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こんにちは、のこです。単一臍帯動脈という言葉を知っていますか。わたしは娘を妊娠したとき、香港生活も3年になっていて、仕事も変わらず続けながら、産休育休を数ヶ月いただいたら復帰をするつもりでいました。香港は共働きがほとんどで(日本からの駐在は別だと思いますが)、お手伝いさんがいる家庭も多いし、その形態もさまざまでした。お手伝いさんが住み込みで家族の一員のような場合もあるし、1日のうちの数時間だけ、お掃除だけ、食事の準備だけ、子どもの世話や送り迎えだけ、というような形もありました。
スクリーニング検査翌日の妊婦健診の話。初めて妊婦健診が憂鬱だと思った。今までは、赤ちゃんを目で見ることができる唯一の機会で、とても楽しみな時間だったのに、こんなに嬉しくない妊婦健診があるのか。妊婦健診では、医師の診察の他に、体重や血圧を測ったり、浮腫を見たり、心配や気になる点がないかどうか聞かれたり、といった助産師さんの診察もあるのだけれど、私のカルテにはおそらく前日の超音波検査での異常の記載があったと思う。だから、助産師さんもそれを見て、何も言えなかったのか?その日は必要最低限の
記事を見に来てくれてありがとうございます。絵本講師のyukaですこの記事は、第3子の妊娠~出産までの記録ですいま不安を抱えている妊婦さんへ、この情報が少しでも役に立ちますように胎児ドック、単一臍帯動脈、絨毛検査、羊水検査、羊水過少、絨毛膜下血腫…最後には胎盤早期剥離で緊急帝王切開となったわたし3人目とはいえ、初めてのことだらけで不安が尽きず、同じ状況の方の体験を必死に検索しました。でも情報が少なくて調べても調べても満足できなかった…。だからこそ、わたしの経験が誰かの役に
前回【16w5d】の記事から1年半いや1年半て…1年半といえば当時不妊治療中でブログを読んでくださっていた方が移植して妊娠して無事出産して育児ノイローゼになるくらいの時系列よ?もう世界線変わっちゃってるからね?もう見てくれる人なんていないだろ?…と思っていたのに…大丈夫!見てるわよー!というコメントを頂いてまた更新する気力が湧いてきました。ありがとうございますなので恥を忍んで1年半のブランクをものともせず何事もなかった
医療センターを初めて受診した日。検査のために7本採血で血を採られる💉翌日は仕事に行きインプラントの処置の患者さんに付いてる時に貧血を起こしたのかまだ歯茎を切開中にふらつき、横で見学してた受付の子に寄りかかるようになりしりもちをついた❗その日のその後の仕事は先生が横になってていいよ。と言われて休憩室で最後の姉妹が来る前まで居させて貰って仕事帰りの旦那さんに迎えに来て貰って帰ったかな?そしたら自分の車はどうしたんだろう🤔翌日は休ませてもらいました。その日の夜に旦那さんと話をして医療センタ
まずは試しに出産前後のぴよログ日記そのまんま載せてみる所業ネガティブ全開で長いし面白くないけど高齢出産前のどなたかの参考になれば。暇つぶしドキュメンタリーとして↓ネガティブ出産3日前お腹の中だと生きてるかわからなくて不安だから早く出てきて欲しい。出てきたら、あとは私だけの責任じゃなくなる…医者や家族皆で何とかしてくれる…してくれ…↓ネガティブ出産2日前あと2日。最後の最後まで生きてるか不安。あまり動かないんだよな〜あ~帝王切開日
しばらくすると、助産師さんが赤ちゃんを連れてきてくれた。新生児用のコットに入ったなるちゃん。女の子でしたよ、と。母子手帳は翌日貰ったので、この時はなるちゃんの大きさはわからなかったが、身長23.3cm、体重350gの小さな女の子だった。病院が準備してくれたガーゼの肌着を着ていて、タオルにくるまれ、なるちゃんの頭のサイズに比べると少し大きめの帽子をかぶっていた。まだ夫は部屋には到着していなかったので、とりあえず私となるちゃんとで対面。亡くなった赤ちゃんは未知の世界だったから、正直怖
↓この記事からの続きです『妊娠5ヶ月【16w5d】羊水検査』ようやく本題の羊水検査です。NIPTをする人はそこそこいても羊水検査をする人はそんなに多くない…と思うので当日のこと覚えてる範囲で書いておきます!…ameblo.jpドキッ☆泡だらけの羊水検査が終わりそのまま待ってると↓この産婦人科部長オジサン先生が戻ってきて山pとガッキーは退散。よし「せっかく来たしついでにスクリーニング検査しときましょう」と、羊水検査の処
