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魏志倭人伝を素直に読めば、魏の使者は朝鮮半島から対馬、壱岐と渡ってきて、末盧国(ほぼ間違いなく北九州の松浦半島)に上陸し、そこからチョコチョコといろんな国を訪ね、最期に邪馬台国に行き着いています。もし邪馬台国が畿内だとしても、北九州の諸国が邪馬台国の支配下にないなら、少なくとも同盟・従属関係にないなら、魏の使節は北九州に上陸できませんし、する理由もありません。そもそも北九州の衛星国をひとつづつ丁寧に訪問していた使節団が、そのあとドーンとトバシていきなり奈良まで行っちゃうのは、おかしかないか?
以前、魏志倭人伝に記載されている倭国の30余国の地名比定を行ったが、このうち「華奴蘇奴国」だけは、どうしても比定候補地を見つけることができなかった。今回、この華奴蘇奴国の候補地をあげてみることにしたい。なお、私は、候補地の条件として、次のいくつかの留保をつけておいた。やみくもに候補地をあげたとしても、意味がないと考えたからであるが、ここでも簡潔にその要旨を記しておきたい。1中国(魏)に使者を送り、朝貢するような国として、一定の人口規模に達していたと想定する。その際、一つのクラ