ブログ記事1,771件
もうだいぶ経ってしまいましたがさえちゃん今年も無事にお家で誕生日を迎えることができました5月25日さえちゃん7歳になりましたあの日から7年。今年は学校で忙しすぎてさえや私自身の体調不良もあり当時のことを思い出すことは少なかったけど当時に思いを馳せれば苦しくなることだらけ。それでもさえが生きて今もそばにいてくれて一緒に時間を過ごせることはやっぱり幸せなことのほうが多いかな。私が看護学生だった頃、当時の教科書には、さえのような重症心身障害児の多くは小学校就学前に亡くな
さて、無事退院の日を迎えることとなりました。今回は特にこれ以上何か感染したりすることもなく、実にすこやかな退院と相成りました。本当にみなさんのおかげです。ときのぶさん、鯉のぼりゲット!そうそう、こどもの日だったんですよね5日は。ですので、我が家でも用意しておりましたよ。2日遅れの菖蒲湯。というか菖蒲シャワーこれで元気にすくすく育つよ。長男も自分からは言いませんが、内心待ちわびていたご様子。ときくんのところに置いていた、こどもの日でばーばがくれたおもちゃ。帰
さえが旅立って9か月。嘘みたい。今は医療の力も借りながらなんとか日々をこなしてます。前なんて向けない。主治医には「無理をしないように」と言われるけど無理をしないと日々を過ごせない。薬は効いてるのか効いてないのか。さえの学校に何枚か学校でのさえの写真をもらえないかお願いしてそしたら写真のデータをDVDにしてくれて渡してくれた。11月に受け取ったのに未だに見れてない。本当に未だにさえの写真がほとんど見れない。見たいのに。1年前は一緒に見れた桜。。。1年前と同じ
さえの頑張りを見届けてから3ヶ月が経ちました。3ヶ月で季節が大きく変わって寂しさは増すばかりです。さえがくれた、たくさんの幸せな時間、思い出は悲しい寂しい後悔そんな思いでかき消されてて宇宙一かわいいさえの写真も遺影以外ほとんど見れなくて本当に…どうしたらいいのか…会いたいなほんとそればかり。今日支援学校の先生が集金の返金があるからと来てくれた。もしデータが残っていたら、学校でのさえの写真をもらいたいとお願いした。快諾してくれた…嬉しいけど絶対号泣だなぁ…写
ママが顔丸い、顔丸いっていうんだけどー8ヶ月を迎えました息子のいる1ヶ月、1日、1分、1秒が大切で愛おしい。そりゃまぁ、面会の日々が全く疲れないか、だるくないかと言われたら嘘ですしっかり疲れます。疲れたーって言ったりもします。8ヶ月、指だけ先走って1歳になってるけど。また少しお兄さんになった息子は身長61cm程、体重4600g程、やっとやっと4000g台卒業が見えてきました!その成果か、お顔がだいぶ丸くなってきて赤ちゃんみが増してます今日は長時間面会ということもあり、たっぷり仲良
やっちまいました…寝過ごして今日の0時〜のさえの注入…すっ飛ばしてしまいました…ちょっと横になろうと横になったのが23:05寝過ごしたらダメだからとアラームかけて…目が覚めたら6:00ってなにー!!!最初状況がよく分からずあれ?さえの注入…やったか?え?やってなくない?え?でも、え?はいー。仕事なのに寝坊した時ばりのパニックー。0時の次の注入は6時。はい、もうどうにもできません。ちなみに過去4時前に目が覚めて慌ててとりあえずソリタ200mlだけ入れるってことはした
MRIの結果。今になってとても悲しくて泣いてはしっかりしなきゃと泣き止んでまた泣いてテレビ見たり携帯ゲームして現実逃避。で、また泣いて。まず新生児科の先生から、MRIの結果の説明を受けました。ほぼ何も写ってないさえの頭蓋骨の中。何も…見えるのは脳幹だけ。その脳幹も半分以下の細さ。あと点のようにチョンと下垂体。大脳、基底核、小脳、全て脳細胞は残っておらず機能していない。下垂体は機能しているが、下垂体をコントロールしている視床が壊死しているため、下垂体の信号は脳幹まで伝
寒いと何もなくてもメンタルが弱まります。看護師として病院で働いてた頃あまりの忙しさからメンタルが弱り始め完全に壊れたのは患者さんの急変…亡くなっているのを発見してからでした。とても優しい患者さんで終末期ではあったけどまだ大部屋で急に亡くなるような状態ではありませんでした。このことが起こる少し前から安定剤と眠剤を飲んでましたがこれ以来、自殺願望が。。。生きるために治療を頑張っている人が亡くなり、毎日消えたいと思いながら仕事をしてる私が生きてる。何なんだろうしばらく
