ブログ記事13,482件
陸軍中野学校に興味があって、意を決して読みました。『陸軍中野学校全史』全627ページの大作・・・大変だった。ヒ〜筆者の斎藤充功さんはノンフィクション作家で、週刊誌で陸軍登戸研究所の取材をしたことで、中野学校のことに興味を抱いたようです。登戸と中野は連携が深いからね。陸軍中野学校は昭和13年に開かれた諜報活動をする工作員養成のための学校です。終戦までのたった7年しか開校していませんでしたが、総数2131名の諜報員を養成し、卒業生は軍服ではなく長髪・背広といういで立ちで一般人に紛
【出雲市立今市小学校区内の戦時中の状況】〔南北二つの校舎があった今市小学校の太平洋戦争時の様子〕今市小学校は、昭和8(1933)年に現在の小学校の位置に新たに北校舎が竣工し、南北校舎時代が20年間続く歴史があります。それは児童数の増加に伴うもので、昭和8年の全校児童数は1437名、終戦を迎えた昭和20(1945)年には1864名にまで増加しています。昭和28年に南校舎が北校舎に移転増築された時にも1891名と、児童数はさらに増加を続けている最中でした。太平洋戦争中の出来事として
監督:山田敏久2025年主な登場人物(俳優)役柄【「雪風」乗組員】寺澤一利(竹野内豊)「雪風」の艦長。早瀬幸平(玉木宏)下士官・兵を束ねる先任伍長。井上壮太(奥平大兼)水雷員。ミッドウェー海戦で「雪風」に救出され、その後「雪風」の乗組員となる。有馬岩男(藤本隆宏)砲術長。中川義人(三浦誠己)航海長。佐々木伊織(山内圭哉)水雷長。藤井道郎(川口貴弘)機関長。読書が趣味。佐藤捨造(中林大樹)主計長。【海軍】伊藤整一(中井貴一)海軍第二艦隊司令長官。古庄俊之(石丸幹二)軍令
梶本恵三さんの遣唐使にまつわるご講演昨日(2026.2.7)は、NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」の恒例行事、「私の推し」のプレゼン大会(第1部)と、新春交歓会(第2部)を「ノボテル奈良」(奈良市大宮町7-1-45)で開催した。第1部には58人、第2部には36人が参加した。『奈良の太平洋戦争』(京阪奈新書税込み1,100円)の即売会第1部は2本立てで、いずれもソムリエの会会員の「研究発表」である。1本目は、梶本恵三さんの「遣唐使の全航海から活躍と苦難の実態に迫る!」、
「ドントテルミー荒井さんって気持ち悪い」——そんな声がネットに溢れていますが、実はその独特の個性の裏に80万人超が夢中になる圧倒的な魅力が隠れているんです。気持ち悪いと言われる理由って、喋り方?表情?それとも思想への批判?調べれば調べるほど「あれ、思ったより面白い人かも」と感じる人が続出している不思議なYouTuberです。この記事では「気持ち悪い」と言われる理由を一つひとつ掘り下げながら、東大中退の経緯・活動休止の本当の理由・結婚エピソードまで、ドントテルミー荒井さんのすべてを解説
フェイスブックのグループで現在「石狩市民図書館」にて田上義也氏設計の「石狩海浜ホテル」の一部展示が行われていると聞いて行ってきた。「石狩海浜ホテル」”かつて北海道石狩市(現在)で開業を予定されていたホテル。田上義也が設計した建物は、アール・デコ様式を取り入れた白い客船のようであり、直線的なフォルムが際立つものであったしかし実際に宿泊客を迎えることがないままに焼失したため、現存しない。”※wikipediaより>しかし実際に宿泊客を迎えることがないままに焼
8月9日から17日までお盆休みなんですが…11日にお墓参りに行って12日に旦那とご飯を食べに行ってから体調が優れず…どこにも行けてません寝てばっかり…普段睡眠時間は短い方なんですが具合が悪いと寝れるもんです【閲覧注意!】⛔⛔⛔昨日たまたま見たワイドショーにこの作者が出演してました。読んでないんですけどねワイドショーの中身は大まかにこんな感じでした。①日本人は第二次世界大戦は真珠湾攻撃から始まったと思っている②日本は戦争に纏わる近現代史が教科書
