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故人のブログに今更御長男の結婚報告その前に報告しなきゃならないことがあるのでは?コ○ナ禍での逝去のため家族葬(直葬だという残念なお話も)だったと言われてますが、節目の弔事の報告が家族でカラオケだとか食事ばかり球界でお付き合いのあった方々の中にも、お線香をあげて手を合わせたい方々が多数いらしたでしょうに。お別れ会のご予定は?納骨のご予定は?お節介は承知しておりますが、あまりにお気の毒で。あのスナップ写真を引き伸ばした遺影や仮祭壇、なんとかなりませんか?しかも自分のブログを貼り付け
母が亡くなったことを知ってる人からは色々お悔やみの言葉をいただく決まって私は言う96歳まで生きてくれて大往生ですよ最後まで子どもに面倒かけることなかった母でしたから本音を言えば、もっともっと生きて欲しかった介護もしたかった母のために何かすることが嬉しかったもう今は何もできない…遺影に話しかけるだけ…脳梗塞で倒れ、3ヶ月間、お見舞いに行くことしかできなかったが、母に会えるのが嬉しかった言葉は発することができなかったけど、表情で言いたいことは分かったスマホで撮った母の動画を何度
続きです『葬儀の打ち合わせ』の続きです『間に合った!』の続きです『弱っていく父③』の続きです『弱っていく父②』の続きです『弱っていく父①』6月21日(金)痛みがひどくなり、医療用麻薬…ameblo.jp葬儀の打ち合わせ中、遺影の額縁を選ぶという時に、担当の方が、四十九日法要まであと飾りという祭壇を供えていただきます。遺影はそこに置きますのでお部屋の雰囲気に合ったお色目にされると良いかと思います。と仰った。兄が一瞬、ん?という顔をして、え?どこに置くの?じいじのマンションで良いんか
今日、妻の四十九日だった自宅にて法要そういった儀式があるから家にお坊さんが来るよと、娘(7歳)には、昨日のうちに伝えていたでも、そのことがママのことを思い出させたみたいで夜になって少し不安定に。。布団から抜け出してきた娘は「ママとぎゅーしたい」と、泣いていた妻の遺影の前でしばらく二人で抱き合っていたんだけど途中からは泣いている僕を娘が”よしよし”してくれる展開だったでも、昨夜いっぱい泣いたので、今日の法要は僕も娘も、まったく泣か
娘と離れるのが辛くて、寝るときは毎日寝室ではなく、仏壇の前のソファで寝ています。寝る前は「おやすみ◯◯ちゃん。」と言って遺影と骨壺を撫でてからソファに横になる。娘を抱っこしたくなるときは、骨壺を抱っこしてソファに座っている。骨壺を抱っこすると、生前ミルクをあげていた時を思い出す。こうして娘のことを考えながら寝るのだが。夢から覚めた瞬間。すぐに娘のことが頭をよぎる。すぐに娘の遺影を見て、骨壺を見て、今娘がいないことを理解してから激しく落ち込む。「いない。」「いない。」「やっぱり
第11話「悠貴へ・・・」悠貴の死を受け入れた未来は、ひとりでは家に帰れないと夕暮れの街を彷徨っていた。そこに悠貴の幻影が現れて、一緒に家に帰ろうと呼び掛けた。マンションで未来は母と再会した。母は彼女の無事を喜んだ。悠貴の死は、未来の口から両親に伝えられた。両親は内部がメチャメチャになったマンションの片づけをしながら、未来がショックから立ち直るのを待った。悠貴の遺影は仏壇に飾られた。両親は日に日に痩せていく未来のことを気にして、努めて悠貴のことを口にしないように心掛けた。月日が経ち、夏休み
闘病なのか死別なのか?どっちつかずの拙いブログに今回も訪ねていただきありがとうございます。兄貴(友人)から、、あなたと一緒に撮った写真を俺の遺影にするばい。。『たまには、私にも、こんな非日常があっても良いのかなぁ?』闘病なのか死別なのか?どっちつかずの拙いブログに今回も訪ねていただきありがとうございます。『兄貴(友人)と一献、、10年後に、こげぇなぁことになるとは。。』闘…ameblo.jp兄貴(友人)の街、、久留米の文化街で飲む。。今回、写真は多めです。普段撮り慣れてなくて下手
