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こんちわせつこです。引き続きお城。今回は山梨県です。長野からの流れで来たんですけどね。移動効率とか度外視でいけそうだったから来てみた感じです。要害山城・・・名前からしてやばそう。幾度となく山城と言われる場所で辛酸をなめてきたわけですが・・・実際、カーナビ通りではたどりつけず。少し迷いました💦しかし山梨県もさすが武田のおひざ元、お城に優しい。こんな名前の城なのに道路もしっかり。安心安全(?)の山城でした。この辺かなあ??写真が赤いのはハザードですね。こん
「さあ、こいよ」(・∀・)戦闘態勢たっきーだあ!つよそう!これ、イベントのスライドからの切り抜きで、室内なんだし~、たっきー火縄は外そうよ~って思って、簡単システムで消し消ししたら、なんか、「かかってこい」な雰囲気になったあ~かっこいいからこれはこれでいい!いや、今日はそんな話じゃなくて、お風呂とたっきーと思ったんだけど。まあ、この時代のお風呂って、お湯を張るような贅沢なものはほぼなくて、サウナっぽい蒸し風呂が主流。そしてすごいことに…た
次兄は6歳上(1976年生)だが、幼い頃(具体的には幼稚園児の頃)に次兄のアホさ加減疑った瞬間があった。それをご紹介しよう。1、小5~6で…自分が幼稚園年中~年長頃、次兄は小5~6だが、その当時、小5~6で変形合体ロボット玩具に夢中だった。当然(次兄の)同級生からは「幼稚な趣味してるなあ」と言われていたが、俺も同様に思った。2、桃鉄・鉄道王は難しい?次兄はよく、桃鉄・鉄道王はルールが難しくて苦手と言っていた。小5~6の時点で。俺は幼稚園当時でもそれらのゲームのル
『FFⅢ』をクリアしてから、約3週間は経ちました。ゲームをしなくなり、仕事もまあまあ順調に進みました。しかし、お家に帰ると何もしなくなりました。YouTube動画かradikoプレミアムをただダラダラ流してるだけという生活です。このままだと、本当に廃人生活を送ることになります。ゲームをして、廃人になるか。結論、この冬場はゲームを進めることにしました。と言ってもじっくりやるわけでなく、気が向いたらやるという(それでいいのか⁉︎)、そんなプレイです。田舎に閉じ込められるわけだし、実家
こんちわせつこです。引き続きお城です。佐久市から諏訪市に向かって走ったのです。そしたら・・・真っ暗なので見えにくい写真ですいません。そう、鹿です。シカ。もうね、うじゃうじゃレベルで鹿がいました。普通に道路にいる鹿もたくさん。こうなると・・・はい・・・そうです・・・轢かれてます・・・😢ごめんなさい、ここからは完全に自分だけの考えになります。都心に住んでる人間にとって増えすぎた鹿がどれだけ周りに迷惑をかけているかは理解が及ばない事で申し訳なく思います。↓↓↓1時間
「攻略四十八数とはいつくんそ…」そう、北伊勢四十八家もあるんだよお…そして、やっと赤堀家の話だよ…(;´・ω・)かじるていどに…赤堀家の由来説一:田原藤太秀郷(田原の回を参考に)↓『伊勢攻略と瀧川左近一益赤堀家篇田原のはなし』「森寺…」そう、まづは…森寺も自分の祖と言うとるおかた。田原(俵)藤太秀郷(約885~958年くらいの生没年)…下野国司のお家のような。藤太という呼称…ameblo.jpの、五男・千常の、十世孫の、足利又太郎忠綱…
