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2025年7月9日の検証魏志倭人伝には、多くの疑問箇所があります。1つ目は、投馬国が、列記した国名の中に無いことです。それ以外の国はそれ以外の辺傍の国は遠く隔たり、詳しく知ることができない。と書いてあります。投馬国は、女王国より北で近いと云うことです。この記事には別の引用史記が、あるとすれば、斯馬国=対馬、己百支国=壱岐、伊邪国=伊都国とも考えられます。でも少し違うような気がします。二つ目は、帯方郡から女王国までは一万二千里と書いていて、里で表した不弥国までの距離が、11,400里で残
歴史調査卑弥呼は「平和主義者」だった!?(日本初の国の女性リーダー・卑弥呼の謎)黒井ドラゴン意外に思われるかもしれないが、「卑弥呼はどういう考えを持った人だったのか?」ということは、邪馬台国研究史上でもあまりいわれたことがない。筆者は、「卑弥呼は平和主義者だったのではないか?」と考えている。その理由は次のとおりだ。1.卑弥呼は倭国内の王たちによって女王に立てられたそれは、「卑弥呼は倭国内の王たちによって倭国の女王に立てられた」ということ
熊本県山鹿市に「方保田」という地域がある。熊本県民でもなかなか読めない難解地名として知られる。「かとうだ」と読む。「かとうだ」と検索しても文字変換さえできない難解地名である。古くは「片保田」と書いていた記録もあり、「かたほだ」と呼んでいたのだろう。「かたほだ」の「たほ・taho」が「toh・とう」に変化したものだろうか?ここに「方保田東原遺跡」というものが存在するが、「邪馬台国」にも比定されようかという遺跡だが、発掘は全体の5%ほどだとされる。出土品は国の「重要文化財」に指定される貴重な品で
論点3卑弥呼が受領した「銅鏡百枚」の鏡式を合理的に考える【魏明帝が卑弥呼のために選んだ「銅鏡百枚」】卑弥呼が魏明帝から受け取った「銅鏡百枚」がどのような鏡だったのか?倭人伝に記された「鬼道に事え、能く衆を惑わす」から卑弥呼は宗教的な要素が強い女王であり、銅鏡は祭祀に使用される道具であるとも考えられている。一方中国では「銅鏡」は化粧の際の道具としての実用品である。明帝は卑弥呼に対して「好物」を選んで賜与しているので、使者から卑弥呼の好みを聞き取って品選びしたのであろう。魏
ウヨの側に立って外国人排斥を主張していながら、ウヨの歴史観を認めないというのはこれもまた一種のバカなのではないのかと思えます。この人はアメリカ議会立法調査官だったあの人に憧れて政治家を目指したと言いますから、派閥で子分を養うことをしてこなかったあの人の数少ない直参のようで、参議院当選2回での入閣もそういう人間関係があってのことでしょうが、だったらもう少し支持者の歴史観を知っておくべきです。外国人排斥では威勢が良いのですが、支持者がどういう歴史観を持っているかを知らないのです。「私は卑弥
○NHK出版新書の「新・古代史〜グローバルヒストリーで迫る邪馬台国、ヤマト王権」を買って、読んだ。その読後感を延々と書いている。今回が50個のブログになる。まだまだ書くべきことは多々あるが、切りが無いので、今回で終了としたい。○NHK出版新書の「新・古代史〜グローバルヒストリーで迫る邪馬台国、ヤマト王権」は、何とも面白い本だった。何しろ、筆者はNHKのプロデューサーでありディレクターだと言う。ところが、本の内容は、まるで考古学の話一点張りなのである。○何処がグローバルヒストリーなのか、皆目、