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名古屋市中村区に残る中村遊廓跡の散策会に参加しました。中村遊廓は大正十二年(1923)に大須の旭遊郭から移転されてきた遊郭で、昭和十二年(1937)に最盛期を迎え、その賑わいは吉原を越えるものだったといわれています。昭和三十三年(1958)の売春防止法の施行により中村遊廓は終焉を迎え、現在では住宅地や商業地になっています。大河ドラマ・べらぼうで世間の遊郭への関心が高まっている中、名古屋に残る遊郭跡の見学ということで行ってきました。見るものは多く残っている中村遊廓の
〇大興奮!山麓までの大空堀山形県山辺町にある山城・畑谷城。山形市街から約20キロの山奥の山村に眠るこの城は山形県でも五本指に入れてもいいくらいの名城。この城の素晴らしさは山頂から麓までを寸断するくらいの大空堀慶長5年(1600)の関ケ原戦役において山形の郷土英雄最上義光最大の存亡の危機となった慶長出羽合戦。迫る直江兼続率いる上杉の大軍に対して、壮絶な抵抗の末に玉砕してのけたという物語性。そしてまさに存亡の危機において大改修で「ここまでやるか!」というくらいの防御力強化の為に設けられた大
〇松永久秀の夢の結晶我が生まれ故郷の奈良県は元々寺社仏閣が強い地域であったためか、「城郭」として残っている城は非常に少ないです。地元民だったから言うけど日本全国ワーストレベルで「城」に対する整備は遅れているのが実情なのよね。それこそ日本全国駆け巡ると知名度は低くとも立派に保存整備している自治体も多いのに、本当ハァ~とため息をつきたくなります。し・か・し・そんな奈良にも歴史上重要な「城」がありました。もしこの城がキチンとした遺構として残されていたなら、それこそ安土城などにも遜色ない日本全
福本陣屋…というと大体の人は「どこ?」と思われるでしょう。福本藩というとピンとこないかもしれません。この福本藩の家は池田家。そう姫路城を現代に残る世界遺産の大名城に変えた徳川家康の娘婿にして「西国将軍」の異名をとった池田輝政の孫・池田政直によって築かれました。家康の外孫でもありますが、彼の父政澄は山崎藩3万6千石を与えられていましたが、お家騒動によって改易。その後、宗家にあたる鳥取池田家に堪忍料として1万石を与えられ、改めて播磨の福本に1万石の大名として復活したのでした。寛文4年(165
出張終わりの週末の市場/漁港食堂巡り。ちょうど1年ぶりくらいに和歌山エリアを探索。今回(2025/6/21)の目的地は大きく二つ。それは和歌山県唯一の中央卸売市場と、運良く予約が取れた漁港近くの隠れ家的料理屋さん。南海の「堺駅」を7時20分に出る「特急サザン」で、和歌山港駅に着いたのが8時14分。当初はここから和歌山市中央卸売市場まで歩こうと思っていたのだけれど・・・改札を出てふと目に入ったのが、この時刻表の閑散さ!!2時間に1本の電車に合わせていたらとても予定が立たなくなる
2017.6.13.今回、大阪に寄ってついでに真田丸跡へ行って来ましたと、言っても遺構が何か残っているわけではないですけどね真田丸とは1614年(慶長19年)大阪冬の陣と呼ばれる大阪城にて徳川勢と豊臣勢の戦いで、真田信繁(幸村)が大阪城の南側惣構えの堀の外に築いた出城の事です『近年、やっと真田丸跡について全容が分かってきました以前は、場所も形もハッキリしてませんでした。形も丸馬出みたいな半円形だとかいろいろ憶測がありましたが!最近、場所も分かり縄張りも、四角形に近かっ
〇時間短縮の悪手で失った時間武田家は信玄以来の西進策で駿河→遠江→三河→美濃と織田・徳川領の多くの地域を制圧していき、そこに武田流築城術の粋を集めた名城を築城・改修してきました。しかし、長篠の敗戦以降これらの諸城の多くは失陥していきます。そんな武田家にとって遠江最後の砦となったのが静岡県榛原郡吉田町にある小山城。ここは武田にとっての重要な地域となる駿河へは国境河川となる大井川が間近となるまさに遠江最後の武田城郭です。ここもまた牧之原台地の南東端に位置し、大井川の渡河点と海岸沿いの街
先日、やっと寄る機会が出来、龍野城の御城印を買いに行ってきました写真は、昔に訪れた時のです鶏籠山山頂の山城と山麓の平山城との二期に分かれ、山城は約500年前赤松村秀によって築かれ、天正5年豊臣秀吉に明け渡されました。江戸時代に平山に移された城は寛文12年に信州飯田から移って来た脇坂安政が再建した。本丸御殿、白亜の城壁、多聞櫓、埋門などが復元されている。こちらは、その前に買った龍野古城の御
〇主郭へは立ち入れない城跡へ大阪市の平野部はなかなか城跡が残っていることが少ない。それこそ断片的な遺構を目を血眼にして発見する労力が要求されます。今回、大阪府東部の交野市にある交野城もその一つ。結構前には遺構が比較的よく残っていたのですが、今はだいぶ住宅地化が進んでいます。今回は河内磐船駅から歩いての行軍となりました。この辺りはJR学研都市線と京阪交野線が交差するのですが、僅か1駅の移動で運賃払うぐらいだったら歩いておいた方がいい…と思ったら、6月初頭というのに真夏かと感じるくらいの暑さ。
宿泊した猿ヶ京温泉を後にして、続日本100名城に選ばれた、『上州真田三名城』を巡りました。長野市から群馬県片品村に続く真田街道沿いにある、真田氏ゆかりのお城です。最初に立ち寄ったのはみなかみ町の名胡桃城址。戦国時代を終わらせるきっかけになった城だそう。戦国時代の利根沼田地域は、北から上杉氏、南から北条氏、西から武田氏が領地を争っていました。上杉謙信亡き後、武田氏が沼田城の北条氏を攻めるための基地として真田氏に命じ名胡桃城を築城。一時は真田氏が沼田城を攻略しましたが、武田氏滅亡後は、真