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【※この記事は、2025年8月4日公開記事の一部を再編集したものです。】こんにちは。アレテーを求めて~今日もトコトコ(・ω・)弁護士の岡本卓大です。【コウペンちゃんⒸるるてあ】最初に記事紹介。歴史から学べない日本人たちへ(・ω・)~歴史的観点・現状分析からの日本の安全保障のあり方『歴史から学べない日本人たちへ(・ω・)~歴史的観点・現状分析からの日本の安全保障のあり方』【※この記事は、2025年7月29日公開の『なぜか歌ってしまう歌(・ω・)』を再編集し
この記事の目的は、1985年に発行された『瑞昌の桜花』という書籍に掲載されている「歩兵第二十二聯隊将校同相当官准士官下士官職員表」の内容を補足し、経歴等を追記することです。名前の前に◯を付している方は戦没者です。HTMLの制限のため、記事を分けました。資料や情報について、お問い合わせがあれば、以下までお問い合わせください。連隊本部・第一大隊第二大隊機関銃隊・歩兵砲隊第3大隊本部軍曹◯玉尾茂熊本陸軍教導学校卒(1933)陸軍戸山学校(1935.12)
監督:山田敏久2025年主な登場人物(俳優)役柄【「雪風」乗組員】寺澤一利(竹野内豊)「雪風」の艦長。早瀬幸平(玉木宏)下士官・兵を束ねる先任伍長。井上壮太(奥平大兼)水雷員。ミッドウェー海戦で「雪風」に救出され、その後「雪風」の乗組員となる。有馬岩男(藤本隆宏)砲術長。中川義人(三浦誠己)航海長。佐々木伊織(山内圭哉)水雷長。藤井道郎(川口貴弘)機関長。読書が趣味。佐藤捨造(中林大樹)主計長。【海軍】伊藤整一(中井貴一)海軍第二艦隊司令長官。古庄俊之(石丸幹二)軍令
この写真、特攻にご興味をお持ちの方なら一度はご覧になったことがあるのではないかと思いますPhoto:Wikipedia昭和20年5月26日昼下がり鹿児島・陸軍万世飛行場第72振武隊5人の少年飛行兵朝日新聞社の記者が捉えたこの写真は「子犬を抱いた少年飛行兵」として有名ですね子犬を抱いた荒木幸雄伍長はこの時17歳2ヶ月(本記事では出撃前の階級で記します)少年飛行兵たちの笑顔に関しては、過去記事で一度触れましたが『その笑顔は【洗脳】だったのか
陸軍中野学校に興味があって、意を決して読みました。『陸軍中野学校全史』全627ページの大作・・・大変だった。ヒ〜筆者の斎藤充功さんはノンフィクション作家で、週刊誌で陸軍登戸研究所の取材をしたことで、中野学校のことに興味を抱いたようです。登戸と中野は連携が深いからね。陸軍中野学校は昭和13年に開かれた諜報活動をする工作員養成のための学校です。終戦までのたった7年しか開校していませんでしたが、総数2131名の諜報員を養成し、卒業生は軍服ではなく長髪・背広といういで立ちで一般人に紛
掩体壕(えんたいごう)こんにちは、よっこん日記のよっこんです。今回は、松山市内の太平戦争の歴史を今に伝える遺物を見に行ってきたので、紹介します。太平洋戦争(第二次世界大戦の局面)の戦時中、愛媛県松山市北吉田町一帯に、松山海軍航空隊の飛行場がありました。その歴史を今に伝える、石碑が2つあります。「松山海軍航空隊跡」の石碑(1つ目)愛媛県松山市北吉田町(伊予鉄バス金比羅前バス停近く)ちょうど2つの石碑の間に、北吉田公園があります。
この本は本屋さんで見かけて少し前から気にはなっていたのです。戦前から戦後までの昭和を描いた時代小説ですと。しかし分厚い。しかも三部作。まだ最後の巻までは出ていないし、これは読み終えるまで長くかかりそうだ・・・と引けていたところ、思い切って読み始めました。けっこう書評とかで評判なんですよね評判の通り、面白い!スルスルと進みます。続きが気になって読んじゃう。これはおすすめ本です。今、第一部を読み終わったところで、ひとまず感想を書きます。まずは物語の設定なんですが