土日、朝晩は寒いけど日中は比較的ポカポカで、さえとお出かけ日和ということで土曜日は3人で公園デビューしてきましたちょっと前に買ったもっこもこのクマの上着をさえに着せてさえの経管セット持って自分たちのお弁当持って車で公園へほんとは妊娠中よく散歩に行っていた公園で赤ちゃん生まれたら遊ばせたりしたいねーなんて言っていた公園でまさかこんな未来を考えてもなくてつらくなるから行くのをためらう気持ちもありました。でも、そのとき想像していたものとは違うけど、今は今の幸せな記憶で塗り替えて
なんで子どもが欲しいのかっていったらわりと真面目に子孫繁栄したいから、が理由の一位なんですけども。みんなはなんで子ども欲しいと思うのかな。わたしの理由の二位は子を産める育てる機能がある以上やっぱり使ってみたい、でした。こんな状況になっているいま、その理由は軽くないか?と思わないでもないけど。みんなそんなもんだよね。まさかこんなことになるなんて、こんなことが存在すると知ってても自分の身に自分の子どもに降りかかってくるなんて、思わずに妊娠出産に挑むものだよね。(そし
クリスマスが近づいて参りました。病院も1月来ないあいだにクリスマス仕様になっていて。退院して在宅移行してから初の診断日。久しぶりの方にもたくさん会えました。みんな、二言目には「すぐ帰ってくると思ってた」と。大丈夫です、我々もそう思ってました。ときさん、がんばってますね。いっぱい言ってもらいました。一緒に気切と胃ろうの交換もしてもらいました。総合病院だからか、気切交換は耳鼻科でやってきてくれ、と。ついこないだまで小児病棟でやってましたやん。。。と思ってましたが、
本日は、こまごまとした事を備忘録的に列挙しようかと。・メラって大事病院時、在宅ではメラありません、と言われていました。理由は、家庭用の吸引機が持続吸引に向いていないということもあり。ただ、ときのぶさん唾液の分泌が多い事多い事。横に向いているときはもう垂れ流せと言われましたが、滝です。その下のガーゼは池です。いや、もはやダムです。仰向けすると溺れちゃうので、こまったなぁと思っていて。でも、一応メラは手に入れたので、あとは持続吸引の機械ですね。なんか、魚の水槽に空気送るポ
お話は14日から。呼吸器の蛇管が、熱線が入っているものではなく、ウォータートラップのあるものだったのです。それ自体は特に不満はないのですが、呼気ポートのところから水漏れがあったり、どこからか水分が出てときのぶさんがびちゃんこになるケースが何度かあったのです。これは風邪をひいてしまうよね、って訪看さんと話をしていて、病院とも話をして熱線のものに変えてもらうことに。それが14日に届いたのです。そういや、そんな相談をしているときに担当してくださってた病院の先生から、今月で異動に
さて入院から6日が経過しました。病棟ではRSウイルス患者がかなり増えているんですって。看護師の中では「絶対にときくんに伝染してはならない!」と、バックヤードにでかでかと掲示しているそうです。ありがたいなぁ。そんなみなさんのおかげで今のところなんの感染もなく、ときのぶさん非常に落ち着いておられます。ちなみに病室が我が家では「VIPルーム」と呼んでいる、ナースステーション目の前の、病状が悪化した時に入る部屋だったのですが、本人がどうこうではなく周りと隔離してくれたんです
はじめまして。れいちぇるママですこのブログでは、愛息子れいちぇると新米パパママの日常や思う事を綴っていきたいと思っています。不妊治療の末に授かった子どもは重症新生児仮死で誕生し、低酸素性虚血性脳症で医療的ケア児となりました。重症新生児仮死?低酸素性虚血性脳症?医療的ケア児?えぇーーーっ出産以降、初めて耳にする単語のオンパレードに震えて、検索魔になったり、涙が止まらなかったり。が!愛息子に触れる度に強くならなくちゃ!!と自分を奮い立たせる毎日です。(まだまだブレる時もあります)
