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娘(8歳)について、、、基本的によく喋り、よく食べ、よく寝る。。僕と娘は妻の遺影に話しかけたりはしないけれど二人の会話に妻はよく出てくる「ママは辛いものが大好きだった」「ママの作ったハンバーグは美味しかった」とか、たわいもないことだけど、、そういった記憶が薄まらないようにそして僕の記憶にある娘が知らないママの、性格…人柄?…エピソード…歴史?を知ってほしい。。娘は、「死」という言葉にとても敏感に反応する
おはようございます。3月6日本日お誕生日の方おめでとうございます前日記事に書いた内容で故柩紙ってなんですか?と言われたので。こういう柩に貼る短冊というか名札です。私たちが斎場などでお世話をする場合にストレッチャーや柩に貼られています。(故人様がおひとりの場合は貼られていないこともあります)冷蔵庫の扉に貼られている場合もありますし何かしらお名前が確認できるようになっております。ただ、この紙が”葬家様に見えるのが失礼”という考え方もあるので施行中は
早いもので1年経ってしまった朝からヴォクシーで塩山まで桃を買いに行ったのはこの為『YZF-R1久しぶりのバイク』奥様の容態が安定してきており、フルーツなら少しだけ食べていいと許可が出たので早速ももが食べたい毎年塩山で買っているのでそれの事らしいそれならと天気確認した…ameblo.jp7/13が命日そこに合わせて一周忌法要読経中に遺影に虫が最初ハエかと思ったがハエの動きではない蜘蛛だ🕷️最初はじっとしていたがしばらく経つとあっち行っ
なんかさー。遺影って見てるだけで切なくなりませんか??今我が家に置いてある遺影は小さなものです。葬儀などで使ったアノ大きめな遺影。リボン?なんてかかっちゃってた遺影。しばらく義父母宅に置いてあったけど義父母すら辛すぎて片付けてしまいました。遺影って故人が笑ってる写真がほとんどなのになんであんなに哀しいのでしょうね。多分「死んじゃった感」が強いからだろうな。あの独特な写真の納まり方が「遺影」として認識されるように幼い時からインプットされてるも
そろそろこんばんは!!忙しさに起因するストレスで突発性難聴を発症した田中です。せっかく一段落ついたのにトホホですよ…みなさまも体がSOSを出していないか、きちんと聞いてみてくださいオーブというかボケに気を取られがちだが、1番の見どころは外がこの世のものとは思えない色をしてしまっていることだ天井が剥がれているとこもあるけど生活感からぱっと見は泥棒に入られたとかの家っぽい。こんなに残留物があると思わなかったのでとても嬉しいここは天下の廃墟探索地図では「茶平林道沿いの家」として茶平集落扱い
おはようございます☀一昨日は主人の四十九日法要でした。あっという間だな…。まずは無事に終わる事が出来てホッとしてます✨主人の遺影はこちらにしたんですけど、コレにして良かった!って毎日思うくらい良い写真💓カッコイイなぁ🥰主人か生きてる時は、おしゃべりな主人の話を私が聞くって言うのが我が家の日常でした。主人の事を知ってる人は分かると思うんですけど、本当に面白く話すのが天才的に上手なんです✨毎日主人と話すのが楽しみでしょうがなかったなぁ🤭だけど、亡くなってからは真逆になる訳で…笑😅
旦那がいってから2回目のお盆です。迎え火を炊きました。去年は7月お盆の日程丸被りで恐山に行っていたので8月にしたのですが、今年は7月お盆に戻しました。8月の方が、夏が終わっていく感じの気だるさや少しのもの哀しさがあって、お盆に合ってる気がしますけどね。旅行のお土産に、ちょっといいお酒を買って来たので、仏壇と旦那コーナー(祭壇を作って遺影を飾って、旦那専用の場所を作ってます)に供えました。旦那もご先祖様も先代のワンコたちも帰って来てくれたのかなぁ?いつも犬と3
