ブログ記事1,057件
邪馬台国論争パプアニューギニア【序】前回の記事で旧唐書が、倭国のある場所として記述する「京師(現在の西安)から一萬四千里の新羅の東南の大海の中」は、現在だとパプアニューギニアおよびビスマルク諸島に該当する可能性があることを見ました。倭國者、古倭奴國也。去京師一萬四千里、在新羅東南大海中では他の中国史書の記述も見てみます。<魏志倭人伝>倭人、在帶方東南大海之中。自郡至女王國萬二千餘里魏志倭人伝では、「倭人は帶方群の東南の大海之中にあって、女王国までは12、000里」
邪馬台国論争ラピタ人【序】前回までの記事で魏志倭人伝が記述する「帶方群から萬二千餘里の位置にある女王国」がパプアニューギニア(もしくはビスマルク諸島)であり、朝貢を行った倭人がポリネシア語、マオリ語を話す人々であった可能性に付いてみました。以上を念頭に以下では、パプアニューギニアにはいかなる人々が住んでいたのか?を考えてみたいと思います。キーワードは「ラピタ人」となります。画像と記事は関係ありません【ラピタ人】ラピタ人(Lapita)の祖先は、「元々は台湾にい
スタルペスです。お久しぶりです転職してから忙しい日々を送っていてブログのフォローもできない状態がつづいていますが、今日は久々にブログ投稿ができそうです。前回と言っても1か月以上の前からの続きで、今回も唐津市の古墳を紹介します。前回のブログで紹介した「双水柴山古墳群」から少し北に向かったところ、近くには西九州自動車道が通っています。今回もさらにニッチな古墳、「外園古墳(ほかぞのこふん)」を紹介します。圃場整備された農地の中に集落があり、集落内を東西に通る道路際に外園古
邪馬台国論争において昔から争われている論点として、「会稽東治(かいけいとうち)」と「会稽東冶(かいけいとうや)」のどちらが正しいかということがあります。これは、中国から見て邪馬台国がどのあたりにあると考えられていたかということに関連しています。それが、『三国志』(「魏志倭人伝」)と『後漢書』で異なっているのです。『三国志』計其道里當在会稽東治之東(女王国〈邪馬台国〉までの)道里を計ると、まさに会稽東治の東にある。『後漢書』其地大較在会稽東冶之東その地(邪馬台国)はだいた
私の邪馬台国論の根幹をなすのは、魏志倭人伝後世書き換え説です。魏志倭人伝の行程記事は、帯方郡から不彌国までは里数が書かれていますが、不彌国から投馬国への行程と投馬国から邪馬台国への行程は日数で書かれています。(不彌国から投馬国)南至投馬国水行二十日官曰彌彌副曰彌彌那利可五万余戸(投馬国から邪馬台国)南至邪馬台国女王之所都水行十日陸行一月官有伊支馬次曰彌馬升次曰彌馬獲支次曰奴佳鞮可七万余戸里数は、尺度はともかくとして、万人が共通認識を持つことのできる具体的なも
「魏志倭人伝」を読んで邪馬台国へたどり着こうと考える人は、必ずこの「一里問題(仮)」にぶつかります。例えば、書かれた行程をたどって九州島の末盧国(まつらこく)へ上陸したとします。次は、末盧国から500里のところに伊都国を探さなければなりません。さらに、伊都国(いとこく)から100里のところに奴国を……。その過程では、1里が何メートルかを決めなければ先に進めないのです。しかし、邪馬台国論争はすでに300年を超えましたが、この最も基本的な「一里問題(仮)」には明確な決着がついていません。「
「刺青は、医療か芸術か?」を巡る、大阪地裁での「医師法違反」裁判国内では江戸時代の罪人の証である「入墨」の印象が強く、「彫り物」「紋々」等、明治維新以降の心得違い的な感じ西洋的な文字表現を「タトゥー(Tatoo)」としても、やはり文化的な違いは否めません紐を解いて行けば、アルプス氷河のアイスマンにも彫られていましたから、5,300年前より続く人類の文化遺産で国内では「魏志倭人伝」、つまり1,700年前からある人の営みの1つその行為が皮膚にインクを定着させる事にあるから、
倭人は帯方郡の東南、大海(中国の東方、現在の日本海、東シナ海)の中、島に国村をなして住んでいる。昔は(漢の時代)百国余りの国があった。漢王朝の時代朝見してくる者がいた。今は使役通じるところは三十国である。帯方郡から、倭に行くには、いくつかの道程があるが、その一つ目は、海岸に沿って船で進み、韓国を経て、南、また東と進み其の(東南大海の)北岸にある狗邪韓國に到る。先ずは海を渡ること千里余り。目標は海中に浮かぶ島。對馬國に至る。官は卑狗。副を卑奴母離という。断絶した島で、その面積は一
こんにちは、スタルペスです福岡県みやま市の蜘蛛塚から近くに「権現塚古墳(ごんげんづかこふん)」があります。周りには住宅はなく、田畑の中にポツンと1基だけがある大きな円墳です。直径45m、高さ5.7mの2段築成の円墳です。周囲には幅11m、深さ1.2mの周溝が巡っています。古墳時代中期(5世紀)の築造と考えられています。※権現塚古墳主体部は確認されていませんが竪穴式石室ではなかったかと思います。墳丘は、周囲のどこからでも眺められる堂々とした古墳
∀ヤマタイ国≒カレーライス※意味的に手天道衛教・自分神話研究会・383あなたのメンタルヘルスに貢献する。え?なに?そう思いますよね。わが国が、魏志倭人伝に記された国号を精査するとこうなっています。「邪馬台国」。でも、ヤマト=大和=国家のこと。つまりヤマタイ国=国家・国家。カリーは香辛料を使った主に汁ご飯。ナンの場合もあるケド。で、カレーライス=汁ご飯・ご飯。つまり、ダブっている!?手天道衛教はHand-fairymethodEI-kyou=Re
◯NHKスペシャル:古代史ミステリー第1集「邪馬台国の謎に迫る」が、昨日2024年3月17日の午後9:00〜午後9:50に、放送された。当古代文化研究所では、事前に、ブログ『NHKスペシャル新シリーズ「古代史ミステリー」邪馬台国の女王』、ブログ『<邪馬台国>吉野ヶ里&纒向遺跡の研究最前線取材で新事実紹介』、ブログ『NHKスペシャル:古代史ミステリー第1集邪馬台国の謎に迫る』、を書いて、NHKの事前予告を案内している。◯これらを見ても判るように、NHKのこの番
勉強会の参加者の方から「倭の五王は6人」や「朝貢のルール」だけでも概要を紹介したら、とのご意見をいただきました。2009年5月の勉強会②(5/17)をそのまま再度掲載します。(朝貢の詳細な考察やなぜ倭王の一人が記録から欠落したかなどの説明は2012年5月勉強会の記事の方が参考になると思います。下の表は2012年5月27日に掲載しているものです。とりあえず写真を撮り直してアップしてみましたが、あまり鮮明ではありませんねぇ)************************
ミシガン大学のプレイスは頭蓋骨の計測資料の比較から1991年に「縄文人コネクション仮説」を発表しています。環太平洋に広がった「海の民」は縄文人であるという考えは古くから海外にはあるようです。ラピタ人をルーツとする「海のモンゴロイド」ポリネシア人は、日本人とは比較にならないほど体格が大きいのですが、縄文人とポリネシア人の骨格が似ているとの指摘は以前から言われています。小さな舟で遠洋航海に出るメンバーは、自ずと筋力逞しく脂肪を蓄えた体格の良い男性が選ばれた結果、現在のポリネシア人になったのでは