いきみたい感じになってきた頃には、助産師さんがベッドの横でおしりを押さえてくれていた。私は横向きで、ベッドの柵にもたれて、助産師さんの腕も掴みながら必死に耐える。18時半はすぎていたと思う。テニスボール持ってこようか?!とも聞かれた気がするけど、そんなのどうでもよくて、押さえられれば押さえられるほど、おしりは中からグイグイ押される感じが強くなってきた。おそらく、これは急に分娩が進んだ、ということなのだろう。大丈夫大丈夫、吸ってー!吐いてー!とかも声をかけてくれていたように思うが、とにかく
そのうち、やはり今のうちに部屋を移動しましょう、今日はバタバタしてしまいごめんなさいね、ということで、私は車椅子で別の個室に移動。使っていたベッドも同じ個室に移動させることになった。部屋を移動すると、日勤の助産師さんに変わったのか、朝とは別の方が挨拶に来た。結局、8時半すぎの1回目の膣剤では全く分娩に至らず、3時間後の11時半すぎ、2回目の膣剤を入れることに。張りのモニターの線を見ているが、ほとんど山がなくてまだまだなんだろうなと。当たり前だけど、痛みもまだ全然余裕。ただ、仰向けはお腹が張
6月17日(木)大学病院での精密検査の日がやってきた。早く白黒はっきりさせたい気持ちと、逆に今日で運命が決まるのかと思うと、、、病院に行くのは怖かった。今後の判断についてのシナリオのとおり、夫もある程度の覚悟をしているようで、この日は夫も仕事の休みを取ってくれ、ついてきてくれたのは心強い。ちなみに、今回の妊娠に関しては、コロナ禍で病院は原則付き添い不可だから、前回のスクリーニング検査も私一人だったし、妊婦健診も同じく。しかし大学病院での精密検査ということで、今回の事態を重く見
入院3日目、2021年6月23日(水)、分娩日当日のお話①0時から絶食、朝6時以降は水分もNGとのこと。抗生剤は飲む必要があったので、6時ギリギリのところでお水で飲んだ。普通のお産の時は水分とか制限されてなかった気がするけど、、今回は分娩して万が一胎盤等が子宮内に残ってしまった場合に、除去術を静脈麻酔を使って行うために絶食なのだそう。通常の出産と中絶の分娩で違うんだなぁと思った。朝8時半前、助産師さんが呼びに来て、LDRの部屋に移動した。ベテランの助産師さんのようで、上のお子さんは大
異常がわかってからその時まで、夫の前で何度も泣いていたが、その都度受け止めてくれて、時には一緒に泣いてくれたように記憶している。そして、向日葵は何も悪くないと。悪いのは全部自分(夫)だと。この悪いというのは、2人目が欲しかったけど、夫が悪さをしていて作れる状況になかったこと、私を裏切るような行動をし、私を傷付け、辛い思いをさせたこと等を自覚しての悪い、のようだ。もちろん、私は全て夫のせいだとも思っていないし、今回の異常に関しても夫が悪いとかそういう風には思っていない。ただ、昔もっと夫婦
出産レポ②誘発編プロウペス膣用剤の痛みから解放されて少し眠った後、朝9時にまた診察台へ。先生から説明があり、まず今日はバルーンで子宮口を開き、明日誘発剤投与とのことでした。バルーン怖いなあ、痛いらしいしなあ、、、。と、ビビる私。。。研修医の先生がいざバルーンを入れようとしますが、入らない。主治医の先生がやってみますが、入らない。先生「ダメだ。子宮口柔らかくてバルーン入れても出てきちゃうね。うん、もう誘発しちゃおう」というわけでバルーンせず誘発に進みました!良かっ
人工妊娠中絶を受けるための入院当日の話。午後入院で、13時30分から14時までの間に入室する流れなので、昼ご飯は済ませて向かうことに。昼ご飯はなぜか、夫とともにかつやのカツ丼を食べた。その時初めてかつやにイートインしたけど、出来たてカツ丼、美味しかったな。あまり食欲も無いので、本当は別のところでさくっと軽く食べようと思ったのだけれど、思いの外混んでいて電車の時間が微妙だったので、、最終的にかつやにしたのだった。受験じゃないのにカツ丼か?と思いながら。。手術に勝つ?!病院では、しばらく