この時期には終戦とか大戦時のことを考えさせられます。久しぶりにジブリのアニメ「風立ちぬ」を観ました。三菱航空機設計技術者だった堀越次郎を主人公にしたフィクション映画。堀越の同僚本庄との会話で本庄が設計している海軍爆撃機(97式陸攻)の話しがあります。海軍はやっと本格的に爆撃が出来る機体完成に熱望してるとのこと。本庄の話だと爆弾を剥き出しに吊るして、三千キロの長い距離を飛ぶ内容だが主翼にいっぱい燃料を入れて防弾、防爆、消火機材が無い設計なので銃撃を受けたら火だるまだと話しています。映像には
真珠湾攻撃やミッドウェー海戦、インパール作戦など太平洋戦争での有名な戦役を、戦略、作戦、戦術という視点から検討し、その当否を論ずる。太平洋戦争の開戦80周年だった2021年から雑誌「歴史街道」に寄稿した論考を加筆・修正、書き下ろしも加えて新書としてまとめたという。本書では太平洋戦争での日本の戦略を中国とイギリスに打撃を与え、アメリカが戦争継続を諦めるようにすると定義。そのために南方資源地帯を攻略し、同地域とその域内の交通を確保、強固な防御態勢を固める作戦が求められ、開戦初頭の真珠湾攻撃
ニーハオ!台北人です。第二世界大戦の時には,台湾人も日本人にならされ,一緒に戦いました。今回は宜蘭県員山郷に残る[員山機堡](神風特攻機堡)についてお知らせします。1.歴史的背景:太平洋戦争下における宜蘭の戦略的地位1895年から1945年まで台湾を統治した日本軍にとって、第二次世界大戦末期(1943年以降)、台湾は「絶対国防圏」の重要な拠点となりました。特に宜蘭平野は、沖縄や日本本土へ向かう連合軍を迎え撃つための航空基地として極めて重要な役割を担いました。宜蘭の3つの飛行場:当時
こちらもいずれ動画にしようと思っている秘境です。どうしても行きたかったので、お盆の東北周遊の旅の最初に訪れました。震洋(しんよう)とは、旧日本海軍が太平洋戦争末期に開発した水上特攻艇です。その基地跡が宮城県東松島市・宮戸島にあります。私が気になっていたのは基地跡よりも集落と基地を繋ぐこの素掘り隧道です。電気等は無いのでこのように真っ暗闇です。これは少し歩いて振り返った所。明かりをつけるとこんな感じ。低そうに見えますが、頭が当たるほど低くは無かったです。ちょうど左
太平洋戦争後、連合国軍の軍事占領中にアメリカやソ連等の連合国将兵による日本人強姦が発生。1945年2月に米軍は硫黄島に上陸し、4月1日に沖縄に上陸。8月の日本降伏後に連合軍は日本本土に上陸。若い男性が戦争に動員されており、女性・子供・高齢者が残留していた。島に日本軍が存在しない事がわかるとアメリカ海兵隊は上陸直後から全村を接収し、村や近くの防空壕に隠れていた女性らを次々に引きずり出し、強姦した。米軍による沖縄統治最初の5年間米兵の強姦や強姦殺人は76件報告されているが、公式に報告されずに事件
GoogleMapで調べものをしていた時に見つけた近所にあった戦跡に今日やっとお参りに行く事が出来ました。場所は小田原市沼代で田島峠近くになります。大日本帝国第22陸軍航空隊の上原重雄中佐(当時少佐)が昭和20年2月17日に、600機もの米軍機に疾風1機で攻撃を仕掛けこの地にて撃墜され戦死した後に、その時搭乗していた疾風のプロペラ1枚を慰霊碑とした墓標がここにあります。行ってみるとこじんまりとした戦跡でした。まず敬礼してから慰霊碑のプロペラに頭を下げ、お国の為に戦って下さった事
修武55日本陸軍航空士官学校55期文集(12)昭和17(1942)年3月に日本陸軍航空士官学校を卒業した第55期生徒の文集です。太平洋戦争の真っ只中、「お国のため」に「士官を育成」の大号令のもと意気盛んな20歳前後の若者の心意気が伝わってきます。第5中隊松尾隊松尾政雄少佐43命だに惜しからなくに惜しむべきものあらめやは君が為には