こんちわせつこです。しばらく体調不良でお休みしておりました。家でポチポチ拠点を取ったりコメを取ったり。まだ本調子ではないのですが久々に城行くことに。これ以上寒くなると完全に行けなくなってしまう雪深い地域から。そんなわけでレッツ長野県。長野県は以前も触れましたがお城に優しい県。どこも道路が整備されてて安心安全。しかも今回は平城ということで恒例の深夜に到着w五稜郭の小さい版みたいなお城らしいです。う、うん・・・たぶんこの辺。まったくわから
1552年天文21年滝川一益27歳・織田弾正忠家・および周囲・1552年三郎信長18歳8月尾張守護斯波氏の又代・坂井大膳松葉城、深田城を攻める。というわけで、萱津合戦、勃発三郎叔父・織田孫三郎信光とともに出兵弟・信勝の家臣に属す柴田権六も参加清洲城下に放火など。薙払など。とりあえず、三郎勢の勝ち。守護代たちとの対立も決定的に
今日は単発バイトの予定だったんだけど、サボったw朝起きたら、仕事行くの面倒になってキャンセルしたwそんで家でゴロゴロしてたw信長の野望革新をプレイ。筒井家でスタート。筒井家は小国だけど、有能な武将が見つかる。足利将軍家の天海を引き抜き。インスタント焼きそば3袋でご飯。きつねうどん、もやし炒め。みかんの缶詰。数日前から就職活動をしてる。現在の状況は次の通り。・コールセンター派遣→現在顔合わせ(面接)の日程調整中。通勤2
1552年天文21年滝川一益27歳・織田弾正忠家・および周囲・1552年三郎信長18歳8月尾張守護斯波氏の又代・坂井大膳松葉城、深田城を攻める。というわけで、萱津合戦、勃発三郎叔父・織田孫三郎信光とともに出兵弟・信勝の家臣に属す柴田権六も参加清洲城下に放火守護代たちとの対立も決定的になった。★それなりの詳細☆8月15日坂
岡崎アパートを最後の空室を埋めるべく営業まわりしてきました。この物件は仲介店HCに募集を依頼していて決定率は2/5。直接募集で2/5。ところが最後の1部屋が決まらないので他に2社程間口を広げる事にしました。物件近くの仲介店と客付けに強そうな仲介店です。案内さえしてくれれば決まる物件だと思っているので期待したいと思います。・・・仲介店HCで言えば・洋室なのに間取り図が和室のまま。・写真が暗い。そりゃあ引き合いがないよなぁ‥という感想です。自主管理大家にと
「森寺…」そう、まづは…森寺も自分の祖と言うとるおかた。田原(俵)藤太秀郷(約885~958年くらいの生没年)…下野国司のお家のような。藤太という呼称は、藤原の長=太郎からきているらしい。田原の部分は、地名かなあ?いろんなところの田原が候補にあるらしい。なんとも絵巻モノ的な伝説があって…(´・ω・`)近江国琵琶湖の、勢多の唐橋付近だかで、琵琶湖に通じる竜宮の使いの者に、山を八巻きもする大百足が出てきて、
内容紹介(「BOOK」データベースより)島津勢の猛攻に耐え、駆けつけた秀吉に「その剛勇鎮西一」と誉め称えられた立花宗茂は、九州探題大友家の元家臣であったが、秀吉によって筑後柳川十三万石の大名に取り立てられた。関ケ原の戦いで西軍に加担した宗茂は浪人となったが、十数年後領地に戻れた唯一人の武将となった。その半生を描く話題作。立花宗茂さん「信長の野望」で使ったことがあります名前だけは知っていました奥方の女城主・誾千代さんも有名ですねさらに実父の高橋紹運、義父の立花道雪
いや~、やってますよ。ブラ三の裏でちょこちょこ。でもなんか盛り上がらんのよね~…ブラ三とは違って、せっかくの「三国志の時代」を追体験できる絶好のゲームだというのに。何で盛り上がらんのかな?っと思ってるところで、あるYoutube配信者の言葉に思い当たるところがありました。正確には覚えてませんが、「自分でテーマを決めて、それを進めていくのを楽しめる人」が三国志8Reに合ってる、とか、確かそんなことをおっしゃっていた気がします。あ、確かに。私は自分でドラマを作っ
