ブログ記事5,453件
最強の城23弾。11月24日に放送されました。今回のテーマは、ミステリアスな城。米子城吉川広家と中村一氏の天守が存在謎高取城来年の大河ドラマ豊臣兄弟の主人公謎大阪城石垣に穴狭間謎オオサンショウウオが発見される多賀城国宝多賀城碑石碑の文面謎田中城まん丸の城は非常に珍しいです城は四角になっています4つの堀6つの馬出し武田信玄亡き後、徳川家康が攻略するのに8年。徳川家康が鷹狩に来た時に、鯛の天麩羅を食べ腹痛。*諸説あり今川時代武田時代徳川時代
念願の山中城跡へ一度は行ってみたかった城です交通の便が悪く!なかなか行く機会がありませんでしたが!今回の小田原遠征で、行くと決めていました山中城は、永禄年間(1560年代)に、小田原に本城をおいた後北条氏が築城しました。天正17年。天下統一目前の豊臣秀吉と、最後まで抵抗した北条氏との激戦があった城でもありますこの時、秀吉の小田原攻めに備え、急遽堀や岱崎出丸(だいさきでまる)等の整備、増築を行ないました。しかし翌天正18年(1590年)3月29日、増築が未完成のまま、約7万の豊臣軍の
2月に私の誕生日祝いを盛大にやろうと←(勝手に)色々計画していたのですが…この2択で迷ってた…ウェスティン都ホテル京都楽天トラベルホテルラ・スイート神戸ハーバーランド楽天トラベル夫と話している時に、そういえば最近お城行ってないよね…!という話になって私独身時代から百名城スタンプ帳を購入し旅行の度にお城スタンプを集めているのですが出産後は全く行けておらず夫が出張のついでにまわってくれているだけに娘も大きくなったし、せっかく旅行行くならついでに
500城址攻城ブログ🏯(東日本編・中日本編・西日本編)433城目は白巣城ですよぉ~八木城登城を以て本州ともお別れし明石海峡大橋を渡りまして相棒と向かうは淡路島続100名城での洲本城址以来7年5ヶ月ぶりの訪島ですな近年数多のパヤパヤスポットが建ちSNSで話題スポットも増えてますケドそんなトコには目もくれず向かいますのは島の中央部に位置し害獣ゲートで強固に守られる至極マイナーな山城跡白巣城跡でございますわよヴェゼルでギリ登れる山道の先に意外にも10
500城址攻城ブログ🏯(東日本編・中日本編・西日本編)432城目は丹波八木城ですよぉ~東京自宅からから高松の実家まで5日かけて巡る旅も最終日最終日行程はこんな感じ~↓寝起きで向かうは八木城登城5日目にしてようやくの快晴麓の春日神社に車を停めまして2~3分も歩けば登城口へ雨も熊も心配無用の平和過ぎる登城いざ開始ぃ~念のためYAMAP登山地図活用するも●合目毎の指標が山頂まで9ヶ所建ち迷いようのない登城道七合目過ぎますと曲輪跡。。全体的
子育て中のパパママにとって、冬の楽しみのひとつがイルミネーション。寒い季節だからこそ、家族で温かい気持ちになれる時間を過ごしたいですね。今回は東海エリアで、子どもと一緒に安心して楽しめるイルミネーションスポットを5つご紹介します。休日のお出かけ計画にぜひ役立ててください。1なばなの里(三重県桑名市)東海地方のイルミネーションといえばやっぱりここ。広大な敷地に広がる光のトンネルや、毎年テーマが変わる大規
沖縄城巡り最終日です。今日は、浦添城、座喜味城、安慶名城、勝連城、南山城の5城を巡りました。今日も半袖でも良いぐらいの天気で快晴でした。特に世界遺産で続日本100名城でもある座喜味城と勝連城が見応えありました。座喜味城です。勝連城です。今回沢山の沖縄の城を巡りましたが、首里城をはじめとする城の全ては、第二次世界大戦の沖縄決戦でアメリカ軍の艦砲射撃等で跡形もないぐらい破壊されて、1972年の沖縄本土復帰後の復元事業で今のようになったとのことです。これで沖縄旅行も終わりとなります。こ
500城址攻城ブログ🏯(東日本編・中日本編・西日本編)431城目は丹波亀山城ですよぉ~須知城登城時より激しく降る雨は亀岡市街に入っても止む気配なくま、生粋の雨男ですものね。。なので雨でも廻りやすい平城へ今回で431城目となりますケドも立地条件としては1番珍しいかも城址が佇むのは宗教法人大本の敷地内大本本部の神苑=亀岡城址となっており何とも拭いきれないスピリチュアル感みろく会館なる本部へ立ち寄り拝観料¥300奉納しますと雨の中の足労を労う
