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6月15日(火)お通夜6月20日(日)告別式、葬儀セレモニーホールにて無事、葬儀を終えました。ご会葬いただきました皆様には心より御礼申し上げます。また、お花や弔電もたくさん賜りました。まことにありがとうございました。お寺様の諸事情でパパが亡くなってから葬儀まで1週間以上ありましたがその間パパはずっと自宅にいたのでゆっくりお別れの時間がありました。この地域ではお通夜は家族、親族のみ告別式、葬儀に一般の方がご会葬に見えます。現在は新型コロナウイルス対策として葬儀はお組
先日、お世話になった方の《偲ぶ会》に、行ってきました。広い会場に入ったら大きな遺影。誰も居ない間に献花しました。この方に最後に私がお会いしたのは、お寿司屋さんでした。その時に鮪を頼んだら『まだ、鮪食うのか』って言われましたw懐かしい遺影に向かって「あの時は、沢山鮪食べてごめんなさい🙏」っと手を合わせました(*´人`)スタッフも数名引き連れて、お手伝いしてきました。芳名板にはプロスポーツ会、芸能界、政界など各界の著名人の名前が、ホテルの入り口付近から長いボードに張り出されて
息子の会社の上司の方が息子の荷物と頼んでいた会社での写真や動画を声かけして持ってきてくださいました。家で見る事のない仕事での息子の様子など沢山話して頂きました。息子よ、一生懸命頑張っていたんだね。皆んなから好かれていたのに…そしてお褒めの言葉を頂き、誇らしげに思いました。就職決まった時、本当に行きたかった所だったもんね。理想の所で働けて羨ましかったよ。何があったのかな。人間関係?女性?いじめ?同期の方達や同世代の方達に話が聞きたい。会社と自宅の往復の中で何かあるのだと思います。
今日から10月ですね。すっかり秋らしい気候になり今日はキレイな青空が広がっています。いつも私のブログに来てくださる皆さまありがとうございます。ひとつご報告があります。2022.9.10AM5:52夫が天国へ旅立ちました。鎮静剤で眠ったまま、安らかな最期でした。緩和ケア病院に転院してわずか1週間で旅立ってしまいました。闘病生活2ヶ月というあまりにも早すぎる死をこの現実を家族みんな受け入れられず、複雑な思いで日々過ごしています。白木の仏壇に遺骨と遺影…毎日朝
母の遺影を専用箱に入れて押し入れの中に保管した。ずっと飾っておこうと思っていたけど四十九日も終えたし法要の時だけ取り出すようにしようと思う。遺影の母は、まだ70代でかわいらしく微笑んでいて美しいのだけど母の顔を思い出すとき遺影の顔が第1番目に思い出されてしまってそれが固定されてしまってなんだかちょっと違うなあと思えてきたのだ。亡くなる前の83歳のときの顔が今のわたしにとって1番、母っぽい気もするし。
先日ジブリパークへ行った時母が突然『遺影の写真撮って!』と言ってきたまぁ、背景としてはお花畑で良さげかと思ったのか一応撮ったけど色々考える遺影って何年先まで有効祖母の時は孫の成人式で撮った写真だったから亡くなる10年程前に撮った写真亡くなる時病気で痩せてたから痩せる前がいいねと言ってそれになった確かに母は今、元気で大きな病気もしていないので良いっちゃあ良いのだけど母は祖母にいじめられていたので祖母の事が大嫌い祖母は80歳ぐらいで亡くなったから恐らく遺影は
2020年12月28日⑥火葬場に着くとバァバは正面玄関で降ろされたママとキミ達は少し離れた入口から入っていったんだねコロナ禍なのに車で待機して待ってくださってた方々…皆さん、涙を流してくださってたそうだよ…火葬場へ入りママとキミ達の遺影を係員さんにお渡しして…ママとキミ達の方へ行こうと思ったら足にまるで力が入らない…ジィジと、か〜えちゃんに支えられながら歩いたんだ…こんな時にカッコ悪いバァバで、ごめんね…ママ…かなと…れいと…早く起きて!起きないと
