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子供の頃、祖母に連れられ東映時代劇を毎週観ていた影響なのか時代劇大好き人間になっています。そんな私が時代劇チャンネルで見ているのが鬼平犯科帳と暴れん坊将軍中でも暴れん坊将軍は時代劇チャンネルの目玉らしくシリーズが連日放送されています。その暴れん坊将軍でドラマを盛り上げるのが『敵役・悪役』の面々、中でも印象に強く残っているのが『黒部進』そう初代ウルトラマンのハヤタ隊員ウルトラマン以降低迷していましたが悪役・敵役に徹してから数々の作品に出演したいますね。暴れん坊将軍シリ
幕末の攘夷事件で教科書にも載っている生麦事件の現場を見たくて潜入調査しました京急生麦駅生麦駅の南口を出ると生麦駅前通り商店街があり南に行くと国道15号線にぶつかる交差点が生麦駅前入口です生麦駅入口交差点一本手前の道を西に入ると洋館建ての生麦事件資料館がありここから始まります生麦事件参考館普通の民家風の所で常時しまっています看板がありなるほど!予約が必要!せっかくだから電話してみると「今から開けます」というおじさんの声生
村田さとは、中村半次郎の京都時代の恋人だった女性です。村田さと(既存写真の一部を修正)。大正十年(1921)八月十一日に81歳で亡くなっているので、逆算すると天保十二年(1841)生まれという事になるでしょうか。半次郎の『京在日記』によれば、半次郎とさとの出会いは慶応三年(1867)九月だったようです。半次郎は同月三日に京都市内で赤松小三郎を暗殺したばかりでした。さとの実家は四条小橋の高瀬川沿いにあった村田煙管店で、半次郎は頻繁に店に通い詰めていたようです。間もなく半
中村きい子さんが書いた「女と刀」を読んだのをキッカケに、明治から昭和にかけての鹿児島県における「男尊女卑」の因習について、先々週と先週の2回投稿してきた。今週の(その3)では最終回として、現在の鹿児島にはまだ”男尊女卑”の因習が残っているかを私なりに考えてみた。ただ、私は18歳で故郷・鹿児島を離れて58年経った。ここ15年ほどはコロナ禍を除き毎年帰省しているが、それまでは数年に一度の頻度で帰省するだけだったので、現地の詳しい状況を継続的に見てきた訳ではない。
大河ドラマ「篤姫」でも、抜群のコンビネーションで幕末の徳川家を守りぬいた二人。天璋院と勝海舟!二人の関係について、「天璋院と勝海舟は恋人だった?」という説が、今流行りの「歴史番組」で放映されたようです(モモアンビーの飼い主さまからの情報です)関西在住でしかもアナログな生活環境もあり、噂の某歴史番組を視聴できないので、どんな資料を根拠に「恋仲説」を唱えたのかは不明なのですが、とても興味深い説なので、私の持ち合わせた資料を元にちょっと考察してみたいと思いますその前説として、勝海舟の
4月2日(日)からNHKBS4Kにて再放送されます。ラベルダウンロード2008年1月6日から12月14日大河ドラマとして放送[連続50回]個人個人が責任ある行動をとることの重要さは、今も昔も変わりはありません。そして、それがまた難しいことであるのは、今も昔も同じです。まして、時代が激動期であれば、さらに難しいこととなります。篤姫、後の天璋院は、幕末にあって、まさに責任ある行動をとった人物です。江戸城の総攻撃が噂されたころ、討幕軍の中心であり、篤姫の故郷でもある薩摩藩から
愛知、岐阜、三重の3県に接する『木曾三川』(きそさんせん=揖斐、長良、木曽の三つの川)。今から270年前の江戸中期の宝暦4(1754)~5年、慢性の大水害に見舞われていた当地で、想像を絶する大掛かりな『治水』事業が行われた=『宝暦治水』。ー『治水』=水害を防ぎ、水運・灌漑の便をよくするために、河川を整備し管理するー水害から地元住民の生命や財産を守るには三川分流しかない・・・幕府は、本来は諸大名にやらせるべきなのに、77万石の薩摩藩(鹿児島)一藩に命じた。薩摩