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10月6日日曜日昨日は娘の七回忌を嫁ぎ先の霊園で執り行って頂きお墓に手を合わせてきました行って直ぐ娘の写真が目に入り告別式の際に娘の夫が選んだ写真を久し振りに見てあぁ娘だ。。。涙がこみ上げてきたのを堪えました私の姿を見つけて彼方のお母様が駆け寄って来て涙をためた目で「良かった来てくれて」と言われお母様の話を聞くと、なんでも息子(亡き娘の夫)から最初再婚相手家族を参列させると聞いてなんで?!どうして?!と思ったけれど息
こんにちは~出雲大社の系列の神社の巫女を経まして。教派神道の神職の資格を習得した占い師、白川葵です本日も、お忙しいところ、ご訪問ありがとうございます。初めての方も、よろしくお願い致します。過去記事に、故人の形見や遺品を処分する方法や形見の清め方を記事にしましたが、今回は、その続きのような記事です参考記事『故人の形見、遺品を処分するのに最適な日』こんばんは~出雲大社の系列の神社の巫女を経まして。教派神道の神職の資格を習得した占い師、白川葵です
2024年9月1日私も母も、昨日よりは、良く寝られた。父の急変の知らせがあるかもしれないので、スマホは枕元にスタンバイ。夜中に病院から連絡がなかったので、父は今のところ大丈夫なんだね。朝10時ごろ、ダメもとで父の携帯に電話してみた。もう、電話を取る体力・気力がないだろうし。呼出音は鳴っているので、まだ充電は保っているようだ。すると、父が携帯に出た。うそ~!うれしいしかも会話できた。父「(私に)今ごろなんや。」私「今ごろって朝の10時やで。」父「仕事と違うんか?何で
お寺様に魂を抜いていただきご先祖様と御本尊様が祀られていたお仏壇はただの「箱」になりました。『義実家が更地になるまで⑯』お仏壇の話に戻りますね。『義実家が更地になるまで⑮』どなたかが義実家に置いていった(捨てていった?)古本と、もともと義実家にあった古本を査定していただきまし…ameblo.jpさて、この「箱」となってしまったお仏壇をどうしたものか。お仏壇を引き取ってくれる業者さんなんているのだろうか。そう思いながらネット検索した私ですが業者の選択には困らないほどたくさんの候
私が死んだ後のこと家族には話してある。通夜・お葬式はやってねなるべく名古屋寄りの場所で友人リストは6月に作って夫とお母さんに渡してあるプラスで来たい人がいたら呼んでもらっていいよ遺影は今のところ娘の七五三のときの着物の写真でお墓はないから作らなくてもいいよ他に決めとくといいことあったら教えてくださいまだまだ死ぬ予定ないけどね
ご訪問ありがとうございます介護ブログなので、お墓の話はひとまず置いて、今日は叔母の話です。前回の納骨堂の話はこちら⬇️『納骨堂のいろいろ』ご訪問ありがとうございます書類手続きも終わり、お墓について考えた時、アクセスがよく近くて会いに行きやすい所を検討した結果、納骨堂にしぼって調べてみることにしま…ameblo.jp母が亡くなり悲しみに暮れながら、叔母のことも当然気にかかっているから、ケアマネさんに様子を聞きながら、母の手続きなどをしていた。ケアマネさんからは、叔母は落ち着いているから大
5月12日義父の命日、一周忌法要の日でした。義父は8年前に入院しましたが、退院した後、何度か会う機会がありました。その際、体は痩せていましたが元気でした。一年前に突然、お風呂で倒れていたと聞きました。88歳でした。遠方にいたため、疎遠になってしまいましたが、いつもニコニコしていて優しい人でした。家族で話し合って、遺影は帽子をかぶった素敵な笑顔の写真に決めました。一周忌は身内のみで行うと親族へ予めハガキで連絡しておきました。遠方や高齢の親戚を呼ぶのはお互いに大変だという理
先週亡くなった叔母の家に母と行ってきた叔母の家までは駅からバスバス乗り場へ10時頃に母と待ち合わせした私も早く行くタイプだか母は更に早く着いている。私は57分着で行くよと連絡しておいたが10分早い47分に着いた。母は既に着いていた💦私着くより10分前からいたらしい弟以外時間より早過ぎる家系早く着いたのが良かったのかちょうどバスが出発する所だったバスはその時間帯は10分〜15分毎叔母とは数年前に会ったり去年も電話で話をしたが家に行くのは32年ぶり!なぜ覚えてい