続き、出産②出産した日を思い出すと胸が苦しくなります。出産って奇跡。あの日を振り返って綴りたいと思います。2023年8月29日17:00産院到着。到着してすぐに内診を受けて子宮口1cm。この痛みで、間隔5分切ってる(1,2分の時も…)なのに子宮口1cmしか開いてないの??何かおかしくないか??読み漁った出産レポとだいぶかけ離れている気がしました。助産師さんに付き添ってもらい待合室へ。立ち会い予定の夫にはまだまだ時間が掛かりそうなので一度帰ってもらうことに。『頑張ってね
出産した日を思い出すと胸が苦しくなります。出産って奇跡。あの日を振り返って綴りたいと思います。2023年8月29日6:30起床。とっても軽い生理痛のようなものを感じ、これは前駆陣痛ってやつなのかな??そんなふうに思いながら一応間隔を測る。間隔6〜10分…痛くないけどすでに10分を切る。ひとまず朝ごはんを食べたり、いつも通りにすごしてみるけど間隔が短いことが気になり出す。11:00母から電話。私の夢を見たから電話してみた。と。母は時々私が夢に出てくると電話をしてきます。間隔
4月17日(火)7時33分ひかたんがお空に旅立ちました。16日(月)は記事にも書いた通りひかたんは穏やかな顔をして調子も良く一緒に抱っこしながら過ごしていました。退院の目処もたっていて私たちの希望としては家族みんなの風邪がしっかり治ってから連れて帰りたかったので土日あたりにしてもらおうかなぁなんて話をしていました。ひかたんも少し痰と鼻水が多めではありましたが、熱もなく呼吸状態も非常に安定していたので、明日からお風呂にも入りましょうと看護師さんと約束をして帰りました。今思えば…いつも家
先日さえちゃん無事に特別支援学校小学部入学しました今年の小学部の1年生はさえを含めて8人でした。1人は訪問籍。医療ケアがっつりなのは訪問籍の子とさえともう1人通学の子3人だけな感じでした。とりあえず、みんな可愛いこれから当分付き添いなので、みんなの可愛さに癒されてなんとか乗り越えようと思います。さえの担任の先生…年配の小柄で細い女性の先生…もちろん1人で移乗したりしないだろうけどさえちゃんなかなかのずっしり感だけど大丈夫??と思ってしまった大丈夫なんだろうけど、不安
実は私、3月末に仕事復帰しました。私がブログを見させて頂いている医療ケアが必要なお子さんのお母さんはみんな仕事を辞めてお子さんのお世話をされている中、子どもの世話を病院に押し付ける形で仕事復帰するのはどうなんだろう。母親として失格なのではないか、という葛藤がずっと自分の中にあって、育児休暇終了ギリギリまで悩みに悩んだ末、仕事復帰することを決断しました。私の職場は従業員数6名という少人数の会社で、産休・育休ともに取得するのは私が初めて。私の仕事なんて誰でもできるような簡単な仕事ではあるけ
2017年10月産休に入って間もなく、切迫早産で入院。立ち仕事だったので、動きすぎたかなと反省。でも入院していれば、いつ陣痛が来ても安心だなーとこの時はまだ能天気に過ごしていた。入院中は1日に2回、胎児の心拍モニタリングを行う。そこで何度も心拍低下の異常が発生していることが発覚。異常がでるたびに緊急の診察をしては、Drが首をかしげる。「元気に動いてるから大丈夫じゃないかな。一時的な臍帯トラブルかなぁ。」と。臍帯のつけねを本人が蹴とばしたり踏んだりしちゃうと、一時的に酸欠になる
先週定期受診で大丈夫って話をしたのにおととい夕方5月以来の頻脈発作。脈は160台。いつもの発作より軽い感じ。20分くらい様子みていつものことだけど止まる気配はないので頓服のワソラン内服。5月の救急で処方してもらったので頓服を使うのは初めてでした。前回の救急でワソランの点滴でも15分は止まらなかった。内服だともっとかかるよなぁ循環器内科の先生からは内服だと止まらないことも割とある的な話をされたこともありちゃんと止まるかなー?でもいつもより頻脈の程度としては軽いから止
いい湯だな♪アハハン♪ってママが言ってたー平日1日はママの沐浴day土or日はパパが2時間半前にダイアップでお風呂前まで寝てたけど、服脱がせたらパチッと目覚めましたせっかくの大好きなお風呂だもんね、起きてゆっくり浸かって“あ〜気持ちぃぃいー!”って感じたいよねこれまで看護師さん達のデスクの目の前を陣取っておりましたが、この度席替え(?)致しました。少し遠くへベッド移動となりました。GCUに移ってからかれこれ5ヶ月間幅を利かせてましたが、私も夫もほぼほぼ手技獲得となりまして、面会時は