↓前記事『歩兵第二十二聯隊の将校たち(陸軍士官学校出身者編)』この記事では、松山歩兵第二十二連隊に勤務した将校(陸士出身者)の人々をリストアップしたいと思います。元々は全ての将校を一つの記事にまとめていましたが、HTM…ameblo.jpこの記事の目的は、1985年に発行された『瑞昌の桜花』という書籍に掲載されている「歩兵第二十二聯隊将校同相当官准士官下士官職員表」の内容を補足し、経歴等を追記することです。HTMLの制限のため、記事を分けました。名前の前に◯を付している方は戦没
『日本に“食人”の風習ってあったの?』こんにちは、裏世界担当・丸こめゴンザレスです。今日のテーマは……ちょっとディープ。「え?日本にも“食人”ってあったの?」はい。これはフィクションでも都市伝説でもなく、一部歴史資料に“そうした痕跡”が記録として残っています。🧾そもそも“食人”とは?文化人類学的には「カニバリズム(人肉嗜食)」と呼ばれ、宗教的・儀礼的・戦利品として・飢餓時の生存手段など、世界中で様々な理由で行われてきました。🗾日本での事例は?①飢饉の時代:江戸〜明治以前の
ある日、新都心のヨドバシカメラで見た完成品。そして、そこに添えられたメッセージ。「ハセガワ1/72戦闘機シリーズ。コスパに優れたモノが多くオススメです。」そこから色々進んで、このキットに。恐らく初めて完成させた太平洋戦争時の戦闘機。「恐らく」と言うのは、うっすらとした記憶で一機作ったのがあるのです。ただそれは完成させた記憶が無いんです。まあ、それは後々触れて行きます。飛行機プラモ。やれ「ツヤ」だ「研ぎ出し」だと考えなくて良いので楽しめました。またやる予定です。
こんにちは。だいぶ久しぶりの投稿になってしまいました。先週、父が亡くなりまして、葬儀やら何やらでバタバタしておりました。しばらく前から闘病していましたので、心の準備はできていたのですが・・・なんだか自由な時間になるとボーッとするというか、ぽっかりと穴が空いたようです。犬は逝くし、父は逝くし、今年は何かしら自分の節目なんだなあと。年内はのんびりしながら色々と片付けていこうかなと思っています。さてこの映画、随分前から公開を楽しみにしていたので、行ってきました。お客さんガラガラだ
戦後80年、先日8/15公開の雪風を観てきたので感想を少し。あらすじは特にない。「駆逐艦雪風」は太平洋戦争時に何度も戦闘の最前線に投入されたにも関わらず、毎度大きな損傷なく帰還し、ほとんど唯一太平洋戦争を生き抜いた、「幸運艦」と呼ばれた戦艦である。その乗組員や艦長の生き様を描いた映画。結論を言うと、3.6/5.0点と言ったところ。主演の竹野内豊さん演じる寺沢艦長や雪風幹部の乗組員たちは本当に良かった。「普通がいいな」。このセリフには、ハンカチを持っていかなかったことを後悔するくらい
わだつみのこえ記念館「わだつみのこえ記念館」に行ってきました。実はうちから歩いて行ける距離にあるのですが、今まで訪ねたことがなかったのです。戦没学生の遺書や遺品を収集した館で、戦没学生の日記や遺書や手紙を収めた本『きけわだつみこえ』にちなんでいます。「わだつみ」は海神を意味する日本の古語。この本を作る時に、書名を公募して、応募作の一つにあった短歌「きけはてしなきわだつみのこえ」から取ったそうです。「わだつみのこえ記念館」は東京大学の本郷キャンパスの向いのマンションの一階にあります。