ブログをご覧頂いている皆様いつもありがとうございます。このブログは、私と同じ葬儀司会者や葬儀で司会をなさる皆様に向けて、少しでもお仕事の助けになればと思い、葬儀司会の台本や雛形・葬儀ナレーションの原稿や例文等をご紹介させて頂いております。よろしければご参考になさってみてください。今回は「開式前ナレーション」からの抜粋です。祭壇の中央に置かれた故人様の遺影がとても柔らか笑顔でいらっしゃったので、遺影にまつわるお話をご遺族に伺い、開式前にナレーションさせて頂きました。--------
2月13日の朝、青森の実家に帰りました。死目には会えなかったけど、顔は見ることが出来ました。旦那に感謝です。父の最後の言葉は帰ると言った母に向けて、風邪引かねようにな(引かないようにね)で、亡くなる2日前のことだったそうです。そのあと熱が下がらなくなり息もしたりしなかったりで。12日は仕事が休みだったから病院に泊まるつもりで11日行ったそうです。行った時にはもう、呼吸もしてなくて、先生に家族を呼んでくださいと言われたそうです。父の死目に会えたのは私以外の家族。ほんとに苦しまず静か
9/13葬儀屋さんとの最後の打合せ火葬場へ行くマイクロバス義父の時はマイクロバス1台で行きました料金は35,000円今回、火葬場に行く人は友引のため少なくなりました全員で6人車2台で行かれる人数ですマイクロバス代もったいないので夫と義弟が運転することにしてその根回しも必要でした親戚1は私達の車に乗ること了承運転も夫に任せる親戚2は、親戚2の車をお借りして義弟が運転するプランでしたが本人から自分の車を使うのは問題ないが運転は
読んでくださってる皆様ありがとうございます。シンゴの嫁です。連休明け、家庭訪問がありました。子供たちの担任の先生はそれぞれ新しい先生に変わったのでシンゴと死別したことは知っていても死別直後の私は知りません。昨年11月に死別し、12月の個人懇談の時はまだまだボロッボロの時だったのでその時の娘の担任の先生とは泣きながらの懇談になってしまって今更、先生あの時はごめん・・・と思っています。先生が部屋に入れば嫌でもシンゴの遺影が目に入ります。どういう反応な
そろそろこんばんは!!忙しさに起因するストレスで突発性難聴を発症した田中です。せっかく一段落ついたのにトホホですよ…みなさまも体がSOSを出していないか、きちんと聞いてみてくださいオーブというかボケに気を取られがちだが、1番の見どころは外がこの世のものとは思えない色をしてしまっていることだ天井が剥がれているとこもあるけど生活感からぱっと見は泥棒に入られたとかの家っぽい。こんなに残留物があると思わなかったのでとても嬉しいここは天下の廃墟探索地図では「茶平林道沿いの家」として茶平集落扱い
数年前に夫くんをガンで亡くしました。約30年前に結婚してからの夫親との確執、夫くんの闘病、そして、現在までを振り返り綴っています。アラフィフおばさんによる夫親への怒りが中心ですがお許し下さい。今年の1月に私の実父が亡くなりましたが、未だに実家に行くと父がいそうな気がしますそして仏間には父のにこやかな遺影があります遺影は孫の結婚式の時の父の姿で父の遺影の笑顔を見ると毎回「おかえり」と言われているようでほっこりしますそして、このお仏壇は亡くなった父の新しい居場
(いろいろなご意見がありますが、私は今は夫と一緒に過ごすことで、夫の本来の姿を見極めていきたいと思います。)「もう、今後、本当に、」「じゃあ、皆んなに、好きとか言うのやめましょう。」「うん、そうですね」「軽はずみに。誤解されて。そういうの本気にする人いるんですよ。好き好きって言われると嬉しくなっちゃって、」「うん」「あ、俺、好かれてる。それで手を出しちゃう馬鹿な人いるんですよ。夫さんみたいに。妖怪シワシワおババさん、それ、嬉しいと思うかも知れないけど、」「そういう、」「家
