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夫が食べず、話さなくなってから、11〜14日目。2023年2月23〜26日仕事はしばらくお休みさせてもらっていた。相変わらず話さず食べずで、寝ている時間が多かったが、日中はテレビを見させたり積極的に話しかけた。食事は水分補給ゼリーを無理やり飲ませる。トイレにも自発的に行かなくなったので、こちらから促して連れて行った。トイレの中でどうしたら良いのかわからないような時もあった。45歳の夫がこんなに急激に認知症のような感じになって、私も本当に戸惑
夫が食べず、話さなくなってから、9日目。2023年2月21日この頃私はネットでずっと「うつ病」のことを検索していた。うつ病になると「一日中寝ている。眠りたいだけ寝させておけば良い」「認知症のような症状が出ることがある」などの情報を見て、夫は絶対にうつ病なんだと思っていた。もしそうだとすれば3ヶ月ほど会社を休めばまたいつもの日常が戻ってくる、と信じていた。午前中に近くの心療内科の予約が取れたので、夫の両親と連れて行き血液検査をする。これまでのことを一通り話す。「おそら
夫が食べず、話さなくなってから、7日目。昨日、キャンプに行く前に夫に無理やりおにぎりを1つ食べさせた。それ以外は何も飲まず食わず。身体が本当に心配しかもテントの準備片付けには人一倍詳しく口うるさい夫が、今日はテントのたたみ方がわからない結局中途半端に畳んで受付の方に返した。私たちが片付けをしている間、息子は周辺の子供たちとお友達になって遊んでいた。夫が突然「息子は上の子と下の子の間でうまいことやりながら遊んでいる。中間管理職向きだなっ」と笑いながら冗談を言
2022年12月パパの病気が分かりました闘病中は自分の心を整理する為にそして健忘録の為にブログを書いていましたパパは約8カ月の闘病の末旅立ちましたいま振り返ってみると少し違って書いてしまっていたり書いてなかった出来事や症状もあると思うので記憶にあるうちに振り返りながら書き留めておきたいと思います話は少し戻ります2023年2月1日医師に言われた言葉「3月3日に治療が全て終わり当院で出来る事は無くなります」同時に伝えられたこと退院後は2週間おきに投薬の
夫が食べず、話さなくなってから、15日目。2023年2月27日近所のメンタルクリニックの初診が翌週末に取れましたが、そこまで待てず少し遠いところにある精神科のある病院へ連れて行くことになった。夫の両親が来てくれてなんとか着替えさせる。以前、便失禁があった時(こちらのブログ→ベッド脇に便失禁)以来、リハパンを履かせていることを、ご両親に伝えた。夫の手を引いて玄関まで連れて行く。私は自分のカバンと上着をとりに一旦部屋へ戻る。夫は玄関で私が来るま
こんばんは、kazuです。ウチのオカン、1人になってから自炊ほぼゼロ生活らしいわ。「1人になったら、めんどくさくて・・・」「煮物なんか作ったら3日は同じ物を食べなアカンし」って理由と「何回か、鍋を火に掛けたまま他の用事をしてて焦がした事があるから・・・」てな事で怖くなったそうですわ。まぁ、ワタシも自分の為にはご飯作りたくない!人間なんで、気持ちは分かるから何も言わんし、実家に帰った時には、お惣菜で売ってないようなメニューを作るように心掛けてはおる。
両親が認知症になりました・・・母は肺癌が見つかりました私の介護の記録用ブログです認知症見守り9年目2021年11月から平日泊り込み介護開始しましたそして22年8月末からは母の看取り・・・在宅介護が始まりました!そして2022年9月中旬に旅立ちましたその後介護後の鬱状態(仕事だけは継続していましたが生きる気力を失っていいた)グリーフケア外来通院その後少しずつ回復しています父は現在小規模多機能施設を利用中*************義母の自宅介護のためケアマネさ
母と私の誕生日が11月のため毎年11月に家族で集まり誕生日のパーティーをする。2023年の11月もその予定でいたのだが父から二人とも風邪気味っぽく数日前一緒に旅行をしていた人がコロナに感染していたため今回のパーティーは延期した方が良いのではないかと家族のグループLINEがきた。ちょうどインフルエンザも流行っていた時期だし大事をとって来月に延期しようという話になる。母79歳、私50歳の誕生日はそれぞれおめでとうLINEを送りあった。11月も終わりに近づき延期したパーティーはどうするかな
