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『被爆電車75年の旅』ザメディアジョンプレス2017.11.23刊には、広島電鉄家政女学校での生活や、島根県大田市大森町出身の笹口里子さん〔旧姓・岡〕の入学に至るまでの様子が解説されていました。内容の概要は次の通りです。・昭和17年の暮れ、島根県と広島県の国民学校を中心に、広島電鉄家政女学校の一期生募集がかかる。・昭和18年4月開校。一期生は72名、2期生は130名、昭和20年3期生約100名が入学した。・国民学校高等科を卒業した女子を車掌として養成する学校であった。・寄宿制で、寄
【新聞に掲載された小さな記事に大きな衝撃を受けて】近くの図書館に立ち寄る際には、必ず「中国新聞」に目を通すことにしています。それは、原爆や戦争に関する記事が他社に比べて多く掲載されているからです。4月13日(日)も、いつものように中国新聞を何気なく開くと、最初に目に入ってきた小さな記事に驚きを隠せませんでした。その記事とは、「一番電車」車掌笹口里子さん(被爆者の元広島電鉄車掌)11日、老衰のため広島市西区の介護老人保健施設で死去。94歳大田市出身。広島への原爆投下から3日
今日は79年目の終戦記念日だった。連日の猛暑に閉じ込められ、パリオリンピックや高校野球のテレビ観戦でしか時間の過ごし方を知らない77歳の私は、ブログの材料に事欠いていた。「今週はブログも夏季休暇にするか・・・」と決めた今朝、いつも目を通す新聞のコラムで、ある詩人の言葉に出会った。(2024年8月15日付け朝日新聞コラム「折々のことば」)・・・転記しよう。2024年8月15日付け朝日新聞コラム「折々のことば」戦争に敗れた側は、戦争の理
※緊急事態宣言発令前の外出です【沖縄ドライブ旅】3日目午前は、大変考えさせられる場所に行きました。『旧海軍司令部壕』息子君、唯一のリクエストです。これは20メートルも深いトンネルのような洞窟で迷路になり450Mもあったと言われています。現在見学できるのは300Mです。太平洋戦争の時に、旧日本海軍🇯🇵の司令部が置かれた兵士しか立ち寄れなかった最高機密の場所です。何よりも驚いた事は、当時のまま公開されていることで、そのため手榴弾による自爆の傷跡が残る生々しい部屋や、司令官が最期を
先日、台湾有事の際の沖縄先島諸島住民、観光客の避難を6日間で行うという計画が発表されました。しかし、沖縄本島在住者は避難対象じゃないそうですアメリカの主要基地が集中している本島中北部の米軍基地は有事の際は1番に攻撃を受けると、幼い時から親族や学校からも教えられていたので心配でなりません。政府からすると沖縄本島の規模の避難は現段階で難しいと考えているのかなと思います。(不要と言っているようですが。。)私が政府高官だったら沖縄の規模を守るよりは、むしろそこに集中させてそれ以外のところに被害が及ば
小学三年生の夏休みだったでしょうか?戦争体験者から戦争の話を聞いて感想を書く、という宿題がありました。祖父は私が生まれるずっとずっと前に亡くなっていたので、近所に住む本家のじいちゃんちに行け、と親に言われたので聞きに行きました。40年近くも前のことだし、そもそも戦争体験した人の話なんて当時の私は興味がなく、宿題だからしかたなく、という程度だったので、どんな話をしてくれたのか全く覚えていません。大人になって、蓋をしてしまいたくなる経験をして初めて、あの時、本家のじいちゃんの瘡
本日、発行しました。●戦争体験の有無(全6頁2692文字)☆お前達の状況その4・・・統治者
暦は立秋を迎え、1年でも一番暑い季節になりました。今年も、6日には広島の原爆記念日、9日は長崎。そして15日には、76回目の終戦記念日を迎えます。それで今日は、平和への想いを込めて、私が子どもの頃から聞いてきた、母の戦争体験について綴ってみたいと思います。(本人の了解を得て投稿しています。)文字とはいえ、酷い場面もありますので、心配な方は読むのをお控えください。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー私の母は東京生まれ。大田区の
こんにちは、新日本婦人の会滝川支部の『中の人』こと、婦人の中の婦人でございます(^^♪このブログは新日本婦人の会の一会員である私が、活動の記事やインタビューを載せていく自由なブログです!新日本婦人についてはコチラの記事をご覧下さい↓新婦人って何?さて、今回からシリーズ特集『私の戦争』と題しまして、不定期に戦争体験のインタビューを連載させていただこうと思います。なかなか、最近は戦争を体験した事のある方のお話というのを身近な方から聞く機会がなくなりましたよね…💦でも、意外と近くに
今回は漫画家を取り上げる。現在、私はよほどのことがない限り漫画は読まない。私が漫画を一番読んだのは小学生の時だった。半世紀以上前のことである。小学校の低学年の頃(昭和30年代前半)、『ぼくら』という月刊誌をとっていた。我が家は衣類販売の商店であり、3軒先に書店があった。その店とは商売上の取引があった。当時の月刊誌には、付録として薄い漫画の別冊が数冊付いていた。お正月号には、確か10冊くらい付いていたような気がする。私が好きなマンガは「少年ジェット」(竹内つなよし)だった。クラス
1991年2月、海部俊樹(第76-77代)内閣総理大臣より、シベリア抑留に対する慰藉の念として「銀杯」が授与されました。その後も2007年に福田康夫首相、2010年に菅直人首相から賞状が授与されました。戦争体験語り部・與田治郎右衛門(襲名前:純次)の3時間に及ぶ戦争証言インタビュー映像(みんなの戦争証言アーカイブス)
間違えない自分になる先日、大阪の天満橋で日本初となるPEANUTS75周年記念ドローンショーを見て来た!ドローン自体、映像でしか見たことがなかったのでどんな感じでスヌーピーを見せてくれるのかを生で見たかったのです。ショーが始まると左手からブォーンと虫の大群のような唸り音と共に、500機の小さなドローンちゃんの大群が群れながら移動して来て、なんだか幼稚園のお遊戯会のようなちょっとした微笑ましさを感じながら12分ほどのショーを見た。凄い時代になったなと思いながらショーを楽しんでいたけ
お盆とは思えない涼しさ、と言うよりも「寒さ」が続いております。ついこの間まで「体温並みの暑さ」などと言っていたのが、あれはいったい幻だったのでしょうか(笑)。でも再び暑さは戻るみたいです。体調管理にはくれぐれもご注意ください。さて、今日のテーマは「隔離・解離」となっています。ものの本によってはこの両者、同じものとして扱われているものもあるようですが、微妙な違いがありますので、ここでは「別物」として説明いたしますね。まずは「隔離」です。コロナの感染者は隔離しましょう。などと言っていまし