こんにちは今回は家族葬のナレーションについてお届けします年々家族葬が増えてきていたところにコロナがやってきて葬儀自体が家族葬へとシフトしてきているこの頃やはりナレーションも葬儀の規模や会葬者の有無によって変える必要がありますよね身内だけの家族葬で「みんな故人のことをよく知っているからナレーションは必要ない」とおっしゃるご遺族もいれば親族3人のみのお式であっても「是非ナレーションを入れてほしい」という場合もあります家族葬でナレーションを
体がだるい私の、愛しい愛しい娘がいなくなってから、2週間が過ぎました。県外のアパートも引き払い、各種の手続きも終え……今日は彼女の住んでいたアパートの電気と水道の停止の連絡をしました。一つひとつ、作業的に終わっていく現実に、胸が締めつけられるようなつらさを感じます。まるで心の奥が、少しずつ削がれていくようで。そしてここ数日は、物凄い睡魔と倦怠感に襲われています。頭では理解しているのに、まだ娘がそばにいるような気がして……信じたくない現実に心が追いつかず、体も心も乱れていく
★★★★★★★★★★★★★★★★★先日㊻歳の誕生日を迎えました...◡̈♥︎沢山の温かいお言葉やお気遣い本当にありがとうございました♡去年は交通事故で色々あったので…元気に誕生日を迎えられて本当に嬉しいです!自分が㊻歳とか…正直、信じられませんが老体に鞭打って頑張りたいと思います今後共よろしくお願いいたします..オカンからのLINEを読んで、俺の誕生日でもあるけど…両親が初めて親になった記念日でもあるんだな〜♡と..つーか俺...まだ死んでねぇーし‼︎笑★★★★★★★
今日妻が亡くなって1年が過ぎた朝、登校前の娘(8歳)と二人で線香を焚いた僕たちはこういった特別な日以外、めったに線香を焚かないし妻の遺影に、話しかけたりもしないたぶん、まだ妻の死をうまく受け入れられていないんだと思う…で、こうしてたまに二人で、妻の写真を前にすると、、、もう、お決まりのパターン。。ぶわっと涙が溜まって鼻の奥がツーンとしてひと声でも発したらひんひん泣いてしまうので唾をのんでじっとするしかない僕。。その空気を感じ取った
前回の記事はこちら『初めて死と向き合う』前回の記事はこちら『1人目の介護記録16〜ツネさんの最期〜』前回の記事はこちら『1人目の介護記録15〜がんばろうね〜』前回の記事はこちら『1人目の介護記録14…ameblo.jpツネさんの1話目『1人目の介護記録1〜ツネさんという人〜』プロローグはこちら『介護記録プロローグ』はじめまして竹内文香(あやか)と申します。3人の娘を育てながら漫画家をしています。自己紹介を書いたらとてもボ…ameblo.jp遺影にクレームつけましたなかった
お盆なので、飾りつけをしました。私は、来月もお盆をします。今日は、久しぶりに遺影の見張り番をして、2022年の回想(意識失った日)をしてます。在宅介護は、低酸素脳症になってからの方が長いのですが、尊い時間でした。尊い時間と、関わってくれた方々に感謝して過ごしています。在宅介護になって2人で1人として、生きて後悔なく過ごせて良かったです。人生にいつか終わりがくるが、チラチラ頭をよぎると、お爺さん(父)にも、少し優しくなれました。病気や死を受け入れるのが、一
一人息子を亡くし、おふたりさまになりました。現在、夫とは別居生活中老後が不安だけど息子の分まで楽しく生きよう!↓前回の記事です↓『やって良かった湯灌の儀』一人息子を亡くし、おふたりさまになりました。現在、夫とは別居生活中老後が不安だけど息子の分まで楽しく生きたい!↓前回の記事です↓『死亡した事を伝える…ameblo.jp過去の事を振り返って書いてます。亡くなって7日後にやっと告別式を執り行うことが出来た。出来上
こんばんは!(^o^)丿よりタフに!より美しく!より笑顔に!あなたを鍛えて、壊して、癒やす空手師範の田中です。10月8日(日)~10日(火)、‟0泊3日”で鹿児島県南九州市知覧町へ行ってきました。0泊3日弾丸ツアー|好きなものに対していつも正直でありたい空手師範の独り言(ameblo.jp)たった2時間の滞在時間のために、片道24時間かけて知覧へ行ってきたのは、会いたい人が3人いたからです。🍀穴澤利夫少尉🍀本島桂一少尉🍀鳥濱トメさんまずは、穴
