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Kさんシリーズ、今日は函館本線(山線)と室蘭本線のD51旅客列車とのことです。D51というと貨物用で客レはC57という路線もあったりD51が客貨両用という路線、時期もあったようです。代理投稿byD51338・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・Kです。「特別な夏」の間にお届けしてきた北海道の現役蒸機の写真シリーズ、全16回のうち今回が13回目。競馬に例えるとそろそろ第4コーナーを回って直線
「栗しぐれ」っていうお菓子を見ると、THEALFEE(当時はALFIE)のデビュー曲「夏しぐれ」を思い出すのはきっと私を含むファンの皆さんぐらいでしょう。そのTHEALFEE、今年はデビュー50年です!!おめでとう!!!!では本題。超スローペースで進めている、「私の昭和の貨物列車・2軸貨車編成」。KATO、Tomixの貨車を中心に、D51やEF15等の旧型電機に似合う編成を揃えている最中です。●こちらのブックケースに・・・ここまで揃いました(⌒▽⌒)殆どがKATO
※数年前に書いたブログ記事の下書きの続きです。某オクで…本の存在に気が付いてから十数年来探していた本が出品されてて破格の値段で一桁違うだろ!と心の中で思いつつ…落札し購入出来ました。自分が生まれる前に出版された『小山元一追想』自分の好きな歴史上の人物?偉人の本かと思いましたが小山元一-Wikipediaja.wikipedia.org小山元一は今の新潟県上越市が旧高田市と旧直江津市が合併した際の初代上越市長です。三郷村長や高田市に合併後、市議や高田市長
今日は2日連続でKATOのデゴイチ、D51397のDCC化続編です。色々キワドイんですがテンダーにデコーダを仕込んで対応終了、石炭貨物列車を牽引して早速運転開始です。走行動画も出て来ます。いつもご訪問頂きありがとうございます。以下本編です↓。私の所では2両目になる蒸気機関車~セキ6000を牽引して元気にDCCレイアウト上を走り出したD51397;KATO2016-Bです。ここまで持って来るのに大変でした😅。昨日の記事で↓運転台の下にピンヘッダーを付け、機関車本体側の配線を
三江北線に入る気動車の横で下り列車を牽くD51の運転整備が続きます。243号機は長門の機関車のようで集煙装置が着いていません。1971年8月15日キハ65の車内から浜田機関庫を望みます。機関庫の妻壁は長年の蒸機の煙に燻され真っ黒です。1972年8月8日改札口からも機関区に憩うD51を見る事ができました。集煙装置が着いていないのは長門の機関車着いているのが浜田か米子の機関車でした。1972年3月31日この春から特急「やくも」の新設、「出雲」が特急に格上げされ
今日は最近よく出て来るKATOのSL、D51です。先輪が脱線するケースが多く見られたので、安定運転のための工夫をしています。牽引力がC62に比べて劣ることも分かって来ましたが、ちょっと空転を起こしつつ😅石炭貨物列車29両編成(長くなってる😲)を牽引して走っています。走行動画が出て来ます。いつもご訪問頂きありがとうございます。以下本編です↓。機番がD51467に変わった2両目の模型蒸気機関車デゴイチ(KATO2016-B)です。C623との重連運転テストをやって↓、自己流改造で付
今日はSL牽引の石炭貨物列車に増結したKATOセキ3000の話です。新規購入でしたが一部表記が省略されているなどちょっと不満な点もありました。早速整備するもカプラーが足りなくて..久々の”オーブン焼き”をやったりしています😁。いつもご訪問頂きありがとうございます。以下本編です↓。最近チョクチョク登場する蒸気機関車=D51467が牽引する石炭貨物列車です。以下記事↓で22両から6両増結で28両(+車掌車1両で29両)編成になったと書いていましたが..『D51467脱輪対策
毎度!おばんです!明るい時間が徐々になっても・・・「有明の月」がはっきり言見える、川崎車両。こんな朝の風景の中で始まる・・・モーニングシャッフル。いきなりスイッチャーくんが押太郎。出してきたのは、EF210-370。今年度の生産ペースが早いなぁ・・・でも、台枠補修部分は鋭意作業中。でも、来月後半発送予定らしいので、間に合うでしょう。2番ピットから1番ピットに回って、福岡市地下鉄4128Fをふさぐ形になりました。ではここで、今日もよろしくお願いします!また押太郎。今度は
オークションの結果が出ました。35件の入札が入り落札価格は¥25000ですか、良く出したと思いますね。自分がお金が捨てる程有っても入札しないと言った理由ですが、このD51、特定機(北海道形)という事ですが、開放キャブなのにテンダ-が模型のベ-スであろう密閉キャブ用のままだったからです。密閉キャブ改造車はカ-ブでキャブとテンダ-が当たらないようにテンダ-前方が改造で後退しています。KATOが出している北海道形のD51は密閉キャブ仕様なのでテンダ-も密閉キャブ用のテンダ-となっています。開
