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石原裕次郎、小林旭、高橋英樹、渡哲也、宍戸錠、葉山良二、二谷英明、浅丘ルリ子、芦川いずみ、吉永小百合、松原智恵子、笹森礼子、和泉雅子、浜田光夫、山内賢、川地民夫・・・・名前を上げたらまだまだ言い足りない日活映画のスターたちです。日活の俳優さんたちは、余り上下関係がなく、特に10代20代の俳優さんたちが多くいて、50年ほど前までは、若い俳優さんたちは一様に「日活学校の仲間のような関係だった」と言う様な事を聞きます。そうした我々とも歳の近い俳優さんたちがいる日活には、何か憧れ
1983年夏号として出されたアオシマプラモデルファンは絶好調の西部警察特集でした。ちょうどRS軍団が発表され、柴俊夫さん、石原良純さんが加入し、西部警察最終形態で全国縦断ロケによるアクションが加速する時期です。内容を見ていきたいと思います。P1.西部警察TV情報各ロケ地予定マップ鹿児島4/27-4/28博多5/13-5/17山形7月仙台8月-9月岡山10月高松10月10月以降のロケ地現在企画中→福島ロケを終えた辺りのものですね。初めてマシン軍団が活躍する全国縦断ロ
ファミリー劇場で放送している『太陽にほえろ!』HDリマスター版は番組終了まで残り僅かだというのに、西山浩司演じる太宰隼ことDJ刑事、そして渡哲也演じる橘兵庫が係長代理で新加入してきた。ファミリー劇場公式『太陽にほえろ!』HDリマスター版番組紹介http://www.fami-geki.com/detail/index.php?fami_id=00116いまとなっては渡哲也が『太陽にほえろ!』最末期に出演していたことなど、ほとんどトリビアだろう。これはボス=係長を演じる石原裕次郎
桑田佳祐と原由子が幼少期を過ごしていた頃、石原慎太郎が『太陽の季節』を書き、「太陽族」が社会現象を巻き起こすと、その「太陽族」の象徴として、慎太郎の弟・石原裕次郎が登場し、一躍、大スターになった。そして、それは「湘南」に人々の目が向けられるキッカケともなった。また、プロ野球界には、長嶋茂雄という、新たなスターも登場した。桑田佳祐と原由子は、歌が大好きな子供だったが、桑田佳祐と原由子が、より一層、音楽に目覚めて行った頃、日本の芸能界・歌謡界も、次々に新たなスターが誕生し、華やか
【Amazon.co.jp限定】舟木一夫80歳誕生日記念2024舟木一夫コンサートカウントダウン80’(DVD)(L判ビジュアルシート付)Amazon(アマゾン)「今晩は裕次郎です」出演1963年9月デビュー当時の舟木さんは、新たに始まった石原裕次郎さんのテレビ番組「今晩は裕次郎です」で初めて裕次郎さんと出会います。その後、日活映画「学園広場」「仲間たち」と日活撮影所には出入りするようになりましたから、撮影所で顔を会わせる事もあったでしょう。
ピーター・ポール&マリー/500マイルも離れて500Miles-Lyrics-500マイル-日本語訳詞-今から60年以上も前に世界中でヒットをした曲『500マイル』日本人歌手によるカバーは1960年代は英語詞が主流でしたが、後になって複数の訳詞が発表されました✨特に忌野清志郎さんの訳詞はその後カバーの場合の標準となりました✨私は松たか子さんの歌が一番好き‼️💖✨500マイル松たか子(日本語訳詞忌野清志郎)✨癒されま
猛暑の関西から快適な北海道に来て人間らしさを取り戻した愛子でございますなんやかんやと旅行をキャンセルしたり延期したりが続いてましたがこの三連休は北海道に来ています(仕事が入ったけど無理矢理押し通しました)せっかくなので晴れ女パワー発揮!本州は雨のようですが北海道は晴れてます(ちょっと曇ってるけど)それでは旅行記はじめます9/21(土)●9:15神戸空港→新千歳空港神戸空港の気温29℃前日の大阪は35℃でほんまに暑かったからかなりマシ雲の上を飛んでイスタンブー
