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SNSで話題になってました「海外在住者はブスが多い」このフレーズ受け取る人によって全然印象違います最初にこの言葉を発した人は国内在住者でしょうきっと周囲には「そうよね」という人が多いのでしょうだから共感を得たくて発信したのでしょう海外在住者がみたらどんなに嫌な気分になるかそこまでは考えていなかったと思いたいですねそれとも嫌な気分にさせる目的でこの投稿をしたのだとしたらちょっと理解が難しいです面白いのは海外在住者の多くが「幸せだから
ブログのアップの順番が逆になりましたが、東洋陶磁美術館の学芸員講座が終わって、天王寺の大阪市立美術館に向かいました。御堂筋線に久し振りに乗ったんですが、何か中国人が増えていないですか?車中で、対(トゥイ)、対(トゥイ)って言うてる人が多いような気がします。台湾人ならWelcomeですが、大陸の支那人なら不来、不来です!さて天王寺に到着して「エビ頼み」でランチです。天麩羅定食を注文!エビ2匹、カボチャ、蓮根、インゲン、海苔ちゃんと確りした身のあるエビです!
彦根の清凉寺。井伊家の菩提寺で、毎月第3日曜に行われている坐禅体験に参加している。静かな本堂で背筋を伸ばし、呼吸を整える。日常から少し離れて、心を空っぽにする時間。……のはずだった。目を閉じると、なぜか思い浮かぶのは去年立ち込んだ川。石の位置、水の押し、流れのヨレ。オトリをどこに送り込むか、頭の中で何度もなぞっている。坐禅で整えるはずの心が、気づけば川の流れをなぞっている。どうやら自分にとっての修行は、座ることより、立ち込むことらしい。
2月15日付けのブログを投稿しました。今回も善かに引き続き連載の三になります。当分続くと思うのですが、違う話題も指しはさみながらどこまでいけるか試しています。仏教3.0のさらなる展開はあったのか(3)ネルケ無方|佐藤守徳次に、ネルケ無方の本に言及してみよう。この鼎談じたいがネルケ無方の『人生というクソゲームを変えるための哲学と坐禅』本を中心にしていることは、すでに述べている。ネルケ無方が永井哲学を使ってなんとか坐禅について説明しようとしていることもわかる。そして、それがうま
暁山(井上)哲玄老師の、定例坐禅会の提唱動画を公開します。今回は、哲玄老師の師匠の井上義衍老師の「悟りの真相」から、「問43真の自己を知るには、、、」を取り上げた法話です。哲玄老師の主題の「五官の機能」にフォーカスした内容になっています。いつものように、哲玄老師、究極の説法を、お楽しみください。本年も、玄燈庵の活動に、ご参加、ご支援を賜りますよう、よろしくお願いいたします。AKI
おはようございます、さっつんです。今日、2月15日はお釈迦さまの命日、涅槃忌、だそうです。沙羅双樹のもとで涅槃を示されたとのこと。昨年末ごろから、坐禅をほぼ毎日行うようになりました。15分ぐらい。エゴ(思考)がめっちゃおしゃべりするのがわかります。エゴ(思考)のおしゃべり、小さくならないかな。。魂の声を聞きたいのです。執着しない、反抗しない、判断しない・・まとまりないブログですみません。こんな感じでパラパラと書いていくかもです🙏それでは良い1日を
東洋陶磁美術館の学芸員講座を終えて大阪市立美術館の表題の展示からお話をすべきですが、坐禅イベントで良いお話をお聞きしたので、忘れないうちに最初にその坐禅イベントについてブログにアップします。坐禅イベント(イス坐禅)日時:2026年2月14日(土)時間:日本語:14:00~15:00(受付13:30~)英語:15:30~16:30(受付15:15~)講師:松山大耕師(臨済宗妙心寺退蔵院副住職)会場:1階じゃおりうむ定員:各回60名参加費:無料(ただし、当日の特別展観
坐禅せずに坐禅してみよ!と問われたらAmazon(アマゾン)禅と身体技法の達人が語って動いて考えた!いまを生き抜くヒント、満載!ざっと読んでいて、美空ひばりの話が出てくるまで、対談相手がお父さんだと勘違いしていた。全体の感想としては、お二人の言葉が強くないので穏やかに読める。古の武術の達人や臨済のような激しい人は出て来ない。とはいえ、「イス坐禅」にしても伝統の流れにはいるんだけど、新しい感性が見れることは喜ばしい。
本当の『自由』はすぐ目の前にあった雲水って知ってる?雲水とは仏教の禅宗における『修行僧』のことを指し主に臨済宗や曹洞宗でそう呼ばれます。まだ夜明け前の暗い時間帯に起床し朝のお勤めに励み1日3回坐禅を組みお経を上げ掃除や食事の準備その他様々な日常生活の中で自らを律して修
3月の坐禅・写経会3月7日(土)坐禅:午前9時より写経:午前9時半より瑠璃光寺本堂にて