久しぶりのD511149レストア進行情報㉞です昨日の状況は入り口に腕木信号機が設置されました!取り付け方向は通常使用とは違って道路から見て見栄えが良い方向としています。運転席はほぼきれいに出来上がっています。穴が開いていたところ等は全部補修出来ています。そしてBS-TBSの取材ユーチューバーの方の撮影と来られてありがたい事でした。ヾ(≧▽≦)ノBS-TBSの放送予定は噂の!東京マガジン2月28日(日曜13:00-13:54
山口旅行、ちょっと山口から飛び出して島根の津和野に来ています。こちら↓は津和野で有名ないなりずしのお店だそうです。【関連記事】●羽田空港からびゅーん!●山口宇部空港にびゅーん!●こごめあんもちと防府天満宮●国宝瑠璃光寺へ●秋芳洞・・・凄すぎる!感動もの●秋吉台〜弁天池●長門市の大谷山荘●元乃隅神社、吉田松陰●松陰神社〜萩城跡●松光山(萩焼き)〜萩本陣(宿)●津和野へ●源氏巻買いまくり!●完結編錦帯橋と瓦そば(9/12UP予定)黒くて三
先週長野県飯田市のD51402を見てきました。この蒸気機関車は解体の危機になっているようで現在譲渡先を募集中です。手入れをされていないようでかなりボロボロ説明板場所は街中で狭い場所に設置されています。クレーンやトレーラーが入る事が出来るか?道路側には電線が裏側には同じ位のスペースがあるが譲渡条件も結構厳しめです。内容は飯田市のホームページで確認できます。蒸気機関車(通称デゴイチ)の引取り希望者を募集します-飯田市ホームページ蒸気機
久しぶりにテツモ・シンドローム(TEZMOSYNDROME)の新作43話が出てた。このところ鉄道模型ではパイク(小型レイアウト)がちょっとしたブームで、パイクで走らせる小型機関車として凸電機がチョイチョイ見られる。その流れで国鉄EB10をネタにしたんかいな?模型的にはエポックメーキングな天賞堂製を取り上げ、ゲージ論にも触れてるが、ゲージ論は大きなテーマやから、ガチで別途取り上げるべきかと思うで。ワテ的には、主人公の実物見学した展開が、気になったトコやね。EB10は確か府中に
D51463号機は別段なにか特別な装備を持っているとか、そんな機関車ではなくて現役蒸機晩年の頃の標準的なD51です。ただ私にとって福知山区時代に身近な舞鶴線で何度か会ったことのある数少ないD51で何処か親近感を勝手に持っていて、それが後年になって関西本線や山陰本線西部で会うのですから何か懐かしい旧友にでもあったような気持ちになり「やぁ、元気にやってるなぁ」なんて心の中で話しかけてたりと個人的に特別な存在の機関車でした。福知山時代関西にあって旋回窓を持ったD51は珍しい存在で、
2006年4月に廃止された大阪臨港線(最終的には大阪環状線の貨物支線)の廃線跡を歩きました。大阪臨港線の支線(枝線)には入らず、大正駅から浪速駅(2004年運行休止・2006年廃止)を経て大阪港駅(1984年廃止)まで歩きます。天王寺駅から環状外回りの電車で大正駅に向かいました。画像は木津川橋梁(ラチストラス橋)付近です。大正駅です。1969年に撮影した木津川橋梁です。電車は当時の大阪環状線の101系です。(103系ではありません)大正駅と101系電車・6両編成です。(19
本日も古い写真を見直し、空想旅行。D51498を正面から狙った写真。少し陽炎が気になりますね。。。撮影上越線SLみなかみやっと週末ですが、明日は頭を休めることは厳しいかな。。。宿題がいっぱい。。
こんにちは。新型コロナウイルス感染症(COVID19)が感染拡大の傾向にあります。この状況がいつまで続くのか…、一日も早い収束を願うばかりです。とにかく感染拡大を防ぐためには、私たち一人ひとりが、最新かつ正確な情報に基づいて落ち着いた行動をする、特に「手洗い」「うがい」「部屋の換気」「咳エチケット」「過労を避け体の抵抗力を高める」等、今の自分に出来る事を地道に実践していく、これが大切だと思います。まずは皆でしっかりと予防ですね。さて、先日やっぱりと言いますか…(汗)、KATOの「
水上駅群馬県利根郡みなかみ町の代表駅です。みなかみ町は群馬県の最北にある町で新潟県と県境を接する町です。町内には水上温泉郷を始め多くの温泉地があり、昭和の団体旅行全盛期には温泉歓楽街として賑わいましたが、バブル崩壊後は時代の流れに着いていけず廃墟化した巨大ホテルが点在している状態になっています。水上駅は上越国境越えの拠点として巨大な機関区が置かれていました。また、水上温泉郷の玄関口となっていたため、多くの利用客で賑わいました。現在は機関区は廃止され、新幹線のルートからも外れ、更