「風林火山」風林火山(全編)1969年3月1日公開。山本勘助の生涯を描く、三船プロ制作の時代劇映画。興行収入:7億2000万円。原作:井上靖(『風林火山』)脚本:橋本忍、国弘威雄監督:稲垣浩出演者:三船敏郎、中村錦之助、石原裕次郎、佐久間良子、大空真弓、中村勘九郎、中村賀津雄、田村正和、志村喬、中谷一郎、清水将夫、久保明、土屋嘉男、瑳川哲朗、堺左千夫、中村梅之助、緒形拳、春川ますみ、久我美子、南原宏治、平田昭彦、月形龍之介、中村翫右衛門あ
鶴田浩二が山口組組員たちの襲撃を受けて負傷するのが昭和28年、その2年後に事件の引き金を引いたと言われる鶴田のマネージャー、兼松廉吉が鎌倉の防空壕で自殺します。更に1年後山口組の関係者でひとり警察の取り調べに事件の概要というか端的に組長の関与をゲロした男性が航行中の客船から転落するという謎めいた最期を遂げて...なんて聞くとすわ京阪神殺しの軍団が日本を西に東に暗躍かと俄然色めきますが、事件の後日を丁寧に紐解いていく猪野健治『興行界の顔役』(筑摩書房2004.9)によると少なくとも兼松の自殺は
ここ最近、コロナの「オミクロン株」とやらが、えらい勢いで流行っている(?)ようである。私は、至って元気であるが、ここ最近、ブログの更新が少し滞っていたのは、少し忙しかったためであり、別に体調を崩していたりしたわけではなく、ちょっとブログを書く時間が取れなかっただけなので、まずは、それをご報告させて頂く。さて、ここ最近といえば、私は「サザン史・外伝【連続ブログ小説】クワタとハラ坊」という、シリーズ記事を書いているが、このブログは、基本的には「野球ブログ」であり、「サザン史・外伝【連続
2024年12月6日PET検査へ!当然どんなものであるかは検索済!!笑※このブログにたどり着いたあなたもどんな検査なのかはきっとご存知であろうかと思いますが笑PET検査とは…ブドウ糖に似た薬剤(FDG)を静脈注射し薬剤が体内に分布する様子をPETカメラで撮影薬剤の分布を画像として再現する癌はブドウ糖に集まる性質があるためそれを利用した検査悪性腫瘍は反応が強く(画像の色は赤くなる、集積多い)良性腫瘍では反応しない場合が多い(画像の色は寒色、集積少ない)で、合ってるかな?
今日は4ヶ月?6ヶ月毎の大学病院歯科の受診日でした。あら〜?4ヶ月毎じゃなかったかかしら?いつの間に6ヶ月毎になったんだろう?初診が二つ前の仕事をしている時だったから、50歳代か?それもはっきりしない。家計簿見ると書いてあるんだけど、20冊以上もめくるの大変だしね。ということは私の口腔扁平苔癬歴がなんと長く緩やかなことか。進んでいることは確かですけれどね。初めは歯茎の脇に白いレース状のものができて、行きつけの歯科の先生に大学病院を紹介されて。その先生ももうお仕事引退してしまったしね。
下部温泉マツコの知らない世界で紹介した下部温泉のホテル。☆下部ホテル日本の名湯百選の宿。硫黄泉とアルカリ単純泉の2つの源泉と7つの露天風呂を含む大浴場など12の湯舟が楽しめる。武田信玄公隠し湯は28℃~32℃の冷泉。過熱泉と源泉浴どちらも楽しめる。石原裕次郎さんが骨折の療養したことでも有名。夕食は創作会席・バイキング・山梨名物会席と選べる3タイプ。料理は戸川渓谷の川魚や甲州牛、取れたて野菜・果物など、地元の食材を使用。客室はスタンダードから特別室まで各種タ
11月14日より、名古屋のメ〜テレ(名古屋テレビ)で早朝4時より『太陽にほえろ!』の放送がスタートしました。『太陽にほえろ!』は日本テレビ系で放送されたドラマ。現在のメ〜テレはテレビ朝日系の放送局ですが、『太陽にほえろ!』は既に放送契約が終了しているので、日本テレビ系以外の放送局で放送されても、別段不思議ではありません。(因みに、現在の名古屋での日本テレビ系列は中京テレビ)ところが……『太陽にほえろ!』は初回オンエア時、名古屋テレビで放送されていた時期がありました。名古屋テレビの開局は19
1965年(昭和40年)8月5日に日本グラモフォンから発売された園まりさんの20枚目のシングル「あれがお父さまよ」のジャケット写真です。この年は終戦20年目の節目の年になり、実話を基に水木かおるさん作詞、藤原秀行さん作編曲で制作された社会歌謡で、この作品は当時としては賛否両論のある問題作だったようでNHKでは放送禁止になったようです。それにより園まりさんのソロシンガーとしての紅白歌合戦出場は更に厳しくなったと思われます。8月7日から9日は渡辺プロダクション主催で軽井沢で行われた「真