1548年天文17年滝川一益23歳さあこの年もいろいろあるよ!パパがね…(´・ω・`)たっきーもきっと相当、大変。・織田弾正忠家・および周囲・1548年織田信秀37歳三郎信長14歳清洲三奉行の藤左衛門家の庶流、楽田城主・織田寛貞(津田一安の父?)が、パパ弟・織田信康(1544~1547年没)の子、犬山城主・織田信清(三郎の従兄弟だね)と、共謀してパパと抗争したんだと。信
1545年天文14年滝川一益20歳1545年織田信秀34歳吉法師11歳安祥清縄手の合戦三河安祥城を攻囲する松平広忠を破る不明だけどしかたないから、織田彦七郎秀成生まれ(て)る?なんや庶流感強いのか、津田姓なのってたみたい。池田勝三郎恒興9歳この頃に、森寺藤左衛門秀勝25歳(憶測)既に丹羽五郎右衛門長秀の娘をもらって、
●今回のおはなしセラフィの財布の中身は、875ゴールドです。セラフィの所有物は、馬車チケットx1です。現在隊が所持しているゴールドは、55989ゴールドです。保有鉄鉱石は、2653単位重量です。保有珊瑚原木は、505匁(精製後分0匁)です。保有ミスリル銀鉱石は、283683個です。●今回のおはなしの概要・現在受けているミッション2024年11月第2-3週●現在らら隊が保有しているアイテム類備忘のために記録しておきます。●ラシーン中佐からの借入金返済状況新規
「愚か者が…」誅殺・謀殺・暗殺・幽閉たっきーに幽閉されるなんて……(´ρ`)はあ…うらやましひ………っは!(゚д゚)いかんね、絶対放送禁止な感じの妄想がね、とまらんよね。さて…、たっきー様に幽閉されたおデブちゃんの話を知った日から、もう、毎日毎日羨ましくて羨ましくて、妄想が頭を占領し、マジメな年表づくりの邪魔をせんとするので、もう~突然だけど記事にしちゃえ!幽閉がメインなので、簡略にいきましょう…天正四年(1576年)三瀬の変北畠具教
天下布武もぼちぼちXmasか🧑🎄赤い🟥ver天下布武信長もクリスマスverか⁉️イルミも岐阜の田舎もそれなりやけど頑張っとる金ののぶながコスパ最強仕上げはもうこれは破れんかもやけど⏬コスパ重視ならこちら👇コスパ最強
1553年天文22年滝川一益28歳この年もほんっとトラウマ…たっきー…。・織田弾正忠家・および周囲・1553年三郎信長19歳閏1月13日平手政秀自害!!じいさん…これはいろんな見方があるなかで、やや美談な感じの、三郎のバカは死んでも直らない、でもわしがいきなり死んだら…?的な、諌死説を唱えたいひとは多いよね。これも当然、否定はしないけど、やっぱり…、借金のカタや、揉め事の末のけじめとして、
1553年天文22年滝川一益28歳この年もほんっとトラウマだよね…たっきー…。・織田弾正忠家・および周囲・1553年三郎信長19歳閏1月13日平手政秀自害!!じいさん…(´・ω・`)4月下旬三郎19歳斎藤道三と会談聖徳寺にて7月12日坂井大膳ら守護斯波義統殺害18日柴田権六軍清洲攻め:中市場の戦い
1552年天文21年滝川一益27歳・織田弾正忠家・および周囲・1552年三郎信長18歳8月萱津合戦、勃発三郎側が勝ったけど、守護代たちとの対立も決定的になった。戦いの後…ギュウイチ節を土台にいきましょうか梁田弥次右衛門(武衛・斯波義統臣下)という一僕が、面白巧にて知行過分にお取りなられたそうな。☆詳細★清洲城の那古野弥五郎(守護代の臣)という16、7才の若
