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本日、5月5日は五節句のひとつ【端午の節句】です。《こどもの日》と呼ばれます。そこで今回は戦前に作られていた〈大衆人形〉の中から〈桃太郎〉の磁器人形をご紹介します。今回の人形は2年前の5月5日にご紹介していましたが、もしかするとこれまでずっと思い違いをしていた点があるのではないかと考え始めていますので改めてのご紹介です。当ブログはだいたい4日で更新しています。今日は《子供の日》と言う事で、臨時に急遽アップします。次回は予定通り2日後の5月7日といたします。〈桃太郎〉と言
大正時代末から昭和初期にかけて作られていた磁器製の大衆人形は膨大な種類が作られていました。射的人形、子供の玩具人形など多岐にわたります。今回は《人形を抱えた少女》をご紹介します。白いエプロンを着けた着物姿の少女が人形を抱えています。人形を抱えた姿は他のポーズでもたくさん見られます。今回は全く同じポーズで、サイズの違いや製造メーカーの違う姿を纏めました。この当時、子供のエプロン姿は少女に限らず男児にも多いのですが、これは貧しかった時代の母親の知恵でしょう。一張羅の服を汚さないために、食
8月と言えば子供にとって最も楽しい夏休みの期間ですが、7日頃には≪立秋≫を迎えて暦の上では秋の始まりです。お盆の頃には着実に明け方が遅くなり、暮れなずむのも早くなります。今頃になると、毎年私は夏の終わりをひしひしと感じて何となく寂しく感じてしまいます。前回、終戦の日と言う事で磁器製の貯金箱をご紹介しました。今回は大正時代の末期から昭和初期にかけて作られていた磁器製(大衆人形)の仲間から、〈二宮金次郎〉をご紹介します。磁器製の大衆人形は製造メーカーも全国に数多く存在していたよう
本日、8月15日は終戦の日です。そこで今回は、戦前に作られていた磁器製の貯金箱が僅かながら手元にありますのでご紹介します。いずれも子供用の貯金箱で、男の子がモデルになっています。その種類は豊富で、戦闘機や軍の格納施設のような建物も見られるようです。大正時代の末期から昭和初期にかけて作られていた磁器製(大衆人形)の仲間と見做して良いと思います。戦時中は戦費獲得のためか?、国民には半ば強制的と思えるほどに貯金が奨励されていたようです。もしかすると市中に出回る古い銀貨や大型の銅貨など
【フクちゃん】は、昭和11年(1936年)1月より《東京朝日新聞》で連載が開始された4コマ漫画です。≪横山隆一≫氏の原作で、最初はわき役での登場でしたが主人公より人気が出たと言う事です。戦後もキャラクターグッズは作られていて、今も人気の高い有名な少年となっています。【くるくるクルミちゃん】は、昭和13年から昭和15年にかけて《少女の友》に連載された少女漫画です。≪松本かつぢ≫氏の原作で、当時の少女たちからは絶大な人気を博していたそうです。戦前にはどうもこの二人は一緒に用意
大正時代から昭和初期にかけて盛んに作られていた磁器製の大衆人形には、歌舞伎役者や浄瑠璃の題材の他にもごく普通の姿をした女性が数多く見られます。その一方、男性は極端に少なくなります。一般的にみられる5寸クラスと一緒に、今回の女性の中にはサイズが1寸程度大きな姿が3体含まれています。サイズはだいたい16センチ~18センチ程度です。6寸クラスと言えそうです。スレンダーではんなりとした姿は”夢二人形”を彷彿とさせますがこちらは磁器製です。”夢二人形”は土人形を指すようなので別なのでしょ
【のらくろ】は1931年より《少年倶楽部》に連載された漫画です。≪田川水泡≫作のユーモア漫画で、犬の連隊に入隊した〈のらくろ二等兵〉の物語です。〈ブル連隊長〉、〈モール中隊長〉と繰り広げられる世界は子供の人気を博し、子供向けの玩具は膨大な数が作られたようです。まだ著作権の意識が低い時代で、無許諾の玩具が多かったようですが、≪田川水泡≫氏もおおらかで『子供が喜べばそれで良い』と、鷹揚な態度だったそうです。今も人気が高いようでネットを見ていると磁器玩具やスチール、アンチモニー製の人形
