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最後の病院受診の記事を書こうとして、後まわしにしちゃってて……。締めくくりしなきゃ~と思いつつ、ダラダラしててすいません病院の記事、まだ書けてませんが先に記録を載せます。成長ホルモン注射を始めた時からの成長の記録です〈10歳0ヶ月〉治療開始身長:122.0㎝(−2.5SD)〈10歳9ヶ月〉思春期が始まっていると判明身長:129.0㎝(−1.9SD)骨年齢9歳〈11歳0ヶ月〉治療開始1年後
毎週の通院で息子はお薬を処方してもらっています。ゾスパタ(FLT3阻害剤)1日2錠(80mg)X7日分で14錠アシクロビル(帯状疱疹やヘルペス、水疱瘡予防)1日3回X7日分で21錠採血、診察、お薬代で診療費30万円弱週1の金額がこれなので、、1ヶ月だと約120万マルクをやった日は45万円くらいになるので毎月130万円以上の診療費ということになります小児急性骨髄性白血病は、国の指定難病に入っているので、自治体に申請して手続きをすれば
息子が熱を出した翌日の朝、1分間の痙攣が起きました。家族に救急車を呼んでもらっている間、私はスマホで痙攣の様子を撮影。「痙攣が起きた時は動画を撮っておくと良い」というのを以前SNSで目にしていたので直ぐに行動に移すことが出来ました。震える手で泣きそうになりながら撮影しました。救急車が到着し、救急隊員さんに痙攣の様子を聞かれた時に動画を見せることが出来たので良かったです。おそらくあの時はパニックになっていたので、口頭では上手く説明出来なかったと思います。直ぐに搬送先が決まり市内の総合病院に
ウエスト症候群発症当時、息子は7か月でした。この病気は発症前後で発達の退行がみられますが、息子の様子を見ていて気付いたのは以下の点です。・発症数日前から、あやしても笑うことが少なかった→高い高いやこちょこちょが好きで声を出して笑っていたのですが、そういえば最近あんまり爆笑してくれないなあ、なんて夫に話していたところでした・ぼーっとしていることが多かった気がする→これは今思えば、なのですが、あお向けでぼーっとしていることが多々あった気がします。声をかけたり触った
退院して色々ありすぎたけど、ブログを書く元気と時間がない娘は相変わらず一進一退。全体的には、入院してた時よりは確実に良くなってるけど、今は悪い時期。動くようになったからか、入院中以来、久々に身体中に大きな水疱が結構出来て潰れてめくれて‥の繰り返し。あと顔が酷い事に。眠いと顔をぐりぐりかいてしまうクセがついてしまった。そのせいでおでこ、みけん、鼻の横、まぶたなど、顔のほとんどが傷だらけ。真っ赤。プラス乳児湿疹もあるらしいミトンしても傷と水疱が出来る。寝る時だけ顔にメピレックスライ
また息子は目を覚ましてくれると信じていましたが、息子は朝になっても目を覚ますことはありませんでした。この時点で母親である自分も熱発し、コロナ陽性が確認されました。自分もしんどいけど、息子が起きない事への不安が大きくてそれどころでは無かったです。医師からは、「脳炎か脳症を疑っている」「MRI、CTの検査してその結果次第で大学病院への転院となる」と告げられました。午前中のうちに検査をしましたが、結果は異常なしでした。意識は戻りそうになく、その日午後に大学病院のこども医療センターへ転院することが
病後1年4ヶ月の現在の状態です。出来ること【身体面】・歩く、走る・ジャンプ・トンネルくぐり(ハイハイ)・階段の昇り降り【知能面】・コイン入れ、ボール入れの知育おもちゃ・簡単な単語の理解、指示が少し通る・ちょうだいと手を出すと、どうぞと渡してくれる・手を叩いて「お願い」「貸して」と要求する・いただきます、ごちそうさまが出来る・名前を呼ぶと振り向く・目が合ってニコニコしてくれる・クラスのお友達とタッチする身体面(運動機能)については2歳過ぎくらいまで回復してます。