思ってもないことを口走ってしまったそんなことありませんか?それって本当ですか?自分の口から出た言葉自分が思ったこともないこと本当に口から出ることありますか?口から出る言葉には誰に向かって何かを伝えるという目的があります聞いてほしい相手がいない時は独り言?独り言は自分と潜在意識の会話です何気ない一言にも目的があります「寒い」という時も自分が寒い思いをしていることを伝えたいという気持ちが心のどこかにあります独り言の時は寒いから風邪をひ
ドタ参加できるそう^^
お弟子さんと一緒に伊豆のお寺に行ってきました車で2時間ほど🚙以前、法話や軸をお願いした御老師様の居る伊豆市太平にある龍泉寺様ですすぐ近くには見事な旭滝という滝もありました十牛図や禅に纏わるお話を色々伺いその後一緒に坐禅をして頂きましたせっかくなので少し寄り道🚙わさび田の脇の湧水を汲んで来ました次の稽古日にはこのお水で🍵美しい湧水とわさびの花そこはとても穏やかな時間が流れていました😌次は碧眼録等を提唱しましょうと言って頂き有り難く感謝の気持ちで帰路につきました合掌
独身時代、1971年頃から北鎌倉の「鎌倉五山」第二位「円覚寺」の「居士林」が主催する「土日坐禅会」に、せっせと通っていた。土曜の夕方5時から(泊まり込みで、道場で「せんべい布団の中で」ごろ寝)日曜日の正午までの坐禅会である。坐禅が、土曜日は「4時間以上」…「夜坐」という任意の坐禅を行う日曜日は、未明から「4時間近く」坐る。「弟子の礼」をとり、本格的な坐禅修業をしている人たちは、「独参(一人で、参ずる)」といって、土曜は1回、日曜も1回、一人ずつ、師匠の前に行
臨済宗建長寺派大本山。鎌倉五山第一位。1253年(建長5年)鎌倉幕府第五代執権の北条時頼が開基(建立)、蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)禅師が開山(初代住職)。日本初の禅寺。時頼は「御成敗式目」を制定した第三代執権泰時の孫。元寇(げんこう)を退け、円覚寺を開基した北条時宗の父で明君のほまれが高い。権力争いでは鎌倉幕府成立に貢献した三浦一族を滅ぼして北条氏の権力を堅めるなど非情な面も。天下門。「天下禅林」の扁額が掛かってます。「人材を広く天下に求め育成する禅寺」の意味。今でも僧堂では
いのちは、つながっている洞林寺住職1、共命鳥(ぐみょうちょう)の話共命鳥(ぐみょうちょう)は、極楽浄土に住む美しい鳥で、『阿弥陀経』というお経の中に登場します。「ぐみょう」とは「命をともにする」という意味です。この鳥は、体は一つ、頭が二つあり、それぞれ別の意識を持ちながら、一つの命を生きる不思議な存在です。
病院の食事残さずご飯を食べた時には必ずこれやっています。お茶を茶碗に入れて米粒をキレイに飲み込む事大学卒業して就職した会社で、新入社員研修にね1週間行かされました。禅寺にね。この研修が辛かった。朝の4時に起こされてまず清掃。5時から座禅。6時から食事。休憩して、その後また坐禅。それで禅宗の食事や作法を教えられました。沢庵が3切れ出てくるんですが、1枚は必ず最後まで残しておくこと。湯呑みのお茶も少し残す事。食事の最後に茶碗にお茶を入れて沢庵でキレイに茶碗の内側を洗ってから飲
わーいの続きで、坐禅をさせてもらったお寺のご住職さんのお話で、わたしの心に残った言葉を紹介してるんだけど、これもかなり目から鱗だったな人間は自由ただ自由の意味がちょっと違う。自由=freedom(相対的)ではない自由というのは「自らに由る」ということ。自分自身の力で立つ、他に依らない。なんとなく自由というと、何にも縛られない、好き勝手やりたい放題みたいなイメージがあるけど、禅的には、そういう外のことがどうこうという相対的なものではなく、自分
誰かの心無い言葉に傷つけられたことありますか?酷いことを言われた!どうしてあんなこと言うの?傷つけられた!そんな経験誰でもありますねでもちょっと待って本当の刃物は実際に傷をつけますが言葉の刃物は無視すれば実際に傷をつけることはできません例えばお前馬鹿か?と言われたとしますあなたは傷つきますか?もちろん気持ちのいいものではありませんでもちょっとその場を離れて客観的に見てみるとそもそも人に馬鹿と言う人はまともな人じゃ無いですよねそんな人が馬鹿と言ったって信憑
わーいこの前、お寺で坐禅をさせてもらって、その後、ご住職がいろいろお話をしてくださったのだけど。目から鱗!なお話もあったのでここで書いておこうと思う。禅、というのは「自分とは何か」という問いかけである。周りを見て決める自分(相対的自己)から、人と対しても変わることのない自分(絶対的自己)へ。ほうほう気持ちを外ではなく自分に向け、呼吸を意識し、自分を認める。そうしていくと自分が何をすべきかわかってくる。意識が外に向いていると振り回される。
