ブログ記事791件
青紅葉の会にいたのは継体帝と水無瀬殿だったが、水無瀬殿は師泰の弟子という「怪力美女」のことを思い出すが、それはシゲの従姉妹である言う。御舎弟が太鼓の演奏をして弁慶踊りがはじまる・・・。
師泰殿はシゲを誘って、弁慶踊りを頼まれたと森に向かうが、御舎弟が命鶴丸の代理で木の花丸が牛若をやると連れて来るが、青紅葉の宴会は、継体帝と水無瀬殿が待っておられた。
四条、五条は夜に御舎弟に報告に行き、水無瀬様や継体帝が、なにわの寺侍たちに躍らせて、話をつけたことを報告し、讃岐とれいこは、池辺の宮のところに戻って宴をする。このお話は今回で終わります。この話のはじまりはこちら→足利家の執事2755(85-1)このお話のまとめはこちらにあります。#足利家の執事足利家の執事85桜の宴-
こんばんは~🌃今日も鎌倉記事の続きです(弥生朔日の訪問です)海蔵寺の後はこちらのお寺へやって来ました↓「泉谷山浄光明寺」扇ヶ谷内の泉ヶ谷といわれる谷戸にあります(山門はかつて英勝寺の惣門だったそうです)皇室の菩提寺として高名な京都東山区にある泉涌寺の末寺で真言宗泉涌寺派の準別格本山開基が北条時頼(第5代執権、義時の曾孫)長時(第6代執権・義時の孫)であることから長時を祖とする赤橋流北条氏の菩提寺となりました赤橋家の娘を正室とした足利尊氏やその弟・直義との縁も深く
蓬生殿脚色の、八郎の人形劇は好評だったが、人形を扱った道摩法師は疲労困憊していた。このお話はこれで終わります。この物語の始まりはこちら足利家の執事2706(84-1)|座乱読―別荘このお話のまとめはこちらにあります。足利家の執事84平安京堀河邸の妖異-乱F(または那須富士)のマンガ#漫画#足利家の執事#歴史-pixiv
道譽殿は、御舎弟のところにきて、客人であった僧の原案で、蓬生殿脚色の人形芝居を、奥方の前で上演する話を持ってくる。
道摩法師は御舎弟の部屋に戻ってきて、道純殿に叱られるが、芝居小屋に何故、広嗣殿のシン・龍の着ぐるみがあるのか不思議に思っていた様子・・。
御舎弟の家から姿を消した道摩法師は、蓬生殿と、佐々木道譽殿を訪ねていた・・・。
蓬生殿は、御舎弟に吉備大臣の物語のような、怪奇冒険物語のようなことを知らぬかと言い、御舎弟はあまり乗り気ではないが、高階姉弟が帰り路、道摩法師が呼びかける・・。
御舎弟のところに高階姉弟が訪ねて来て、怪奇物語を聞きたいということに、道摩法師ががぜん興味を示すが・・。
うそ丸は心配しているが、道純殿は、道摩法師は御舎弟のところに連れてきて、本など読ませ、三百年の空白を埋めさせようとそておるが、御舎弟を訪ねて、高階姉弟が来る。
3月4日(水)亀田俊和著『観応の擾乱室町幕府を二つに裂いた足利尊氏・直義兄弟の戦い』中公新書2017年7月25日初版観応の擾乱は、征夷大将軍・足利尊氏と、幕政を主導していた弟の直義との対立から起きた全国規模の内乱である。室町幕府中枢が分裂したため、諸将の立場も真っ二つに分かれた。さらに権力奪取を目論む南朝も蠢き、情勢は二転三転する。本書は、戦乱前夜の動きも踏まえて一三五〇年から五二年にかけての内乱を読み解く。一族、執事をも巻き込んだ争いは、日本の中世に何をもたらしたのか。その
今日は2月26日で、御舎弟こと足利直義と、執事殿こと高師直の命日です。今年は、賽の河原の供物を持って来たのは、執事殿ゆかり?の女人たちだった・・・。
さてさて…前回の記事で…「足利兄弟」の話をさせていただきました🆕足利尊氏と直義‼️室町幕府初代将軍であり、カリスマとしても武家からの信望を集めた兄‼️兄を補佐して政治面において卓越した手腕を発揮した弟‼️両者は大変仲の良い一歳違いの同母兄弟だったのですが…協力して武家政権を再興させたのち…政権運営や後継者問題を巡り対立‼️遂には幕府を二分する内乱という事態を引き起こしてしまいました⚔️最後は兄が弟を毒殺するという悲劇的な終局を迎えるのですが…この兄弟の生涯については…か
