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公共交通機関のみで巡る!日本100名城巡りの旅日本100名城巡り~上越編~2019年9月13日(金)高速バスで行く弾丸日帰り新潟県上越市周辺の城巡りです。今回は春日山城、鮫ヶ尾城、高田城の3城を巡ります。行きのバスは、西武バスの上越線を利用。前日の9月12日の夜に出発。バスタ新宿23:10発、直江津駅前に翌朝5:41に到着。直江津駅直江津駅からはまず徒歩10分の所にある御館跡へ。御館御館御館説明板小さい
今回のツアー最後の城は九戸城です🏯スタンプは九戸城ガイドハウスでgetしました。ガイドハウスは4月〜11月しかやっていないので、それ以外の時期は二戸市埋蔵文化財センターにいくしかないようです。こちらが周辺地図です。中央あたりのトイレマークのあるところがガイドハウスがある位置になります。ここまでの3日間雨が降りそうで降らなくてすごくついてるーと思っていたのに、最後の最後に雨に降られてしまいました山城の脇本城の時降らなかっただけまだマシかなとちょっとぐるっと回って大手から入ってい
公共交通機関のみで巡る!日本100名城巡りの旅日本100名城巡り~島原半島編&対馬編~長崎県の島原半島と対馬の城を1泊2日で巡る旅。今回はその2日目、2019年5月20日(月)の対馬編をお届けします。(初日の島原半島編はこちら)https://ameblo.jp/kanaik999/entry-12609472272.html『日本100名城巡り~島原半島編&対馬編~2019.05.19~20①』公共交通機関のみで巡る!日本100名城巡りの旅日本100名城巡り
田丸城はJR田丸駅から徒歩10-15分位で行けちゃいます💨行く途中にこんなものが。熊野古道伊勢路出立の町。そうなんですねー「天守のある城として日本最古の城」は本当ですかね?🙄下の犬のキャラかわいい🐶パンフレットにいましたたままるくん。織田信長の次男、信雄の化身として誕生したキャラクターw化身なんだw田丸城の歴史調べてみました。織田信長が伊勢進攻の為に次男信雄を北畠家の婿養子にいれ、家督を継がせた。城主となった信雄は天正3年に田丸城の大改修を行い、三重の天守を築いて居城とすると、翌年に
鳥取から若桜鉄道に乗って約50分位で若桜駅に向かいます💨車両がなんかレトロでオシャレなんですよ中も良い感じでした〜鳥取駅でも雨降ってたんですが、若桜駅着いた瞬間に雨がめちゃくちゃ酷くなったしかも寒いスタンプは駅からすぐの若桜町観光案内所で無事getできたので、真面目にそのまま鳥取に引き返す事を考えましたが、次の電車まで30分あるので、麓だけ見よう!という自分の中にいるもう一人の自分による謎の説得により?とりあえず麓まで行くことに登山口は2箇所あり、第1町民体育館裏の登山口に、向かって
ツアー最終日ですまずは浪岡城🏯こちらは浪岡城跡案内所です。スタンプはこちらにあります。資料もこちらで頂けます後ほど紹介する青森市中世の館でもスタンプがもらえますが、それぞれ開いてる時間や休館日が異なるので都合のよい方でgetされると良いかなと思います史跡は自由に見学できる感じです🚶♀️ナビゲーターさんが、我々にとっては城跡だけど一般の人からみたらただの公園コースにみえるでしょうねーとおっしゃってましたが、そうだろうなーと思いますやっぱり広いんでね、こうやって写真を撮ると
最終日です〜近江八幡駅へ行き、バスで近江八幡城に向かいます🚌バス乗り場は6番、長命寺行きで大杉町八幡山ロープウェイ口で下車します。バスを降りてロープウェイに向かう途中お堀を発見!秀吉の甥で、養子となった豊臣秀次が近江など43万石を与えられ、築城された近江八幡城🏯本能寺の変で安土城跡が焼け落ち、修復されたものの、秀次が近江八幡城を築城するにあたって安土城は廃城とし、安土城下の町や社寺の一部を移し、城下の住人達も移住させました。城下に琵琶湖から水を引いた堀をめぐらせ、船を城下まで帰港でき