本日12月14日と言えば”赤穂浪士”の討ち入りの日です。江戸時代には歌舞伎で上演されると庶民に大人気となったのだそうです。日本人は今も昔もこの物語が大好きなようです。昭和の頃には12月になると良くテレビで【忠臣蔵】の古い映画などが放映されていたと思います。小学生の頃、NHKや民放のドラマでも最終回の討ち入りが放映されていた記憶が残っています。【忠臣蔵】の主人公≪大石内蔵助≫は、大正時代から昭和初期にかけて量産されていた磁器製の大衆人形の中でも現存数が多く、最も種類の多いモ
大正時代から昭和初期にかけて盛んに作られていた磁器製の大衆人形には、実に多くのモデルが見られます。歌舞伎や浄瑠璃の場面の役者から普通の少女、また小ぶりな少年少女まで多彩です。今回は多彩な大衆人形の中から着物姿で舞を披露している5寸クラスの少女をご紹介します。人形には立ち姿が多いのですが、こちらは舞の途中なので動きがあって躍動的です。まさに舞っている最中のポーズです。当時としてはなかなか画期的なポーズだと思います。日本舞踊でしょうか。この他にも、【昌】には同じような髪型の少女が両膝を床
大正時代から昭和初期にかけて盛んに作られていた磁器製の大衆人形はモデルが多彩ですが、今回は【昌】の刻印が見られる一連の少年少女をご紹介します。どれも市販品だと思います。少年も少女もおしゃれな服装で、着物が一般的だった当時は目立っていたのではないでしょうか。こちらは瀬戸や名古屋で作られていたと思われる、多くの人形の背面に【昌】【サ】【上】などの刻印が見られる仲間です。もちろん刻印のない姿も多いのですが…。底面には小指程度の穴が見られます。いずれも商業地域の人形店などで販売されていたようです。
大正時代から昭和初期にかけて盛んに作られていた大衆人形の中には、全く同じ姿をした5寸クラス(15センチ前後)と3寸クラス(9センチ前後)が揃っている少年少女の人形があります。3寸クラスの小さなサイズには、射的人形と総称される少年少女の磁器人形がたくさん見られます。その子供たちと全く同じ姿で同じポーズをとっている5寸クラスの大きな人形が僅かにいるのです。歌舞伎や浄瑠璃の題材であれば同じポーズの主人公が複数のメーカーからいろいろなサイズで見られるのですが、少年少女では5寸クラスの子供は少
9月と言えば《放生会》の季節と言えるでしょうか。捕獲した動物を野に放ち、殺生を戒める宗教行事に【放生会】があります。インド起源のようで、日本では西暦720年には見られるようです。全国の寺院や八幡神社で行われています。私の知識は江戸時代で、亀を放す〈放ち亀〉です。広重の浮世絵〚名所江戸百景〛の≪深川万年橋≫の図に描かれた亀が有名で、浮世絵の好きな私の知識のもとになっています。江戸時代には川の近くにある寺院や八幡神社で行われていたようで、その近くには亀を販売する業者もいて、販売されて一
大正末期から昭和初期にかけて作られていた大衆人形には、歌舞伎や浄瑠璃の戯作からモデルとなった人物が多く作られています。日本人なら誰でも知っていそうな有名なモデルから、歌舞伎ファンでなければわからない人物まで様々です。今回ご紹介する人物はそうしたモデルの中から、《大石内蔵助》と並んで有名な人物の一人です。戯作の名称は【青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)】と言いますが、一般的には通称【白波五人男】と呼ばれます。江戸末の1862年に初演されました。《五代目尾上菊五郎》の出世作
今日は5月5日、端午の節句です。皆さんのお宅では五月人形、こいのぼりを飾るのでしょうか?。ニュースで聞いた話によると、最近はこいのぼりをあげないお宅が増えているのだそうです。男の子が誕生すると、父親方の両親が節句飾りを用意すると言う事です。そして女の子が誕生すると母親方の両親が雛飾りを用意するのだそうです。十代の頃母親からそんな話を聞きました。因みに私が幼い頃、洋品店だった両親は五月の節句など全く無視していました。私の記憶の中には、自宅に飾られたこいのぼりを見た事も、五月人形を見た事
朝晩の陽がかなり伸びて暖かさが一段と増しています。前回、大正末期から昭和初期に盛んに作られていた磁器製の大衆人形の中から、私が最も気に入っている【昌】の少女をご紹介しました。さて、ぼちぼち”こどもの日”が近づいたと言う事で、今回は前回と同じく【昌】の刻印のある10センチ弱と小ぶりな子供たちをご紹介します。皆良く似た形で同時期に作られた5人の仲間です。背面には【昌】の刻印と一緒に数字の刻印があり、【昌50/4】から【昌50/8】まで並んでいます。背面に≪昭和13年≫と鉛筆書きがあり
