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2016年5月4日(8年前)☆☆☆私の尊敬する原田さんが99歳で永眠されました!!☆☆☆皆さん、おはようございます。先ほど、朝刊で原田さんの訃報を目にしたので、悲しいNewsですがアップしました。BRUINBlogでも原田さんの真珠湾攻撃での悲惨な体験談は数年前に何回かご紹介しましたが、当時のパールハーバーに実際零戦で参加した時の話は、TV番組での数回取り上げられたので、日本中で原田さんの事をご存知の方も多いと思います。また、私は、4年前にBG企画で、Z1生誕40周年記念で、米国加
2021年8月16日(月)どうもみなさんこんにちはリョウスケです。みなさん、夏季休暇は今日まででしょうか?今日から早速仕事をされている方もいるみたいですね!長期連休の最終日、特にこの16~21時くらいの時間帯は時計を見る度に胸を打ち付けられる気持ちになる方も多いのではないでしょうか。今日は、そんな憂鬱な気持ちを吹き飛ばせたらいいな。という思いで、この話題を取り上げたいと思います。【GHQvs日本シリーズ】書いてて思いましたけど。。こう言った戦争の話をポ
こんにちは。本日は、東京都T.Y様よりオーダーいただきました日本海軍後期型冬用飛行帽をご紹介したいと思います。完成品●表山羊革・・・焦げ茶色●裏兎毛・・・薄茶色(ベージュ)●サイズ・・・60cm後期型飛行帽は大戦末期頃に作られました。太平洋戦争の真珠湾攻撃頃は前期型飛行帽と昭和15年5月制定飛行帽が主流でしたが、その後、後期型飛行帽が開発され、終戦までこの3タイプは使用されました。この後期型飛行帽の装備品をご紹介したいと思
以下は、米国の第二次世界大戦の機密文書が解除されてから書かれたものを2016/12/07に翻訳し、Yブログに掲載したものです。ここでは、日本の帝国海軍のトップである連合艦隊司令長官山本五十六は、実は、ルーズベルトと通じた米国のスパイであったと述べられています。◆◆◆TheattackonPearlHarboristhestrategyofPresidentRoosevelt真珠湾攻撃はルーズベルト大統領の戦略だ(画像)左から、スタ
長崎バイオパーク1泊旅西海橋コラソンホテルを出発して向かったのは佐世保。何度も佐世保に行っている父のイチ押しスポット「セイルタワー」へ向かいました。海軍時代からの国防の歴史が学べる史料館です。見学無料ですがコロナのため現在は前日までに予約が必要(12/9時点)ホテルで佐世保まで車でどれくらいかかるか尋ねたら30分位と言われ、史料館に電話して尋ねた時は1時間位と言われ「どっちやねん」って思いましたが、実際は45分位(爆)。ちょうど間でした防衛省の施設なのでいつもの展示見学よりちょっ
3日目も無料朝食を食べにレストランへ息子は時差ボケで食べないというので2人分になりますので完全無料です今日もいい天気朝食を食べた後は歩いて近くにあるアメリカ陸軍博物館へ行きましたアメリカ陸軍博物館の入り口です入場は無料ですが、寄付しました入口付近の展示はハワイの歴史ですが、奥に進んでいくと日本人にもよくわかる展示になります。旧日本海軍の飛行機が丁寧に模型で再現されて飾ってあります飛行帽は実際に旧日本海軍で使われていたもののようです私たちは日本が卑怯なだまし討ちをしたと学校で
空母蒼龍九七艦攻真珠湾攻撃に参加した最後の搭乗員2024年1月106歳!1918年生まれの吉岡政光先生(105歳)と再会しました!真珠湾にて、標的艦ユタに魚雷を発射。最後は、硫黄島への特攻を命じられます。「戦争だけはしてはいけない」と、繰り返しおっしゃってました。https://x.com/shihoryozo/status/1733856963279405059?s=42&t=Arnpf9JJr7sFVyjBvA47hA
戦後の日本は、GHQに統治される。彼らが7年間統治した後、主権国家に戻る。しかし、日本人によく似た「日本人でない人達」によって日本は現在でも「間接統治」をされております。その人達が日本の名前を名乗り、日本語を喋り、あたかも日本人のように振舞っているのです。特に、国会議員や芸能、スポーツ界の大物には、そのような人物が多いのです。そうなると当然、それらを扱うテレビ局も必然的にあちらの人間が多数を占めるのであります。また、上のグラフは「日本の年代別人
カーチス・ルメイの経歴:アメリカ空軍将軍カーチス・ルメイは、アメリカ空軍の将軍であり、第二次世界大戦中に太平洋戦線で効果的だが物議を醸す戦略爆撃を指揮しました。彼は戦後、1961年から1965年までアメリカ空軍参謀総長を務めました。彼はまた、戦略航空軍団(SAC)の司令官としても知られており、戦争の場合に核兵器の配備に重点を置いた全ジェット機部隊への移行を監督しました。源田実の経歴:日本海軍軍人一方、源田実は日本海軍の軍人であり、政治家でした。彼は海兵52期を卒業し、最終階級は大佐でした。
この旅中に数回冬タイヤを履いてなくて怖い思いをしたから家に戻ってから速攻冬タイヤに変えた記事にはしないけど旅の後このタイヤで車中泊は8泊ぐらいしたもういいかげん暑くなってきたんでメンドイけど夏タイヤに戻したbeforeafterついでに2台とも洗車してうんきれいきれいそれはさておき続きです佐伯市平和祈念館やわらぎ佐伯海軍航空隊兵舎跡地に建てられた施設なので海軍航空隊の展示が多い。また佐伯湾が真珠湾と地形が似ていることから演習地
昨年末に見たお勧め時計の記事にボールウォッチの時計があった。ちょっとごつめで角張っており、若い人にウケそうなデザインで、値段も30万以内で購入可能なので、入門機としてはちょうどいいかなと感じます。過去に僕自身もいいなと思って紹介したことがあるのでボールの時計は悪くない印象でした…。『Vol.183赤いベゼルは魔力があるボールウォッチ、エンジニアハイドロカーボン』普段の生活ではデイト付きのものを中心に身に着けており、そういう意味においてノンデイトの活躍は少ないものであります。今日は違う
☆源田実、元帝国海軍連合艦隊の航空幕僚にして真珠湾攻撃で活躍した第343海軍航空隊司令、最終階級は海軍大佐でござりました。その容姿からもお分かりのように、不屈の精神と信念に生きた根っからの軍人じゃった。パイロットとしても大変優秀な源田は開戦前から大艦巨砲主義を批判し、超弩級戦艦一隻分の資材で戦闘機なら1000機作れると主張、連合艦隊司令長官の山本五十六からも重宝され幕僚に列せられるまでになれたのじゃ。もちろん真珠湾攻撃においても機動部隊と航空機による爆撃・雷撃を画策し、見事開戦の一撃を米