ブログ記事24件
溜めこんだネタ貼り付け。本日は天才の話題から。凡人には筆舌しがたい能力を兼ね備えており、〇〇年に一人の存在と言われることも多い。私が思っている天才が同じ時間、今同じこの世で同じ空気を吸っているという奇跡。そう感じた3名をご紹介したい。●大谷翔平紛れもなく100年に1度の天才と言われるその能力は誰もが認める所ではないだろうか。私はプロデビュー戦を観戦して以降、最寄りのドームで試合をする場合は可能な限り息子の手を引きショーヘイ・オータニの生の姿を見せて来た。一緒の空間にい
ついに。ついに「大和」1945の製作を始めたいと思います。放送が始まったことをよしごう師匠に教えてもらった「ジークアックス」という新しいガンダムの第1話を見ました。我が家はテレビの地上波届かない(東京都立派な都市部)ので、近所は全世帯ケーブルテレビを契約しています。でもテレビは所有していないので見ることは出来ません。だからサブスクでね。感想は突っ込みどころ満載であることと、戦争の話をやってるっぽいけどキャラクターデザインがあまりにふざけ過ぎでどうしても生理的に受け付
昔、子供の頃宇宙戦艦ヤマトというアニメが流行ってて、私は好きでよく観ていました。第二次世界大戦時の戦艦大和が、未来に宇宙戦艦となって地球を救うという設定だけは知っていました。ところが、これを観て、自分が凄く何も知らないでいたことを知りました。歌はアニメの宇宙戦艦ヤマトだけど画面と字幕は戦艦大和です。https://youtu.be/VcjA3SrUvNM?si=PoMh0Q-ssKo3EG2Y-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナ
こんにちは、tenです。アメブロ投稿、2182日目です。それでは、今日は、何の日?4月7日は、何の日で、どんな出来事があった日なのか?記念日の由来や、関連する雑学、昔話、郷土の玩具に、お花などをあわせて、紹介していきますね。ほんなら、今日の記念日!「世界保健デー」1946年の国際保健会議で、「世界保健機関憲章」が、採択され、2年後の、1948年4月7日に、発効。WHO(世界保健機関=WorldHealthOrganization)の制定する、国
前記事で大和の事を載せたけど・・映画「連合艦隊」(1981年公開)の主題歌谷村新司の名曲・群青🎵封切りされて当時リアルタイムで観たのが中坊の時(14歳)やった🤔この作品は50回以上は観てる👍中尉役で最期は特攻機に搭乗し大和の最期を見届け父の後を追った。海軍式の敬礼をちゃんと出来てる👍作品終盤、沖縄海上特攻へと進撃する大和の上空に鹿屋基地から上空護衛に飛来した零戦の中に中井貴一扮する小田切中尉も居た。史実でも大和の艦橋の高さまで降下した零戦の搭乗員は風防を開け搭乗員の顔まで見えたと
今日は終戦記念日。79年前の8月15日正午、昭和天皇による玉音放送(「大(だい)東亜(とうあ)戦争(せんそう)終結(しゅうけつ)ノ詔書(しょうしょ)」の音読レコード(玉音盤)のラジオ放送)があり、連合国側から提示された共同宣言(日本の無条件降伏を約束するポツダム宣言)の受諾の求めに応じる旨を日本政府をして通告せしめたと国民に報されました。さて、毎年この日を迎えると、思い出されることがあります。それは4年前にこのブログで書いた記事のことです。船会社に勤めていた父は、民間の商
生前の先生(八杉康夫さん)に貰ったDVD※訳あって俺の手元にDVDは無いけん、youtubeで久々に観た❗広島・福山の豆腐屋の倅として生まれた先生地元で初めて見た海軍の水兵さん、すれ違った時のオーデコロンの香りに軍国少年の心は決まった❗15歳で海軍を志願大竹海兵団へ入隊(錦帯橋での集合写真)その後、砲術学校へ厳しい教育を受けた。佐伯防備隊に配属となり、この地で上官より戦艦大和乗り組みを命じられた❗世界最大の戦艦大和に17歳で初乗艦した。※何度か載せた初乗艦は、呉軍港から軽
私は、若い頃に「戦艦大和の最期」を読んだことがあります。GHQに検閲されて改悪されたものです。読んだのですが、まったく記憶も印象もありません。はっきり言って「つまらない」と思いました。難解でした。それは、GHQにより改悪されてしまったせいです。検閲前の作品を読むと、いくつかの点で優れた作品だったことがわかります。まず、この作品は小説と言うより、むしろノンフィクションというべきものです。著者の吉田満少尉は電探担当でした。そして、当直任務で艦橋に立ちました。艦隊司令部の中枢にいたわけです。文章は