去年11月、埼玉県寄居町の100名城・鉢形(はちがた)城を訪れましたブログでは3回めですが、通算すると6回めの訪城となりますこの城は、主君・関東管領上杉氏に対して反乱を起こし、戦国時代初期の関東をひっかき回した長尾景春によって築かれた城ですのちに後北条氏が支配していた時には、あの武田信玄も上杉謙信も落とせなかったほどの難攻不落の城で、豊臣秀吉による小田原征伐の際には前田利家、上杉景勝、真田昌幸など錚々たる面々の率いる3万とも5万とも言われる北国軍に包囲されながら、1ヶ月も籠城したのちに「
公共交通機関のみで巡る!日本100名城巡りの旅日本100名城巡りFINAL~安芸・備後編~日本100名城・続日本100名城巡りの旅のラスト。広島県にある4城を1泊2日(2泊3日)で巡る旅。今回は2024年3月5日(火)の2日目をお届けします。2日目は福山城、三原城、新高山城の3城を中心に巡ります。(初日はこちら)『日本100名城巡りFINAL~安芸・備後編~2024.03.04~05①』公共交通機関のみで巡る!日本100名城巡りの旅日本100
今日は、近江北部を支配していた名門京極家のお話から始めます。京極高吉は、浅井家と協調して戦国の動乱を生き抜く道をとったものの、浅井長政と織田信長とが対立したので、京極高吉は信長方に付きました。そして隠居後には長男の高次は豊臣秀吉に従うことになりましたが、秀吉死後は、弟高知ともども徳川家康支持に廻りました。高知は、家康の会津遠征に従軍し、高次は大津城を守備していましたが西軍に包囲されて城は陥落しました。高知は関ケ原の戦いの戦功により、宮津12万石を与えられましたが、三人の子供たちに対し
あをによし(2泊3日)1人鉄旅2日目②「ホテルエルシエント京都」で京おばんざい朝食を楽しみチェックアウトした後『京都【ホテルエルシエント京都】京おばんざいの朝食ビュッフェ』あをによし(2泊3日)1人鉄旅1日目⑥2日目①JR特急はるかで京都駅に到着した後『関西空港【キティのはるか】京都へGO!』あをによし(2泊3日)1人鉄旅1…ameblo.jpJR京都駅朝の通勤・通学ラッシュに混じってゼロ番線に並ぶJR琵琶湖線新快速・近江塩津行京都発07:52彦根着08
こんばんは。あと2日で又抗がん剤です。先週後半から体調も良くて便秘も改善、食欲不振も無くなりましたので梅雨の切れ間の晴天だった今日、朝早くから和歌山城🏯へ主人と行って来ました。前からお城巡りに行きたいと話してましたので、元気な内に行ける範囲のお城を巡る事に。和歌山城には10時過ぎに着きましたが息が切れ切れでとにかく座りたい。で、天守閣前の茶店で休憩。お城は歩きづらい登り坂が多くて(当たり前か。)途中から善意の杖をお借りしてはぁはぁ😵💨言いながら茶店で🍨アイス。暑かったので美味しか
本日も晴天筑西市の続きです今回は関城に来ています国指定文化財です鎌倉から南北朝の時代大宝城と同じ時代興国4年(1343)11月11日関城は大宝城とともに落城駐車場に着きました筑西市どこに行っても見える筑波山田畑の広がる大地から良く見えるわ地図あり現在地は・・・ここか坑道跡から行ってみます坑道跡ありました
400城址巡りの旅🏯346城目は鍋倉城ですよぉーみちのく桜巡り3日間の旅初日に鉄活→高松公園観桜を済ませ2日目は盛岡で友人と合流しますとレンタカー拝借し岩手右半分巡りへ洞窟&鉱山跡にヤラれまくり遠野で河童と再会果たしたところで本日最後の目的地・鍋倉城へ遠野市の高台にあるコチラ山城百選に選出されておりますが現世ではすっかり整備公園化城址遺構案内板も数あれど当時の面影はほぼ皆無想像力が試されるわ( ̄▽ ̄)天守を模した展望台もございましてとりま襲
