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卑弥呼は…能力者として絶対的な力を持っていました(ここでは全てを語ることができませんが…最期の一部だけ、綴らせていただきます)足には足枷がつけられ、手にも手枷がつけられ、首にも首枷がつけられた状態で左半身の頭から身体にかけて…酷い暴力を受けて意識が無くなりかけている、そのような状態でも…卑弥呼は『…全ての者たちが…幸せであるために…』その想いでいっぱいでした意識が遠のいていく状態で卑弥呼は、岩にうつ伏せで押し倒され、陰部から…大きな剣で串刺しにされました
小野龍海’s歴史塾このホームページでは歴史研究の成果を資料化して公表しています。ono-no-tatsumi.amebaownd.com5.鳧更(ふこう)・・・鳧=かもorケリ(チドリ科)龍海:この部族は地名にも残らないようで色々と不明です、でも調べていて孔子が『論語』の中で「子、九夷に居らんと欲す(孔子が東方の九夷の国に移り住みたいと言った)」と言った事は当代随一の知恵者を以てして東夷の国がスバラシイ所と認識していた事を知れたのが良かったですね。孔子:九夷に居ら
このブログの閲覧者から「全国邪馬台国連絡協議会会報邪馬台国新聞第19号(2026年4月30日)」に、生野先生の著書『陳寿が記した邪馬台国』を参考にした投稿記事があると教えていただきました。生野先生に限らず在野の研究者の論考は、著名な研究者や歴史著述家の本の「参考文献」にあげられることはまずありません「似たような論考(仮説)」だと思いほんの少しの期待感を持って巻末を捲りますが、残念ながら「生野眞好」の名前も1999年に最初に出版された『倭人伝を読む』、2001年発行の『陳寿が記した邪
これまでの弊ブログで、現在の日本の歴史の問題点とされている「邪馬台国」、及び、「魏志倭人伝」に書かれているそこへのルート等について、書いてきた。今回は、邪馬台国の位置=畿内説に書いてみよう。話題の原点は魏志倭人伝にある記述をどう解釈するかだ:つまり、南至投馬國水行二十日官日彌彌副日彌彌那利可五萬餘戸南至邪馬壹國女王之所都水行十日陸行一月南へ水行20日で、投馬国に至る。ーーーーーー。南に水行10日と陸行1月で女王の都のある邪馬台国に至る。記
大中遺跡公園の竪穴住居には、家出してきた金魚ちょうちん。そのころ、外では――「金魚ちょうちん、どこへ行ったんじゃろう?」心配した親ちょうちんさんたちが、金魚ちょうちんを探しに来ました。ところが、竪穴住居の前を通っても、なぜか中には気づきません。どうやら、この竪穴住居の中だけ、見えない世界になっているようです。親ちょうちんさんたちの気配が、だんだん遠ざかっていきます。金魚ちょうちん、ひと安心。これで、誰にも邪魔されずに修行を続けられます。そこで、ふと金魚ちょうちんは思いま
原文G21景初二年六月倭女王遣大夫難升米等詣郡求詣天子朝獻太守劉夏遣吏將送詣京都読み下しY21景初二年六月、倭の女王大夫難升米(なにそぐむ)等を遣(つか)わして郡に詣(いた)らしめ、天子に詣(いた)りて朝獻せんことを求め、太守劉夏(りゆうか)吏を遣(つか)わして將て送りて京都に詣(いた)らしむ。
西尾幹二著「国民の歴史」上下二巻著者は東大独文科卒のニーチェの研究者である。従って歴史については門外漢だが先入観や偏見に囚われず却って専門家と違った視点で歴史事象を考えることが出来、大変興味深い。例えば上巻206頁に「魏志倭人伝は歴史資料に値しない」とある。我が国に歴史書が無い時代だったのでどうしても中国の歴史書に頼らざるを得ない。以下概略を引用する。「魏志倭人伝の著者は陳寿といい諸資料を利用出来る立場にありそのひとつは魏志倭人伝に先行する魚豢という人の『魏略』であり魏志倭人伝は『魏略』
魏志倭人伝に登場する邪馬台国の女王卑弥呼2世紀ごろ100の国々が乱れて倭国大乱180年頃に、争いを治めるために女王卑弥呼が共立されて国が治まりました。ここまでは後漢の時代です。238年には魏から親魏倭王の金印をもらいます。魏の役人も倭国へ来ていますので当時の倭国の状況が詳しく書いてあります。247年南の狗奴国との紛争が過激してきたので卑弥呼が魏に応援を頼みます。248年魏の役人の張政ら20人ほど倭国に到着卑弥呼以て死す卑弥呼は亡くなっていてお墓も完成、葬儀も終わ