八日朝体力全く恢復、甲板に出で顔を洗う太陽の眩しさ、山の美しさに嘆声を上ぐ「生きるのもいいな」大和乗員総員集合副砲長「貴様等には、一仕事したいという様な色が見える、そんなことでどうするか、今こそいよいよ貴様等、古強者を必要とする、直ぐにでも俺について突込んで行く、いいか」同夜より佐世保港外、病院分院に入り治療す白衣の身、波近き病棟、春の夜にひそかに思う我が数日の体験、そを特攻出撃と呼ぶやこの乏しき感懐を、死線を超えたり、と言うやしからず我等萬に一の生をも期せず自ら死を選
駆逐艦(月型)全速にて直進来たる我等が間を縫いつつ直進し来たる発信「しばらく待て」(発光及び手旗)勇躍(我等を救い、人員を補充して突入するか)辛うじて之を避く我等より数メートル隔たりし者ぞ推進器に吸込まれたり軍歌を止め、兵をはげまし、期して来たるべき者を待つ駆逐艦停止空爆下決死なり目測二〇〇メートル逸る兵を抑え筏を押して泳ぎ進む(余力尽瘁せば行き着きて必ず力尽きん)雨衣の裾、編上靴、脚絆、重油、飴を歩く如き感あり命の綱を前にし、赤裸の人間を見る重油いよいよ濃く、波、艦体
「沈むか」一瞬灼く如く身に問いただす見下ろせば滔々として泡立ち上る潮の青さ、美しと思う瞬時、大渦流に逸し去らる事前遠く泳ぎ得て此の渦流より免れたる者皆無総員戦死、これさだめなりしなりこの時本艦傾斜まさに九〇度(かかる例稀有、三〇度にて沈むを常とす)主砲砲弾、弾庫内にて横滑りし天井に激突、誘爆を惹起す(艦既に全く水中、身また渦中)一発一艦必轟沈の鉄鋼弾一発一編隊必墜の三式弾計二千箇を下らず先ず前部主砲弾庫誘爆す(沈没後二〇秒か)沈没前ならば人肉すべて断片と化して四散したるべし
松本少尉と艦橋後部にて逢う彼「俺達も時間の問題だからな」稍〃顔面蒼白なり心やさしき詩人、彼、既に自らの過情に斃れたるか水まさに乾舷に達せんとす、浮城の如き彼の乾舷なり此の時なお我れ夢想だに本艦の終焉を思わず緊張の故か、はた巨艦の雄渾に領せられたるか艦橋今や十名を残すのみ蒼惶として脱出せんとする者あり配置を去りて何処に行かんとするや他に死所のありというや去るものは去るべきなりただ此の得がたき寸秒の間彼等の心中些かの悔恨なきやを思う我等幸いにして此の時に泰んず謝すべし艦
怱忙の間、第五派前方より急襲し来たる百機以上時に「矢矧」本艦前方三千メートルに全く停止し「磯風」を横付けせんとしつつあり水雷戦隊司令官移乗されんとするや(司令官戦死は作戦遂行に対し甚大なる支障とならん)我れに突込まんとする敵機の一部反転して二艦に向う「矢矧」魚雷十数本、ただ薄黒き飛沫と化して四散す「磯風」停止、黒煙を吐きつつあり右に「冬月」左に「雪風」水柱の幕帯を突破しつつ我れに発信し来たる「我れ異常なし」屈強二艦、その名を賭しての力闘なり想い見るべし、両艦兵一員に至るまでの
第二派来襲す敵機はすべて緩降下、直進せず、横向して反転突込むために機銃弾着状況頗る不良なり直進し来たる敵機は対勢の変化上下のみなるも、横向する時は左右変化極めて大となる、機銃の如く単純なる兵器のよく照準し得るところに非ずかかる襲撃法は敵技倆の優秀、照準の巧捷によるは勿論なるも、雲高低く高角砲屏息(へいそく)して近接比較的容易なるためなりまた機銃、敵機の過量、急襲に幻惑せられしも蔽い難し五発に一発、赤色の曳光弾を発射し弾着状況により修正を行わんとするも対勢変化急激にして捕捉し得ず、徒に
(七日)一二二〇電探大編隊らしきもの三目標を探知す直ちに艦隊各艦宛緊急信号令達器達しおわれば艦内さらに静粛の度を加う対空戦闘迫る同方向に対し各部見張りを集中す一二三二二番見張り「グラマン二機、左二十五度、高角八度、四十、右に進む」肉眼捕捉時に雲高千五百乃至二千、至難対勢(発見至近にして照準困難)「今の目標は五機、十機以上、三十機以上」雲の切れ間より大編隊現わる、大きく右に旋回「敵機は百機以上、突っ込んでくる」「射撃始め」高角砲二十四門、機銃百五十門、一瞬砲火を開く防
七日黎明大隅海峡通過、西南進を続く本艦搭載〇式水偵一機をカタパルトにて射出、鹿児島基地に退避せしむ艦隊上空味方直衛機なし此れより再び味方機を見ず日出と同時に敵潜感なしマーチン二機触接を始む対空射距離付近を巧みに旋回しつつ追随し来たる対空電探活躍を始むもとより一機をも逸さず雲低く対勢不利を極むと雖も触接機の行動手にとるが如し触接は極めて巧妙にして発砲の機を与えず、天候を利し隠顕しつつ追跡を続く艦隊速力二〇ノット前後、時隔五分にて之字運動を行う(五分毎に複雑なるジグザグ運
