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ちょっと、観光もしました!出水麓歴史館へ!近世薩摩藩最大級の外城、「出水麓いずみふもと」出水麓街なみ保存会出水麓武家屋敷群江戸時代、薩摩藩は外城と呼ばれる地方支配の拠点を設置していました。外城で政務や地方警護を担う武士の住居と陣地を兼ねた町は、麓と呼ばれ、藩内には約百ヶ所存在したと言われています。当時の武士達や武具などが展示されています。けっこうリアルですね!石積みの外壁に囲まれた街並みが美しいです
西郷隆盛大久保利通、木戸孝允と共に維新の三傑に挙げられる西郷隆盛は囲碁の愛好家としても知られ、昭和42年には明治100年を記念して日本棋院から名誉七段が贈られている。【西郷の生涯】隆盛は、文政10年薩摩藩の下級武士西郷吉兵衛隆盛の長男として鹿児島城下で生まれ、幼名は小吉、名は隆永、通称は吉之介、善兵衛、吉兵衛、吉之助などを名乗り、明治以後になり父と同じ隆盛を名乗る。11歳の頃、友人の喧嘩の仲裁で右腕を切られ刀を握れなくなり、学問で身を立てようと勉学に励んだ西郷は、仲間のリー
大久保利通【大久保の生涯】西郷隆盛、木戸孝允と並び「維新の三傑」と称される大久保利通は、文政13年8月10日(1830年9月26日)薩摩藩鹿児島城下の下級武士の家に生まれ、元服後に記録所書役助として藩へ出仕している。しかし嘉永3年(1850)藩主・島津斉興が嫡子・島津斉彬を廃して側室の子・島津久光を後継者にするため、「お由羅騒動」と呼ばれる斉彬派の粛清を行い、大久保は騒動に巻き込まれた父に連座し謹慎処分となる。その後、幕府の介入により斉興は隠居に追い込まれ、島津斉彬が藩主に就任
中村きい子さんが書いた「女と刀」を読んだのをキッカケに、明治から昭和にかけての鹿児島県における「男尊女卑」の因習について、先々週と先週の2回投稿してきた。今週の(その3)では最終回として、現在の鹿児島にはまだ”男尊女卑”の因習が残っているかを私なりに考えてみた。ただ、私は18歳で故郷・鹿児島を離れて58年経った。ここ15年ほどはコロナ禍を除き毎年帰省しているが、それまでは数年に一度の頻度で帰省するだけだったので、現地の詳しい状況を継続的に見てきた訳ではない。