太平洋戦争が始まってすぐの頃、坂井はオランダ軍の輸送機が飛行しているのを偶然発見したことがあった。輸送機といえど、敵の重要人物が搭乗しているかもしれず、拿捕、もしくは撃墜せよという命令が出ていた。坂井はオランダ軍の輸送機に近づいていった。「護衛はいないようだな・・・」坂井は周囲に目をくばりながらつぶやいた。撃墜すべきか警告射撃をすべきか、思案しながら近寄ることにする。用心のため太陽の方角から接近した。近寄ると、機体は陽光にギラギラ輝いている。窓があって多くの顔が自分に向けられているようだ
『羅生門』『生きる』『七人の侍』『生きものの記録』『蜘蛛の巣城』『隠し砦の三悪人』『悪い奴ほどよく眠る』『どですかでん』の黒澤作品のほか『真昼の暗黒』『張り込み』『ゼロの焦点』『仇討ち』『上意討ち・拝領妻始末』『切腹』『日本のいちばん長い日』『風林火山』『砂の器』などなど戦後最大の脚本家・橋本忍さんの脚本家への第一歩から黒澤明監督との仕事・交流を橋本さんご自身が書かれたご本です。ざっくりとご紹介しますね。昭和14年
『戦史の裏側を歩いた一人の足跡』ブロ友さんの記事、コメントのやり取りより、太平洋戦争当時の祖父のことを思い出した。父方の祖父は私が中学の時に亡くなったのだが、従兄弟の中でも初めての長男の…ameblo.jp続きというかおまけChatGPTでの軍歴の調べ方以下の情報をChatGPTに入れ、聞いてください。「祖父が太平洋戦争でどこに従軍した可能性があるか?・生年・出身地・住所(現在の兵庫県神戸市xx区のような、わかっている限り正確なもの)・手がかり(祖
自然豊かな隠岐諸島も巻き込まれた「戦争」の姿~その①今秋発行予定の平和学習島根ふるさと読本「私たちのふるさとに戦争があった頃」では、隠岐に関する情報を十分に入れることができませんでした。ぜひ、隠岐の各小学校では、地元に残されている証言や資料をもとに、ふるさと教材化を進めていただきたいと思います。ちなみに『海士町史』と『西郷町誌』には、次のような戦時下の情報が掲載されています。主たる戦場は太平洋でしたが、北方の動きを監視する要所として、また迫りくる本土決戦に向けた準備が進められていた様
パナソニック汐留美術館で開催中の「美しいユートピア理想の地を夢みた近代日本の群像」展でこれは、と思う作品、松本竣介(1943)《運河風景》石橋財団アーティゾン美術館蔵の主観レビューをお届けします。本作は東京の風景を描いた、一見すると無機質な都市風景です。画面には、重厚な石橋、煙突や小舟が描かれており、人物は描かれていませんが、人の営みの痕跡は濃厚です。色彩は、茶・灰を基調としており、抑制的です。これは、戦時下の閉塞感や不安を直接的な描写ではなく、空気感として伝える役割を果たしてい
<迷彩色の偽装兵舎や洞窟砲台>今夜の「世界の何だコレ!?ミステリーSP」では拙著や当ブログでも紹介した、戦艦大和の生き残りの何割かが送られた海軍由良崎防備衛所跡(愛媛県愛南町由良岬)が取り上げられる。4門の洞窟式砲台跡、迷彩色が残り、屋根に土を盛って偽造した兵舎、二層の聴音所、電源室、自然の地形を利用した貯水槽、横穴式食糧庫、見張所等が断崖に残る、四国最大の防備衛所跡は四国有数の戦争遺跡でもある。由良崎のような規模が大きい防備衛所は陸軍の要塞(陸軍用語)に匹敵する。陸地からは徒歩で2
【北海道室蘭市艦砲射撃の惨劇ダミー煙突作戦】太平洋戦争の終わりが近づいた昭和20年7月15日、北海道室蘭市はアメリカ軍による艦砲射撃と空爆を受けました。当時、戦艦などの主砲や副砲といった兵器を製造していた室蘭の日本製鋼所では、攻撃を受ける前に「ダミーの煙突」を建てて、アメリカ軍の攻撃に備えていた事を最近になって知り、とても興味深く感じました。(戦艦ミズーリ)●20km先からの精密射撃20km以上も離れた海上の軍艦から、山あり谷ありの室蘭市内を正確に砲撃するのは、非