娘の腫瘍は大きく手術では取り切れなかったので、摘出できるサイズにする為術前に化学療法(BEP療法)をすることになりました。化学療法前日、私の妹に家に帰りたいとラインが来たらしく(私には心配かけないようあえて送らなかったのかな)妹はその文面で泣いてしまったようで、青春って時に、友達との遊びや恋を楽しむ時にあの子はなんで病気と戦わなあかんのやと思ったら毎日涙が止まらない。あの子が心配。でも会っても泣くしかできないと言っていました。化学療法が非常に効くと説明があり
娘の病気、表皮水疱症。10万分の1の確率の、日本には1000人くらいしかいない、とても珍しい病気。娘がこの病気になるまで、私も全く知らなかった。指定難病。皮膚がとにかく弱くて、ちょっと擦れただけでズル剥けになって、水疱があらゆるところに出来る。ただれて、全身やけどみたいな状態。ひどくなると手がくっついてしまう。喉も傷つくので、硬いものは食べられない。同じ表皮水疱症でも型があり、型によって症状が違う。軽症から重症まであり。予後も型によって全く違う。治療法はなく、対処療法のみ。
BEP療法1クール3日目は午前中にエトポシドが点滴で入りました。これで1クール目終了。この3日間、ほぼ同じ体勢で寝ていました。1日目2日目3日目3日目はアイスクリームを何口か食べましたが、他はまったく受け付けませんでした血液検査はLD(H)1023(上限250)↓755(2日後)でした。化学療法開始が年末だったため仕事納めの前に話をさせてほしいとのことで※栄養士さん(付加食の有無)※支援計画担当の方(小児慢性特定疾病&特別児童扶養手当の話)※相談室の
ご無沙汰しております冷たい雨の降る4月の始まりですが、息子は無事保育園生になりましたウエスト症候群が落ち着いて発作が消失していることもあり、加配等のない普通の保育園で0歳児クラスです最近の息子の様子はというと…(11か月)お座りが安定してきましたまだ1人でおすわりの姿勢になることはできません。ただ、少し前まではペチャっと前に倒れていたのが、座らせてあげると姿勢よく保てるようになってきました「まんま」と言っている⁉めちゃくちゃお腹がすいたタ
紹介された大きな病院へ移動する途中お昼休みのパパと電話が出来ました。👨🏻📞「大丈夫?病院ありがとね。LINEで言ってたウエスト症候群(点頭てんかん)って調べると3000人〜4000人に1人の病気って書いてあるけど…?」ってなんだか珍しく不安そうにしているパパ。(ゆっくり検索したら色々分かるし不安になるよね)私は言われたすぐに待合室でネット検索すると、まるで娘の様子を絵にしたような症状のイラストが目に入りほぼそうだろうなと思っていました。でも何よりも未満児2人を1人で連れて動いている事
娘は初めて発作を起こした日にすぐ大きな病院で脳波をとることができウエスト症候群だと診断されました病院から帰宅した夜は、人生で一番という程、辛かったです。たくさんたくさん泣きました何の不安もないところから突然の発症正直、地獄突き落とされたような気持ちで何もかも夢であって欲しかった妊娠中は切迫早産で早く産まれちゃわないかたくさん不安もあったけど37週という正産期まで持ち堪えてくれて3200g越えで大きく産まれてきてくれてかわいい待望の女の子でミルク育児にチャレンジして前
40代共働き夫婦長女(12才)…中学1年生長男(11才)…小学6年生次女(4才)…保育園年中浪費家夫婦が節約に目覚め無謀にも貯蓄1億円を目標に節約に奮闘中こんにちは、ナナまるですいいねしてくださった方、読んでくれた方ありがとうございますこれは、長女の手当の申請に行ったときのお話です小児慢性特定疾病ということで、先生から手当のことを聞き、夫婦で手当の申請に行きましたわたしたちより若い男性の職員さんが色々と説明してくれましたその
救急搬送から1週間、息子の病気について医師から診断を受けました。「検査の結果、お子さんは痙攣重積型急性脳症です。」「典型的な脳の画像でした。」「一生歩けないかもしれません。歩けたとしても高確率で神経学的後遺症が残ります。覚悟しておいて下さい。」(神経学的後遺症=知的障害)告げられた言葉は残酷で、ただただ胸が苦しかったです。その場で泣き崩れました。"人生でこんなに辛い事ってあるんだ""私の命と引き換えにこの子が元気に過ごせるのなら私は喜んで死ぬのに""なんでうちの子なの?""もうマ