2020年12月28日④ママね…バァバのお家で、かなとの学習発表会のDVD見てたみたいで…プレイヤーの中に残ってた…それを、か〜えちゃんがババ様のコトで怒って帰った時ダビングをお願いしにじぃちゃん家に寄ったんだってじぃちゃんね…ママとキミ達に会いに行った時本当は、パパにいろいろ言ってやりたかったんだけど…じぃちゃんは、他人だから何も言えなかったんだ…って、言ってたって…じぃちゃん、ばぁちゃんにとってママは孫キミ達は曾孫じぃちゃん、ばぁちゃんに他人だからと
2020年12月28日⑧火葬場を出てマイクロバスに乗ってお寺へ戻ったんだよバァバはまたママとキミ達の遺影ジィジは、ママのお骨を抱えて…ママは、痩せていたけどずいぶんと軽くなっちゃったなぁ…ジィジが呟いたんだ…そうだね…遺影を撫でながら答えた…キミ達のお骨はパパのお姉さん達が持ってくれたんだよお寺に着き住職さんに百か日法要まで供養していただいた…その後の供養はバァバのお家の住職さんにお願いするコトになるいろいろお世話になりました…住職さんに挨拶してジ
飲み屋さんで、二人とも20代前半だろう若いカップルが話しをしていて何となく聞いていたら女性がこんな事を言った「うちのパパとママはもう何年もセックスなんてしてないと思う。だってベタベタしてるのみたことないし触れたりもしないしお風呂に一緒に入るなんてこともない。もう二人とも枯れてると思う」すると男性が「そんなこと絶対ないよ、お母さんまだ50になったばっかだろ隠れてちゃんとしてんだよ。キミが知らないだけさ」そこで女性が「
命より大切な息子が逝ってしまって普通の精神状態普通の体調でなんかいられないこの胸のモヤモヤ感全身身体を走るピリピリ感全て心が悲鳴をあげてる結果気力も無くなり笑う事も楽しむ事も外と遮断した引きこもり生活毎日毎日泣いて何で逝ってしまったの?気付いてあげられなくてごめんぬ会いたい辛い悲しいどうして?どうして?って攻め立ててるよね息子の遺影に向かって‥ねぇ○⚪︎◯母は体調悪くして気付いた事があるの辛い事や嫌な事全てから解放されたくて穏やか世界に行ったんだよ
2020年12月25日③バァバの会社から出た所でパパからラインが来たんだ葬儀の日程が決まりました。写真も選んでほしいのでお邪魔しても良いですか?って…良いよ〜ってバァバは返したけど…そっか…ママとキミ達がお空へ逝ってしまったらパパとは他人になってしまったんだ…パパの言葉遣いで、そう思ったバァバのお家に戻るとか〜えちゃんが居たんだけど、パパが車の中で待ってた。中に入ってもらってジジ様が書いた、葬儀のメモをいただいた。キミ達の解剖が終わり次第、パパとバァバに
数年前に夫くんをガンで亡くしました。約30年前に結婚してからの夫親との確執、夫くんの闘病、そして、現在までを振り返り綴っています。アラフィフおばさんによる夫親への怒りが中心ですがお許し下さい。前回ののお話はコチラです↓『気持ち悪いって・・③』数年前に夫くんをガンで亡くしました。約30年前に結婚してからの夫親との確執、夫くんの闘病、そして、現在までを振り返り綴っています。アラフィフおばさんによる夫…ameblo.jp亡き夫は、長男だったため我が家と同じ敷地内にある夫
皆さま大変ご無沙汰しております3月27日は夫の一周忌でした24日の日曜日に身内のみで法要を済ませましたあっという間の1年間私はこの一年で何が変わったのだろう取り敢えずは夫の死を受け止める事はできたそれだけですプライベートはずっと引きこもりです何もできません💧夫の遺影も見れる時と見れない時があります何時になったら立ち直れるのかなぁ。。。孫の陽音(おと)ちゃんにはいつも本当に癒されています