膣剤を入れてしばらくすると、お腹が重たいなぁ、、そんな感じになってきた。他の経験者さんのブログで見ていた通り、生理痛かな?程度で、痛みはまだ序の口。ちなみに、助産師さんからは、急にお腹の痛みが増したりした場合は呼んでください、と言われていた。陣痛誘発剤を使うのは初めてだから、未知ゆえ、どれだけ痛みが強くなるのか?とかなり不安だ。そのうち主治医の女医さんが、向日葵さん、おはよう!どう??と、顔を出してくれた。少しお腹が重い感じがする。。でも陣痛ってこんな楽じゃなかった気がするから、、まだ
大学病院で精密検査を受けた翌日の話。夜中に目が覚めて、これから起こることが急に怖くなったりしたけど、それなりには寝れた気がする。でも憂鬱すぎて、朝から気持ちが悪い。吐きそうだ。精神的なことが原因でここまで体調が悪いと感じたのは初めて。会社にいく足取りも重すぎて、仕事休みたいなと思ったくらい。ただ、ちゃんと出勤して、赤ちゃんに異常があって妊娠を諦めること、月曜日から休まなければならないこと、を伝えなければならないし、引継ぎもできる限りでやらなきゃいけないから、行かなきゃと。。入院が
次男のことを詳しく調べるため胎児スクリーニング検査検査の結果は…単一臍帯動脈腸が腫れてるえっまた単一臍帯動脈ですか。長男の時と同じじゃん。ただ、ただ血管がないだけで元気に産まれてくる子も中には居ると調べると書いてあったので、藁にもすがる思いで不安も感じつつ無事に元気に産まれてくることを祈るのでした🛐この検査の翌日から管理入院になりました❗
胎盤が出たあとの話エコーで子宮内に残存物がないかを確認された。すると先生、今日トイレ行った?膀胱パンパンじゃん!って。。どうやら尿が溜まっていたらしい。トイレは午後に1回行っただけだ。子宮口を開く処置は、尿道が圧迫されて狭くなるとは聞いていたけど、そのせいもあったのかな。確かにダイラパンを入れてる間は、尿の出が悪かった気もするし。ということで、分娩直後ということもあり、管を入れて導尿することに。(まじか!!人生初の導尿だ!痛いって聞いたことあるし、やだなぁ)←心の声しかし、ここは
分娩日の翌日、退院時のお話。朝の診察で問題なかったので、午前中には退院となった。荷造りをして、準備をする。私服に着替えたけど、もうお腹になるちゃんはいないんだな、悲しいよ。この日は夫がお迎えに来てくれた。退院前に、夫と共に再びなるちゃんに会いたかったので、まずは退院手続で会計を済ませることに。しかし、病棟を出て下の窓口に行くのに、大した距離ではないのに足が重く、歩くのがなかなかしんどかった。多少は分娩の疲れがあるのかな、これは今日は家まではタクシーだな、と改めて思った。会計後病室に戻
こんにちは、pokkoです前回から時間が経ってしまってすみません分院では出産後の心臓の手術はできないため、分院で診てもらった翌日に26wで本院に転院しました。本院での初診初診は分院の准教授が前日に予約をねじ込んだため、まぁ待つ待つ夕方の予約だったため、長男くんの保育園のお迎えは間に合わないので、初めてお迎え〜寝かしつけまでのシッターさんをお願いしました。こっちも心配で心配で、気が気じゃなかったです2時間近く待ってようやく呼ばれました。診察室に入ると3名の女性の先生がいてまず人数の多
大学病院での診察を受けた夜、夫からの「俺は腹はくくれない」の言葉をきっかけに、決断をすることになる。というか、今回は妊娠を諦めた方がいいということは頭で分かっているのに、中絶で赤ちゃんの命を奪う、という精神的な辛さと、中絶の肉体的な怖さが勝って、決断できないでいた。体と心が言うことを聞かない。あと、仕事も直ぐに2ヶ月くらいの長期休みに入らなければならない、という状況も耐え難い。異常の第1報を受けた時から、もしかしたらおろすことになるかもしれない、という光景がよぎったけれど、信じたくなく
入院前日の日曜日の話。スーツケースに入院するための荷物を詰める。旅行だったら良いのだけど、今回は入院、しかも、赤ちゃんとサヨナラするための。。パジャマが何着か必要だったので、GUに見に行ったのだが、いいのがあった。少し前、確かゆりやんがモデルになってたTシャツワンピースみたいなやつ。セールで安くなってて1着590円、パジャマを買うより安いし、入院後も家で夏用のパジャマ替わりにすればいいと思った。3泊4日の入院予定のため、念の為色違いで3枚買った。あとはブラフィール。入院中は昼夜問
