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曲水の庭曲水の庭から、山道を下がって行くと、山の斜面に何やら整然と石組みされた古い遺跡のようなものがあった。水力発電用ダム跡これは、忠義が築かせた送発電用貯水槽跡で1892年(明治25)からはこの電力を使って就成所や園内の照明に利用していた。水力発電用ダム跡さすが明君の島津斉彬の後継者だと、感心して解説を読んでいた。ここを下って行くと、今度も何か意味深な苔生した構造物を発見。
島津氏(薩摩藩)が重税や圧政から農民を解放したという主張は、歴史的事実として確認できない。むしろ、江戸時代の薩摩藩は全国でも有数の重税藩として知られ、農民負担が極めて重かった事例が多数検証される。薩摩藩の重税と圧政の実態薩摩藩の表高は約77万石(実質米高は約37万石程度)と全国第2位の大大名だったが、財政難が慢性化し、農民への収奪が苛烈だった。主な原因と事例は以下の通り。重税の税率江戸時代平均の年貢率は五公五民(50%)程度だったが、薩摩藩は八公二民(80%)に達する実質負担率で、水戸藩や高