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『①外圧で開国を迫られ、安政の大獄や将軍継嗣問題、攘夷運動等が高まる中で、幕府が威信低下し、そして、②最後の将軍”徳川慶喜”が大坂から江戸へ逃避していくその間に起こった出来事に纏わる「お城」を採り上げる』シリーズです。前回は、長州征伐の為に幕府の総本営が置かれた「国泰寺」を城下に持つ「広島城」をお届けしました。「国泰寺」では、幕府方と長州方の間で色々な駆け引き交渉が行われていましたが結局決裂し、両者間で戦線が四か所で勃発します。その内の一つが「石洲口の戦い」です。「長州
白河市松並の「白河口の戦い跡」の画像です。「白河口の戦い」は、会津藩・仙台藩を主力とした奥羽越列藩同盟軍と薩摩藩・長州藩を主力とした新政府軍が数カ月に及ぶ激戦を繰り広げた場所となります。戦いは小峰城を巡る攻防戦が主となりました。旧奥州街道沿いの市街地外れの住宅地が戦場跡となっています。会津藩戦死墓と会津藩鎮魂碑長州・大垣藩戦死六人之墓【撮影日:4月6日】
君ゆき、新章開幕です。なのでオープニング&エンディングの主題歌もダンスも変わりましたね。どんなに暗いラストでもかわいいエンディングで心が軽くなってましたが、後編は展開的に高低差が激しいのかエンディングの雰囲気も変わりましたね。楽しそうにしてる皆が回想シーンみたいですでに切ない池田屋事件の夜、父の仇をとった丘十郎。心が晴れるかと思いきや、初めて人を斬った感触が手にまとわりつき震えが止まらない。それは屯所に戻っても同じでした。丘十郎の父の仇、長州藩の庄内は大作の親友で、大作は長州藩の命
10歳で近藤勇の「試衛館」に入門し、池田屋事件では数十人を相手に奮戦する活躍を見せるが、病魔に犯され若くして逝去した新選組隊士が、沖田総司である。沖田総司は1842年、沖田勝次郎の子として生まれた。10歳で近藤勇の「試衛館」に入門、瞬く間に頭角を表し師範代を努めるまでになる。1863年に清河八郎が、将軍徳川家茂の上洛警護のために浪士組を募集、近藤勇、土方歳三らと参加して上洛する。しかし入京した翌日、八郎は新徳寺で、浪士組の本当の目的が討幕であることを表明。浪士組は八郎に従って江戸へ戻る者と、
高杉晋作この人、決断力と行動力が尋常じゃない。自分は一文も持っていないのに、藩の後払いということで、無断で軍艦を買っちゃった!長州藩は、身に覚えのない数億円の請求が来たときに絶句したそうです。高杉はかの有名な松下村塾で学問を修め、将来有望な逸材として、『松下村塾四天王』の一人に数えられていました。高杉の師匠は、『おめ―らどこまで狂えるの?俺はやるぞ!』が信条、衝撃の狂人【吉田松蔭】です。吉田松蔭、厳しそうな眼差しをしつつも、偉人らしく穏やかな感じにも見えます。しかし、この人の人生は無
日本史の闇を炙り出す茶唄鼓の研究発表会第7弾。近代の闇「明治天皇はすり替えられた!」です。昭和4年田中光顕という人が「もう、知っているのは私だけだから・・・」と語ったのが発端でしたが「ある時点で明治天皇に即位した睦仁を毒殺して別人にすり替えた」というのです。田中光顕は11年間に渡り宮内大臣を務め皇室内部の裏も表も知り尽くしていました。証言の中で田中光顕はすり替え後の明治天皇は「大室寅之祐」だとハッキリ言ってます。南朝の血筋と言われ明治天皇より2歳年上で年齢的には要件を満たしています。
皆様こんばんはたぬきですでは、今日は勝手に一人で盛り上がる、高杉晋作の回…もとい、歴史=ご先祖様がやってきたことを知ると人生の起爆剤になるかも、ってお話です。高杉晋作という人のお話は私は割と衝撃を受けたのでそんな感じでちょっとお話しますそう、ちょっと!高杉晋作は長州藩の(今の山口県萩市)藩士のお家生まれてきました。ご近所には逃げの小五郎と言われた桂小五郎も住んでいたとな。桂さんって、維新の三傑の一人で明治になった後はお国のために私財まで投げ売って尽くした方でした。後の木戸孝允(き
前回からの続きですが、諸外国を相手に怯むことなく、堂々渡り合った…高杉晋作けれども、長州藩は大敗を喫し、列強の強さと攘夷の無謀さを知り藩内では、幕府に恭順する俗論派が実権を握りました。この状況下、討幕派の晋作は、恭順派に命を狙われながらも、たったひとりで立ち上がったのです。そんな無茶苦茶な挙兵にも関わらず、ちらほらと集まったその数、総勢80人ほど…!長府の功山寺に集結。絶望的な状況であることはなんら変わらないのですが、戦いを前に、晋作はこう言い放ったといいます。これよりは長州男児の