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相模・小田原城武蔵・松山城今回は、シナリオ1の「信長家督継承」の北条氏康で、相模と武蔵の国造りです。上の2つのスクショは、初期配置です。…ここから後北条氏が強くなってくるので、こちらのシナリオにしました。開発してからにしようと考えましたが、先に治水工事をすることにしました。相模の治水工事の範囲西にあるのが芦ノ湖。治水工事は必要ないです。武蔵の治水工事の範囲治水工事をし、土地開発を進めた結果。ちょっと遅くなりましたが、完成です。その完成型がこちら。お米を生み出す水田とお金
『烈風伝』もお仕事も挫折気味の私。大殺界は所詮言い訳なのはわかってるけど、上手くいってない感がバリバリ出てるのは明らかです。『烈風伝』をプレイした感想が、『シムシティー』を少し違う路線に導いたものだったと、以前述べました。その前の『将星録』も箱庭行政システムだったので、『シムシティー』ぽくしたのはむしろそっちだったのかもしれません。出世すれば扱う兵数もアップする『天翔記』のシステムも取り入れてました。(…ただ、『蒼天録』以降は少し方向性が変わったように思いましたが)今回、文章に表した
『烈風伝』をプレイしていて思ったこと。→『天翔記(スーパーファミコン版)』と似てるか⁉︎以前、『天翔記』について書いたブログはこちらです。そんな『天翔記』について書こうと思ったのですが、話は脱線しますっ!九州平定でホッと一息。兵力・武将を整えて、中四国進出の予定でした。ここで、伊予にいたはずの毛利軍が日向(『烈風伝』では豊後)・佐土原城に見参⁉︎「アメーバ🦠か💢⁉︎」アニメキャラの如く、ブチ切れました。ここで述べるのは、生物🪼のほうです。誤解されたくないので、書かせて
今回は、甲斐・信濃の領国開発にチャレンジ!村上義清や小笠原長時が南北信濃に分かれて統治していたシナリオもあるけど、安定した領国開発したいので、武田信玄にしました。甲斐・躑躅ヶ崎館(甲府城)信玄堤が築かれていたので、この状態で進めます。ぶっちゃけ、信虎・信玄(晴信)の武田2代がいなかったら、甲府市は田舎町としてスルーされてたかも。北信濃・海津城(葛尾城)信濃川(千曲川)がめちゃくちゃ長い!村上義清が治めていたが、真田幸隆の応援で北信濃を制圧できた。なお、東南には小諸城が支城になって
羽前・山形城元は白鳥氏の居城だったのを最上義光が占拠し、本格的な拠点になった。こののち、山形県の県庁所在地になる。今回は、1570年の最上義守で選択。ちなみに、最上義守を選択しないと息子の義光に謀反を起こされます。『独眼竜政宗』では、義光役は原田芳雄さんでした。あれで「よしあき」と読むことを知り、原田芳雄さんという渋い役者さんを同時に知りました。亡くなって久しいけど、渋く面白い役者さんでした。羽前の安東軍(後に登場します)に攻められつつ、なんとか開発していきます。完成したのが、
オフで烈風伝を進めてきましたが、次の攻略目標が上野国(群馬県)の箕輪城でした。小田原城🏯が半端ないのは、ゲームでなくても言えることでした。しかし、箕輪城の曲輪や長野業正ら猛将の存在が強大すぎて、やめようと思いました。架空の姫武将や風魔小太郎は惜しいですが、やっぱり小田原城から最強の部隊を送り込みたいと思い、やり直そうと考えました。ショートプレイで期限内のクリアが出来ず、「これ(「三國志Ⅴ」じゃないけど)威信が下がるんじゃね⤵️?」ということだらけでした。仮にやり直したとしても、氏康
『烈風伝』をプレイしていましたが、箱庭内政と香木集めにマンネリを感じてきました。少し前の自分なら、凝ったプレイをやっていました。都会でダラダラ過ごしていたせいか、暇つぶしに奔走する日々を送っていたのかもしれません。田舎に転勤となりやる仕事が増えたのか、もしくは買い物で往復することで時間が潰れ、余裕がなくなり、ゲームの気力が衰えたのかもしれません。仮に実家のある都会に戻って、ゲームで時間を潰そうと思っていても実際は元のゲームドランカーになるとは考えにくいです。くだらない心配を語るより、マ
日本を舞台にした一枚マップ🗺️の広さと思わぬ敵のちょっかいに、手詰まりプレイが続いていました。やっぱり、北条家に戻すか。それとも、上杉謙信のいる長尾家か。そんなボヤキを過去に書いてました。そんなに言うなら、いっそのこと全員でやっちゃったら?そんなプレイがスマホ📱でできるわけ…。できたんです!スマホで8人プレイが‼︎やり方としては、通常プレイモードを選ぶだけ。(ショートプレイモードだと、必然的に1人プレイになります)そこから8人プレイを選択するだけです。一見、とんでもない遊び
また改めて、1546年の島津家からスタートです。多少時間はかかりましたが、九州統一をしました。南九州の支城を武力で片付け、肥後の隈本(熊本)城、豊後の府内城、肥前の佐賀城を手中に治めました。と言っても、この時点では平戸城はまだ独立勢力でした。無視しても、自陣営の勢力がデカくなりゃ辛抱たまらず投降するんです。九州の島津家でのプレイですが、九州統一の最大の難関が筑前・立花山城の攻略だったりします。最大防御度が120。同じ120でも隈本城はなんとかなりました。原因は、この武将でした。