昭和のD51三重連@布原信号所/伯備線伯備線のD51三重連の名所「布原信号所」の東側の第23西川橋梁昭和46年(1971年)前回に引き続いて昭和のD51の写真のスキャン画像で、今回はD51三重連の撮影地で有名な布原信号所(今は芸備線布原駅)&第23西川橋梁です。スキャンした写真は備中高梁の親戚/本家の従兄の叔父さんが若い頃に伯備線から山陰線にかけて蒸気機関車取りに奔走していたときのもので、昨年訪問したときに蒸気機関車関係のアルバムを画像保存のために3冊ほど借りてきました。アルバム
古い写真を見直して空想撮影。今日はSL試運転のカット。撮影上越線
1971/11中央西線初めてのSL撮影旅行1971/11/02-03中央西線に初めてSL撮影に行った。前回の夏の小海線の後、偶然知った、武蔵境SL会という同好の会に入った。中央線武蔵境駅の国鉄職員の方が、個人で主催していた会。当時の武蔵境駅の駅務室が上りホーム臨時改札横にあり、そこが連絡先。例会はときどき駅から少し行った公民館を借りて開かれていた。撮った写真を見せ合ったり、情報交換したり、8ミリ撮影をしている会員の方もいて、その映写を見たりが日ごろの活動。かなり年配の方
古い写真を見直して空想旅行。今日も上越線SLレトロみなかみの写真です。撮影上越線明日頑張れば、週末はお休み。治療疲れが溜まっているので取りたいです。。。
実は来週八戸へⅮ51の重油タンクの測定に行く予定でした。で、前回行った時(測定出来なかった)に「次回来る場合は前に連絡してください」との事だったので測定許可を貰うべく八戸公園へ電話を入れました。すると電話に出た方から「法律から2メートル以上の高所作業になるので安全帯着用と足場を組んでもらわなければ許可を出せません」と言われました。話をしても上記の一点張りでした。電話を切った後、軽く調べてみたところ、法律では足場が無い場合、安全帯の着用だけで済むみたいでしたが(間違っているかも知れま
まる1日、子供と遊べる週末があるといつも「今日はどこ行こうか?」だんだんネタ切れしてきます。でもちょっと足を伸ばせば意外と見つかる。新潟県、捨てたもんじゃないぜここは「当たり」だったな、という遊び場を載せておきます。「新津鉄道資料館」行ったのは8月だけどね(笑)きかんしゃトーマス、ポッポォ〜。プラレールから始まって、相変わらず鉄道、機関車、電車、貨物列車、新幹線にはテンション上がる双子です。上越の「直江津D51レールパーク」は好評だったので、近場で電車や機関車が見られる場所が他にないか、
m(__)m以前のブログで私が書いていたBS-TBSでの放送を2月28日(日)13時~と書いていましたが2月23日(日)13時~で明日のお昼でした。もう一度ユーチューバーの方が取り上げていただいた物を下にあげておきます。興味のある方は見て下さいね!もう一つは現役時代の1149号機も
下記をクリックお願いします人気鉄道ブログはこちら➡投稿ネタ不足のために蒸気機関車全盛の頃撮影した写真を紹介したいと思います、塩狩峠は曽野綾子さんが小説にかいた塩狩峠で大変有名な場所です。塩狩峠は6回ほど訪れましたが重連を撮影したのは初めてだしたD51866号機は昭和18年に汽車製造大阪で製造されて昭和50年に追分機関区で廃車となりました。49651号機は対象9年に川崎造船兵庫で製造され昭和50年に追分機関区で廃車となりました下記をクリックお願いします
今日は先日到着したKATOのデゴイチ、D51397の話です。私の所はDCC化をしないと走れないので早速作業ですが、色々あるので2回に分け、今回は機関車本体側の加工について書いてみます。いつもご訪問頂きありがとうございます。以下本編です↓。DCC化を終えて走れるようになったD51397(KATO2016-B)です。左のC623(2017-3)より一回り小さいのが分かります。ヘッドライトもDCC制御、On/Offが可能になっていますが、デゴイチの方が随分明るくなったな~😅。
最近は撮影に出られない日々が続いているので古い写真を見直して、空想撮影を楽しんでいます。撮影上越線SLみなかみ
毎度!おばんです!今週の「日曜ゆるネタ」は、まず・・・めちゃくちゃ盛り上がってた、阪神ジェットカー・5025Fのラストランが、今週の月曜日でした。で、同じ日にデビューしたのが・・・神戸市営地下鉄西神山手線・6143F。何も「要検明け出場」ではなくて・・・側面に「こどもっとKOBE」のステッカーが貼られてますが・・・あら、派手なラッピングが・・・意外にも?6号車だけ。ま、ホームドア設置の関係で、正面に派手な装飾を辞めてしまっていますが、側面を派手にしたしてきた、神戸市営地
探索日2007/03/18切り替えは1973年5月25日の複線化時田立駅が西へ1.5km移転田立駅方新旧線分岐点現在線は島田トンネルに入り、旧線は山沿いを進む旧線跡は国道19号線になっている国道の橋の下に旧線の石積み橋台が残っている国道トンネル口に保存されている旧線の石積みと314キロポスト新賤母トンネルは旧国鉄地蔵山トンネルを拡幅して完成させました。旧トンネルは明治42年に完成しました。此の石積は旧トンネル内の壁面に施工されていたものです。