夜遅くの居間に一人スマホで漫画を読んでいたふと覚えのある匂い汗とタバコの混じったいい匂いとは言えないけど💦懐かしい香り夫だ!そう思って周りをキョロキョロもちろんいる訳もなく消しているテレビ画面に、私の影以外で映ったりしてそれはそれで怖いかも夫じゃなかったら😱夫だと気づいたら、匂いは消えていたふと時計を見ると1時38分朝、目覚めて夫の遺影にお焼香「夫、もしかして来てた?」と問いかけて気づいた今日は月命日。
義父が植えた里芋とピーマンご訪問ありがとうございます。お葬式が終わりました。義父は壺に収まりやっと家に帰ってきました。リビングに置いた祭壇はこじんまりとしています。横に小さなちゃぶ台を置いてフルーツやお花をあげました。義父はスナック菓子をつまみに酒を飲む人だったので、ポテチもあげました。遺影は、米寿のお祝いに贈ったお酒を持って微笑む写真を使いました。ずっとメソメソしていた義母は自分の夫が骨になったら急に状況が飲み込めたのか、やけにスッキリした感じで遺影に
数年前に夫くんをガンで亡くしました。約30年前に結婚してからの夫親との確執、夫くんの闘病、そして、現在までを振り返り綴っています。アラフィフおばさんによる夫親への怒りが中心ですがお許し下さい。前回ののお話はコチラです↓『気持ち悪いって・・③』数年前に夫くんをガンで亡くしました。約30年前に結婚してからの夫親との確執、夫くんの闘病、そして、現在までを振り返り綴っています。アラフィフおばさんによる夫…ameblo.jp亡き夫は、長男だったため我が家と同じ敷地内にある夫
続きです『葬儀の打ち合わせ』の続きです『間に合った!』の続きです『弱っていく父③』の続きです『弱っていく父②』の続きです『弱っていく父①』6月21日(金)痛みがひどくなり、医療用麻薬…ameblo.jp葬儀の打ち合わせ中、遺影の額縁を選ぶという時に、担当の方が、四十九日法要まであと飾りという祭壇を供えていただきます。遺影はそこに置きますのでお部屋の雰囲気に合ったお色目にされると良いかと思います。と仰った。兄が一瞬、ん?という顔をして、え?どこに置くの?じいじのマンションで良いんか
娘(8歳)について、、、基本的によく喋り、よく食べ、よく寝る。。僕と娘は妻の遺影に話しかけたりはしないけれど二人の会話に妻はよく出てくる「ママは辛いものが大好きだった」「ママの作ったハンバーグは美味しかった」とか、たわいもないことだけど、、そういった記憶が薄まらないようにそして僕の記憶にある娘が知らないママの、性格…人柄?…エピソード…歴史?を知ってほしい。。娘は、「死」という言葉にとても敏感に反応する
ずっと何も捨てられなかった。あの日わたしが持ち帰ってきた入院したときの荷物もテーブルに置いたまま。バックを開けてみたら着替えや、主人の財布やペンやら、いろいろ出てきた。ダメだ、すぐに閉じた。いつまでも、何も捨てることができない。一周忌過ぎたら考えようとやってみようと言い訳しながら先延ばしにしてきた。よし、元気なときの主人から縁遠いものから捨てよう。病院に入院したときのコップとか医療関係の器具とかミルトンとか。ずっと使ってない保湿剤とか。(放射線治療のときにもらった
数年前に夫くんをガンで亡くしました。約30年前に結婚してからの夫親との確執、夫くんの闘病、そして、現在までを振り返り綴っています。アラフィフおばさんによる夫親への怒りが中心ですがお許し下さい。前回のお話はコチラです↓『気持ち悪いって・・①』数年前に夫くんをガンで亡くしました。約30年前に結婚してからの夫親との確執、夫くんの闘病、そして、現在までを振り返り綴っています。アラフィフおばさんによる夫…ameblo.jp数年前のお話です夫の四十九日法要が終わり、長男だった
先週の24日で妻が亡くなって13ヶ月が過ぎた今回の月命日も僕はとくになにもしていないいつになったら遺影に話しかけたりできるんだろう。。毎朝「おはよう」とか「いってきます」と呼びかけて、手を合わせる。。ってのが、毎朝のルーティンになっているドラマとかよく観るけれど、、、僕にはまだちょっと無理だな夏休みになって10日ほど過ぎた。。まだ、これといったお出かけはしていないけれど娘(8歳)が浮き輪とビーチボールを持って横目
