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柴又帝釈天(題経寺)において、所在不明であった日蓮聖人の親刻になる帝釈天の板本尊が、200年前安永8年の本堂修理の際に棟上から発見されたの日が十干と、十二支の組み合わせで、60日ごとにやってくる庚申(かのえさる)の日で、縁日としたと伝えられています江戸時代の民間信仰の「庚申信仰」によると、この庚申の日には、寝ている間に人間の体内にいるとされる三尸虫(さんしちゅう)という虫が天に昇って天帝にその人の悪事を告げるといわれています。そのためこの日は三尸虫が出てこないように、
花が咲き始めました…春ですね🌸石油ストーブもそろそろ卒業の季節ですね🤲✨新ジャガが手に入りました春の味覚にとザク切りにしてチーズ焼きにしようと思っていますそれから冬越しで残ったネギをこれもざく切りで鶏肉と焼きそうめんつゆと醤油の半々で味付けてテリがつくまで煮込むと完成ですニラが冷蔵庫でさみしそうにしていました😊とろみのついた葉を除くのが一苦労ですが頑張ります✨🌱ニラは袋の根元の方から口を開けテープを切ると数本からでも取り出しやすいです☝️✨むかしからの
大大大好き💗山極さんのお話しが調べてきた神さまのこと庚申信仰のことをわかりやすく説明してくれててびっくり🩷神さまの存在がやっと理解できたその思いをFacebookで投稿したあたち、日本の神さまのイメージがよくわからんかったけど、この本よんで神さまがなんなのかやっとこさ腑に落ちた!八百万の神も意味も!神さまが宿ってるってから崇めなくてはではなく神さまは人間の感動や感謝の想いで生まれるも当たり前に生きてると神さまは存在しない本の中でいま自分が古代人になって電氣もガスも
NHKの大河ドラマ「光る君へ」を見ている。大河ドラマ「光る君へ」【NHK公式】大河ドラマ「光る君へ」(2024年)。主人公は紫式部(吉高由里子)。平安時代に、千年の時を超えるベストセラー『源氏物語』を書き上げた女性。彼女は藤原道長(柄本佑)への思い、そして秘めた情熱とたぐいまれな想像力で、光源氏=光る君のストーリーを紡いでゆく。変わりゆく世を、変わらぬ愛を胸に懸命に生きた女性の物語。キャスト相関図・見逃し配信・あらすじ…www.nhk.jp忍者のような盗賊の直秀(毎熊克哉
マトリックスの印象的なこのシーン。「赤い薬」か「青い薬」どちらを選択するか、問われる場面ですね。この薬・・なんですが、「不思議の国のアリス」が元ネタとも言われています。アリスでは、ケーキやキノコを食べて、大きくなったり小さくなったりします。このような描写は、手塚治虫さんの「メルモちゃん」にも似ていますよね!メルモちゃんは「赤いキャンディと青いキャンディ」で、赤ちゃんになったり、大人にな
百庚申とは何か?庚申信仰は平安時代に中国から日本に月信仰と併せて伝えられたようである。月信仰では二十三夜塔が聖地まで道標のように続いているのが判明しているが、いっぽう、庚申信仰では詳しいことは伝えられていなかった。しかしながら、関東地方においては庚申塔を百基一堂に集められた「百庚申」が知られているが、内容については深く研究されて来なかったと思われる。この百庚申は男性が主に行っていたらしく東京都瑞穂町にその記録が残されている。要するに、月信仰では主に女性が聖地まで二十三夜塔に沿って巡礼し、男
奈良町の一角にある資料館はかつて元興寺の金堂があった場所。1451年に焼失後跡地に人が住むようになり奈良町として栄えるようになったとのこと。言うなれば奈良町発祥の地の様な場所ですね。入り口に祀られているのはとげ抜き地蔵ならぬとげ抜き観音さん。観音様を守るように下がっているのは奈良町のシンボルでもある《身代り申》。庚申の日の夜に人間の体内にいる三尺虫が神様に人間の悪事を言いつけに行き早死にさせようとするのを青面金剛を祀って夜通し眠ら