卑弥呼は日本の記録には一切出てこない。古事記や日本書紀にもそれらしい記述は一切ない。しかし、中国の魏の国(三国志で有名な魏、蜀、呉の魏)の魏志倭人伝に書かれている。そこには・邪馬台国があった。・卑弥呼という女性の王が治めていた。・鬼道(呪術・宗教的な力)により治めていた。・多くの国が卑弥呼に従っていた。・卑弥呼は魏に使者を送り、魏から「親魏倭王」の称号と金印や鏡などを授けられた。・卑弥呼が死ぬと、大きな墓が作られた。・次いで男の王を立てたが国が乱れ、最終的に台
帚木蓬生「日御子(上)」安定の楽しさ&面白さで感動がいっぱいの帚木歴史小説です国宝金印「漢倭奴国王」を廻る衝撃的なお話から始まるのでわくわくが止まらないこの小説では奴国ではなくて那国邪馬台国ではなくて弥摩大国あくまでも小説だからなのでしょうなので日本史の授業をぼんやり聴いていたわたしでもそれなりに楽しめるのです上巻には日御子はまだ登場しません倭国から漢への使者と同行した使譯(通訳)の一族の物語でした日御子は卑弥呼なのでしょうか???卑弥呼って調べたら卑弥
原文G20参問倭地、絶在海中洲㠀之上、或絶或連、周旋可五千餘里。読み下しY20倭の地を参問するに、海中洲㠀(しゆうとう)の上に絶在し、或いは絶え或いは連なりて、周旋(しゆうせん)五千餘里可(ばか)りなり。
原文G19又有裸國、黒齒國、復在其東南、船行一年可至。読み下しY19又(また)侏儒(しゆじゆ)の國有りて其の南に在り、人の長(みのたけ)三四尺、女王を去ること四千餘里、又(また)裸(ら)の國、黒齒(こくし)の國有りて、復(ま)た其の東南に在り、船行すること一年にして至るべし。
イオ(Io)は、アルゴスの川の神イナコス(Inachus)の娘で、ヘラ女神に仕える巫女でした。彼女の物語は、なぜ黒海とマルマラ海の間の海峡が「ボスポロス(牛の渡し)」と呼ばれるかを説明する地名起源譚(エティオロジー)としても機能しています。牛への変身主神ゼウスがイオに恋をして関係を持ちましたが、妻ヘラに気づかれそうになった際、ゼウス(異伝ではヘラ自身)がイオを一頭の白い牝牛に変えてしまいます。ヘラはこれを見抜き、その牛を「贈り物」として譲るよう要求。ゼウスは断れず、イオ(牛の姿の)はヘラの所
木村鷹太郎の『魏志倭人伝』行程論の要点発表の経緯1910年(明治43年)7月、哲学者・翻訳家として知られていた木村鷹太郎(1870-1931)が、読売新聞に「東西両大学及び修史局の考証を駁す」という論文を発表しました。同年、京都帝大の内藤虎次郎が邪馬台国=畿内説を、東京帝大の白鳥庫吉が邪馬台国=北九州説を発表しており、これが後の「邪馬台国論争」の発端となりましたが、木村はこの両方に真っ向から異議を唱えたのです。通説への批判『魏志倭人伝』の行程記事をそのまま素直に読むと、邪馬台国は九州のは
邪馬台国が見つからない理由の続きです。答えを先に卑弥呼死から筑紫の誕生まで卑弥呼は狗奴国の兵隊に殺されてしまいます。次に狗奴国の王が支配しようとします。再び、戦乱の時代に突入その時に力を発揮したのが魏から来ていた張政ら20人ほどに大陸の役人たちもちろん、彼らには理由があります。親魏倭王の金印を与えた卑弥呼が敵国に殺された。門外不出の情報です。魏志倭人伝は卑弥呼以死と一言で・・・もう一度、13歳の女性台与を立てて立て直します。そして卑弥呼に与えた金印の帯の
江戸時代から続く邪馬台国論争近年では奈良の巻向遺跡と箸墓古墳の発掘で当時の日本最大の都は奈良だった~~と過熱していますが、しかし、倭国大乱など紛争の跡が見えない。確かに、土器で広い交流の跡は見えるけど、人口はそれほどでも??未だに、これは??と云える確定できる証拠はありません。何故??でしょうか?はい邪馬台国が登場する魏志倭人伝かなり矛盾があります。当時の魏の役人は適当だった??いや違います。かなり策略の上に成り立っています。邪馬台国が発見されない理由-YouT