見に来て下さってありがとうございます。先日、父が亡くなりました。危篤と聞いた時は少し泣きましたが、その後は普通に死を受け入れて、「体から開放されて自由に動けるようになって良かったね。ありがとう、お疲れ様でした。」と思うようになり、それからずっと、死に際も、お通夜の時も、お葬式の時も、今もそんな風に思っています。全然泣かないので、「私、薄情な人みたいだよね?」と思いました😅斉藤由貴の歌「卒業」の歌詞みたい。脳梗塞で左半身麻痺になってから今年で10年目、色々あって正月
おやすみと言って寝た息子が、まさか次の日目を覚まさないなんて想像もつかなかった。最後の日の会話も、なんて事ない話ばかりで何を話したかまるで思い出せなくて、悲しくて仕方ない。自分には何か出来た事があったんじゃないか、こうすれば良かったんじゃないか後悔は尽きません。その中でも私が一番後悔している事それは「愛を伝えていない」事です。家族仲は良いとは思ってますし、毎日笑い声があって楽しい家庭でした。息子とも「うちの家族って仲良いよな」なんて話した事もありましたが、息子に面と向かって気持ちを
2月15日13時30分に、お迎えがあって、家内は、エンバーミングに、門を出ました。遺影は、この門の前で、前年の8月に撮影した写真になりました。2月18日に、エンバーミングが済んだ家内は、葬儀場に入りました。長女と家内のメイクに立ち会いました。なんだか、昔の家内に返ったような。フェースメイクとネールメイクが終わって、たくさんの花に囲まれていました。では、また。
昨日お香典返しの品物が届いたみたい色々な方から連絡や電話を貰った家に帰ってただいま〜の後遺影をみたらもう涙が止まらなかった全然一区切りなんてついてなかった向こうに行ったら一緒に居られるかな?
息子の部屋中に飾ってある写真遺骨遺髪位牌遺影その中に篭りっきりの私またまた連れ出してもらった日中は動物園夕方からは水族館どちらも息子と来たところ笑ってはしゃいで見て食べて楽しかった頃が蘇って私は本当に幸せな母親だったんだなぁって‥成人しても長男次男末娘いつも一緒に出掛けたね長男家族末娘家族次男の息子は独身だったけど甥っ子姪っ子を我が子の様に可愛がり息子の横はいつも私いつも大人数での行動だから隣にいない寂しさが‥長男
ブログをご覧頂いている皆様いつもありがとうございます。このブログは、私と同じ葬儀司会者や葬儀で司会をなさる皆様に向けて、少しでもお仕事の助けになればと思い、葬儀司会の台本や雛形・葬儀ナレーションの原稿や例文等をご紹介させて頂いております。よろしければご参考になさってみてください。今回は「開式前ナレーション」からの抜粋です。祭壇の中央に置かれた故人様の遺影がとても柔らか笑顔でいらっしゃったので、遺影にまつわるお話をご遺族に伺い、開式前にナレーションさせて頂きました。--------
こんにちは今日、5月9日は妻の本当の祥月命日早くも5年が過ぎました法要は4月27日に繰り上げて行い同時に、妻の両親の位牌と遺影のお炊き上げをお願いし手続きをしてきました妻の母親は昨年の11月に十三回忌妻の父親は今月が十七回忌区切りの良いところで、妻側の親族にも伝えた上でお炊き上げすることにしました妻の父方・母方、両家の親族が快く承諾してくれ今後も親族としてのお付き合いを続けてくれるとのことです本当に感謝です今の仏壇は妻の位牌のみとなっています不
昨日のブログでは葬式のお話をしたが『両親に自分の葬式について聞いてみた結果』私は自身のお葬式にあまりお金をかけてほしくないと思っている。そのお金があるなら教育費にあててほしいからだ。けど、もし自分の子供がと考えたら、親はどう思うだろう…ameblo.jp遺骨の置き場についてはいまだに悩んでいる。①散骨自分の性格的にはこれ!②自宅に置くもし、子供がお墓参りをしたいと言ったらどうしよう。とりあえず置いておくというのもありかな。悩んでいる理由はこの映画を見たから【中古】リメンバー・ミー