昨夜は咳が出ました。月齢16程の月に照らされながらの仕事から帰ってきたのは21時を過ぎていました。それでも夜の打ち合わせが短時間で終わってラッキ~♪戻ってから軽い夕食を食べて(最近は「夜ごはん」って言う人多いですね。「晩ご飯」と言う人が減っていますね。「夜ごはん(よるごはん)」は夜の6~9時頃に食べる“一日の三食”のひとつで、「夜食(やしょく)」は夜中に食べる軽食。生活パターンの変化によって、日本語複雑化しています)、いつもは缶チューハイ1缶だけど、喉を冷やすの避けて、バランタイン(7
人の体内には3匹の虫がいる!?庚申さん信仰とくくり猿「八坂庚申堂」道教の教えでは、人の体内には3匹の虫「三尸(さんし)」が棲んでいるという。1年に6度ある庚申の夜、人が眠っている隙をついて三尸の虫が体内から抜け出し、その人間の罪や悪事を天帝に告げ口をするとのこと。天帝は報告された罪の重さによって、その人の寿命を削るというから、恐ろしい。この虫、上・中・下と三種類がいて、上の虫は白髪やシワを作り、中の虫は五臓を悪くさせ、下の虫は精を悩ませる。その姿は小児に似ているとか、馬に似ていて頭と尾がつ
京都良いよね娘ちんがお誕生日旅行に京都へ行くらしい🚄いーなー京都なんて娘ちん高校生息子ちんが中学生の時行った以来。・°°・(>_<)・°°・。楽しかったな◉おすすめなのは「八坂庚申堂(やさかこうしんどう)」正式名称は「大黒山金剛寺庚申堂」て言うんだて。庚申の日に徹夜して眠らず、身を慎めば長生できるという庚申信仰(こうしんしんこう)の中心的な仏像「青面金剛(しょうめんこんごう)」を一般の人がお参りできるように八坂庚申堂が建てられたんだって。庚申信仰は猿を神の使いとしているため
今月のはなし2023年8月は庚申(かのえ/さる)先月の流れは「根も葉もよく伸びるとき」と、お伝えしていました。経験や実力が根拠となって新しい未来へと進み出し、伸びしろが判明したのでは?(8月7日頃まで)そして今月は「本領で気流に乗り出すとき」やる時はやる!やる人はやる!※本領とは本来の持ち前のこと「庚申」を自然で例えると研ぎ澄まされた刀庚→金
通い慣れた道にも様々な仏様がいらっしゃいます。余りにも自然にあり過ぎるので気が付かず通り過ぎている事が多いのではないでしょうか。先日で伺ったお宅の近所にもいらっしゃいましたので御真言をお唱えしご挨拶をさせていただきました。庚申塔と呼ばれる石塔です。ご存知の方もいらっしゃると思いますが庚申信仰と呼ばれる信仰がございます。色々な場所にお祀りされていた石塔を1箇所にまとめてお祀りしているのでしょうか。庚申信仰に関しましては長くなりますので、いずれお話ししたいと思います。青面金剛様や馬
本日は各務原市各務鎮座、金幣社村国神社の御籠夏祭をご奉仕いたしました⛩️お囃子と太鼓が鳴り響く中、夕闇から斎行いたしました。庚申信仰や虫送りの合わさった御籠もりの祭り。古の時代には庚申御遊として歌舞を奏でて過ごしたとか。実際に籠って酒を酌み交わして御遊とまではいきませんので龍笛のみで酒胡子を演奏しました🎵地域の皆様の健康安全と美しい秋の実りをいただけるように祈念いたしました。
例の精巧なトンボのフィギュア届きました。想像以上に精巧に出来ていたので、オドロキました。羽のスジの精巧さ。羽の前の黄色いスジまで再現している徹底ブリ!「あぁ、本来のトンボってこうか…」と…私の記憶違いかとさえ一瞬思い、再び、「ものすごい図鑑」で確認。「あれ??やはりちょっと違う……特に目に位置」この商品は、ちょっとゴツゴツして誇張していますね…とは言え、リアル!まるでガレのガラス細工の、ネットリ、コッテリしたトンボ。この商品は、羽根までPVCなので、届いた時
こんにちは東葉高速鉄道飯山満駅から南へ新しい道路がのびています行く手にはこんもりとした森が見えますが、清房院という寺院の森です森の先には建設中のマンションが見えますが、道路は高架で森を越えマンションの右側を抜けてさらにその1km先の成田街道まで通じる計画で完成は2年後2025年の予定です船橋市は南北移動が不便なので完成すればそれなりに便利になると思いますところで、道路の左側にはユルギ松遺跡がありますが保存はどうするのでしょうねいつものように保存せずに宅地化しておしまいでし