再度、介護認定調査員が来て母と面談した。調査員が型どおりの質問をしていくが前回とは全く違い母は何も答えられない。声をかけられると調査員の顔を見ているので聞いてはいるようだが、しばらくすると目をつぶってしまう。前回調査員が来た時は椅子に座り、質問に正確には答えられなかったが意思疎通は出来ていたし体も動かせた。あれから数か月経っているように感じるがたった1か月しか経っていないことに改めて驚いた。母が何も答えられないので家族へ状況の質問があり調査は終了。ケアマネさんから暫定で要介護4のケアプ
食べず、話さなくなってから、4〜5日目。前日仕事を1日休んで、この日は夜勤。なんとか用意をしていく気にはなっているみたいだけど、結局いつも家を出る時間には出られない。いつもは駅まで歩いていくけど車で送って行った。夫は、いつも通り仕事ができるのだろうか、、、本当に、本当に、心配、、この後の仕事中のことはわからないけど、後から同僚の人に聞くと「あきらかに様子はおかしかった。食べるのが異様に遅かった」と。。。なんか、変なことをして会社の人に迷惑
毎日を心豊かなありがたい日々にするためにはやりたいことをやり行きたいところへ行き出会いと起こる出来事に日々感謝することですそうすると感謝で溢れる現実が創られていき毎日が心豊かでありがたい日々となりますこれからの時代自立が必須!経済的、社会的に自由になってこそ、真の自立であり、奴隷から抜け出せるシステムなのだ!〜師のブログより抜粋させていただきました〜師ルシーター・クィーンのブログです!宇宙の真実を書いてくださっています!『あなたは真の自由を掴めるか?!シン
寝たままの母の手を握りながら色々と母のことを考えるようになった。母は明るく面白い人で社交的でもあったので仲良くしている人は多かった。だが、かなり常識外れで傲慢さもあったので母を嫌いな人も多かったろうと思う。かくいう私も、子供のころは友達のお母さんたちとは様子が違う母が恥ずかしかった。大人になってからは母がもしただの知り合いだったら絶対に仲良くならないタイプだな・・・と思っていた。性格の合う合わないだけではなく詳しくは書かないが家族として裏切られたりしたこともあり嫌いだと思うこともあっ
こんにちは!いいお天気〜!今日は酵素ジュースつくるための熱湯消毒の準備と、熱帯魚の水換えをしようと思う!熱帯魚、なぜごしに頼むとあんなに汚れるんやろう‥エサやりすぎちゃうんかな。さて。次の日から祖母が入院すると言われて全然実感がわかないわたし。春休み、ようやく一緒にいられていろいろと手助けできるかなと思っていた矢先の出来事でした。3月11日の定期検診で、先生に「あと一ヶ月でしょう」と言われた母(祖母のいないところでの話です)もともと腎臓に粟つぶのような腫瘍がたくさんできていて、出
12/4にMRI検査を受けた母。入院している間に家族のグループLINEにメッセージを入れてくるのだがなんとなく様子がおかしい。内容は帰りたいということと家の事務的な事の連絡なのだがなぜか「ですます」調。あと、意味は何となく通じるが言葉の選び方がおかしい。「退院する時」を「辞める時」と表現したり。母の腫瘍は左脳にできており、左脳は言語を司るのでまず言語に障害が出ると後で言われていた。今思えばこのころから失語症の症状が出ていたのだろう。検査結果が出るまでの数日、母のいない実家で父と色々話
介護ベッドが入った翌日12/17は用事があったため私は帰宅し夜遅く妹が来ることに。その日の母は日中ずっとベッドの上にいて、トイレに行きたくなると起き上がろうとするので父が介助しながらトイレに入る。どんなに具合が悪くても毎日湯舟に入りたがる母のため、父が支えながらなんとか入浴もさせたそうだ。【その日の父からのLINE】5時前に後ろから抱きかかえるように支えてトイレに行った。ベッドに帰った後で白湯をコップ1杯飲んだ。これから風呂に入れる。後ろから抱きかかえるようにしながら足から母の自