娘(8歳)について、、、基本的によく喋り、よく食べ、よく寝る。。僕と娘は妻の遺影に話しかけたりはしないけれど二人の会話に妻はよく出てくる「ママは辛いものが大好きだった」「ママの作ったハンバーグは美味しかった」とか、たわいもないことだけど、、そういった記憶が薄まらないようにそして僕の記憶にある娘が知らないママの、性格…人柄?…エピソード…歴史?を知ってほしい。。娘は、「死」という言葉にとても敏感に反応する
我が家の紹介夫(59歳)妻(57歳)もうすぐ定年夫婦です一人娘(花の20歳)アルバイト2個かけ持ちの大学3年生働き者の3人家族我が家の家計簿本部支部制で収入比に応じて拠出金を決めています夫¥25万妻¥12万合計37万円で毎月やりくりしてます義母の葬儀は今流行りの家族葬で執り行った家族葬ってよく聞くけど一体費用は幾らかかるのか?その他葬儀の手順なんかも備忘録として記録します今回は自宅から1番近い大き目の葬儀屋にお世話になりました自宅で1人亡くなって
今日妻が亡くなって1年が過ぎた朝、登校前の娘(8歳)と二人で線香を焚いた僕たちはこういった特別な日以外、めったに線香を焚かないし妻の遺影に、話しかけたりもしないたぶん、まだ妻の死をうまく受け入れられていないんだと思う…で、こうしてたまに二人で、妻の写真を前にすると、、、もう、お決まりのパターン。。ぶわっと涙が溜まって鼻の奥がツーンとしてひと声でも発したらひんひん泣いてしまうので唾をのんでじっとするしかない僕。。その空気を感じ取った
5月12日義父の命日、一周忌法要の日でした。義父は8年前に入院しましたが、退院した後、何度か会う機会がありました。その際、体は痩せていましたが元気でした。一年前に突然、お風呂で倒れていたと聞きました。88歳でした。遠方にいたため、疎遠になってしまいましたが、いつもニコニコしていて優しい人でした。家族で話し合って、遺影は帽子をかぶった素敵な笑顔の写真に決めました。一周忌は身内のみで行うと親族へ予めハガキで連絡しておきました。遠方や高齢の親戚を呼ぶのはお互いに大変だという理
何がかといいますと、自分の感情です。夫がいなくなりもうすぐで1年7ヶ月。引っ越しもあるし、しないといけない事山のようにあるから、段取りも考えないといけない。今月末まで仕事してるから、あまり集中できないけど、それでも少しずつ始めないと。まだまだ夫のものの片付けも進んでないし。昨日は気持ち落ち込んでたのが、急に少しやる気になって、フェイスブックのマーケットプレイスで売れそうなものを、リストに書き出してました。今朝もそんなちょっとやる気のある感じの状態が続いてたのに、仕事で同僚と些細な事か
アクセスしてくださった皆さま、ありがとうございます。2021年3月19日②葬儀屋さんと、葬儀プランについて打ち合わせる。うちは無宗教なので、自由葬を選んだ。お墓は持たずに、手元供養にするつもりだった。念の為、それぞれの両親には確認をとり、両家とも、それでいいと思う、と言ってくれた。葬儀屋さんにも、「自由葬にして、将来困ることはありますか?」と聞いてみる。今の時代、特に困らない、とのこと。(↑お墓を考えられてる場合は注意です)だけど、お坊さんがつけてくれる“戒名”
2020年12月28日④ママね…バァバのお家で、かなとの学習発表会のDVD見てたみたいで…プレイヤーの中に残ってた…それを、か〜えちゃんがババ様のコトで怒って帰った時ダビングをお願いしにじぃちゃん家に寄ったんだってじぃちゃんね…ママとキミ達に会いに行った時本当は、パパにいろいろ言ってやりたかったんだけど…じぃちゃんは、他人だから何も言えなかったんだ…って、言ってたって…じぃちゃん、ばぁちゃんにとってママは孫キミ達は曾孫じぃちゃん、ばぁちゃんに他人だからと
D、私、今週に誕生日を迎えるよ。また一つ歳の差が離れてしまう。Dはずっと37歳の若い姿のまま。。。逢えなくなって、14年、1日たりとも忘れた事はないよ。誕生日には九州に2人で旅行行くよ。Dの遺影も一緒に連れていく。本当は、遺影のDではなく元気なDと一緒に行きたかったな。生きているうちに、もっともっといろんな所に一緒に行けばよかった。まだまだ時間はあると思っていたから、子育てが一段落したら…なんて呑気に考えていた。もっと沢山話をしたかった。もっと贅沢させてあげれば良かった。も