葬儀やさんとの打ち合わせの後は、なるちゃんは預かってもらい、夫も帰宅し、私も眠ることにした。明け方目が覚め、自室の個室に戻ることに。朝の診察で子宮内に胎盤等の残りがあると手術になるので、それに備えて朝ご飯は保留、腕に点滴の針も刺さったままの状態だが、とりあえず再び横になりゴロゴロしていた。ちなみに、フルサイズの赤ちゃんの出産ではないからか、体の痛みは全然違った。というか、体はほとんど痛くないし、お股は、若干排尿時にヒリッと感じたけど、会陰切開はしていないから、穴あきクッションを使わなくて
覚悟を決めて病院に行くのは2日後の土曜日だが、中絶するなら少なくとも来週から仕事を休まなければならず、翌日の金曜日には職場に言う必要がある。もちろんお客様にも事情はさておきしばらく休むことを伝えなければならない。だから今夜決断しなければならない。家に帰宅しても、暗い寝室のベッドにつっぷし、涙を流す。どうしたら良いのだろう。なんで私なんだろう。痛いのは嫌だ。妊娠継続したい。でも、産まれてきたのが染色体異常の子だったら?ダウン症の子だったら?あの特徴のある容姿が浮かぶ。。自分の子だった
妊娠判明からのドタバタで始まった1ヶ月の入院生活も残り2日になる。帝王切開のオペの為の点滴のルート確保するのに1回目失敗😵💧2回目で入ってくれたのだが翌日の昼頃に漏れて腕が腫れる😱先生と相談でお昼ご飯を全部食べれたから早めに点滴さようなら👋そこから虐待を受けたような内出血がなかなか戻らない💦💦💦私自身も2272gと小さく産まれてる影響なのか血管が細いようで点滴や採血は看護師さん泣かせな血管の持ち主です😅それか血管が嫌がって隠れるのだろう🤣流産・死産になることなく無事に産まれてくれたことだけで
38週、2,220gで生まれた我が子はギリギリNICUには行かず通常の新生児室で預かってもらえました(母子別室の病院です)経膣分娩で産むことができたため母である私は5日で退院。一方、我が娘は…新生児体重減少により出生3日目には2,010gまで減ってしまいましたこの体重ではもちろん退院できず、入院延長…私だけ一足先に退院することになってしまいました毎日1回搾乳をまとめて届けるだけでも良いと言われましたが、娘と会えないのが寂しすぎるので夜分の搾乳に加えて9:00-18
入院2日目の夜、3回目(最後)の子宮口を開く処置。20時すぎ、助産師さんに呼ばれて一緒に処置室に向かった。ただ、先生の準備が出ていなかったのか、先生は不在。内診台に座ったまま、しばらく待たされた。さすがに、台が上がって足を開いた状態で待たされたわけではないのでマシだが、これはこれで恐怖。今度は何本入りますかね?と、怖さや緊張を軽減させるために助産師さんと話していたところ、7、8本?10本くらいかな?なんていうから、え!!そんなに?!って反応になった。前回3本なのにいきなり?!
先生の診察後は、病室に戻り、朝ごはんを待った。入院初日に唯一選択できた朝ごはんだ。入院2日目にたまたまパンが出てきたが、それが美味しかったので、今回洋食を選んで再びパンが食べられたのはよかった!また、2日目以降シャワーが浴びられてないので、助産師さんにシャワーを浴びたい旨を伝えて、シャワーの予約も取ってもらった。そのうち、分娩時に担当してくれた助産師さんが母子手帳を持ってきてくれた。片方の手が上手く取れなくてごめんなさい、と言っていたけど、全く気になるレベルではなく。手形足型も綺麗に
1回目のラミナリアを入れた夜、助産師さんには眠れないようなら、癖にならない睡眠導入剤もあるから遠慮なく言ってね、と言われていたが、その手を借りずとも、眠りにつくことが出来た。また、辛い場合にはカウンセラーさんも居るので遠慮なく言ってください、とのことだったが、、こちらも特に要請しなかった。平気な自分を見ていると、冷たい母親なのかなって思ったりもしなくない。翌朝早朝(入院2日目)、処置後初めて恐る恐るトイレに行った。違和感は感じつつも痛みはなく、普通にできたし、ナプキンに血もついていないの