大正末期から昭和初期に作られていた磁器製の大衆人形には実に多くのモデルが存在しています。製造メーカーも全国に数多く存在していたようです。射的人形から子供たちの玩具土産として人気だったようで量産され、何しろ数多くの種類が見られます。まず型を粘土で作り、素材を流し込んで乾燥させて焼成、その後一体一体丁寧に絵付けを施します。それが射的の景品となり、また子供たちの玩具人形となるのですから、贅沢な事だと思います。代表的なのは京都で作られていた底面に穴がなく、型の前後を合わせた線の残る重いタ
これまで当ブログでは、大正末期から昭和初期に射的や玩具として作られていた大衆人形をご紹介しています。中でも歌舞伎や浄瑠璃の戯作は、人形の作品と人物をできる限り調べて掲載しました。今回は歌舞伎の主人公の中から、不動の人気を誇る【忠臣蔵】の《大石内蔵助》に次いで多くの人形が存在するモデルです。人気の高い登場人物の一人、侠客《助六》をご紹介します。《助六》と言えば愛人の《揚巻》とセットで語られるので、一緒に《揚巻》もご紹介しておきます。【曽我もの】と呼ばれるジャンルの作品で、初演は18世紀
大正時代から昭和初期にかけて作られていた磁器製の大衆人形には、射的人形と商業地域の人形店や玩具店で市販された玩具があります。今回は【浦島太郎】をご紹介しますが、亀と浦島太郎の二つの躯体が併されていますので明らかに市販品と分かります。浦島太郎が亀の上に乗せられているだけですので、射的で射倒すことは不可能です。二つの躯体と言うのは私はほかのモデルでは拝見した事がなく、なかなか珍しいパターンと言えるでしょうか。瀬戸や名古屋あたりで作られていた、人形店や玩具店に出荷されていた市販品なのだと思います
大正時代から昭和初期にかけて作られていた磁器人形は数多く作られていたようで、射的人形として、また子供の玩具として市販されていました。モデルは歌舞伎や浄瑠璃の主人公などが多く見られます。今回ご紹介するモデルも歌舞伎の主人公です。江戸末期に実在した悪党《片岡直次郎》だと思います。《直侍》と呼ばれます。そこから戯作が作られました。作者は《竹河黙阿弥》で、明治初期に舞台で演じられたようです。今回ご紹介するモデルの衣装や姿から【天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)】という作品の一部か
大正時代から昭和初期にかけて作られていた磁器製の大衆人形は、射的人形や子供向け玩具の市販品でした。モデルには歌舞伎や浄瑠璃の人物が数多く見られます。素焼きにされた磁器に焼成後に丁寧に彩色された人形は、現在から考えるととても贅沢な人形です。同じ磁器素材でも造りの違うタイプが3種類ほど見られます。その1=瀬戸や名古屋あたりで作られていた底面に小指程度の穴のあるタイプで、サイズは5寸クラス、多くが15センチ程度です。商業地域の人形店や玩具店での市販品だったようです。その2=
大正時代から昭和初期にかけて作られていた磁器製の大衆人形には射的人形や市販品が見られます。歌舞伎や浄瑠璃の人物が大勢作られていますので、今回はその中から【白井権八】をご紹介します。モデルとなっているのは、手紙を持った様子から《其小唄夢郭=そのこうたゆめもよしわら》の一場面のようです。恋人だった遊女【小紫】からの手紙だと思います。作者は【福森久助】です。良く知られているのは【白井権八】が【幡随院長兵衛】と鈴ヶ森で出会ったシーンだと思います。「お若けえの、お待ちなせえやし」「待てと
大正時代から昭和初期にかけて作られていた磁器製の大衆人形には様々なモデルが存在します。その中から今回は舞妓さんをご紹介します。大衆人形には舞妓さんの姿もとても多く、射的人形から少女向けの土産玩具として作られていたようです。舞妓さんは派手な衣装を着けていて、だいたいは決まったポーズをとっていますが、ちょっと珍しい姿があります。顔を下に向けて袖のぞきをしているのです。人形としての役目では、美しい顔を正面に向けているのが一般的です。正面から見て顔が見えないのは珍しいと言えるでしょう。