プレイするシナリオ、大名に迷ってます。「鉄砲メインの島津家がいいかな」と思いましたが、「強い上杉(謙信)家や内政重視の北条家もいいな」と考えるようになりました。何の気なしに、1560年の織田家を選んでみたら、いきなり例のイベントが発生しました。桶狭間の戦いを例のイベントと書いてるあたりがもはやお馴染みと思えてなりません。ここで織田家の軍議となるわけですが、ヒソヒソ話してるのは誰でも良かったかもしれません。弟の信包(のぶかね)さんって、戦闘に関わってたイメージが薄いんだ
岩代・黒川城のちに、蒲生氏郷によって会津若松城(鶴ヶ城)に改名された。南には猪苗代湖がある。金山と馬産地があるから、「武将風雲録」より状況がマシになってる。と言っても、武将に恵まれてるわけではないから、簡単なプレイができると言い難い。ここは蘆名中興の祖・盛氏の出る1560年で進めることにする。最上義光や伊達政宗が未登場なので、内政がなんとかなるはず。途中、二階堂盛義や二本松義国を登用し、開発を進めた結果。初期設定を活かした土地開発で多少見栄えが良くなりました。特産品はロウソク🕯
陸前・岩出山城この当時の拠点は出羽(羽前)・米沢城だが、ゲームでは支城扱いで、しかも築かれていない。豊臣秀吉によって、岩出山城へ異動させられる。ちょうど一本道に城下町が肉付けされてる。プレイシナリオは、小牧長久手。進めていくうちに、輝宗誘拐事件が発生!この歴史イベントの名前を「人取橋の別離」としていますが、人取橋の防衛戦は輝宗タヒ後に起きた戦いで、戦死したのは鬼庭左月斎良直でした。佐竹・蘆名連合軍が仕掛けた戦いが、いつのまにか輝宗誘拐事件になっていたという不思議な事態…。岩出山
『信長の野望烈風伝』の攻略サイトをここに書き連ねました。時は戦国(biglobe.ne.jp)攻略本同様の内容になっており、基礎的なところを抑えている。トップページ|信長の野望烈風伝(スマホ版)データ、考察、攻略など(nnyabou.net)地図上の隠し支城の情報が掲載されてるので、史実にちなんだ城を作りたいならおススメ。3DS版信長の野望2(信長の野望DS)攻略サイト(shiyo.info)おすすめ大名や内政計画図など、プレイの指針になる攻略サイトとなっ
前回、隠し金山や隠し香木について書きましたが、隠し香木だけでした。なので、今回はちゃんとスクショしてきました。隠し香木紅塵マップ上部の工夫室町御所(二条城)から東へ4のところ法隆寺マップ下部の工夫石山御坊(大坂城)から北2東4のところ道の曲がり角からすぐ東1のところ隠し金山陸奥石川城近く津軽半島の港から南4のところ陸前岩出山城から北2西3のところ馬産地の西1すぐ隣り加賀尾山御坊(御山御坊・金沢城)から南3のところ※ただし、周辺はお城🏯が築けないので金山の独占
タイトルに「蘭奢待」と書かせていただきました。もちろん、芸人のランジャタイではありません。(ぶっちゃけ、知らなかったけど)織田信長が切り取ったと言う蘭奢待です。香木については、こちらのブログでも書いております。紅塵や法隆寺は探せば見つかりますから、問題ないです。見つかるのに時間がかかることもありますが、発見できれば儲け物と思えばいいのではないでしょうか。蘭奢待に関しては別物なのです。当時としては殿上人しか嗅げなかったという蘭奢待。①イベントが未発生。②蘭奢待を誰も所有してない
信長の野望シリーズでもやっぱり馴染みがないので、チュートリアルを開いてみました。担当は、今川家でした。「海道一の弓取り」と言われるほど強かった今川家。しかし、絡みがどう見ても、最近お騒がせのビッ◯◯ーターを連想します。こうして見ると、実権を握った副社長を連想しますが、氏真さんのほうがまともに見えますね。『三國志Ⅴ』のような実践チュートリアルではないですが、ゲーム進行はなんとなくわかりました。桶狭間の戦い寸前まで進められてますが、なぜか悲劇を感じません。実際のプレイで
野球のネタは明日の今年の締めに回すとして、今回はスマホ版の買い切りアプリに信長の野望烈風伝が来ていたので、買ってプレーした話を載せておこうと思う。◆今回の烈風伝は3DS版信長の野望2を移植している。本城が40国のポータルゲーム版が移植されている(PC版から大名、国が削られている)40国制なのでPC版だとかなり強く武将数の多い三好家(桶狭間の戦いシナリオ)や島津家(手取川以降、小牧長久手シナリオまで)は本城1に下げられているので、本城が0だと支城がいくつあっても滅亡するので、この
豊後から伊予を占拠していた大友義鎮(宗麟)。しかし、豊後を取り戻そうと何度も戦を仕掛けます。こちらから仕掛けても負けることが何度かありました。島津陣営でも兵数や兵糧は最大数。やはり力はあっても身分が低いから持てる兵数に限りがあるのでしょうか。そう悩んでた時に、ツナのゲームチャンネルさまの動画で新たな現実に直面します。京都に近い大名のほうがいい。家臣は多いほうがいい。訓練度がないから速攻で(この辺は『三國志Ⅴ』【名君チャンピオン道場】でも同じことが言えます)。今さらながら、島津家
お休みの日の時間を使って、『信長の野望烈風伝』をやっているわけですが、ご飯以外はこればっかりです。部屋はそんなに散らかってるわけではないけど、仕事場では注意散漫です😓。そんな『烈風伝』をプレイしていて、目からウロコな動画をまた発見しました。主に古いゲームをやるチャンネル様の動画です。『烈風伝』をプレイするにあたり、基本的なところを抑えて説明しています。本を読むのめんどくさい、そんな方にもうってつけです。でも、攻略本のほうが役立つこともあるかも。今回は、シナリオ10小田