があるものの、力強く枝を伸ばし続ける生命力にあふれており、長寿や子孫繁栄にご利益があるとされています。垂乳根のイチョウは、巨石を抱きかかえるように立っていた巨木で、母