ひとつひとつ義実家と話しながら決まっていく。遺影はいいお写真ありますか?と聞かれ何枚か担当にみてもらう。担当の方は、知り合いという事もあり、これがいい感じだと思いますと選んでくれた。一緒に行った京阪旅行の着物姿のあっくん。この写真私が撮ったんです。だからか、あっくん凄くいい顔してますもんねって。嬉しかった。レンズ越しで優しく微笑むあっくん。この笑顔は私だけのもの。
やってしまいました父さん(夫)と結婚して23年私は1度も姑と喧嘩したことなかったところが、昨日とうとうやってしまったてか、2度目だった(笑)1度目はお通夜の前の日父さんが亡くなってから、葬儀までは3日あって、2日目くらいから姑がやさぐれはじめた姑は足腰が悪くて車椅子生活なのだか、初めは娘や孫たちと悲しげにしていたがそのうち、部屋に閉じこもりはじめたのです息子を失い、悲しみに暮れているのかと思ったけど、どうも様子が変わってきました出来上がってきた会葬御礼の内容にケチをつけたり、
2020年12月25日④ママとキミ達の遺影になるべく七五三の写真を持ち帰ったパパ…その後先にお空に逝ってるジィジのお父さん…ママのじぃちゃんに📱したんだママとキミ達の解剖が終わるから明日の午後は、やっとお寺に安置されます。ってそうかそうか…明日な…行ってみるからな〜って、ジィちゃん…22時過ぎ、刑事さんから📱があったんだ3人の解剖が終わったのでこれから、警察に戻ります。って…ごめんね…痛かったね…やっと終わったね…📱を切った後にすぐにパパから着信
皆様沢山の暖かいコメントを有難うございました。1つ1つ読ませて頂き、夫の何気ない日々が、皆さんの心の中に少しでも残ってくれたようで、夫の生きた証になり、とても嬉しく思います。個別のコメントは差し控えさせて頂きますが、ごーちゃんの事を思い出して頂けるよう、遺影にした写真を置いていきます。辛い時もありましたが、こんな笑顔の瞬間もあったことを、皆さんに知って頂けたら幸いです。本当にお世話になりました。
夫が亡くなって遺影の写真を決めるときにかなり悩みました。若いころは旅行に行ったら写真をいっぱい撮っていましたがだんだん年を取るにつれてお互いの顔の写真は撮らなくなっていたので最近の写真があまりなかったのです。あまりにも前の写真だと良くないかなと思ったりして時間が無い中何とか選んだ写真でしたが夫の遺影の写真選びはちょっと後悔が残りました。自宅ではもっとイケメンな写真に変えて飾っています(笑)私が死んだら、遺影の写真あるかな?と考え
毎年母の日に花をプレゼントしていました今年も遺影の前に花を供えました母は人生をかけて私にたくさんのことを教えてくれました毎日毎日母を思い母の言葉をたくさん思い出しますたくさんの愛情をかけてもらい本当に感謝していますお母さんありがとうございました
ダメだ病気のことの続きを書こうと思って何度も書き始めるけど書けない私は日記なんてつけるほうじゃなかったけど、父さん(夫)が最後の入院をした頃からノートに記録を書き始めたんだ記録なんてたいそうなものじゃないけど、状況が飲み込みきれず、心を落ち着けるためと、頭がパニックでなんにも覚えてられなくなって、書き留めておかなくちゃって思って、ただその時に起きていた事と、その時の感情をノートに書いていましたそれを見ながら病気のことの続きを書こうと思ったけど、どうしてもそのノートが開けないんですノー
息子にご飯に誘ってもらい行ってきました父さん(夫)が亡くなって以来、つい食べることを忘れてしまう日々が続いています不思議と息子と一緒の時は、ご飯が美味しく感じてきちんと食べられるのはなぜなのかな?家でも息子にたいした料理も作ってやれず、申し訳ない思いでいっぱいですが、文句ひとつ言わずに、たまに私のご飯も作ってくれます「まあ、今は仕方ないよ」とか言っちゃって優しい息子くんその優しさは誰に似たのかな?やっぱり父さんだよね息子の作る料理はとっても美味しいんです息子よガストでバイト