水分を摂る事ができなくなって4日目、妹が目をつぶった母におはようと声をかけ指でまぶたを開けてみたそうだ。するとしばらくそのまま目を開けてキョロキョロしており、だんだん焦点が合ってきたらしい。そして妹とバトンタッチをして母の様子を見ていると時々うっすら目を開けるようになった。もうすこしはっきり目を開けたら水分をとらせてみようと思う。翌日朝方に様子を見てみると目をしっかりと開けていて、視線も動く。喉乾いた?と聞くと少し頷いたように見えた。頭を起こし野菜ジュースをコットンにしみこませた
手術の同意書にサインし提出をした翌日、父から「大切な話がある。お母さんはやはり手術は受けない。同意書は撤回できるとあるので撤回を申し出る。」とLINEがくる。はあ!?と思っているところで病院から着信。担当医だった。「お母さんと再度よく話をしたが手術はやはり受けないとのことだった。最後は本人の希望が一番なので無理強いはできない。手術、治療をしないということであれば入院している必要はない。明日、自分は出張でいないが同じチームの別の医師と話しをした後退院してもらって構わない。」というような話だった
夫が食べず、話さなくなってから、10日目。2023年2月22日この話はわたし的には本当に衝撃で悲しく、書くことを躊躇しましたが、脳腫瘍の人の症状として「こういうこともあるよ」とお伝えするべきだと思ったので、包み隠さず書きます。〜〜〜〜〜〜夫はこの日も仕事を休み、リビングで何も話さず食べずゴロゴロとしていたが、夜は早めにベッドへ向かった。22時ごろ、物音がしたので様子を見にベッドのある二階へ。部屋に近づくにつれ、猛烈な匂いがする
12/20、今後お世話になる訪問診療の医師と訪問看護の看護師さんが来られて母の様子を確認し看護契約を行う日。母は朝2口ほどの水を飲んだきり眠っている。時々いびきをかく。10時に訪問診療専門クリニックの医師と看護師が来られた。そこで今後の方針を再確認される。積極的な治療はせず、苦痛があればそれを取り除くためのお薬を処方してもらう。栄養がとれなくなっても点滴などはせずに自然に任せる。医師の訪問診療は月に2回。バイタルチェックをされている最中も母は眠ったままだった。医師からは眠った
要介護度5の実母の病気や入院生活、自宅介護などについてつづっております。2017年の初夏に脳出血を発症。2019年の晩秋に脳梗塞を発症。回復期リハビリテーション病棟にてリハビリ後、昨春退院。現在、自宅介護中。↓脳出血の母日々のキロク↓←救急搬送&急性期病院の話最初から←リハビリ病院の話最初から↓脳梗塞編日々のキロク↓←救急搬送・急性期病院にて最初から←脳梗塞で再びリハビリ病院へ近ごろハマっているもの。お赤飯豆好き
うちの夫の場合、前兆はこれと言って思い当たることがありませんでした。2023年2月13日、あの日は夜勤明けで小雨が降っていたので、夫を車で駅まで迎えにいきました。前日、夜勤へ出勤する時はいたって普通、、、だったような気がします。しいて言えば、電車に乗る前に珍しく財布を忘れたと電話があり、駅へ届けに行ったぐらい。今思えば、それが前兆、、、??夜勤が終わり、迎えの車の中で夫は無口。最近口内炎ができしゃべりずらそうにしていたし、疲れているのかな、と思いましたが、
夫が食べず、話さなくなってから、6日目病気になる前の夫はかなりのキャンプ好きでテントもギアも揃えて、毎月ファミリーキャンプ&ソロキャンを楽しんでいました。〜〜〜〜〜〜〜2023年2月18日(土)この土日の連休は、6歳の息子と二人でキャンプに行く予定にしていた。私と14歳の娘は試験勉強があるのでお留守番の予定。前日に引き続き、さすがに様子がおかしい夫を行かせるのは心配で、ずっとずっと夫に「やめたら」と言っていたけど、「大丈夫」と言って荷物を車に詰め込み、結局出
もう母は年を越せないのではないかと覚悟をした翌朝、ベッド上の様子を見に行くと・・・なんと母ははっきりと目を開けて視線を動かしていた。声をかけるときちんとこちらを見てきてしっかりと目が合う。私が顔を動かすとそれを目で追う。声は出せないが何か言いたそうだった。さらに翌日、何か水分が取れるのではないかと誤嚥しないようベッドを起こしスポイトでお水とトマトジュースを数滴口に入れる。子供の頃風邪をひいたときに母がリンゴをすって食べさせてくれたのを思い出した妹が小さなスプーンですりリンゴの汁を