「佐伯(さいき)城」(大分県佐伯市)をお届けします。まず最初に、「佐伯城」の歴史と城主について触れておきます。「佐伯城」の城主となった「毛利高政」は、「豊臣秀吉」が「織田信長」に仕えていた頃からの「秀吉」の家臣であり、中国や九州遠征、文禄の役で功績を挙げたことから、日田の他に佐伯等の代官にも任じられました。そして、「中国大返し」の時に「秀吉」の命で「毛利家」の人質になりましたが、「毛利輝元」に気に入られて「毛利姓」を与えられて、以後は「森姓」から「毛利姓」に改姓しました。
昨日のブログでは、京極高知が関ケ原の戦いの戦功により、宮津12万石を与えられ、その後は三人の子供たちに対して、宮津、田辺、峰山に3分割したお話をしました。その中の田辺の京極高盛が、1668年に豊岡へ移封となりましたが、本日はその豊岡陣屋(兵庫県豊岡市京町)を訪ねてみましょう。豊岡陣屋は、但馬国守護大名であった山名宗全の家臣垣屋氏、そして秀吉配下の宮部家が修築した豊岡城の麓に築かれた居館です。関ケ原の戦い後も、杉原家が旧領を安堵されましたが嗣子なく改易に、当地は天領となったものの
日々の筋トレで体力が付いたのか何なのか分からないけど眠たい母ですおはようございます。春眠不覺曉…?先週、実母が行きたがっていた場所に行ってきましたー!5年くらい前に「行きたいのよねぇ」と言われて、連れてったのは何故か彦根城。彦根城の桜も見事だったし、やはり城はいい。今年も城巡りかなと思ったけど、そういや実母が行きたいとこあったなーと思って「行く?」と聞いてみたところ、行きたいわぁと言われたので決行しました。行先は高遠城址公園です⸜(*˙꒳˙*)⸝長野県にあります桜の名所。G
公共交通機関のみで巡る!日本100名城巡りの旅日本100名城巡り~福江・平戸編~長崎県の福江島と平戸島にある2城を、2泊3日で巡る旅。今回は2022年7月11日(月)の2日目(3日目)をお届けします。2日目は平戸城を中心に巡ります。(初日はこちら)『日本100名城巡り~福江・平戸編~2022.07.09~11①』公共交通機関のみで巡る!日本100名城巡りの旅日本100名城巡り~福江・平戸編~長崎県の福江島と平戸島にある2城を、2泊3日で巡る旅。今回は20
気持ちの良い青空ですうっきうっきのどかな風景の中車を走らせていますほぉら何にもない見事じゃねぇ山を走らすことん十分まだつかない・・・まだつかない・・・かなり昇りましたが・・・まだつかないでたぁ遂にたどり着きました山入城です山城です山の頂に山入城では上ってみます
こんにちは!Mr.ミヤビ22です。いつも、小生の投稿記事を見ていただきありがとうございます。投稿記事は、趣味の城巡りの報告(日記)を中心にしています。今まで挑戦してきました「日本100名城」「続・日本100名城」の登城内容を少しずつ投稿してきました。まだ、全てを投稿しきれていませんが、「続・日本100名城」も、昨年11月に対馬の「金田城」を最後に、すべて制覇することができました。登城スタンプ(続・日本100名城スタンプ)を100城収集して、日
今回は、「肥前国五島列島」内に築かれた「福江(石田)城」(長崎県福江市)の「前編」をお届けします。まず「福江(石田)城」の城主と歴史についてお話をしておきます。長崎県の五島列島を統治していた「五島家」は、元々は列島の宇久(うく)島を支配していて「宇久家」を名乗って水軍として活躍していました。「豊臣秀吉」の九州遠征時に傘下になって「五島家」と名字を替えました。関ケ原の戦い時には、中立を保ったことから、その後は五島列島を任され幕末まで続きます。「五島家」の石高は1万5千石で、
八代駅から約35分ほど歩いて、八代城の表の入り口である欄干橋までやってきました。なんかカバーがかかっているし、入れないようになっている!?下調べしてこなかったので、まさか散策できない事はないよね??と焦り補修をしている様です。スタンプ貰いに行くしかないかーとスタンプ設置場所に向かう事にしました。石垣立派だなーと思いながら歩きました🚶♀️なんか神社が現れてびっくりしました(下調べしてないから)脇にさりげなく石碑が立ってました。「八代宮」と言うそうです。参拝させて頂くことにしました。