「下街道」歩きは、一日市場館跡を後にして先に進みます。大きな建物がありました。中でも屋根に鯱が載った立派な建物がありました。腰屋根のある素晴らしい建物です。「秋葉山常夜灯」です。火伏の神ですから、各集落にありますね。「石敢當」?って…調べてみたら「いしがんとう」や「せきがんとう」などとと読むようで、T字路の突き当り等に設けられる魔除けの石碑や石標のことです。中国発祥で沖縄などに分布するようです。でも当地では聞き
都道環状七号線(環七)と青梅街道が交差する近くに、立派な庚申堂があります。この庚申堂は鳥居を伴っているので、私はこれまで幾度も前を(オートバイやバスに乗って、あるいは歩いて)通過していますが、それが庚申堂であるとは気がついていませんでした。パッと見た目には阿弥陀仏の石仏が目立つし・・・。杉並区教育委員会の説明プレートによると、昭和42年(1967年)に「崇敬者が相計り特に交通安全を祈願して南向きだった社殿を環状七号線に向けて改修整備しました」とのこと。もともとは青梅街道に面して
唐突ですが私は神社を巡るのが好きです。神社を巡ると、境内の中にひっそりとまとめて並べられている石像があります。それが、ずっと気になっていました。私、HSPなもので些細なことでも深掘ります。調べていたら個人的に面白かったので共有させてください。情報源は全てWikipediaからの抜粋です。ご興味のある方だけ、ご覧ください。まず、この石像は「庚申塔」というそうです。庚申塔(こうしんとう)庚
今日、5月2日(火)は、・先負焦ると負ける・十二直「定」物事が定まる日・庚申日庚も申も、金のエネルギー💰・庚は「償い」という意味を含みます❣️・申は、「神」という意味を含みます❣️「自分のしてきた悪いことへの、償いを許していただけるよう神に祈りましょう」というメッセージです‼️誰もが完璧なわけではありません。過去を辿れば、「あの時、ああしておけば」ということもあるでしょう。江戸時代、大流行した「庚申信仰」庚申の日の夜、自分の体の中にいる虫が、自
どうも、占い師椿か夜です。本日は庚申日です。皆さんは庚申信仰というのをご存じでしょうか?2016年に書いたブログ記事にもあるように、体内にある三尸(さんし)が日ごろから悪口を言っていると寝ている間にそれを告げ口しにいくという説です。東洋医学では人体を三つに分ける事があるのですが、この図の上焦の部分、中焦の部分、下焦の部分の三つになります。図にあるように、上焦は「霧の如く」、中焦は「漚の如く」、下焦は「瀆の如く」と書かれている。つまり、三尸は、この三つの
信仰をしている訳では無いが、時々くくり猿を作る。母の田舎では(私が育った頃には聞いた事は無かったが)この信仰があり、ベビ-の洋服の背中や腕に魔除けとして付けていたと言って居た。四天王寺にも庚申堂があり、年々充実して来た。10年くらいは経つかも知れないが、姉が子育て中にこの括り猿に願い事をして叶ったと言って居たことがあった。私も願い事はしたことがあるが、今のところくくり猿で叶ったとは言えない状態だ。でも祈りは”人間の最後の武器”とおっしゃる方も
イベント出展情報ALOHA!今日も、みなさんが笑顔になれますように。先日、スピリチュアルイベントにうかがった時に、埼玉県の大宮に行きました。昔は大宮市だったけど、今はさいたま市の大宮ですね。その時に、近くの神社を調べたら、庚申神社さんというのがありました。庚申神社と言う名前、初めて聞きました。調べてみると、埼玉県にはいくつかあるみたいですね。個人的に、庚申信仰について興味をもって調べているので、とてもタイムリーです。庚申信仰は、仏教とも神道とも違う信仰です。庚申信仰で