「私って最高のシナリオライターだった」と、独り言を言ったら『1番欲しかった宝物みつけたね。良かったね。』と、直感さんが宝箱の蓋がゴールドに光って開くイメージと共に教えてくれた。魂が震えるほど幸せな気持ちになった。更に、『魂は知っている』前回の坐禅中、メッセージが降りてきました。「魂は知っている。どんなに肉体が変わろうとも、魂はその時その時代の私がどれだけ頑張って生きてきたかを。魂は、忘れたり…ameblo.jp坐禅中のメッセージを思い出した。「魂は知っている。どんなに肉体が変わろ
イ、イ、イライラって曲TikTokにありましたよね(笑)ゆうなちゃんが確かやってたかな?㐂人「ななと」です~ま、そういうことです💦この時間ということはこのあともう一本ブログが上がって夜勤へと行く訳です(笑)ま~ね~この業界で働いていると色々あるわけで💦イライラしちゃう事もねある訳ですよ😮💨そんな時はどうするかって、人によって解決策は違いますけどね💦自分は帰ってからすぐ寝るのが正解なような💦1番「無」になれる時間って寝てる時なような気がしますね~ま、どれが正解かなんてない訳
今回の寒波が来る前に、買い物ついでにウォーキング。隣町の阿武町にある大覚寺は、雲州富田城主尼子義久の墓やビャクシンの巨樹があります。高台にあり石段を登って行きます。石段を登り切ると、一本の満開の白梅の木が目に飛び込んで来ました良い香りもする〜昨年就任されたという、若き副住職さんと偶然出会いお話させていただきました。とてもフレッシュで、こちらも身が引き締まる思いでした。坐禅や写経のイベントもやっているそうです。こちらの巨樹も凄い迫力です!梅の季節に初めて訪れましたが、桜の季節も
声の道「声の道」は、オペラ歌手としての経験と、呼吸・沈黙を通じた身体性の探究から生まれた、自分自身の声に出会うための道です。長年の日本文化に育まれた「道」の精神を敬意を持って受け止めながら、現代的な身体と声の探究として立ち上げたものです。茶道や花道など、日本の伝統文化としての道は•形があり•型があり•継承が前提一方で、私が提案する「声の道」は•形を固定しない•そ
ブログ訪問ありがとうございます!寒い1日でしたね。都内も雪が降りました⛄️今日は坐禅の予約をしていたので、早朝から行ってきました。幻想的です。寒かったですが、本日も整いました明日から1週間また新たな気持ちで頑張ります
こんにちは。ピカリん@shavetheworldです。今日の自分メンテナンスていうテーマらしいです。今日の、というかいつもの、というか、毎日のルーティン的な習慣的なものはたくさんありまして。今日に限ったことじゃない。そういう意味ではいつもの自分メンテナンスもしくは毎日の自分メンテナンスということになるかもしれませんね。過去のこの記事↓(他にもあるかも)で紹介しています。こちらを読んでいただくとわかるとおり、『【マインドフルネス】薄毛・ハゲの悩みを瞑想でスッキリ。〜そ
声の道声の道(こえのみち)―沈黙から、声が立ち上がる時間―改めて「声の道」について考えていることを説明しますねこのワークショップでは、うまく声を出すことを目指しませんまず、坐り、呼吸が身体に戻ってくるのを待ちます声は、努力して出すものではなく、静けさの中で自然に立ち上がってくるものだからです声を出さない時間もあります一音だけの人もいます言葉にならない声も、そのまま置いておきますオペラ歌手として長く声と向き合ってきた経験と禅的な呼
衆生本来仏なり!坐禅で心の氷を溶かす道坐禅は、ただ座るだけでなく、自分自身の本質に気づくための実践です。「衆生本来仏なり」という言葉は、私たちがすでに仏の性質を持っていることを教えてくれます。水と氷のように、形は違っても本質は同じ。この文章では、坐禅を通じて心の「氷」を溶かし、仏の心に近づく方法をわかりやすくお伝えします。心の迷いを手放し、真の自分を見つけたい方へ、ぜひご一読ください。私は公式ラインにて、僧侶として人生相談を「無料」で行なっております。これまで、多くの方々のお悩みを承ってき
人生にはさまざまな変化が訪れます。たとえば就職、転職、結婚、離婚、引越し、進学などなど…。そして、それに伴いさまざまな悩み、迷い事も生じます。その一つ一つの問題を解決する、本人の気持ちがグラグラしていたら、解決できるものもできなくなります。そんなときは、まずは心の元気を取り戻して、生きる力を高めることが大切です。そうして元気を取り戻した後に問題解決にあたると、99%は解決します。しかし、残り1%はどうしても答えが出ないときがあります。そのときは、あなたの本心に聞いて
(ルシの声)ただ知っているだけでは浅く、ただ心が落ち着いているだけでも不十分だ。真理の知識(教学)と心の安定(精神統一)とが出会い、正しい信念によって支えられたとき、はじめて智慧は完全となる。学びと静けさを同時に育てよ。ルシ的視点第38偈は、釈尊が智慧の成熟過程を簡潔に示した箇所である。知識だけが増えても、それが心の乱れのままでは散らかった知恵に終わる。逆に、静かで落ち着いた心だけでも、正しい指針(正見・正思惟)を持たなければ、方向を誤る危険がある。そこで必要なのは、教学(学び)と止観(実