夏休みにあわせて、防衛省では自衛隊の活動などを知ってもらおうと子供たちを対象とした見学会が開かれました。中央省庁では、夏休みにあわせて子供たちに仕事の内容を紹介する「こども霞が関見学デー」が行われていて、東京市ヶ谷の防衛省では6日と7日の2日間、開催されました。6日の午後は小・中学生10人が訪れ、災害現場などで偵察用に使われるオートバイや儀じょう訓練の様子、それに太平洋戦争中に作られ、今も敷地内に残る地下ごうなどを見学しました。記事以下↓https://www3
神戸の快活CLUBにはペリリュー楽園のゲルニカの原作本は11巻揃ってないので西宮の快活CLUBに行ってみました。片道交通費320円ですな。原作の11巻と外伝の4巻2時間半で全て読みました。映画って原作に比べるとほとんどビギナー向けですな。全て描いてしまうとPG12には収まらないですね。生き残った人の戦後も書かれていて思わず泣いてしまいました。戦没者遺骨収集のためパラオに何度も訪れるんですよ。それはとても言葉には言い表せないものなのです。本編の第11巻は絶対に読
村正映画鑑賞す!8月19日(火)に映画鑑賞して来ました。『雪風YUKIKAZE』オフィシャルサイト|ソニー・ピクチャーズ映画『雪風YUKIKAZE』主演:竹野内豊で製作決定!2025年8月全国公開!!www.yukikaze-movie.jp8月15日から公開された「雪風YUKIKAZE」と言う映画です。(現存写真を元に、AIにイラストを描いてもらいました。)太平洋戦争を題材にした作品で、開戦から終戦まで最前線で活動を続けて、沈まず生き抜いた駆逐艦「雪風」とその乗組
和歌山県屈指の観光地、白浜が目と鼻の先にある漁港の一角に特攻兵器、震洋(しんよう)の基地がありました。手掘りの格納庫には、原寸大の震洋の模型が置かれています。全長5mほど、船体はベニヤ製で250㎏の爆薬を装備していました。田辺湾に侵攻してくる敵艦に対して自爆攻撃を仕掛ける目的で、太平洋戦争終戦間際にこの鳥の巣基地が設置されましたが、ここでの作戦は実行される事無く終戦を迎えました。公園内には小さな資料館もあります。震洋は昭和19年から終戦まで約6200隻が製
『日本に“食人”の風習ってあったの?』こんにちは、裏世界担当・丸こめゴンザレスです。今日のテーマは……ちょっとディープ。「え?日本にも“食人”ってあったの?」はい。これはフィクションでも都市伝説でもなく、一部歴史資料に“そうした痕跡”が記録として残っています。🧾そもそも“食人”とは?文化人類学的には「カニバリズム(人肉嗜食)」と呼ばれ、宗教的・儀礼的・戦利品として・飢餓時の生存手段など、世界中で様々な理由で行われてきました。🗾日本での事例は?①飢饉の時代:江戸〜明治以前の
太平洋戦争の最前線で主力艦隊が次々と沈んでいく中、どんな過酷な戦況下でも多くの海兵を救出して帰還する幸運艦と呼ばれた旧大日本帝国海軍の駆逐艦を題材にした史実に基づくエピソードを映画化した『雪風YUKIKAZE』が終戦から80年となる8月15日より公開。圧倒的な攻撃力と大きさを誇り、知名度も高い「大和」のような主力級の戦艦ではないものの、前線の要として多くの海兵を救い、苦戦続きで特別攻撃と称した決死の愚策で無意味に兵士たち命を消費する大日本帝国軍の迷走の中でも、必ず戻ってくる”幸運艦“として
ネット上では映画「雪風YUKIKAZE」の評価が賛否両論に分かれているようですね~。みなさんの感想を読んでいると、戦史に詳しい人ほど厳しい評価、あまり詳しくないor知らない方たちからは高評価となっているようです。ということは、ドラマ性、メッセージ性としては良い作品だけど、史実を描いた映画としてはマイナス点が多い・・・ということになるんでしょうか。確かに実際の戦争を描いた映画としてはフィクション多めでしたよね。※以下ネタバレおおいに有り