一時退院の約一週間後(1月中旬)2クール目の為、再入院をしました。入院手続きをしている間も髪がポロポロ抜けるのでコロコロをかけながら待っていました入院してすぐ血液検査の結果が出ました。WBC(38〜94)13RBC(400〜510)418ヘモグロビン(11.8〜14.9)10.9好中球(18〜80)2.7腫瘍マーカーLD(H)(上限250)280720から280に‼️この数値では化学療法をスタートできないと言われ好中球を上げるためG-CSFを打つことにな
PICUを出て一般病棟に移りましたが、コロナウイルスの数値がまだ出ていた為、個室で付き添いとなります。久しぶりに再会した息子は痩せ細っていました。開眼していても、ぼーっとしているだけで声掛けにも反応がなく、別人のような気がしてショックでした。唯一、ガーゼで顔を拭く時に嫌がってくれた事だけが救いでした。「まだこの子は嫌な事が分かって、それを表情に表してくれている」と思って嬉しかったです。とにかく刺激を与えないと!と感じ、大好きだったyoutubeの動画を流したり、大好きだった絵本を読んだりし
こんにちは、大変お久しぶりです。みなさまいかがお過ごしでしょうか。ウエスト症候群がわかり、少しでも娘の病気の事を知りたくて毎日を忘れたくなくて記録しようとアメブロを始めてみたのですがつらい現実を受け止めながら長い文章にまとめるのは気力も必要でなかなか更新できずにいました。振り返れば発症した4月から年末まで入院生活や日々の2人育児に追われ本当に忙しい日々で目の前の事に必死でしたあおちゃんの付き添い入退院、毎日の育児兄の幼稚園入園などであっという間でしたがなんとか年末を迎
娘の病気は、これといった自覚症状がないそうです。腫瘍が20cm近くの大きさになってもあれ?ちょっと太った?くらい気づかないみたいです。娘は腹痛や生理周期がたまたま大きく乱れたので発見できました。でも卵巣腫瘍の自覚症状に書かれている腹部膨満感や頻尿は全くなく逆にめちゃくちゃ食べていましたこの写真はA病院からもらったエコー画像で真ん中の白くモヤモヤ写ってるところが充実性腫瘍(中身が液体ではない)です。卵巣は本来3cm程の大きさらしいのですが、娘は10cm程に大きくなって
病後1~2週間で筋緊張が現れました。身体の反り返りと腕の突っ張りが特に酷く、本人も辛いようで泣いてました。時々両足をバタつかせるようになり、辛いのをどうにかしようとしているように見えました。見ている方も辛かったです。手の突っ張りは5分から10分おきに起こります。手の突っ張りに関してはマッサージをしてあげると解れて楽になる事が分かりました。すぐに気がつけるようにずっと手を握っているようにし、力が入った時にすぐに揉んであげると、泣くことなく落ち着いて寝てくれるようになりました。2日程様子を見
同居の祖父がコロナ陽性になり、その翌日に祖母も熱発し陽性が確認されました。親戚など身内ではコロナになった人がいましたが、自宅でコロナが出たのは初めてでした。すぐに隔離や消毒など出来る限りの事はして、とにかく家庭内感染を防ごうと必死でした。しかし、祖父が陽性になった4日後の夜に息子が40度の熱発。すぐに夜間救急に電話をし、診て頂けるとの事だったので受診しました。受診した時には、まだ検査しても陽性は確認されず、解熱剤を処方して頂きました。(息子は予防接種の反応熱はあっても風邪で熱を出した経験が
話を引っ張ってやろうとかはまったくないのですが、長くならないよう少しずつ記事にしています病院は付き添い可でしたが、夜は近隣のビジネスホテルに宿泊しました。不安にならないよう連絡は取りあっていました。でも、娘は少し泣いたようで、(何か月も経ってから知らされる)私もほとんど眠れませんでした。腫瘍が見つかってから手術日まで約3週間でしたので(大変ありがたいこと)娘が大きい病気かもしれないという現実を受け入れるのにはあまりにも時間がなく指示通りに動い