『「豊臣兄弟!」とことん兄弟に拘る‼️』『秀吉・秀長の母について(謎に包まれた生母なか)』さてさて…今週は連続して更新ができず…尚且つ時間帯もパラバラで…本日も日付が変わってからになってしまいまし…ameblo.jpさてさて…皆様は既にお気づきこのことかと思われますが…「豊臣兄弟!」の重要なテーマは…❔ズバリ‼️兄弟であります😃さらにはもっと踏み込んだ物言いをするならば…兄弟の光と影とでも言えるでしょうか⁉️豊臣兄弟の秀吉と秀長は…ただの藤吉
うそ丸は、四条、五条に弁当や饅頭をもらって、鉢に乗って左府殿のいる時空へと飛び立つ。
大塔宮とうそ丸が、御舎弟の部屋にいると、左府殿が放り投げた鉢が、時空を超えて到達する。
足利兄弟[岡田秀文]楽天市場足利氏がいかにして天下をとったのか。源氏の頭領がなる征夷大将軍も、北条家の傀儡に過ぎなかったころ、由緒正しい源氏として足利氏が名乗りを上げる。しかし足利家にも北条家が深く入りこみ、表面上はうまくやっているように見えて、足の引っ張り合いはえげつない。そんな頃に、後醍醐天皇が登場。それを利用して鎌倉幕府から足利幕府へと変貌を遂げる武士の世界。北条の血筋の、強さが最後に明かされますが、尊氏と直義兄弟の覚悟の違い。天賦の人たらしである尊氏が
垣根涼介文藝春秋2023年5月発行はい、苦労してたのはこの本です。垣根涼介さん、久しぶり。「君たちに明日はない」のシリーズがお気に入りで何度も読みました。『君たちに明日はない』垣根涼介新潮文庫このシリーズ5冊出ています。だいぶ古い本ですが・・たぶん今読んでも得るものはたくさんあるのではないかと・・リストラ請負会社に勤める村上真介…ameblo.jpそのあとは・・「涅槃」『涅槃』垣根涼介朝日新聞出版2021年9月発行年末年始、年越しで読みました。垣根涼介さんの作品は
こんにちは京都のkojiro(小次郎)です今日は2025年12月26日木曜日京都市内の今朝の最低気温は3.0℃、日中の最高気温は5.6℃までしか上がらず、これから雪(みぞれ?)がちらつく真冬の一日となるそうです。今朝も京都駅周辺では大型のスーツケースを引いて歩く国内外からの観光客や帰省者であろうと思われる人の姿をたくさん目にしました。久しぶりに乗ったJR嵯峨野線は嵐山に向かう家族連れの外国人観光客で混み合っていました。さて、今回の「kojiroの京散歩」も2
『太平記中』は、六波羅が滅び後醍醐天皇が京に帰るところから、湊川で楠木正成が自害するまで。京への帰路、途中書写山と福厳寺に寄ったというのに、びっくりしました。書写山はともかく、福厳寺って、ほんと小さなお寺さんなんです。そこで、①赤松入道円心に、望み通りの恩賞をと口約し、②新田義貞の使者から、鎌倉方を攻め亡ぼし、相模入道以下北条の一族を追討、東国を平定したとの報告を受けてるんです。そして、京へ出立するまさにその時、③楠多門兵衛正成が参上し、先導することに。地
極楽征夷大将軍垣根涼介:著あらすじ第169回直木賞受賞作やる気なし使命感なし執着なしなぜこんな人間が天下を獲れてしまったのか?動乱前夜、北条家の独裁政権が続いて鎌倉府の信用は地に堕ちていた足利直義は怠惰な兄・尊氏を常に励まし幕府の粛清から足利家を守ろうとするやがて後醍醐天皇から北条家討伐の勅命が下り一族を挙げて幕府に反旗をひるがえした足利家の重臣・高師直(こうのもろなお)は倒幕後朝廷の世が来たことに愕然とする後醍醐天皇には武士に政権を委ねるつもりなどな
前記事の旧華頂宮邸の見学の後、12時を過ぎていた事もあり、近くでランチする場所をググった。すると石窯ガーデンテラスという所がgooglemap上で近く、調べると評判も良い事から、そちらを目指す。googlemapを見て進んでいった。map上ではこちらの浄妙寺というお寺の斜め左上↖に目指すレストランは位置しているよう。なので、この山門の左手の道を進もうとしたら、石窯ガーデンテラスへはこちらからと山門前に書かれていた。山門をくぐるという事は、拝観料を払ってレストランに行くという