500城址攻城ブログ🏯(東日本編・中日本編・西日本編)430城目は須知城ですよぉ~旅は4日目。。。前夜の由実ライブ+ドローンショーの興奮冷めやらぬまま金沢を後にし京都まで約300km戻る謎の行程最初の目的地は須知城跡登城。。琴滝観瀑も楽しめるスポットですよぉ2ヶ所ある駐車場のうち最深部の小瀧池に相棒を停め小雨降りつつも登城開始~琴滝までのアプローチは一気に崖下ってく具合で戻りがしんどいパターン5分ほど下ったところで琴滝がお目見え小
西階城は延岡地域(当時は縣(あがた)と呼ばれていた)の拠点として構築された城です。現在は西階運動公園という恰好のランドマークがあるので、ここを目指して自転車を走らせていきました。延岡市を流れる大瀬川は渡り、一路西階運動公園へ。西階城裏手の龍仙寺裏手から城への入口発見。西階城の縄張り図城はかなり広大な構造をしており、かなりの規模に達していました。城の道はかなり広大で、非常に歩きやすい城でした。大堀切跡曲輪6と曲輪8を隔てています。土塁跡土塁跡主郭跡
500城址攻城ブログ🏯(東日本編・中日本編・西日本編)429城目は金ヶ崎城ですよぉ~早くも旅は3日目。。。本日の行程は比較的緩めに取り敦賀観光→東尋坊→金沢観光で夜は由実ライブっつうハイライト的な1日最初に向かいますのは金ヶ崎城跡城跡より金ヶ崎宮でメジャーなコチラ本丸跡までの通り道ですし昨日に続き朝イチのお詣り御利益ありそうだわねお詣り済ませますと颯爽と登城一晩降った雨も上がり心地良い朝だこと例に漏れずココもヤツの領域らしいケド現るのは熊
今日から3日間沖縄県に来ています。今回もマニアックなツアーで沖縄にある城(グスク)巡りです。沖縄の城は本州の城とは少し違っていて必ずしも軍事拠点とは限らず、礼拝所や地域を統治している館とも考えられているとのこと。3日間で12城巡ります。日本100名城が3城、続100名城が2城あります。ということで今日は4城行きました。(但し1城は、米軍に占領されている土地にあるので、車窓からです。)糸数城です。玉城城です。知念城です。今回のツアー参加者は22名です。流石にマニアックな為、その
500城址攻城ブログ🏯(東日本編・中日本編・西日本編)428城目は疋壇城ですよぉ~旅の2日目最終目的地がコチラ城下に疋田宿を抱え熊川宿とはまた違った風情を醸し出し水路が生活に組み込まれる文化夕飯の支度か野菜洗ってるお婆様も時刻は間もなくヤツらの活動時間いつ出くわしてもおかしくない昨今日暮れる前にチャッチャと向かいましょー城址跡へ一気に誘う階段を経た先にはだだっ広いザ・跡地ココも城跡なんでしょうケドさほど見るものないので城址北側へするとポツ
500城址攻城ブログ🏯(東日本編・中日本編・西日本編)427城目は熊川城ですよぉ~旅の舞台は北陸エリアへと突入し相棒とは初めて福井県の地へ最初に向かうは鯖街道の宿場町として栄えた熊川宿風情ありますなぁ小雨しとしと降る12月のド平日に来る客は皆無で情緒あふれる街並みを独占す背徳感しばし街並みを堪能しますと熊川陣屋跡の裏手より熊川城址へと登ってまいります今年はどこもかしこもだらけで今年の漢字も"熊"が選ばれたそうですケドこの山城に至ってはばかり
500城址攻城ブログ🏯(東日本編・中日本編・西日本編)426城目は大溝城ですよぉ~残念過ぎた坂本城跡から湖西道路経て約30km北上近江高島駅前駐車場に相棒停めると歩いてすぐの三ノ丸跡へ向かいその脇道を進んでまいりますとなぜココに?って場所に天守台跡が君臨周囲を病院と老人ホームに囲われる中ポツンと佇む大溝城址1578年の築城から約450年経過するも基礎はしっかり残っておりまして一般の方は何ら琴線触れないでしょうケド個人的には十分楽しめる範疇天守
