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2017.4.15BS朝日ザ・インタビュー流行歌万才流行歌と言う言葉を聞く事は少なくなりました。と言うより、ほとんど耳にする事が無くなった言葉です。同じように歌謡曲と言う言葉もあります。戦後生まれの私には、どちらも聞きなれた言葉であり、どちらの言葉も意味が通じる訳ですが、あえてこの時代に流行歌と言う言葉を使われた舟木さんの思いは、とても判るような気持ちでいます。演歌と言う言葉は、その歌謡曲や流行歌の中の一部のジャンル
当ブログをお読み頂いている方であれば、よくご存知の通り、私は、野球と芸能の歴史が大好きである。野球と芸能の歴史を調べたり、様々な切り口で描いて行く事を、非常に楽しく思っている。今回、私は日本の流行歌と野球の歴史を描いて行こうと思い立ったが、どうせなら、日本の流行歌と野球の歴史を、その起源から紐解いて行こうという事に決めたわけである。というわけで、私が思う「流行歌」の歴史の起源、幕末の「ええじゃないか」の馬鹿騒ぎから、描いて行く事としたい。<1867(慶應3)年8月~12月
さっそくですがコンサートのお知らせです。タイトルは【日本のうたコンサート】地道にやってきて、なんとか今回でVol.5です。でも実はこれ以外にも番外編的な公演もしてるので回数はもうちょっとやってます。公演の基本的な内容は、大正から昭和30年代までの流行歌を中心に、童謡・唱歌、日本歌曲等を織り込みつつお送りしております🎵いい歌はいつまでも日本の記憶から消えないでほしい🙏だから色々な人達に聞いてもらいたいです。赤ちゃんからおじいちゃんおばあちゃんまで全ての世代に。なので【日本のうたコ
小畑実さんの「高原の駅よさようなら」に再挑戦今のところはキー探りの時期でもある今度の音程正確率は70%にほんの少しアップしたな遅々として進まないが「コンクラーベ」ならぬ我慢比べ肝心の私の歌声アレコレの文言に響きが感じられるがそれは気のせいかなあ写真は本文とは無関係です今日も皆さんとご一緒に幸せな時間を過ごせますように
☆ニットーレコード時代上京してバンド仲間だったピアニスト菊地博にエマニエルメッテル直伝の和声学を教えたことに端を発した服部塾はやがて30人超えの大所帯となってしまった。服部がよく勉強し又良く遊んだ時代でもあった。ニットーレコードでは音楽監督という地位に着き、月々の給料に加えて作曲料、編曲料が加算されかなりな高収入を得ていた。服部はカネに明かして放蕩三昧、待合にでも行かなければとても使い切れない。そんな遊びから浅草美ち奴といううぐいす芸者のデビュー曲に漕ぎ着
パソコン内にある様々な音楽データは、かつての演歌教室で習ったものこれらの歌で、当時、ミリオン・ヒットしたのは皆無思えば二線級の歌ばかりなのでもう歌うことはなくハードディスクの肥やしになっていて消去してスッキリした森進一さんのCDは残してあるので、その気になれば聴ける状態今は石原裕次郎さん、小畑実さん、鶴田浩二さんなどのトップクラスの歌は、これからネットで購入するので増えるだろうな写真は本文とは無関係です今日も皆さんとご一緒に幸せな時間を過ごせ
バブル景気は1986年12月から1991年2月までの51ヶ月間に起ったものとされているようだ。それについての評価はさておき、この期間にヒットした日本のポップスの中から、当時の空気感を象徴していると思える40曲をセレクトし、カウントダウンしくというやつを2回に分けてやっていきたい。例によって個人的な生活環境や趣味嗜好が反映しているため、ディフィニティヴなものではまったくありえない。40.ANNIVERSARY/松任谷由実とても真面目な曲。1989年にローソン調布柴崎店でアルバイトをし
2019/2/12歌に生きる10日の宇治市民混声合唱団第35回定期演奏会のアンコール曲は「Greetings」(清水雅彦作詞、千原英喜作曲)であった。Greetingは“感謝の意味を込めた”或は“歓迎の意味を込めた”“挨拶”なので、まさにアンコールに最適な曲。その歌詞の前半は歌に生まれ歌に育まれている歌を愛し歌に慰められている歌を歌い歌に憧れている歌の世界今日も歌っているこの歌詞の1行目を自分に置き換えてみると、私が生まれたのは太平洋戦争直前の19