NASAEclipseData2回に渡って「日食と天の岩戸神話」について書きました。なんとなく168年の金環日食がアヤシイという結果になりましたが、実はイマイチすっきりとしない結果です。「前末中初」という言葉をご存知でしょうか。北部九州において、弥生時代前期末と中期初頭の遺跡の出土内容に大きな相違・断絶が見られます。紀元前4世紀に外部からの侵略があったなど、大きく時代が変わった形跡があるのです。これが神話の「天孫降臨」だとする説があります。天の岩戸の時代=天孫降
糸魚川の翡翠拾いで拾ったあまり見かけない濃いピンク色の石ネットで見つけた石に似ている(シナバーインクォーツ)ピンクの脈は辰砂かも辰砂・硫化水銀、シナバー。・中国の辰州(現・湖南省)が主な産地だったので辰砂と呼ばれる。・加熱して硫黄を分離すると水銀になる。・古代中国では、朱と水銀は不老不死の妙薬で、秦の始皇帝は「賢者の石」と呼んだ。(始皇帝の死因は水銀中毒という説がある)・現在でも漢方薬に使われている。・顔料、魔除け、防腐剤、防虫剤に
私書手紙。(私は、手紙を、書く)・・・これは、中国語では、以下の意味である。プライベートの書物トイレットペーパー。「日本人」と「朝鮮人」とが、直接、通訳なしで、「漢文」を用いて、「筆談コミュニケーション」が、可能だった!・・・同じ「漢字文化圏」の世界で、生きてきた。西洋の「ラテン語」と同じ働きをした。ヴェトナムも「漢字文化圏」である。京都大学「中国文字文化論」第12回「日本への漢字の伝来」阿辻哲次人間・環境学研究科教授(2013年7月
原文G19女王國東渡海千餘里、復有國、皆倭種。又有侏儒國在其南、人長三四尺、去女王四千餘里。読み下しY19女王國の東へ海を渡ること千餘里にして、復(ま)た國有り、皆倭種なり。又(また)侏儒(しゆじゆ)の國有りて其の南に在り、人の長(みのたけ)三四尺、女王を去ること四千餘里。
魏志倭人伝は、一応漢文で書かれているが、文法的に漢文的でない所や、現地の音韻をそのまま漢字に置きかえたと思われる表記がある。しかし、当時3世紀の漢字音は、推定によると、倭人伝の日本地名は、相当違った印象になり、どうも、日本の音を漢字に転写したというのは無理がある。陳寿が編集したと言っても、楽浪郡の役人の報告をそのまま載せたというのが正しく、楽浪郡の役人は、朝鮮人的である。朝鮮人が、倭国に渡来人として来ていることは明らか。それも鉄や稲作などと一緒に結構な人数の往来が
伊都国から放射式に国々が配置されているのは、魏の使者にとっての実務的・軍事的な理由(主要国への情報伝達の所要時間)によるものだと以前説明しました。『時間を伴う放射式構造の合理的理由』一般的に朝鮮半島から邪馬台国へのルートが書かれていると言われている部分です。(1)比較・分析・考察一目見て明らかなように、行程記事は伊都国以降で変化しており、…ameblo.jpここで一つの疑問が生じます。奴国(2万余戸)、投馬国(5万余戸)、邪馬台国(7万余戸)というそうそうたる大国が並ぶ放射式グルー
畿内説と九州説で争っている、「あれ」だけどAIのおかげで、いろいろと、教えてくれるから、いろいろ分かった。もちろん実証はできないけれど、推論はできる。いつの日か、論が確定した時に、自分の推論が正しかったということになりそうで楽しみだ。まず、箸墓、纏向が邪馬台国と卑弥呼墳墓とするのは、ありえない。纏向は奈良盆地に突然出現した大規模祭祀的遺跡らしい。そして箸墓は大規模前方後円墳で、三輪山という自然崇拝の原始宗教ということで、卑弥呼の鬼道と絡めて、さらに、炭素年代測
これまでの弊ブログで、「魏志倭人伝」に書かれている、朝鮮半島の「帯方郡」から「邪馬台国」へ至るルート(通過する国々の方角と距離(または日数))と共に、「後漢書の東夷伝」(卷八五列傳卷七五東夷伝」➡こちら)に記述がある、倭の「奴国」(福岡県春日市?)が漢に朝貢を行い「金印」を授かった内容などについて書いた。しかし、現在の日本の歴史の問題点は、「邪馬台国」の位置、「魏志倭人伝」に書かれているそこへのルート、特に—「投馬国」から「邪馬台国」までの記述です。不弥国から南へ、投馬国(とうまこく