読んで下さる方、いいね!して下さる方、フォローして下さる方、コメント下さる方々、ありがとうございます9.26『4歳2ヶ月(修正4歳)発達』今回は前回の発達状況記録とあまり代わり映えしないので、変化のあったところだけ記録します〜【口、言語】ガーゼに唐揚げを包んで噛ませるリハビリを以前からしていたのですが、今回はすごく上手に噛めていました!大人がガムでも噛んでるみたいにしっかり噛めているのが見られました言葉はまだまだ不明瞭ですが、たまにすっごく上手に『おやすみ〜』や『いただきます』や
読んで下さる方、いいね!して下さる方、フォローして下さる方、ありがとうございます※今回の記事はMRIの結果を載せています。長くなりますが、ご興味のある方はお読みいただけたら幸いです。12.12『退院前MRIの結果』いただいたプリントの文章をそのまま載せます在胎30週2日体重1228gAp0/0/0常位胎盤早期剥離のため帝王切開出生生後32分で自己心拍再開基底核、視床型の重症低酸素性虚血性脳症修正3ヶ月の再評価前回MRI検査(2019/09/18)と比較しました。
昨日はさえの神経科外来受診。待つこと2時間待ってる間、私の不安定な精神状態がよく顔を出します。たくさんの子どもたちを見て、さえと比べて、あ…あの子はチューブ入ってるけど表情があって感情出せるんだ…あ…あの子は麻痺があるんだ…さえもあんな感じの車いす乗ることになるのかな…あ…あの子は体は不自由があるけどコミュニケーションは問題なさそう…さえと同じくらいの月齢かな…元気に泣いてて羨ましい…こんなことばかりエンドレスで考えて自分で最低だなと思って。周りの人の大切な子どもたちをそんな
妊娠9ヶ月沖縄から帰ってきて、少し心配だった検診。結果は問題なく、順調でした。この検診が結局最後の検診となりました。ひかたんが生まれる11日前でした。今思えばなのですが…ひかたん妊娠中のお腹はこの時フワフワしたようなお腹ではなく、硬めで突き出るような形のお腹でした。一人目の妊娠の時、+14kg二人目ひかたんの妊娠は初期の頃から体重管理をしっかりしようと、食事は腹8分目にして毎日食べ過ぎないように心掛けていました。そのため体重はこの検診の時で+8.8kg。体重増加を抑えている
いつもブログを読んでいただきありがとうございますコメントくださる方ありがとうございます、励みになります久しぶりのブログの更新になってしまいました。皆さま今年もよろしくお願いしますりっちゃんはお陰様で元気で穏やかに過ごしています⤴︎最近、なんとなく追視ができるようになってきた?気がしますいつもりっちゃんと泣き虫パパを応援してくださる皆さまにご報告があります。ブログでは言っていませんでしたが、去年の11月に娘の分娩をとりおこなった医療機関が医療過誤(医療ミス)を正式に認めました。
続き、出産③出産した日を思い出すと胸が苦しくなります。出産って奇跡。あの日を振り返って綴りたいと思います。2023年8月29日もうその後の時間の流れは記憶がありません。静かになった手術室で吐き気のする中淡々と閉腹され、病室へ運ばれました。麻酔で足が動かず、発熱で寒気がある中1人になってようやく何が起きたのか理解しました。夫に送った産後初めてのLINEは“ごめんね”赤ちゃん守れなくてごめんね。夫婦とお腹の赤ちゃんととっても楽しく過ごした妊娠期間。想い出が沢山です。あれだけ元
今日はさえのリハビリ予約の2時間前に家を出て駐車場がすんなり入れたので1時間ちょっとで院内へでも道が混んでて間に合うか不安に駆られた母は腹痛で病院着いて即トイレさえのオムツ替えてひと休憩したら意外とすぐリハビリの時間。なんかまた大きくなりました?(笑)なんて言われました今日もガシガシ体を動かされたさえ様。バランスボールの上でバウンバウンされてましたでも楽しいのか手の握り込みもなく力は抜けててリラックスモードバウンバウンPTさんと私の会話がうるさいので音声消して見たほうが