信長出陣ガチャでようやく織田信長第六天魔王揃ったこれで覚醒完了(*`・ω・)ゞ武将では我が軍最強武将なったあとのガチャは伊東一刀斎と淀殿最近淀殿ばかりくる伊東一刀斎は覚醒3これであとはねねだなぁ
今日が七五三であるというわけで、そのルーツを室町時代あたりまで掘り返してみると、三歳「髪置」あるいは「髪立」赤子のうちは胎髪(うぶげ)を剃り落とし、髪を伸ばさないのが基本。三歳頃から伸ばし始めるというのが、この儀式。さらに、髪の毛にさまざまな縁起物を結びつけて健康と成長を願う儀式になったという。儀式の日取りは占いで吉日を選んでいたので一定しなかった。それが、室町時代ごろから、日取りは、陰暦の11月15日が武家の間で選ばれるようになった。五歳「深曽
先日の旅日記の続きです。山江村から人吉市に入った私たちは、人吉城跡にやって来ました。鎌倉時代に地頭として球磨地方に土着し、在地領主から戦国大名、そして近世大名へと移りゆく時代を生き抜いた人吉の相良氏。相良家35代670年余の拠点となったのが、熊本県人吉市の人吉城です。江戸時代には人吉藩の政庁でもありました。人吉市街から、球磨川沿いに走ると見えてくる大手門横長櫓。人吉城のトレードマークでもあります。この人吉城は、唐津城などと同様に球磨川の水路に面した城でした。これは、船着
「母上…ここが気に入ったか?」たっきーのこういう純粋で切なくて悩ましい面は狂おしすぎて大好き超えて守ってあげたい…(´ρ`)天正三年(1575年)6月6日浜田城落城たっきーが修復し、一時的に入城、居城してたらしい。ここら辺の時期に、荒廃してた実蓮寺に寺領を与えて、おかあちゃまの菩提寺づくりしたんやろか…。愉しいはずのつんつく↓『滝川一益の逸話シリーズ4』謀と秘め事とを抱え込んで神妙な面持ちのたっきー…が、わしのベースイメージなんだけど、世間の
「曲者がおるな…」誅殺・謀殺・暗殺たっきーのこういうおつむよりな面が狂おしいほど好…き…(´ρ`)はあ………というわけで、前回に続いて、羽津家のこと。以下★☆羽津(赤堀)家の関連調書★★たっきーに提出いたすとりあえず、北勢四十八家のひとつ。羽津は赤堀三家の分家。まづ、赤堀家とは…田原孫太郎景信応永年間(1394~1428年)に、上野国赤堀庄(あかぼり)から伊勢国三重郡栗原(現在の赤堀町)に移住、
「曲者がおるな…」誅殺・謀殺・暗殺たっきーのこういうおつむよりな面が狂おしいほど好…き…(´ρ`)元亀三年(1572年)羽津城主・田原(赤堀)右京近宗(国虎)瀧川一益家臣で茂福城目代・山口四郎右衛門(四郎次郎)に招かれ、山「隣城のよしみで水魚の交わりを結びたい」といった雰囲気で歓待を受けた後、毒殺された。山口はすぐ羽津城を攻め、衆寡敵せず開城させた。羽津城には滝川新右衛門を城代としていれおいた。新右衛門???
もともと本を読むことが好きでした。中学生の頃から、司馬遼太郎の歴史小説をよく読んでいました。PCゲームの信長の野望も大好きで、小説に出てくる武将が、このゲームにもたくさん登場します。たとえば長曾我部元親や鈴木重秀など、学校の歴史の教科書には出て来ないけれど小説の中で活躍する武将がゲームで出てくると、とっても強い!・・・みたいな発見をして興奮し、司馬遼太郎を読む→信長の野望がしたくなる→司馬遼太郎を読む→また別の武将で信長の野望がしたくなるを延々と繰り返していました。信長の