500城址攻城ブログ🏯(東日本編・中日本編・西日本編)425城目は坂本城ですよぉ~『幻の城』と形容される城は数多あれどもその代表格と称されるのがコチラ渇水による琵琶湖の湖面低下により湖底から普段見られない石垣が出現2004年の見学会開催時には整理券を求める大行列が出来たとも2年近く経過しブームも落ち着いた思うたら『見学できません』ですってよ明智さんよぉ~~~ま、しゃーないわね。。琵琶湖ガン見しつつ無理くり城址跡っぽい雰囲気感じつつこのへんはき
500城址攻城ブログ🏯(東日本編・中日本編・西日本編)424城目は宇佐山城ですよぉ~朝から降りしきった雨も上がり束の間の晴れ間を生かし再び山城跡へ向かいますのは登城起点の近江神宮百済寺から立て続けてのお詣りすっかり歳取ったせいか神社仏閣巡りがマヂ堪らんのよ有難ぁ~くお詣りを済ませると境内の隅っこを抜けましてエゲつない坂道ヒィヒィ登り進み宇佐八幡宮を経由しましてココでもお詣りさせて頂いてようやく登城口まで辿り着きますココから城址までは10分あまり
500城址攻城ブログ🏯(東日本編・中日本編・西日本編)423城目は百済寺城ですよぉ~旅は2日目前泊地の長浜より湖西を走って敦賀市へと向かう行程ですケド朝からすんげぇ雨ただ有難いことにかの有名な百済寺も悪天候のお陰か貸切で楽しめましたわ拝観料¥600奉納しましてまずは由緒ある境内を散策朝イチ且つ降雨のお詣りありがたやぁ~城跡の名残を感じさせるのは数ヶ所遺る石垣跡のみですケド百済寺と一体化した佇まいでよろし降りしきる雨の中境内散策を楽しみ
こんばんは☺️私らしさを整えるコネクターmiです🪽このブログはドイツが開発したタイムウェーバーの小型版波動デバイスヒーリーを使いながら書いています。読んでくださるだけで波動が届きますのでぜひ受けとってくださいね🤲✨今回の波動は「アースレイハーモニー」地球のエネルギーと自身のエネルギーの循環を整え、心身のバランスと安定感をサポートしてくれるプログラムです🌿☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆今日も浜松でのお話を書いていきますね🥟これま
500城址攻城ブログ🏯(東日本編・中日本編・西日本編)422城目は虎御前山城ですよぉ~日没前にもう1城廻れそうってことで向かいますは虎御前山城跡信長が浅井長政が立てこもる小谷城を攻め立てる際に築城した付城先週巡った平井山ノ上付城的なモンですな遺構自体はさほど…ですケドも雨が降ったり止んだり晴れたり曇ったりな城巡り中突如現る虹っが、ココの記憶が虹しかございませんで(これ書いてるのは登城から5日後。。。)とりあえずココまでの無事を感謝しつつ今宵の
500城址攻城ブログ🏯(東日本編・中日本編・西日本編)421城目は佐和山城ですよぉ~朝5時半に東京出発しまして愛知~岐阜~三重と城&遺構巡るも意外に元気なアタクシは翌日に予定してた佐和山城跡登山へ天気予報だと明日雨らしいしね登城は龍潭寺境内より風情溢れる境内を抜け登城の無事を願いまして攻城開始ぃ~~登城道は整備が行き届いておりまして野猿の群れに出くわすこともなく10分も登れば城址遺構ゾーンへ塩硝酸櫓跡→西の丸跡と経まして登城開始から15分弱
500城址攻城ブログ🏯(東日本編・中日本編・西日本編)420城目は鷺山城ですよぉ~加納城跡から約20分鷺山城公園駐車場へピットイン1185年に築城~1556年廃城となった鷺山一帯に置かれた山城も現世ではお約束の公園化。。。遺構は段々状の形状で残っておりただ廃城から数百年経た城址遺構としては不自然過ぎるほど整ったビジュアル石垣も確実に後世に積まれたものではて、これホンマに城跡なのかしらと疑念( ̄▽ ̄)つーワケで妄想タイムに切り替えまして遠く岐阜城を拝
500城址攻城ブログ🏯(東日本編・中日本編・西日本編)419城目は加納城ですよぉ~東京→神奈川→静岡→愛知と経て岐阜県突入し1発目は加納城駐車場ピットインは東京出て5時間半後築城は1602年とされる平城でして家康による天下普通請により築城城下町は宿場町として栄えたそうですケド現世では市民の憩う公園へリフォーム東海エリアは未だ紅葉見頃なようで天守跡など躯体遺構は皆無ですケド石垣は大事に保存されており中々に見応えございましたよぉマイナー平城はハズレ