こんにちは!KIKIですブログ、ひさしぶりすぎますーーー笑今やブログ(テキスト)をどれだけの方が読んでくれるのかわからないけど記録として残しておきたいこと(シェアしたいこと)をタラタラ書いておくツールとしてはやっぱり便利♡母、突然の入院さて2023年に大腸癌で施術をして、2024年2月に全身に転移していることがわかってから日に日に体力がなくなっていきました(泣)4月になり、いよいよ私生活も困難になり我が家で迎え入れようと話していた矢先に転倒してしまい、頭部を打
姉妹のどちらかが実家にいられない日は父にLINEで状況を教えてもらうようにした。「相談室」からバトンタッチされた「高齢者サポートセンター」の職員の方から連絡があり介護保険調査員との面談日が12/15に決まる。まだ介護認定はされていないが介護用品のレンタル等は先に借りられるので何かあれば連絡を。と高齢者サポートセンターの方に教えてもらう。母が料理をできなくなってしまったのでおかずを少し作って2日ぶりに実家へ寄る。母はおととい会った時より会話がスムーズにいかない。何か言おうとするのだが言
母の覚醒度合いがかなり高くなった。日中ははっきりと目を開けているし聞いたことに「うん」「違う」と声に出して答え、少しだが表情が変わるようになった。「私が誰か分かる?」とふざけて聞くと”わかってるわよ”というような顔をしてフフッと笑う。そんな母に少し安心してしまったのか私が風邪をひいてしまったので一旦自宅で休むことに。その間は母の様子をLINEで送ってもらっていたのだが、とにかく良く食べるらしい。食べるのはプリン・ヨーグルト・ゼリーというようなものだが、飲み込みの調子が良ければ蒸しパ
若年性アルツハイマーの実母を自宅介護しながら(実父も痴呆症だが一人暮らし)、現在妊娠中という、元アナウンサーの方のブログなのだが。旦那さん、現状知った上で結婚して、しかも介護もしてる。すげー!の一言に尽きる。新婚生活から介護とか。しかも高齢出産でこれから赤ちゃんまで世話をしなきゃならないなんて。夫婦とも、相当強い絆がないと無理ゲーな話し。どうなんだろうね。実母を自宅介護しながら、別で一人暮らししている痴呆症の父親の様子も見にいって、さらに赤ちゃん…。これ、疑問だけど、
母のわがままで入院日に1日猶予をもらって2023/12/1、K大学病院に入院。当日、病棟へ行く前に入院前検査(血液検査、心電図など)を行うため大きな大学病院内をあっちこっちに動いて検査を受ける。やっと病棟へ行きベッドで荷ほどきをしていると看護師、薬剤師、医師と次々にやってきて母に声をかける。おそらくカルテ上の母は高齢の重症患者なのだろう。どの人も母の耳元に大きな声で「どこか具合悪いところはないですかー?」と聞いていく。年寄り扱いされるのを嫌う母なのでムッとしている。皆が出ていくと「あん
ご無沙汰しております。執事です。DOUBLEも執事も元気にしています😊今日は、ご存知の方がいたら教えていただきたい事があります。今、父上が利用している看護小規模多機能施設では本人が望むようなリハビリがありませんと言ってもですねこちらの地域の施設では父上が望むようなリハビリをしてくれる施設なんてありません父上〜どんなリハビリご希望ですか〜🤣要介護認定4今現状の父上の身体の状態・状況年齢などを考えても父上が望むようなリハビリを受けられる施設はどこにも無いと思いますこ
両親はずっと和室に布団を敷いて寝ていた。毎日の布団の上げ下ろしはもちろん起き上がるのも大変になってくるのでベッドにした方が良いんじゃない?なんて話はしていたが、そのままになっていた。介護保険調査員が来た翌朝、母が起き上がろうとすると右側に力が入らないようで布団から起きられないので父が支えながら起こしてあげたと連絡が。起こしてあげれば椅子に座ることもでき、壁などを支えにしながらトイレにもお風呂にも行くことは出来るとのこと。妹がサポートセンターの方に相談をしてくれ今日のうちに介護ベッドを入