納骨も四十九日も終わったので3段のダンボール製後飾り壇を片付けたいが遺影の扱いに悩む😕そもそも遺影は参列者が故人の姿を思い出したり偲んだりする目的で宗教的な意味はないらしい🥺だから地域のルールに従ってごみ収集に出して処分しても問題はないと言うがさすがにごみ収集には抵抗がある😰それでも費用を払ってまで処分はしたくないのなら遺影を白い布や紙で包み塩を振って清めてから処分すれば気持ちの整理がつくでしょうと言う記載もあった👀お寺でお焚き上げしてもらうとか
(一部、過去の投稿と被る箇所があります)葬儀といっても簡単なものでした。読経の間に、何周でも焼香できそうな。無理やりの喪主で、焼香の順番は私からでした。棺に花を入れる時。私の持ってきた花と、祭壇の安い花を葬儀社の人たちが切って盆に並べていきました。入れる人が少ないから、ベルトコンベアの作業のように、夫の周りを埋めていきました。夫の口元に、義母が紅白大福を置きました。はああ、まったく。最後に、夫の額に手を当ててみました。凍ったように冷たかったです。義両親は夫にまったく触れま
時は過ぎたが迷宮からは出られないずっとさまよい続けている別に出口がないことも知ることが出来た出る必要もないこともこの場所に迷い込んだのは妻がそれだけ大切だったから苦しく悲しく辛い場所だが心の中に妻が存在しているからこそこの場所で彷徨っている妻と出会うことはここでは出来ないが心の中の妻と一緒に迷い続けてることも大切な妻と過ごした証いつかは私も消える時が訪れるそれまで迷いながら出来る事をしていけば良いだけだもう少し頑張ろう無理はしない程度ですが
アロハ3年ぶりの帰国。その昔、父や祖母、娘の私達がいて、客が途絶えなかった、賑やかだった大きな農家の母屋は、静まり返り、今ではもう、母だけになった。幸い2世帯にしている姪家族が内廊下で行き来し、いろいろ世話をしてくれているので安心だけど。共働きの若い家族は忙しく、小さな子供だっている。3度のご飯を作ってくれるだけでもありがたい。けど....やっぱり、こんな時、妹が生きていてくれたらと、座敷の仏壇の前に座りしみじみ思う。帰国していた3週間の間、毎朝妹が大好きだった
きのうはパパは仕事へあゆくんは学校へタマがいなくても日常が始まります。私は仕事が手につかずまず先にタマの写真を現像したり4年半お世話になった病院にお手紙を書いたり。何かとバタバタしていてだいぶ涙も落ち着いてきたと思ったのにちょっとしたことで涙腺が緩みます。冷蔵庫を開くとタマが食べられなかったオヤツが出てきたりただのご飯茶碗を入れる台を見てもう使う子がいないのだと思うともう…なかなか辛いです。いつもいた子がいない。パパが帰ってきて
今だに主人の写真は遺影しかちゃんとは見れません。遺影だけにはこの4年でだいぶ慣れた気もします。でもそれ以外の写真は全て、どれを見ても何とも言えない気持ちが込み上げて来て、必ず涙が出ます。たぶん泣きたくないから…苦しい思いを避けたいような気持ちがあるから私は今も見れない(見ない)んだと思います。主人が死んじゃってこの4年で動く映像は見たことが一度も無い。もともとここ近年のものなんかはほとんど無いというのもあるけれど、そんなのを見てしまったら狂いそうなほど泣けるであろう自分がとてもよく
“ただいま”を待ちながら、両手に込めた想い今日、母が両膝の手術のために手術室へ向かいました。母の病室には、5月1日に亡くなったばかりの私の娘の遺影に使った、1月に行われた成人式の前撮り写真が、大きく飾られています。そしてそのそばには、お経の本と数珠も置かれています。手術室に向かう道すがら、母は「先生が雑談の中で、あの子が通っていた大学の名前をふと口にしたのが辛かった」と話してくれました。些細なことでも、心が締めつけられる……そんな日々が、母にも続