⚔️観応の擾乱―足利兄弟の大ゲンカが日本を揺らした!👑二人のトップ?室町幕府の特別ルール室町幕府はちょっと変わった政治体制でスタートしました。足利尊氏(たかうじ):将軍として軍事を担当。新しい武士や地方の国人を味方につけた。足利直義(ただよし):弟で政務を担当。裁判や政治を仕切り、古くからの守護や官僚の支持を受けた。つまり「軍事は兄、政治は弟」の二頭政治。最初はうまくいっていましたが…?⚔️火種―尊氏の側近・高師直尊氏のそばにいたのが高師直(こうのもろなお)。
子どもの頃(1983~1984年)に放送されていた『まんが日本史』の歴史認識を照らし合わせたくてヒストリーチャンネルで放送されていたので観ました。南北朝の対立に、足利幕府内の対立(ヒストリーチャンネルの『まんが日本史』より)内容について建武の新政が後醍醐天皇の理想倒れに終わり、ついに足利尊氏が光明天皇を擁立して北朝を建てたことから始まる。南北朝時代についてです。後嵯峨上皇から始まった皇統分立が南北朝にこの時代が鎌倉末期からややこしくなってしまっていることが両統迭
子どもの頃(1983~1984年)に放送されていた『まんが日本史』の歴史認識を照らし合わせたくてヒストリーチャンネルで放送されていたので観ました。後醍醐天皇、親政を始めるも、理想が破綻し。足利尊氏が武士をまとめて北朝を創設する南北朝時代の始まり(ヒストリーチャンネルの『まんが日本史』より)内容について鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇が親政を始める(建武の新政)も、公家社会に戻そうとする流れに武士が不満をためて、ついに足利尊氏が立ち上がり、後醍醐天皇を京から追い出して、光明天皇
子どもの頃(1983~1984年)に放送されていた『まんが日本史』の歴史認識を確認するために、ヒストリーチャンネルで放送されていたので観ました。元寇後、窮乏する御家人と鎌倉幕府は適切な手が打てずに、後醍醐天皇が倒幕に立ち上がる(ヒストリーチャンネルの『まんが日本史』より)内容について中国の元王朝を撃退した鎌倉幕府が、国内対応がうまくいかず、御家人の不満が高まり、悪党が出現し、後醍醐天皇による倒幕計画が進み、ついに鎌倉幕府が倒れて、建武の新政が行われることになる流れを見る
あまり観光客がいない場所!!それは浄妙寺!!足利尊氏のお父さん足利貞氏と尊氏の弟足利直義のお墓があるお寺です。何故人があまりいないのか!それは!マニアックすぎるから!!笑貞氏と直義なんて太平記好きか歴オタぐらいしか来ない!足利貞氏のお墓。お隣に石窯ガーデンテラスというオシャレなカフェがあるからね。人がそちらに流れるのよ。我が推し足利直義公のお墓へ向かう!!すごい坂道!!源頼朝といい北条義時といい偉い人は高い所にお墓があるのです。ヒイヒイ言いながら坂を
私:鎌倉時代と室町時代の間、後醍醐天皇の直接統治の期間における、足利尊氏の態度を考える時、現代の我々は、非常にストレスを感じる、「イライラする」。「足利尊氏よ、後醍醐天皇なんかさっさと切り捨ててしまえ、武家政権に自信を持て」と言いたくなる。しかし、それは、我々がその後の歴史を知って居る、特に江戸時代という徳川幕府の長い統治の成功を知っているからであって、足利尊氏は、当然それらは知らず、そして、武家政権の平清盛の家系も源頼朝の家系も途絶えたということは知って居るのだから、当時の足利
今回は難波田城最後の城主上田周防守の菩提寺とその傍にある鎌倉道を散策します。下の写真は、難波田城最後の城主の菩提寺「性蓮寺」の山門です。歴史は古く、明応年間(1492年-1501年)の創建とされる日蓮宗のお寺です。立派な本殿や僧坊があり瓦屋根が聳えていて威厳を感じます。戦国時代、性蓮寺は兵乱で焼失してしまい上田周防守によって再興されましたが上田氏の衰退で、再建後の本堂は仮のままでしたが、享保年間(1716年-1736年)になって、第13世住職の理性院日修により本格