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出張終わりの週末の市場/漁港食堂巡り。ちょうど1年ぶりくらいに和歌山エリアを探索。今回(2025/6/21)の目的地は大きく二つ。それは和歌山県唯一の中央卸売市場と、運良く予約が取れた漁港近くの隠れ家的料理屋さん。南海の「堺駅」を7時20分に出る「特急サザン」で、和歌山港駅に着いたのが8時14分。当初はここから和歌山市中央卸売市場まで歩こうと思っていたのだけれど・・・改札を出てふと目に入ったのが、この時刻表の閑散さ!!2時間に1本の電車に合わせていたらとても予定が立たなくなる
京都府綾部市にある山家城。京都府南丹市から福知山市にかけての間のJR山陰本線の間はずっと素通りしてきましたが、ちょうど山家城について調べる機会がありましたので、今回訪問する機会がありました。山家城はちょっとややこしい存在で、今回紹介するのは近世大名である谷氏が築いた山のふもとにある箇所は通常「山家陣屋」と呼称されています(地元自治体では山家城表記ですが)これに対して、背後の山に築かれた城は甲ヶ峰城と呼ばれています。2つの「山家城」があるので、非常にややこしい。今回紹介するのは近世の「山家城
前回、紹介した須木城にも関連する小林城。ここもセットで訪問しておきたいと思っていました。こちらはより小林市の中心部に近くそれこそJR吉都線でも訪問できる(ただし、列車本数が少ない)のです。現在は「城山公園」となっていると聞いて、これなら気軽に訪問できそうだな…と思ったのが大失敗その正体は城山公園という名のジャングルでした。山奥にあった須木城は綺麗に整備され、一方で市街地にも近い小林城は殆ど荒廃するに任せる状態になっていたのは皮肉な話に他なりません。というかあの荒廃ぶりだとこのままするとい
鮎貝城は山形県白鷹町にある城で、丁度県都山形と米沢の間に位置します。ここはかつては山形の領主である最上氏と米沢の領主である伊達氏との両国の境目にあたる城でした。4月初頭にもかかわらず、西国人感覚からするとまるで真冬に逆戻りしたような4月の山形。今回はその旅模様をお届けします。鮎貝城へはJR奥羽本線(山形新幹線)赤湯駅から第3セクター鉄道山形フラワー鉄道長井線に乗り換えです。未だ雪が残る中での乗車旅。絵に描いたようなローカル線光景が今となっては貴重です。終点荒砥駅の一駅手前の四季の郷
〇宮崎県山奥深くに整備された石積みの城宮崎県の「城」というとどうしても整備されているのは沿岸部とか限られた人口の多い地域に限られているのが現状で、それ以外の山間部はというとこの前の宮崎城という県都宮崎市にある「宮崎」の名を冠する城でありながら余りにも侘しい姿が象徴するようになかなか見られないのが現状。城としてキチンとした形になっているのは100名城、続日本100名城指定の飫肥城、延岡城、都於郡城、佐土原城、高鍋城、他には穆佐城、都城城くらいでしょうか。その中で山奥深くにありながら、今も綺麗に整
〇文教スペースとなっている山崎陣屋山崎陣屋は兵庫県宍粟市…ちょうど播磨の北方にある自治体にはちょうど中心部に城…といったらいいのか陣屋があります。ここは元々は「篠の丸城」という城がありましたが、こちらは山城として戦国期に使用されていました。それに対して、山崎陣屋があった場所には赤松氏が築いた砦があり、それを城として築城したのが始まりです。城を築城したのは前回、ご紹介した池田輝澄であり、徳川家康の外孫である輝澄に3万8千石でここ山崎の地に入封したのが始まりです。しかし城が未完成のまま、池
愛知県(尾張、三河)の城跡や戦国史跡を巡る歴史サークルの愛知ウォーキング城巡りクラブで豊川市の豊川稲荷と周辺の見学会に行ってきました。豊川稲荷は東三河地方でも屈指の初詣スポットで、門前にも独特の雰囲気が残っています。また周辺には戦国時代、今川氏、松平氏、そして武田氏ゆかりの史跡がたくさんあり、戦国好きには魅力的なスポットです。まずは豊川稲荷に参拝。初詣シーズンも終わり2月になりましたが参拝客は多かったですね。今川義元寄進の山門お目当てはこれ。今川義元が寄進した
▲夷王山神社159mの夷王山(いおうざん)からの景色⬇️風が強い🌀▲続日本100名城上ノ国勝山館▲勝山館跡ガイダンス施設北海道檜山郡上ノ国町字勝山427番地勝山館は後の松前氏の祖である武田信広が15世紀後半に築いた山城16世紀末頃まで武田・蠣崎氏の日本海側での政治・軍事・北方交易の一大拠点でした▲日本海▲奥に上ノ国ウインドファームの出力2,400kW級の大型風車12基があります▲つつじ🌺昔はつつじがいっぱいで山が赤くなったと町の人に聞きましたが開発や盗
2025年1月25日仕事休みの土曜日、埼玉県寄居町にある鉢形城に初訪城しました。土造りの中世城郭で、日本100名城かつ関東7名城のひとつ。鉢形城の築城は1476年。関東管領山内上杉氏の重臣となる長尾景春によって築かれました。その後、関東地域で勢力を伸ばした北条氏康が占領し、三男の北条氏邦が城主となります。鉢形城は北陸、信濃の抑えとして重要な役割を担っていました。小田原城を本城とする北条氏の支城ネットワークとして、山中城、八王子城と同じく鉢形城も有名な城です。
2025年2月8日東海道本線で巡る城の三城目は静岡県沼津市にある興国寺城に向かいます。2月7日:清洲城→大垣城→掛川城ライトアップ2月8日:掛川城→諏訪原城→興国寺城諏訪原城で長く滞在したので、やや時間は押していましたが、ほぼ計画通り。興国寺城は北条氏旗揚げの城として有名です。戦国時代の小田原北条氏の祖となる伊勢盛時(北条早雲)が今川氏より与えられて城主となったので、小田原北条氏はここから始まったとされています。北条と名乗ったのは二代目氏綱からです。よって、
江戸時代の大坂の近辺は譜代藩の飛び地が各地に分散して点在していました。これらは大坂や畿内での勤務を経験する機会の多かった譜代諸藩の必要な手当てとしてこの辺りを宛がわれることの多かったためです。江戸初期ならそれらが必須となっていましたが、やがて為替流通が発展すると単に地域発展が阻害される要因となりました。何しろ、ある村は〇〇藩、隣村は××藩、更にとなりは幕府直轄領…となればまとまった地域発展がされるのは不可能です。そのため、幕末に近い天保年間には天保の改革で一度それらをまとめた形で
山形県尾花沢市にある延沢城…交通の便が良いとは言えない立地ですが、ここは昔延沢銀山があり、非常に栄えた地でした。その名残はフォトスポットとしても有名な「銀山温泉」に残っており、かつては銀山の採掘で栄えた地に設けられた湯治場だったのがその由来です。そして銀山を守る役割を担ったのが、この地にある延沢城でした。更に戦国期以前、ここは東西南北を通じて、東北各地へ行く街道が交差する要衝。そのためか、この延沢城極めて技巧的な構造をしており、なんと桝形虎口まで備えています。素晴らしいことにその遺構は良