弟が喪主、私はなんだかわらないけれど父の子どもの印のような花をつけられました。初孫ちゃんが静かにできないといけないので一番うしろの出入り口の近いところに息子家族は座っていました。読経がはじまり私は父の遺影をみながらなんだかどこか俯瞰でその光景を見てるような不思議な感覚でした。遺影は息子の結婚式のもの。なので白いネクタイなんです(笑)途中退席していたお嫁ちゃんと初孫ちゃんもお焼香のタイミングで戻りちゃんとお別れしていました。家族葬のお葬式は当然ながらでたことなかったけれど(家族だけだか
前回の記事はこちら『初めて死と向き合う』前回の記事はこちら『1人目の介護記録16〜ツネさんの最期〜』前回の記事はこちら『1人目の介護記録15〜がんばろうね〜』前回の記事はこちら『1人目の介護記録14…ameblo.jpツネさんの1話目『1人目の介護記録1〜ツネさんという人〜』プロローグはこちら『介護記録プロローグ』はじめまして竹内文香(あやか)と申します。3人の娘を育てながら漫画家をしています。自己紹介を書いたらとてもボ…ameblo.jp遺影にクレームつけましたなかった
おやすみと言って寝た息子が、まさか次の日目を覚まさないなんて想像もつかなかった。最後の日の会話も、なんて事ない話ばかりで何を話したかまるで思い出せなくて、悲しくて仕方ない。自分には何か出来た事があったんじゃないか、こうすれば良かったんじゃないか後悔は尽きません。その中でも私が一番後悔している事それは「愛を伝えていない」事です。家族仲は良いとは思ってますし、毎日笑い声があって楽しい家庭でした。息子とも「うちの家族って仲良いよな」なんて話した事もありましたが、息子に面と向かって気持ちを
出棺の時。最期のお別れです。と言われ、棺の中に入っているお母さんとさよならする。お花や手紙を入れて、お母さんの顔に触れる。お母さんの姿を見るのが本当にこれが最期なんだ。と思うと涙が止まらない。お母さんの顔や姿形を目に焼き付けておく。わたしが死ぬ時まで絶対に忘れない。わたしが年老いてボケてしまっても、お母さんのことは永遠に思い出すよ。声や仕草も、忘れない。お母さんとの会話や思い出、全部心に刻んでおくよ。そう思って、お別れした。火葬を待つ間の会食の時、お母さんの遺影を横
考えに考えて…母にSOSをだそうと決めた。こんな歳になって、情けないとは思うがどうにもできない。母に相談した。葬式からまだ二日後…情けなくて別の涙が出るわでも、とにかく早急に片付けないと!借金に頭の大きな部分を占められてしまうのだ。ぐるぐる考えて眠れない家を売れば全部返してお釣りもくる。でも私たちの住むところは?職場は近所だ。娘の大学もあと1年ちょっとは近くだし。すぐに売るのは難しい。二人が卒業して家を出て、私が定年迎えたら整理しよう。知らぬまに遺影を見てため息を
今朝、おはぎもお供えしました。ジャムパンも…炊きたてご飯も(笑)遺影の母から「こんなにかい!!」と声が聞こえてきそうもちろん、お供えしたものは私が食べてきましたよ(笑)パワーもらいました每日の出来事を日々報告してますが、楽しかった出来事の数より、每日溢れ落ちる涙を拭く方が多いです。お母さん、娘寂しい・・・・・・每日寂しいよ…嬉しかったこと、楽しかった事は每日の中にあるよ。だけどね、反応が薄いというか。まだセンサーの働きが鈍い感じがする。。母上に寂しいだけじゃなく、笑
やってしまいました父さん(夫)と結婚して23年私は1度も姑と喧嘩したことなかったところが、昨日とうとうやってしまったてか、2度目だった(笑)1度目はお通夜の前の日父さんが亡くなってから、葬儀までは3日あって、2日目くらいから姑がやさぐれはじめた姑は足腰が悪くて車椅子生活なのだか、初めは娘や孫たちと悲しげにしていたがそのうち、部屋に閉じこもりはじめたのです息子を失い、悲しみに暮れているのかと思ったけど、どうも様子が変わってきました出来上がってきた会葬御礼の内容にケチをつけたり、