常陸太田市ですまだまだ行くわよ今度は利員竜貝城跡と天満神社案内板あり奥に天満神社があるようです着いたわ鳥居の右手に行くと利員城のようですまずは天満神社からこちらも良い感じに石段のぼり慶應元年だわ光輝く社殿が見えてきた石段はそれほど崩れていないので上り
本日は、元々が島津家討伐で功績があった「高橋元種」が築城して城主となった「延岡城」(宮崎県延岡市)を訪問します。延岡城絵図まずは「延岡城」の歴史と城主についてお話をしておきます。「高橋元種」は、罪人を匿ったとの理由で1613年に改易となり、その後はキリシタン大名だった「有馬家」3代、「三浦家」1代、「牧野家」2代が入り、18世紀の中頃から入城した譜代大名の「内藤政樹」になってやっと藩主(城主)が定まり、幕末まで続きます。この「内藤家」は、三河譜代で、「徳川家康」の祖父「
前回の続き。八戸から弘前へ移動。弘前と言えば・・・弘前城!歴史に疎い私ですが、城が好きだから行ってみたいと思っていたのですが弘前城は冬季期間、天守閣は閉館しているんですね知らずに行ってしまいましたが無料で天守閣前まで行けたのはラッキーだったかな桜で有名な弘前城ですが本当に至る所に桜の木があって満開になったらすごいんだろうなぁというのが容易にわかりました今はお堀の水が凍るくらい寒かった🥶いつか桜の咲く季節に行けたらいいな
少し遅めの時間に夕食。あまりお腹空いてなかったけど、3食のがいいかなと食べた。空いてないわりに、食べ始めたらちゃんと食べれて完食。胃が小さくなった感覚あったのに、そうでもなかったらしい。3食食べるのと、お昼と夜を兼用……。。。バランス的にどっちがいいのかな?よく分かりません。確実に国内。お城巡り好きだったけど、今まで自分が行ってきたお城が見やすい内観が多かったけど犬山城や姫路城のような本格的な階段と出会ったりもするから、ちょっと躊躇ってたり。一応ネットで見
「豊臣秀吉の一族、子飼いから大名になった”お家”のお城シリーズ」は暫くお休みしていましたが、本日は、「秀吉」に若い時から仕えていた「脇坂安治」の子孫となる脇坂家のお城について紹介します。「安治」は、賤ケ岳の戦いの「七本槍の一人」として有名になりました。その後の働きによって、豊臣政権下では淡路国を任され「洲本城」城主となりました。そして、関ケ原の戦いでは西軍で参加していましたが、「小早川秀秋」の裏切りを見て東軍に付きました。この事が西軍の大勢を崩す要因となり、戦後は家康から領土を安堵されまし
お堀。水面に映る石垣と桜が素敵です。ちなみに、福井城址は県庁や警察関係になっています。続100名城スタンプは県庁の受付で貰いました。結城秀康公。福井城の最初の城主。徳川秀康の次男。ちなみに、二代将軍秀忠は三男です。スリッパに履き替えて見学できます福井城山里口御門|おすすめの観光スポット|【公式】福井県観光/旅行サイト|ふくいドットコム山里口御門は、「廊下橋御門(ろうかばしごもん)」や「天守台下門(てんしゅだいしたもん
愛知、名古屋の城巡りの会である愛知ウォーキング城巡りクラブで三重県亀山市に残る伊勢、亀山城址へ行って来ました。亀山城は日本100名城、続日本100名城というわけではありませんが、実際に行ってみると見どころが多い名城です。この記事ではそんな伊勢亀山城址に行った時の見どころを3つお伝えします。高低差がすごい伊勢亀山城址は北と南が崖になっている台地上に築かれた城。だから周辺を歩いてみるとこの高低差を実感できます。攻める側、守る側の立場になって城を見てみるとその堅固さが分かります。
Tetsu龍でございます。姫路来てから、なんとなく城巡りの気分が乗らなくて、意外と行けてません。過去記事を見ると、この時期はギリギリ山城登れる季節なのです。5年前は有子山に行ってました。あそこは、数ある山城の中でも特級にきつかった。あと、鳥取城もきつかったなぁ。