2024年5月13日(闘病1日目)『娘さんの身体に悪性腫瘍と思われる物があります。命の危険があります。』青天の霹靂だった。お医者さんからそう告げられた時、私は泣く事も取り乱す事も出来ずにただボーっと聞いていた。あまりにも反応が無いので、お医者さんはもう一度同じ事を言った。2回も言わなくても分かってる。分かっているけど、現実だと思えなかった。夢だと思ったし、夢であって欲しかった。小6の秋頃からお腹の調子が悪かった娘。近所の町医者に連れて行くが『思春期のお子さんは体調に変化を起こしやす
私の息子はヒルシュスプルング病です。以下、備忘録としてこれまでの経緯をざっくばらんに書き記そうと思います。******************1歳より前・生後3日目から排便がなくなる→生まれた日~2日目まではあった)・生後4か月の時に大学病院で手術→麻酔トラブルが起きてICUに入る・その後2ヶ月に1度経過観察通院1歳~2歳・便漏れが目立つようになる→ショウガチューブを1プッシュ程度・ガスの溜まりは確認されず3歳~4歳・トイトレを始める・排便のみ
大学病院のGCU入院中、生後1ヶ月の息子が肥大型心筋症と診断されたのですが、診断される前のこと。生後まもなくから心雑音があり、心臓が気になる。と、主治医の先生から言われていた。うちの息子は早産児だし、それに男の子って、風邪とか怪我とか、とにかく女の子より弱いって言うよね?なので、医療保険に入った方がいいかな、と思っていた。まぁ正直、乳幼児医療もあるし、子どもの頃はどんなに病院に行っても、そんなに医療費はかからないんだけど、0才で保険加入したら、月々の保険料も割安だし。というわけで、我が
こんにちは今朝は息子を起こしに行くと、こっちを見てニコッと笑ってくれましたこないだまた病院に行ってきました脳波をとったところ、ウエスト症候群の特徴はなさそうでしたウエスト症候群再発はまだしてないっぽいけどそれならたまに単発で起こる発作はなんなんだ…?***息子の病気はメンケス病といいます銅の輸送に関する遺伝子に異常がある病気です銅が欠乏して色々な問題が起きてます脳出血なのかウイルス感染なのか誤嚥性肺炎なのかけいれんなのか膀胱憩室破裂なのか…死のリスクは今もたくさんあって、いつな
You-Styling年齢不詳アドバイザー(笑)パーソナル・スタイリスト小林由香里です。ご訪問ありがとうございます。今回はプライベートな内容なのでスルーしてもオッケーです。個人的に記録として残しておくべきだと思ったので記事にします。長文のため、お時間ある時、目にして頂ければ幸いです。11月21日の検診結果が想像を遥かに超えて悪く、即入院になり本日で9日目。その間、洗濯物の交換に仕事帰りに寄ったり、担当医との面
A病院の電話から5日…朝イチでB病院へ車だと受付時間に遅れる可能性もあるので電車で普段はほとんど自動車なので、乗り継ぎにアタフタしながら病院へ…(田舎者なので)受付を済ませてから、採血。診察室には、色々な事情で受診している子どもさんがたくさんいて娘たちが元気に過ごしてきた事どれだけありがたいか強く思い知らされました。原因を知りたいけど怖い…とモヤモヤしていたら呼ばれました。A病院で撮ったCTを見ると、かなりの大きさでヤツがお腹の中に写っていた(転移はなし)娘は自分
1クール目が終わった半月後あたりから髪が抜けていきました日を重ねるごとに抜ける量が増えていきました。娘は毛量が多く最初は分け目が目立ってきた程度でしたが、化学療法3週間後(2クール目)には後頭部(枕が当たる部分は)ごっそり抜けてしまい直接目にする事がないのが唯一の救いでした。化学療法、約半月後化学療法、約3週間後(化学療法2クール目)あたり後頭部の脱毛は直接目に入る私はめちゃくちゃショックでした。娘はきれいなストレートヘアで同級生の女の子からもまっすぐでき
1泊だけの外泊が終わり病院に戻った娘…私たちは家に帰りました。次の日先生から電話がかかってきて血液検査の結果が家に帰られるレベルなので退院も可能ですよと。えっ〜!急に言われても無理嬉しいけど、思ってたより1週間も早く退院とは…あらゆる手続きの予定を入れていたので次の日に退院すると伝えました。血液検査の結果はWBC(38〜94)24RBC(400〜510)437ヘモグロビン(11.8〜14.9)11.6好中球(18〜80)15.6血小板(12〜52)7.4骨