好きな女優さんでありながら、あまり取り上げた事はない。日活映画ファンんであれば、だれもが知っている女優さんだが、他の女優さんに比べると、取り上げる事との少ない女優さんに思える。1964年に藤竜也さんと結婚され引退されているから、知る人も少ないのは納得もする。石原裕次郎さんとの共演も多かったが、裕ちゃんが出演して、未だに映画ファンんは支持をされる、川島雄三監督の幕末太陽傳にも出演している。元々は松竹歌劇団の出身で、野添ひとみさんや姫ゆり子さんと同期だそうだ。裕ちゃんとの共演の最初は「
「ホリプロ」と言えば、誰もが知る大手の芸能プロダクションです。舟木さんが、堀社長に見い出されて、デビュー当時はホリプロに所属していた事は、ファンの方ならご存知でしょうが、一般の方には余り知られていない事のようです。舟木さん側から書かれたものは沢山記事にもなっていますが、堀社長側から書かれたものは少ないと思います。日本経済新聞には「私の履歴書」と言う連載がありますが、その中でホリプロ創業者の掘威夫が書かれたものです。最後に水の江瀧子さんのお名前が出て来ます。松竹歌劇団の前身
1956(昭和31)年2月26日、桑田佳祐は、映画館に勤める父と、バーを経営する母との間に、第2子(長男)として神奈川県茅ケ崎市に生まれ、1956(昭和31)年12月11日、原由子は、老舗天ぷら屋「天吉」を営む両親の間に、第2子(長女)として神奈川県横浜市に生まれた。2人は、偶然にも同じ年(1956年)に生まれたが、学年でいうと、桑田佳祐の方が原由子よりも、1学年上である。桑田佳祐と原由子は、やがて出会い、結婚する運命にあるが、2人の共通点は、音楽が大好きな子供として育った、とい
日没過ぎたら花火ができるらしい。obakaneko、マツコの知らない世界で紹介された花火をやってみたくて購入。お風呂上がりにフロントで購入して預かってもらいました。輪投げ、射的ができる。子供さん向けですが大人がやっても良いそうです。ただしチェックイン過ぎたらすぐにできるわけじゃなくて、19時45分〜20時45分の間。従業員の皆様による信玄出陣太鼓のパフォーマンスと餅つきがあるそうですが、20時45分から。寝てるな、obakaneko夫婦は。なんせ年寄りなのもので20時過ぎ
昔から年上好きな私です。9歳10歳上とか…30代の頃の好きな俳優は菅原文太や石原裕次郎…あんな大人の男性に抱かれたい…なんて思っていました。でも芸能人の70代近い人と一般人の人とじゃ…ちと違いますwでもやっぱり今、年下やましてやイケメンとなんて絶対、心から楽しむ事なんて出来ないだろうな。もっと早くいっぱい遊べば良かった。主人がいつか抱いてくれる…って叶いもしない夢みながら何年も待ってるうちに53歳になってしまった…まだ、したい気持ちがあるんだから一日でも早くすれ
舟木さんが日活映画スターの一員であるという写真は、雑誌でも紹介されましたが、その時の全体像を映した画像を探し出しました。そして当時の日活撮影所のスタジオに向かうメインストリートです。スタッフルームや控室、衣装部屋、ヘヤーメイク室、事務所などがあり、みんなが集う食堂もあります。正面奥がスタジオで、赤木圭一郎さんがゴーカートで激突した扉が見えます。手前側には、幾つものスタジオが並んでいました。そして日活撮影場の正門があり、入って右側には有名な「日活銀座」のオープンセットがありました。
私が大好きなサザンオールスターズや桑田佳祐の楽曲の歌詞を題材に、私が勝手に「短編小説」を書くという、「サザンの楽曲・勝手に小説化」シリーズは、これまでの所、「25本」を書いて来ている。そして、現在は、前作『NUMBERWONDAGIRL~恋するワンダ~』から始まる「4部作」を連載中である。従って、今回、書かせて頂くのは、『NUMBERWONDAGIRL~恋するワンダ~』の「続編」であり、「4部作」の「その2」である。という事で、まずは、これまで私が当ブログで書いて来