ふうちゃんが亡くなってからのブログ記事最後にUPしている白い額の遺影にはお花を変えてはお花どうですか?とか帰宅するとふうちゃん帰ったよーとか今もつい声をかけてしまいます亡くなった2年前の9月に一度UPした記事です↓白い遺影から産まれたのはどこだったのかな?少し暑い5月の昼に編んだ籠に入れられて初めて乗った車の窓の風が気持ちよくてね……白木の床にポッと置かれ名前をつけられおいでって呼ぶからヨチヨチ歩いて向かった
主人がそばからいなくなってもう半年。いやまだ、半年なのかな。帰って来たら、部屋の明かりがついていて、仕事をしている気がして。朝起きたら、おはようって部屋から出て来る気がして。もしかしてまだ、病院に入院しているの?とか妄想してみたり。でも、どこにもいない。朝目覚めると、すぐに横にある遺影をみる。笑顔の主人がいて、泣きそうになる。朝が1番苦しい。あなたがいない、長い一日が始まるから。昨日、ブロ友さん(勝手にすみません)が紹介していた、曲を聴いてみた。幾億光年という曲。
おやすみと言って寝た息子が、まさか次の日目を覚まさないなんて想像もつかなかった。最後の日の会話も、なんて事ない話ばかりで何を話したかまるで思い出せなくて、悲しくて仕方ない。自分には何か出来た事があったんじゃないか、こうすれば良かったんじゃないか後悔は尽きません。その中でも私が一番後悔している事それは「愛を伝えていない」事です。家族仲は良いとは思ってますし、毎日笑い声があって楽しい家庭でした。息子とも「うちの家族って仲良いよな」なんて話した事もありましたが、息子に面と向かって気持ちを
2年前に上の子は飼っいてるワンちゃんを連れて里帰り出産で帰ってきた🐶私は動物を飼ったことがなく動物を飼いたいと思ったことも全くなかったワンちゃんを数ヶ月飼うとなると部屋をワンちゃんバージョンにしないといけないしいろいろ揃えないとならない部屋も汚れそうだしな〜そう考えるとワンちゃんには悪いけど面倒くさいとさえ思ったそれとは正反対だった旦那さん私が飼いたがらないから飼っていなかっただけでワンちゃん大好きだった💕ワンちゃんがやって来て2日目私も下の子も
(いろいろなご意見がありますが、私は今は夫と一緒に過ごすことで、夫の本来の姿を見極めていきたいと思います。)「もう、今後、本当に、」「じゃあ、皆んなに、好きとか言うのやめましょう。」「うん、そうですね」「軽はずみに。誤解されて。そういうの本気にする人いるんですよ。好き好きって言われると嬉しくなっちゃって、」「うん」「あ、俺、好かれてる。それで手を出しちゃう馬鹿な人いるんですよ。夫さんみたいに。妖怪シワシワおババさん、それ、嬉しいと思うかも知れないけど、」「そういう、」「家
由志園若くして姉達が癌で亡くなった時私は悲しみと共に羨ましさもありましたその頃私は一方で大好きな母が認知症で一番輝いていた頃の面影がどんどん消失していく悲しみと辛さの中にも沈んでいたのです姉達の若く美しい遺影を見てみんなの早すぎる死を悼む様子を見てそして私も癌になり口惜しいから認知症になる前に死ねる!と癌になって良いことの一つに挙げたけど数年の命と覚悟したのに元気でいられている今なんと贅沢ななんと不遜なと思い直しています今ある命1日でも長
2020年12月28日⑥火葬場に着くとバァバは正面玄関で降ろされたママとキミ達は少し離れた入口から入っていったんだねコロナ禍なのに車で待機して待ってくださってた方々…皆さん、涙を流してくださってたそうだよ…火葬場へ入りママとキミ達の遺影を係員さんにお渡しして…ママとキミ達の方へ行こうと思ったら足にまるで力が入らない…ジィジと、か〜えちゃんに支えられながら歩いたんだ…こんな時にカッコ悪いバァバで、ごめんね…ママ…かなと…れいと…早く起きて!起きないと