ご訪問ありがとうございます[これまでの経緯]特養Zに入所していた叔母は、よりによって昨年ひどい目にあった地元中央総合病院に救急搬送されてしまいました。私の不安通り、叔母の容態はどんどん悪くなって...。一時的に入れると言っていた中心静脈栄養の点滴も抜けないので、療養型病院へ転院するように言われてしまい愕然とします。無理な延命を望まない叔母は点滴を抜いて特養Zにもどりたいということで、看取りで戻れるよう特養に申し入れますが、相談員さんから受け入れを拒否されて途方に暮れてしまいます。
2021年3月12日に告知されて乳がんステージ2BサブタイプHER2タイプと言われてから、まずしたことは元気なうちに写真を撮っておくことでした。HER2タイプは手術から2年後あたりの再発率が高いと知り、抗がん剤治療で抜けた髪がある程度の長さに生え揃うまで、約2年。そう計算すると、地毛で写真を撮れるのはこれが最後のチャンスかもしれないそう考えました。3月中に行きつけの美容院でカットしてもらい、写真屋さんにて、初めての肖像写真を撮影。写真屋さんは初めての利用だったのですが
ご訪問ありがとうございます介護ブログなので、お墓の話はひとまず置いて、今日は叔母の話です。前回の納骨堂の話はこちら⬇️『納骨堂のいろいろ』ご訪問ありがとうございます書類手続きも終わり、お墓について考えた時、アクセスがよく近くて会いに行きやすい所を検討した結果、納骨堂にしぼって調べてみることにしま…ameblo.jp母が亡くなり悲しみに暮れながら、叔母のことも当然気にかかっているから、ケアマネさんに様子を聞きながら、母の手続きなどをしていた。ケアマネさんからは、叔母は落ち着いているから大
読んでくださってる皆様ありがとうございます。シンゴの嫁です。連休明け、家庭訪問がありました。子供たちの担任の先生はそれぞれ新しい先生に変わったのでシンゴと死別したことは知っていても死別直後の私は知りません。昨年11月に死別し、12月の個人懇談の時はまだまだボロッボロの時だったのでその時の娘の担任の先生とは泣きながらの懇談になってしまって今更、先生あの時はごめん・・・と思っています。先生が部屋に入れば嫌でもシンゴの遺影が目に入ります。どういう反応な
10/23お久しぶりですわいです本日おかん66歳になりました↑take10くらいでやっと眉間に縦シワ無くよく撮れました(笑)本人も気に入ったようで遺影はこの写真でも良いなって言ってましたwわい的には光当てすぎてメガネのフレームの影が少し気になる所ですが…でもメガネ外すと目がちっちゃくなっちまうので致し方ねぇお花は嫁と姪がサプライズで1日フライングで持ってきてくれましたいつぞや花個紋を一緒にやった時におかんの誕生日を覚えていてくれたようですそしてお花もリボンもおかんの好きなピンク色
次男と妻の誕生日を祝った美味しいものとケーキを食べて妻と過ごした10年亡くしてからの時間がずいぶん長くなった子供達は大きくなり私は歳を取った妻は若い姿のままあの時のまま記憶は昨日と変わらないいつまでも妻を想う大切な人を想い続ける当たり前の事悲しくて寂しくて会いたくてずっと想ってるあいしてるずっと
毎日流れる悲しいニュースどこかで誰かの命が突然奪われるほんの短い時間の情報細かい点まではわからないただ間違いないのは大切な人の命を奪われ続いていた日常が深い悲しみの中想像していなかった非日常に変わってしまう少し前まで不通に過ごした日々が二度と会えない生活も仕事も心も体も悲しみの絶望の中何をしていけばいいのかもわからない立ち上がることも食事も睡眠をままならず仕事を失い事も15年の月日が過ぎたがあの日は昨日と変わらない悲しみは絵やされることもな
前のはなし↓↓『大切な娘が、骨になった』前のはなし↓↓『あっという間に、消えてしまった娘―火葬場でのこと』前のはなし↓↓『4歳の娘を見送った火葬場での記憶』前のはなし↓↓『娘と最後のキス〜私…ameblo.jp長女が旅立ったのは、2017年3月。それは金曜日の深夜から、土曜日の早朝にかけての出来事でした。いつものように「おやすみ」と言って眠りについた長女が、次の朝には目を覚ますことはありませんでした。そして、火曜日に葬儀を行いました。そのほんの数日で、私たち家族の人生は一変