五日午前砲術長より電探射撃訓練に関し照会あり曳的艦「矢矧」大標的にて射距離、曳索量如何艦内各部訓練再開、総合応急訓練熾烈を極む艦長、徹底的に欠陥指摘、反復訓練を続けらる練度未だ充分ならずすべて全からず艦橋痛烈の叱声に殺気漲るしからば必勝の信念を如何にすべき未熟の自覚と、必勝の信念と、果たして如何貴重の試練なるべしただ突入の機に全能を発揮せんのみ午後敵機動部隊避退との報に接す沖縄の戦況に関し大本営発表あり胸中火の如きものあり一次室にて戦艦対航空機論を戦わす戦艦必
三日早朝敵機来襲の報あり、配置に就く急速出港、第一警戒航行序列に占位す(各艦位置を警戒、防御に適する如く定めて航行す第一序列は防空態勢なり)機関待機をなし漂泊す(機関は之を停止せるも、敵襲に即応すべく暖機暖罐をなし配置につきて待機す)出動は敵機動部隊避退後なるべし、と焦るべからず我等「時」を捉えんとす午前B29一機盲爆を行う投弾中型一個、我に損害なし写真偵察を行えるか本艦隊の動向既に蔽い難きか午後「ラジオ」情報頻りに入る各地来襲を受けつつあり「しばらく待て、期して
戦艦大和の最期天号作戦における軍艦大和の戦闘経過吉田満昭和二十年四月当時、少尉、電測士乙として勤務せり二日呉軍港に六番ブイ係留中早朝各部修理、兵器増備のため、入渠の予定なりしも、突如艦内令達器「○八一五より出港準備作業を行う出港は一○○○」かかる不時の出港その前例なしされば待望の時か通信士、信号の動きを伝う我を待つもの出撃を措きて他にあるべからずああ如何にこの時を、この時をのみ期して待ちしか我等を他に別ちしもの、その結実を得ざるべからず日夜なき訓練、この一挙に終止
吉田満著「戦艦大和の最期」について、ずいぶん以前にブログに書いたことがありました。『私的吉田満論傲慢な読者』傲慢な読者というのは私のことです。私が初めて吉田満著「戦艦大和の最期」を手にしたのは中学三年の時でした。まだ若すぎた私は難解な文体に歯が立たず、一頁も読まない…ameblo.jpつまり、戦後に出版され、映画化もされた「戦艦大和の最期」はGHQによる検閲によって改変改悪されたものであること、その事実を発見したのは評論家江藤淳であること、その事実は江藤淳著「落葉の掃き寄せ」に書かれて
特別企画10日目です。想像を越えたことば。だそうです。気を持たせるわけではないのですが、明日をお楽しみに笑。イエスの生涯(新潮文庫)Amazon(アマゾン)485円※一粒で二度美味しい企画笑昨年の本日の日めくりからすごいすごい吉田満さんでした。太平洋戦争開戦の日であります。『謹製日めくり吉田満さんの証言12/8&9』12/8は、太平洋戦争の開始日です。戦争は悲惨です。戦艦大和の生存者の証言です。二人の上官の口論です。下は、12/9分一茶さんです。戦艦大和ノ最期
1番好きな本、教えて!好きと言うか、自分に影響を与えた本。小学校4年生の時に読んだ吉田満著「戦艦大和の最期」中学校2年生の時に読んだ阿川弘之著「雲の墓標」「春の城」高校2年生の時に読んだ吉川英治著「新書太閤記11巻」大学1年生で出会った、いしいひさいち著「バイトくん」などの4コママンガ。大学2年生で感化された南郷継正著「武道の理論」のシリーズ社会人になってからは・・・・・▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう
戦艦「大和」が沖縄の人々を守るために、そして神風特別攻撃隊を援護するための囮となってアメリカの大艦隊(機動部隊)に立向かった日は4月7日でした。3千名の将兵と共に、19発もの爆弾・魚雷を浴びながら最後まで奮戦したのです。(後半に戦艦大和の動画があります)学校では教えない「本当の歴史」世界最強の戦艦「大和」が自らの命と引換に守ろうとした「沖縄」…アメリカ軍は「圧倒的な軍事力で野蛮な日本軍をやっつけた??」「日本人は特攻で無駄に若者を死なせた」「
∂戦艦大和の最後坪井平次戦艦大和の最後新装版一高角砲員の苛酷なる原体験(光人社NF文庫)[坪井平次]781円楽天∂師範学校を出て新米教員として働いていた著者が徴兵され、一兵員として乗艦した大和の最期を綴った本です。障害のある生徒が必死で書いてくれた手紙や、どこから軍機の筈の乗艦を聞きだしたのか小さな三重の山奥の分校と乗艦とどちらが大きいのかと尋ねる教え子の手紙なども紹介されていて、出版物の多い志願兵や士官とは違った目線が新鮮に思えます。