11月初旬山形・宮城旅行に行って来ました。1泊目にお世話になったのはかみのやま温泉にある日本の宿古窯。運転で疲れた旦那さんが仮眠するというので、私は1人で館内の散策に繰り出しました。先日のブログにも書きましたが「古窯」という名前は敷地内から発掘された約1300年前の奈良時代の窯跡に因んでつけられたそう。そして古窯では素焼きのお皿に絵付けする楽焼の体験もでき、館内には至る所に芸能人や著名人の方たちのによる作品が展示してありました。
「待ち伏せ」「待ち伏せ」予告編1970年3月21日公開。勝新太郎、中村錦之助・石原裕次郎、浅丘ルリ子との共演作。江戸末期の騒然とした世の中を背景にした異色ミステリー。勝プロ作品。配給収入:1億2000万円。脚本:藤木弓、小国英雄、高岩肇、宮川一郎監督:稲垣浩キャスト:鎬刀三郎:三船敏郎弥太郎:石原裕次郎おくに:浅丘ルリ子玄哲:勝新太郎伊吹兵馬:中村錦之助名知らぬ武士:市川中車徳兵衛:有島一郎お雪(徳兵衛の孫娘):北川美佳伊太八:土屋嘉男
昨日は森戸海岸まで行った話を書きました。森戸海岸付近といったらこれですよ。葉山コロッケこちらの旭屋牛肉店の葉山コロッケは石原裕次郎さんが贔屓にしたことで有名となり、桑田佳祐さんも差し入れで利用することあるとか、とにかく偉大な方々御用達店なわけですが、安いっ有名になり、観光客も来て、もっと儲けてもいいと思いますが、あくまでも庶民的なお肉屋さん、地元近所に愛されるお店路線は外していないようですお店の外にちょっと休憩スペースがあるので早速頂いちゃいましたちなみに旭屋牛肉店は葉山元町交差点
池袋新文芸坐没後30年五社英雄情念の軌跡より製作:フジテレビジョン勝プロダクション監督:五社英雄脚本:橋本忍撮影:森田富士郎美術:西岡善信音楽:佐藤勝出演:勝新太郎仲代達矢石原裕次郎三島由紀夫倍賞美津子辰巳柳太郎山本圭1969年8月9日公開時は幕末。岡田以蔵(勝新太郎)は、剣術の才覚がありながらも藩内の厳しい身分制に立身出世を望めず、その日暮らしに甘んじていました。その頃、土佐勤皇派の武市半平太(仲代達矢)は、土佐藩失政・吉田東洋(辰巳柳太郎)を
Ⓢ昭和専科●1957(昭和32)年邦楽ヒット曲●1957(昭和32)年邦楽ヒット曲ランキング順位曲名歌手名売上枚数1位喜びも悲しみも幾歳月若山彰2位バナナ・ボート浜村美智子3位俺は待ってるぜ石原裕次郎4位東京だよおっ母さん島倉千代子5位港町十三番地美空ひばり6位船方さんよ三波春夫7位あン時ゃどしゃ降り春日八郎8位錆びたナイフ石原裕次郎9位有楽町で逢いましょうフランク永井10位13,800円フランク永井年代流行
舟木一夫と本間千代子㊦本題に入る前に一言―。私が1974(昭和49)年4月に産経新聞社に入社して横浜総局に配属された翌年の1975年5月19日付の産経新聞朝刊に「連続企業爆破事件の犯人グループ、きょう一斉逮捕」という大スクープが報じられました。私は入社1年目で直接取材に関わったわけではありませんでしたが、舟友世代の皆さんにはお分かりのように当時最も注目された大事件でしたから、警察関係者や知人らから「産経さんは凄いね!!」と何日かにわたって声をかけられたものです。事件現場とな
先日(1/24)、横浜市鶴見区にある總持寺に行きました。立派なお寺でした。總持寺にはアントニオ猪木さんと石原裕次郎さんのお墓があり、参拝してきました!アントニオ猪木さんのお墓石原裕次郎さんのお墓の案内板(=^x^=)
今回は、2010年5月1日に撮影した北海道の旅の続きの小樽編です。小樽市内の花園橋付近を行く小樽行の721系の快速エアポートです。函館本線の左下の軌道跡が手宮線の廃線部分です。1983年に花園橋から撮影した手宮線のDD16(小樽築港機関区所属)です。(1983年)旧国鉄の手宮線は北海道で最初の鉄道である官営幌内鉄道(手宮~札幌~幌内)の一部として1880年(明治13年)11月28日に開通した路線でした。1962年(昭和37年)5月14日に旅客営業を廃止し、貨物輸送が続けられていまし