間もなく77回目の終戦の日を迎えます。今回は戦前に作られていた大衆人形の中から、日清戦争、日露戦争で活躍して、軍神といわれる【乃木希典】【東郷平八郎】をご紹介します。大正時代から昭和初期にかけて作られていた磁器製の大衆人形には、軍人の姿が数多く見られます。一般的に射的人形と呼ばれる仲間ですが市販品も多く、今回ご紹介する磁器人形はどれも市販品だったと思われます。底面に小指程度の穴が見られ、その穴を隠すようにメーカーの丸いシールが添付されています。製造場所は《瀬戸》や《名古屋》あたりでは
以前、大正時代から昭和初期にかけて作られていた磁器製の大衆人形の中に、着物の女性と黒猫が一緒の姿がいくつか見られると言う事で、当ブログでご紹介しました。女性と黒猫が一緒の姿の大衆人形は、私自身は6人の女性の存在を写真で確認していたのですが、私の手元には4人しかいませんでした。つい最近、私の手元に居なかった一人の女性と漸く出会い、その一人を新たに仲間に加える事が出来ました。早速以前ご紹介していたページに追加修正しましたので、今回リブログして改めてご紹介します。京都で作られていた、射的人
本日12月14日と言えば、”赤穂浪士”の討ち入りの日です。江戸時代に歌舞伎で上演された時には、庶民に大人気だったようです。日本人はこの物語が大好きなようで、昭和の頃には12月になると良くテレビで、古い映画などが放映されていたと思います。テレビドラマでも、最終回の討ち入りが放映されていました。【忠臣蔵】の主人公≪大石内蔵助≫は、大正時代から昭和初期にかけて量産されていた磁器製の大衆人形の中でも、現在もよく見かける、最も種類の多いモデルです。当時の人々にも大人気だったのでしょう。昨年
以前、大正時代から昭和初期の大衆人形の中から、【ミッキーマウスを抱く女性】をご紹介しました。京都で作られていた〈射的人形〉で、底面に穴がなく型の前後を合わせた線の残るタイプです。その時に以下の説明文を掲載しています。≪ミッキーマウスはアメリカ生まれで1928年にディズニー映画【蒸気船ウィリー】で初公開されていますが、日本に紹介されたのは翌年だったそうです。こちらの大衆人形は、立体的なミッキーマウスの登用例としては最もい時期と言えるのかもしれません。6年ほど前に一度ネットで見かけた事
前々回、大正時代から昭和初期にかけて作られていた大衆人形の中から、怪談”累”に登場する主人公の≪与右衛門≫をご紹介しました。その折に、ポーズがそっくりな人形がある事を述べました。その人物は、三代目瀬川如犀の戯作【世話情浮名横櫛(よはなさけうきなのよこぐし)】の主人公≪与三郎≫です。歌舞伎の演目としては1853年に初演されていて、通称【切られ与三】と呼ばれています。頬かむりの姿に、片手で片裾をたくし上げたポーズが似ているのです。ただ、≪与右衛門≫は筵を持っていて、≪与三郎≫は顔や
8月に入ると二度の原爆の日を悼み、そして今日、76回目の終戦の日を迎えます。心静かに黙祷、戦争で命を落とされた多くの方の冥福を祈り、悼みたいと思います。戦争を体験された方も、年々その数は減少しています。しかし、戦後生まれの私たちも戦争体験者の方から聞いた話を語り継いでいく必要があるのではないかと思います。戦前の軍事態勢下にあった日本では、軍人はお国のために働くと賛美されていました。男児たちの憧れであり、明治時代の日清、日露戦争を勝利に導いた大将、中将は軍神となりました。
連日の猛暑続きで、大変な思いをされている方が多い事でしょう。私は若い頃から夏大好き人間で、いつも海に出かけて汗をだらだら流していたので結構平気です。今も汗をかく事は厭いません。(その代わり冬は大嫌い!です)服を何枚着込んでも寒いものは寒く、縮こまって震えています。さて、夏の暑い夜と言えば”怪談”噺が定番でしょうか。小学生の頃、よく友人たちと怪談を披露しあったり、コックリさんを楽しんだりして騒いでいました。大人から怪談を聞くのも大好きでした。漫画では、≪楳図かずお≫氏の【ママがこわい】など
昨日、東京オリンピックも閉幕しました。連日猛暑が続き、オリンピックの選手たちも大変そうでした。さて、夏と言えば水遊びが定番と言えるでしょうか。そこで、大正時代から昭和初期にかけて作られていた射的人形や子供の玩具だった大衆人形の中には水着姿のモガがいますのでご紹介します。何体かいますが、どれも射的人形だと思います。女性の水着姿の射的人形はそんなに珍しいものでもなく、夏場の射的場ではよく見られたのではないでしょうか。どの姿も、京都で作られていた底面に穴がなく型の前後を合わせた線の残るタイ