いつもエコノミライ研究所のブログをご覧下さり、ありがとうございます。ウィキペディアはじめ、様々な文献や記録に残っている、近代国家として歩み始めた「日の本(ひのもと)」が、地球上の人類社会でトップグループを維持するために必要とされた「投資」物件である、戦艦をはじめとする、海上艦艇の歴史を紐解くシリーズを始めさせて戴いています。1945年8月14日をもって無力化されたとはいえ、21世紀に入っても、「イージスアショア」計画が頓挫(とんざ)し、再び、イージス艦計画の延長線上に組み込まれ
これは彼が昭和19年3月27日熊谷陸軍飛行学校を巣立つときの寄せ書き寄せ書きの右側に、このブログ内の物語「快翔萬里〜空の果て遥か」のタイトルにもなった彼の言葉が見えますそして中央「一機當千中隊長藤井中尉」操縦士としての彼を育てた藤井教官の名が記されています満州・白城子で彼の出陣を見送った彼の同期、髙橋良雄さん(復員されましたがすでに他界されています)その髙橋さんのご遺族からお預かりした遺品の中に偶然にも、この藤井中隊長(中尉)にまつわる新聞記事
梶本恵三さんの遣唐使にまつわるご講演昨日(2026.2.7)は、NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」の恒例行事、「私の推し」のプレゼン大会(第1部)と、新春交歓会(第2部)を「ノボテル奈良」(奈良市大宮町7-1-45)で開催した。第1部には58人、第2部には36人が参加した。『奈良の太平洋戦争』(京阪奈新書税込み1,100円)の即売会第1部は2本立てで、いずれもソムリエの会会員の「研究発表」である。1本目は、梶本恵三さんの「遣唐使の全航海から活躍と苦難の実態に迫る!」、
えーとたぶん今週は...彼のこと彼の部隊〜誠第32飛行隊・武剋隊のことそして、特攻のことこの話題になろうかと思います今から15年前私は特攻隊員だった「彼」の痕跡を辿り彼のゆかりの場所を探し彼を知る人を追って日本各地を訪ね歩いていましたそんな中、彼と同期(東京陸軍少年飛行兵学校)で少飛会(東京陸軍少年飛行兵学校のOB会)の世話役をされていた橋本さんとお会いできることになったんですね晩秋、小雨の降る寒い日でした待ち合わせ場所の市ヶ谷駅改札に橋本
松代象山大本営跡へ!マダムすみこです😊明日の朝に食べるパン!購入し🍞🥐一路友人宅へ!うづらもちを購入してくださってました🪺あんなにお腹いっぱいだったのに私のお腹の別腹へそして、今回夫のたっての希望松代大本営跡へ!四人の中で私だけこちらの存在知りませんでしたこの山の中に地下壕が広がってますhttps://www.matsushiro-kankou.com/spot/spot-645/象山地下壕(松代大本営地下壕)|信州松代観光協会見る・食べる・泊まる・体験などお
パナソニック汐留美術館で開催中の「美しいユートピア理想の地を夢みた近代日本の群像」展で、これは、と思う作品、松本竣介(1941)《ニコライ堂の横の道》公益財団法人大川美術館蔵の主観レビューをお届けします。本作は、ニコライ堂の横の道を一人のシルエットの人物が歩いている風景を描いています。また、樹木やニコライ堂の塔と十字架の垂直線がリズミカルに描かれています。人物は小さく、黒いシルエットで、前傾気味に歩いており、不安や疲労、精神的重さを感じます。季節は冬の夕刻と思われますが、完全
(中編から続く)この槍使い難し五郎さん、神雷部隊の飛行隊長に任命されてどういう気持ちだったでしょう・・・。五郎さんは、神雷部隊の隊員達を労わり、励ましながらも、桜花にははっきりと反対していました。五郎さんは自ら桜花を細かく観察し分析して、実際に桜花をぶらさげて一式陸攻で訓練してみて「無理だ」と実感したと思います。「この槍使い難し」と上官や同僚にはっきりと言っていました。「桜花の使用を止めさせてくれ」と周囲にも言っていました。特攻兵器開発とは別に、昭和19年10月から、爆撃機や零戦が敵