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正法寺(しょうぼうじ)は岐阜県岐阜市薬師町にあった薬師如来を本尊とする臨済宗の寺院で、山号は霊薬山と称した。川手城の敷地ないし隣接地にあったとされ、船田合戦を経て廃寺となった。現在その跡は正法寺跡として岐阜市により史跡に指定されている。(Wikipediaより)↑川手城・加納城・正法寺跡の位置関係↓拡大美濃国守護、土岐頼康が文和2年(1353年)に川手城を築城した際に無本覚心(法灯禅師、法灯派の祖)の法嗣、嫩桂正栄を招いてその隣接地に建立した。その後は開山の法嗣、信中自敬が2世と
↑↓ヤマップデータ↑が今回使用画像の撮影場所『大平城(恵那市串原)』大平城美濃国遠山荘地頭遠山氏分家串原遠山氏が築いた城遠山十八支城で串原氏の城は柿畑城・大平城・福原城・松本砦・木根砦がありそのうちの大平城を歩…ameblo.jp前回の大平城から移動してお次はここ柿畑城に来てます最近恵那の城址は整備されもちろん登城口もそれ以前の口コミのまま・・・今は↑軌跡の西側直登ではなく東側から回り込むルートが整備されてるらしいで
大平城美濃国遠山荘地頭遠山氏分家串原遠山氏が築いた城遠山十八支城で串原氏の城は柿畑城・大平城・福原城・松本砦・木根砦がありそのうちの大平城を歩いてきました串原遠山城とも称するらしい他別名(中山城、峯城、合渡城)柿畑城よりも新しい戦国時代の城築城主遠山雅楽頭城主遠山経景武田方の攻撃により落城↑↓ヤマップデータ↑が今回使用画像撮影場所最近恵那の山城は整備されてます↓中々の演出で↓