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私がバセドウ病を発症したのは今から14年前の2008年4月頃だった。14年前の私は、バセドウ病は治療すれば完治するものと誤解していた。従って、寛解後に再発する可能性があるとなどとは全く認識していなかった。14年前の私は不勉強で無知で、何ともお気楽な患者であった。https://ameblo.jp/mari-happy-happy/entry-12709133650.html『バセドウ病について学ぶことの大切さ』抗甲状腺薬での治療が困難となるまで私は、バセドウ病や抗甲状腺薬の副作用、様
今日は毎年恒例の特定健診だ。1年前の特定健診でバセドウ病の再発が判明した。私がバセドウ病を発症したのは14年前に遡る。その後、3年間の抗甲状腺薬内服治療で寛解し、以降は毎年の特定健診時にオプション(有料)で甲状腺ホルモン検査をただ何となく受けていた。しかし3年前の特定健診時は、軽い気持ちでオプションでの甲状腺ホルモン検査を省いてしまった。そして2年前は、コロナ禍のドサクサに紛れて、特定健診自体ををサボってしまっていた。昨年は2年ぶりの特定健診だった。でも、昨年の特定健診時も実は、有
ヨウ化カリウム丸単独投与療法に切り替えて4週間が経過した。ヨウ化カリウム丸が効果を発揮し、甲状腺ホルモン値は基準値内におさまりキープできている。同時に、私の体重減少はストップし、増加に転じ始めた。甲状腺機能が亢進していて、甲状腺ホルモン値が高い時期は、代謝が上がっているので食べても太らず体重は減少するが、投薬治療の効果により甲状腺ホルモン値が基準値内におさまって来ると、代謝が落ち着き体重減少もおさまってくる。13年前のバセドウ病発症当時は、投薬治療の効果により、甲状腺機能が落ち着き甲状腺
こんにちは、がじゅこです。1回目の移植周期の記録です。今回はレトロゾール移植周期です。写真は移植前に食べたお寿司の写真です。マグロも鯖も大好きです笑BT7、12に陽性判定をいただくことができました。BT18に胎嚢確認をすることができました。陽性判定後の記録となります。不妊治療クリニックを卒業するまではこのカテゴリーでブログを書いていきたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。
私は、抗甲状腺薬(プロパジール)の副作用で、好中球が563まで減少し無顆粒球症一歩手前まで行った。その関係で抗甲状腺薬による薬物治療が困難となった。そんな私に残された治療法は、アイソトープ治療と甲状腺全摘出手術の2択のみとなった。アイソトープ治療は将来的に全身の発癌リスクが高まるとの研究結果が最近発表され、癌家系の私には不向き。身体に放射性物質(放射性ヨウ素)は入れたくないので除外した。私は甲状腺全摘出手術を選択したが、手術は2ヶ月以上先であり、それまでの間、甲状腺を宥め落ち着かせ、ホ
来年1月末に受ける甲状腺全摘出手術を前に、本日、手術前検査を受けてきた。手術は、総合病院で受ける。現在は、自宅から自転車で通える距離にある内科クリニックの主治医にフォローして頂いている。手術は、セカンドオピニオンを受けた甲状腺専門クリニックの主治医が執刀して下さる。甲状腺専門クリニックと手術を受ける総合病院とは医療提携しており、執刀医はこの総合病院の非常勤医師として活躍している。本日は、甲状腺専門クリニックの主治医が用意して下さった紹介状と検査データが収められたCDロムを持参した。
寛解から10年経った昨年9月末に、バセドウ病が再発した。すぐにプロパジールの内服を開始したものの、10月末には無顆粒球症一歩手前となり、抗甲状腺薬の投薬治療を中止せざるを得なくなった。残された治療は、アイソトープまたは甲状腺全摘出手術だった。検討やリサーチ、セカンドオピニオンの結果、私は速やかに、甲状腺全摘出手術を受ける事に決めた。https://ameblo.jp/mari-happy-happy/entry-12709123749.html『セカンドオピニオン治療方針決定』現在
プロパジールからヨウ化カリウム丸に切り替えて1週間経過。切り替え後のデータはTSH:0.005/FT3:4.65/FT4:1.71プロパジール中止前のデータはTSH:0.006/FT3:6.12/FT4:2.43それぞれの数値の改善から、ヨウ化カリウム丸の効果が出ているとの診断結果だった。ヨウ化カリウム丸の効果でTSH・FT3・FT4は改善して来たがTRAbの数値は、わずかだが上昇していた。(3.1→3.2)しかしFT3・FT4・TRAbとも、それぞれそれほど高くないので、ヨウ化カ