庚申信仰平野実角川選書庚申塔勉強第二弾、前書は分けがわからず読んだが、少し予備知識があるので余裕を持って読むことが出来た。悟ったことは「塔は結果」だということだ。その裏には長い信仰の歴史がある。それは願望であったり、ご利益だったり、お参りだったりする。それは個人や地域社会によって担われている。願いがかなったとか、共同体の行事が一段落した時に塔が建立される。塔を調査することはその背景にある庶民の姿を想うことなのだ。形式で類型分けをしたり、時代別に並べて比較するなどがしたいが、石碑バースでや
花粉の飛散最盛期です。昨日帰宅時に共同住宅のエレベーターに乗り合わせた女性が、帽子に大きなマスクに、花粉対策用の大きな眼鏡の出で立ち、そして私もほぼ同じ状態。お互いに、一応「こんにちは」って挨拶した後に、お互いに「あ!○○さん」って気がつきました。親しい人ですがわからなかったのです。二人ともマスクの下で「な~んだ!」って笑顔です(たぶん)。で、一句。隣人が他人に変わる花粉症昨日は庚申の日。花粉症が酷くなるのはいやですが、それでも「通勤」に絡めてどこか行ったことがない庚申塔
イベント出展情報ALOHA!今日も、みなさんが笑顔になれますように。目の前にあったのにも関わらずに、今まで気が付かなかったことが、気がついた途端に急に気になりだすときって無いでしょうか。ちょっと、そんな状態になりました。僕は、神社やお寺が好きで、良く参拝にいかせていただきます。神社であれば、拝殿や本殿や境内社などがあります。また、立派な鳥居や、中には神楽殿などもある神社さんもあります。よく見ると、その神社の片隅に、小さな石碑などが立ち並んでいることもあります。また、道の
『日本史こぼれ話』-笠原一男・児玉幸多●こわい庚申(こうしん)さま✪道教からおこった庚申信仰は、平安時代に日本にはいり、以後、仏教・神道・修験道などと習合して日本独特のものとなった。もとは中国の道教の説によるもので、人間には三尸(さんし)という虫がいて、庚申の夜に抜け出して天帝にその人の罪悪を報告するというので、その夜は眠らないで夜明かしをする。これは平安時代から貴族の間では行われていた。近世には各地に庚申講がぞくぞくと生まれ、至るところに庚申塚や庚申塔がつくられた。庚申さまを信じ
東京都目黒区といえば、落ち着いた住宅街と目黒不動を中心とする寺社仏閣が目立つ地域。この地域には庚申塔/庚申塚も多くあります。ただ、練馬からはかなり離れているので簡単には散策できないって、思っていました。しかし、営団地下鉄副都心線の開通によって、いまや西武池袋線から東急東横線で直結する地域になっているのでした(そういえば、練馬駅で「横浜中華街行き」よく見ていました)。昨日、仕事の打ち合わせがあってと「自由が丘駅」で待ち合わせ。事務所のある北参道から自由が丘は・・・。なんと乗車時間17
イベント出展情報ALOHA!今日も、みなさんが笑顔になれますように。お正月に、堤根菅原神社と花井神明神社に参拝させていただいたお話の続きです。街道沿いの石碑は、猿田彦様が多いです。通りの守り神、交通の神様です。国津神である猿田彦様は、日本神話の中で天孫降臨の際に天照大御神の遣わされた瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の道案内をしたとされています。そのため、街道の往来の安全を願うために、あちこちに見ることができます。興味のある方は、意識して見てみると面白いです。また、猿田彦様は、
板橋区は迷いやすい町が多くあります。町々の範囲も狭くて、町境も入り組んでいます。思いの外、土地の高低差があり、区内を流れる石神井川は蛇行しています。その石神井川の、練馬区桜台あたりからの、うねうねと北に向けた流れが一転して東に折れ、やがて徐々に南に向け流れる「曲がり角」が東武東上線中板橋駅の北西側にあります。だから中板橋の街は西と北を石神井川(と環七)に遮られ、南方を川越街道に切り裂かれています。この狭い範囲に中板橋、仲町、弥生町の3町がゴチャっと固まっています。私のような超方向音痴は