おはようございます。7月20日本日お誕生日の方おめでとうございます故人様へのお化粧は本当に難しい。先日お手伝いをさせていただいた故人様100歳、女性の方。老衰とのことでしたがお口が大きく開いていらっしゃいました。納棺式の時間よりかなり早めにお見えになった喪主様にお口元を閉じたお顔をご確認していただいたところ「自然なお化粧でいいわ」と。この段階ではまだ産毛そりと保湿のみだったのでそのことを説明してお顔色は出来るだけ自然な形で行いました。ちょっとした
そろそろこんばんは!!忙しさに起因するストレスで突発性難聴を発症した田中です。せっかく一段落ついたのにトホホですよ…みなさまも体がSOSを出していないか、きちんと聞いてみてくださいオーブというかボケに気を取られがちだが、1番の見どころは外がこの世のものとは思えない色をしてしまっていることだ天井が剥がれているとこもあるけど生活感からぱっと見は泥棒に入られたとかの家っぽい。こんなに残留物があると思わなかったのでとても嬉しいここは天下の廃墟探索地図では「茶平林道沿いの家」として茶平集落扱い
昨日、掃除機をかけていたとき、息子が高校生の頃の思い出がフッと胸の中に蘇ってきました。初めて息子が怒りを露にして主人と胸ぐらをつかみ合ったのです。原因が何だったか、はっきりとは覚えていないのですが、息子が友達のことを言われてのことだったと思います。洗い物をしていた私が振り返ったら、胸ぐらのつかみ合いの状態でした。腹をたてることはまずなくていつも冷静な息子、その怒りの表情を見て、とても驚きました。それとともに、主人と男の喧嘩をしようとしている息子に成長も感じました。そのときの光景が胸に
夫と死別してからどれだけ多くの時間泣いてどれだけ多くの涙を流してきただろう💧死別直後は、大袈裟ではなく朝から晩まで、いつともなくどんな場所でも泣いていた💧遺影の前で座り込んでは……ベランダで洗濯物を干しながらのいつもの景色を見て……スーパーでカートを押しながら……救急車のサイレンが聞こえてきた時……時には、コンビニでのパートの接客中に普通に幸せそうなご夫婦を目の前にして……そして、色んな手続きをひとつひとつ終え夫の名前が消えていく度……亡くなる前の1年半ほど寝
旦那の火葬を待合室で待っている間、お坊さんにあることを言われました。旦那の行方が気になってしまった私は、お坊さんにいろいろと質問をし話をしてくれました。そんな中お坊さんに言われたことが「遺影に向かって話かけてあげて下さい。そうすると姿形は見えないけど、なんらかの合図を出してきます。」と言われました。その時私はへぇーー!!というくらいにしか思っていませんでしたが、のちにお坊さんに言われたことが現実となりました。火葬が無事に終わり、この後家族みんなで食事をする予定だったので、旦那の遺影と骨
長男の静かな部屋でごろんとする。天井を見る。この同じとこを見てたばず。何を考え、何を悩んでた?横を向く。横には長男がいる。笑顔だけど平面、遺影。雨降ってきたよ?早く帰ってきなさい。
2020年12月28日⑧火葬場を出てマイクロバスに乗ってお寺へ戻ったんだよバァバはまたママとキミ達の遺影ジィジは、ママのお骨を抱えて…ママは、痩せていたけどずいぶんと軽くなっちゃったなぁ…ジィジが呟いたんだ…そうだね…遺影を撫でながら答えた…キミ達のお骨はパパのお姉さん達が持ってくれたんだよお寺に着き住職さんに百か日法要まで供養していただいた…その後の供養はバァバのお家の住職さんにお願いするコトになるいろいろお世話になりました…住職さんに挨拶してジ
飲み屋さんで、二人とも20代前半だろう若いカップルが話しをしていて何となく聞いていたら女性がこんな事を言った「うちのパパとママはもう何年もセックスなんてしてないと思う。だってベタベタしてるのみたことないし触れたりもしないしお風呂に一緒に入るなんてこともない。もう二人とも枯れてると思う」すると男性が「そんなこと絶対ないよ、お母さんまだ50になったばっかだろ隠れてちゃんとしてんだよ。キミが知らないだけさ」そこで女性が「