500城址攻城ブログ🏯(東日本編・中日本編・西日本編)418城目は小口城ですよぉ~祝♥入社20周年!(^^)!というワケで今年で入社20年を迎え永年勤続休暇を10日も頂けることにが、有難い話なんだけどぉ~5日続けて取得必須×2回ってことで社畜ぢゃないにせよ中々ハードル高く無理くり12/15(月)~19(金)で1回目取得(来年3月までに残り5日取れるのかしら…)さて、どこに行こうかしら。。海外も考えたけど円安で高いしそうだ、車で実家に帰ってみよ
ドラクエウォークの城巡りで、久しぶりに甲府市へ行ってきました。今回の目的地は「武田神社」。まずは腹ごしらえということで、甲府駅の駅ビルで甲府名物の信玄ほうとうをいただきました。お店は木を基調とした落ち着いた雰囲気。スーパーで買った簡易的なものや、以前に昇仙峡で食べたことはありましたが、しっかりした店舗で食べるのは久しぶりです。熱々のほうとう鍋で、身も心もほっと温まりました。きしめんのような麺に、かぼちゃや里芋、ねじまきやキャベツのような山菜、お肉も入っていて安定の美味しさ。
日本100名城73番広島城(安芸国)日本三大平城令和七年九月十八日登城広島城(ひろしまじょう旧字体:廣島城)は、安芸国佐東郡広島(広島県広島市中区基町)にあった安土桃山時代から江戸時代の日本の城。国の史跡に指定されている。毛利輝元が太田川河口のデルタ地帯に築いた平城で、1945年(昭和20年)まで天守を始めとする城郭建築が現存していたが[2]、太平洋戦争末期にアメリカ軍の原子爆弾投下によって倒壊し、現在見られる城内の天守以下城郭建築はすべて1958年以降に再建されたもの
前回、紹介した須木城にも関連する小林城。ここもセットで訪問しておきたいと思っていました。こちらはより小林市の中心部に近くそれこそJR吉都線でも訪問できる(ただし、列車本数が少ない)のです。現在は「城山公園」となっていると聞いて、これなら気軽に訪問できそうだな…と思ったのが大失敗その正体は城山公園という名のジャングルでした。山奥にあった須木城は綺麗に整備され、一方で市街地にも近い小林城は殆ど荒廃するに任せる状態になっていたのは皮肉な話に他なりません。というかあの荒廃ぶりだとこのままするとい
日本100名城81番松山城(伊予国)現存12天守令和七年九月十七日登城松山城(まつやまじょう)は、愛媛県(旧伊予国)松山市に築かれた日本の城。別名金亀城(きんきじょう)、勝山城(かつやまじょう)。「松山城」と呼ばれる城は、同じ現存12天守の一つである備中松山城(岡山県高梁市)など各地に存在する。本城も「伊予松山城」と呼び分けられることもあるが、松山市にあることもあり、単に「松山城」とした場合は一般的に本城を指す。江戸時代に同地などを治めた伊予松山藩の藩主居城および政庁と
足守に行った時にですね、「こりゃ前回門前払いをくらった姫路城も見てみたいなぁ」なんて思ったんです。前回は休城の日に登場するという、なんとも間抜けなことをしてしまったんです。今回行くつもりはなかったんですが、足守の侍屋敷を見てやっぱり行きたくなって、ちょちょっと携帯で見てみると…なななななんと!来年から姫路人以外は入場料が2500円!!1000円から2500円に上がると思うと「今行かずしていつ行く?!」となったので姫路城へ急遽参勤交代してまいりました。岡山から姫路は新幹線で20分程度で着きます
2025.11.3.北条早雲こと、伊勢新九郎盛時(伊勢宗瑞)が、将軍の命により伊豆征伐に出陣し、拠点としたのが、興国寺城です早雲は、室町幕府将軍の申次集を務めたが、駿河の守護今川氏とは、姉北川殿が今川義忠の正室というつながりがあった。文明8年(1476年)義忠が急死すると、その後の家督争いで甥の今川氏親を助けた功により、長享2年(1488年)頃、富士郡下方12郷を与えられ、興国寺城主となったとされる。明応2年(1493年)に伊豆韮山の堀越公方足利茶々丸を征伐し伊豆国を治める、そして京に