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今週もコミケに向けて新刊作成せねばなりませんので、当ブログで大ネタが書けません。なので先週同様に小ネタです(苦笑)。さて、ユーチューブなどで歴史解説を見ていると、どうにも気になるのが「尊攘派が偽勅を作っていた」という論調があること。まぁ、これは以前から言われたりもするのですが、ある程度歴史に詳しい人ならば、なんとなくここで言う”偽勅”なるものが、実は真勅であることに気が付いていることだったりします。が、歴史に詳しくない人はコロっと騙されてしまうわけで。まぁ、例によって”武将ジャパン
外圧で開国を迫られ、安政の大獄や将軍継嗣問題、攘夷運動等が高まる中で、幕府が威信低下していく幕末から、最後の将軍”徳川慶喜”が大坂から江戸へ逃避する迄の期間中に起こった出来事に纏わるお城を紹介していますが、一時中断しました。本日から再開しますが、現在は、長州藩の「萩城」までをご紹介してきました。その「長州藩」には多くの支藩や孫藩を設けて、それぞれにお城を持たせていました。「萩城」の最後の方で記載しましたが、「毛利家」は「関ケ原の戦い」の後は、辺鄙な土地に築城させられる等、非常に幕府に対する恨
NHKの大河ドラマ【青天を衝け】もいよいよ佳境を迎え、遂に明治編へと突入しました。ラストスパートですね。毎週ワクワクしながら見させて貰ってます(笑)。幕末編とは栄一を取り巻く人間模様がガラリと変わり...着いて行くのが大変と言う人も多いでしょう。今日は、そんな人の為に...これから頻繁に登場する脇役達の中から、初代総理大臣・伊藤博文(俊輔)と第五代外務大臣・井上馨(聞多)の友情物語をご紹介したいと思います。まあ...明治以後の二人に関しましては、これからドラマでも頻繁に描か
真の日本精神が世界を救う―百ガン撲滅の理論と実証Amazon(アマゾン)1,630〜1,988円実在する奇蹟復刻改訂版Amazon(アマゾン)1,650〜4,785円anemone(アネモネ)2020年7月号Amazon(アマゾン)690円皆さんおはようございます❗ロニサランガヤです!先日、下記記事を紹介しましたが捏造された教科書を正す政治経済研究会代表バンビーナ様の記事でさらに裏がとれました!この、情報の拡散をお願いいたします!下記ロニの記事です!
B154<西郷隆盛との歓談>230204歓談002<西郷隆盛との歓談>230204歓談阿山>メッセージをお願いします。西郷隆盛>ただ見とっちゃダメだと日本を変えていくためには、1人ずつが発言しないかん言いたくないことを言っていかないといけない。誰かを守るという事はそういうことじゃ政府の悪行とか、いわゆるコントロールに対してもそうだ。みんなおかしいと思ったことをおかしいと言える。そういったこと今の時代はまこと言えるんじゃないか?
今月の講座のお知らせです「新選組史再考第39回」のテーマは「長州進軍&平岡暗殺」池田屋事件の報が、長州にもたらされました。もちろんそれ以前から長州藩では家老や世子の進発を決めておりました。が、池田屋事件の影響も…いっぽう京都では平岡円四郎が殺害されます。川村恵十郎も疵を負いますね。ということで、今月の対面講座は次の日曜日の13日、恵比寿会場にて。オンラインは、第3土曜日の19日と、第4日曜日の27日。各日13時半スタートです!ご興味ございます方は、ご連絡下さいま
君ゆき、新章開幕です。なのでオープニング&エンディングの主題歌もダンスも変わりましたね。どんなに暗いラストでもかわいいエンディングで心が軽くなってましたが、後編は展開的に高低差が激しいのかエンディングの雰囲気も変わりましたね。楽しそうにしてる皆が回想シーンみたいですでに切ない池田屋事件の夜、父の仇をとった丘十郎。心が晴れるかと思いきや、初めて人を斬った感触が手にまとわりつき震えが止まらない。それは屯所に戻っても同じでした。丘十郎の父の仇、長州藩の庄内は大作の親友で、大作は長州藩の命
2025年春企画山陰道駅伝(益田-三谷)2日目その1のつづき例のあれが見えた!?県境である。島根県を脱出しついにゴールのある山口県へ。14:05野坂御番所跡を通過。長門国(長州藩)と石見国(津和野藩)の境界に設置された番所だそうだ。ここを越えると建物が何もない道を進む。遠くの方まで道が続いているのが見え精神が削られた。15時に徳佐駅付近に到着徳佐八幡宮前にはしだれ桜があった。15:10その近くのスーパ
山口県は長州藩で明治維新を主導した藩明治維新は嘘の美談で真実を塗り替えているが、DSにそそのかされた〇〇人が、日本古来の孝明天皇を殺害し、偽天皇を天皇に据えたというのが真実だ。山口県に田布施という町がある。人口10,000人程度の小さな町だが、そこから、総理大臣などが複数名出ている。確か安倍も山口県だ。この国の沼の掃除が始まったのか⁉️軍事作戦中なので真実は分からないが、軍用機が山口に集結しているのには、何かしらの理由があるのだろうメーカー直販で圧倒的にお得パソコ
京都長州藩邸跡京都市中京区河原町、現在ホテルオークラの建つ場所はかつて長州藩邸があった所。京都に滞在する藩士、江戸へ向かう途中の藩士らがここに滞在していた。高杉晋作もたびたびここに滞在している。1863(文久3)年3月、晋作はこの藩邸で頭を丸めて自らを「東行」と名乗り、「西へ行く人を慕いて東行く心の底ぞ神や知るらむ」と詩を詠んでいる。藩邸は1864(元治元)年7月の禁門の変の際火災で焼失し、その後は幕府に接収されてしまった。跡地には現在、桂小五郎(木戸孝允)の銅像が建ってい
前回からの続きですが、諸外国を相手に怯むことなく、堂々渡り合った…高杉晋作けれども、長州藩は大敗を喫し、列強の強さと攘夷の無謀さを知り藩内では、幕府に恭順する俗論派が実権を握りました。この状況下、討幕派の晋作は、恭順派に命を狙われながらも、たったひとりで立ち上がったのです。そんな無茶苦茶な挙兵にも関わらず、ちらほらと集まったその数、総勢80人ほど…!長府の功山寺に集結。絶望的な状況であることはなんら変わらないのですが、戦いを前に、晋作はこう言い放ったといいます。これよりは長州男児の
坂本龍馬は何を行った人なのでしょうか?小説の「竜馬がゆく」の中で、坂本竜馬が言った名言でこのような言葉があります。「人の世に道は一つということはない。道は百も千も万もある」この言葉の通り、史実の龍馬も、国を救うという最終的な目的の為に、ありとあらゆる道を進みました。その結果、龍馬は一言で表すには難しいほど、多岐にわたり様々な事に着手し、私達が暮らす現代の日本を守り、そして作ってくれました。では具体的には何を行ったのか?その中でも、特に有名なものをいくつかご紹介したいと思います。■