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今回は難波田城最後の城主上田周防守の菩提寺とその傍にある鎌倉道を散策します。下の写真は、難波田城最後の城主の菩提寺「性蓮寺」の山門です。歴史は古く、明応年間(1492年-1501年)の創建とされる日蓮宗のお寺です。立派な本殿や僧坊があり瓦屋根が聳えていて威厳を感じます。戦国時代、性蓮寺は兵乱で焼失してしまい上田周防守によって再興されましたが上田氏の衰退で、再建後の本堂は仮のままでしたが、享保年間(1716年-1736年)になって、第13世住職の理性院日修により本格
さて今回の逃げ若最大の目玉はこれもう今回はこれです!直義の苛烈な正義を体現するうえでこれ以上ないうってつけのセリフ。そのうえで、前回の「直義は戦が弱い」という解説に対する最大限のフォローも入っている。時行くんが初めて「敵」として対峙することになる足利の最高幹部との直接対決。しかし、それはまさに「大人と子供の争い」それまでの「オニ」とはレベルの違いすぎる「南北朝最高の政治家」との対決です。それでは本編感想参ります。〇智将・直義の面目躍如「直義は戦が弱い」という弱点。これについては北条軍の
このところ更新が遅くなりまして申し訳ございません(何度目だ)。越前国への転封で色々と多忙を極め、なかなか更新が進みませんが、このままでいくと本当に色々と取り返しがつかなくなりそうなので、簡易になりますが、書こうと思いました。さて今回の肝は南北朝のラスボスの腹黒い弟・直義。兄が色々な意味で人間離れしているので、直義の方は常識人のように思われがちですが、今回で改めて「…やっぱり直義もまた南北朝のラスボスの兄弟だわ」と実感した次第。尊氏が天然の洗脳ならば、直義は言葉巧みに人間を魔道へと堕とす洗脳術の
連載2周年突破!『逃げ上手の若君』得票上手は誰だ!!?第1回キャラクター人気投票結果発表!!『逃げ上手の若君』連載2周年突破&100話突破&TVアニメ化決定記念!!第1回キャラクター人気投票結果発表!!www.shonenjump.com遂に第1回人気投票編の結果が発表されました。まずまず一部の番狂わせが生じましたが、概ね順当な所でしょうか。まずはおめでとう!時行くん&頼重さん!!いや、本当に良かったよ。私も主人公だから当然と思っていたし、何よりも他ならぬ私自身が時行くんに投票
足利尊氏が征夷大将軍に任命されたのは、建武五年(1338年)八月十一日、正二位に昇進した時である。これは閏七月に新田義貞が越前国藤島の戦いで戦死した後である。尊氏の征夷大将軍就任に伴い、光明天皇の皇太子であった後醍醐の成良親王が廃止され、光厳上皇皇子益仁親王が皇太子となった。後醍醐が南都に逃亡してもなお、講和条件を維持していたが、この段階で講和を破棄したことになる。これは八月二十八日に暦応に改元している。しかし幕府内伝奏の倦怠のために暦応年号を使用し始めたのは九月からだった。直義も八月十一
先日、垣根涼介さんの著書「極楽征夷大将軍」を読了しました。NHKの大河ドラマ「太平記」で、真田広之さんが演じられた足利尊氏。僕は、大河ドラマ「太平記」は観ておらず、小栗旬さんが主演された、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を観ましたので、室町時代は、その後の物語なので、すんなりと読めました。2段書きで、全459Pの大長編大河小説なんですが7日間で読了。第169回直木三十五賞受賞作。室町幕府を開いた、足利尊氏が主人公なんですがこの小説での尊氏は、およそ武士の棟梁とは思えない、ダメダメ武士に描か
山寺の僧は御所様から褒美をもらって帰るが、御舎弟の家では、水無瀬さまが少々ご不満?この物語は一応、今回で終わります。最初はこちらです。まとめはこちら。足利家の執事(54百鬼夜行の巻)です。
2021年2月20日土曜日東京都町田市にある菅原神社と境内にある「井出の沢古戦場」を訪問。「井出の沢古戦場」とは、「東京文化財情報データベース」によると「元弘3年(1333)にはじまった後醍醐天皇による建武の新政は、武家を軽んじたため各地で武家の不満が高まりました。そのような中、かつて鎌倉幕府の執権を務めた北条氏の得宗である高時の子時行が、建武2年(1335)、反乱の兵を挙げました。これが中先代の乱です。信濃から鎌倉奪還を目指し南下した時行の兵は、この井出の沢の地で足利尊氏の弟直
1,足利兄弟の争いさて、コラムですが。まず、ここに至るまでの情勢を簡単に。でないと、書いている方も話が分からなくなるのがこのあたりです。新田義貞が死に、足利尊氏は室町幕府を開きました。初期の幕府は「将軍」として尊氏が軍事、恩賞を、「副将軍」と称された足利直義が政務を司り、両者のバランスの上に成り立っていました。この兄弟は仲はよく、このまま幕府は安定するかに見えましたが、ですが、尊氏の息子である足利義詮(幼名は千寿王)が成長する頃には、不穏な空気が流れはじめます。それというのも
鎌倉幕府を開いたのは、ご存じ源頼朝です。教科書に載っていた、あの肖像画も有名です。ところが今から25年前、これは別人であるとの説が発表されました。するとこの像は、あっという間に教科書から消え去ってしまったのです。では本当のモデルは誰なのか?室町幕府を開いた足利尊氏の弟である、足利直義だという。幕府の草創に大きな役割を果たしたらしい。しかし一般にはあまり知られていないのでは。メジャーな頼朝のままの方がよかったとさえ思いました。それから四半世紀たった今年、ブログ筆者は図書