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息子の一周忌法要の準備をしながら、昨年の息子のお葬式の後に起きた不思議なことを思い出していました。お葬式を終えて、小さくなった息子を自宅に連れて帰りいつもリビングで寝転がっていた息子の定位置に業者が祭壇を準備している…やっと家に連れて帰ってこれたという安堵感と、息子は本当に居なくなってしまった、もう二度と会えないという絶望、恐怖の気持ちが心の中をぐるぐる渦巻いていました。私も主人も息子の祭壇の前で遺影をぼーっと見ていると、娘が「シュークリーム食べよ~」と言い3つ持って来
妻2018年12月:癌発覚2019年10月に他界残された父子の日々の生活について・・・*******************葬儀から1週間と1日2019/10/27(日)晴光一は日曜日だが日中一時へ。留守中に名駅まで行き、明日、横浜まで行くための新幹線チケットを金券ショップで購入。座席指定する。帰りに刈谷駅で募金活動中の「ひかりっこ」関係者と会う。近況を伝える。午後はスーパー銭湯に行く。夕方、光一は元気に帰ってくる。スーパ
こんちー!!!パクチー普通に食える系モトブロガーのさびぬきだよ!Thisisnot穏やかフェイクドキュメンタリーqの書籍を購入謎の深掘りもありつつ深掘りした結果さらに謎になったエピソード多数とりあえず、「ヤバい山」と「地獄」ここら辺は共通のテーマっぽい知らんけどな書き下ろしエピソードのキムラヒサコは終始謎失踪事件の方は、すごかったよホラー考察勢に向けた作品だったよなんとなく制作側の心の声というか、そんなものを感じました多分、こういう作風のフェイクドキュメンタリー増
娘と離れるのが辛くて、寝るときは毎日寝室ではなく、仏壇の前のソファで寝ています。寝る前は「おやすみ◯◯ちゃん。」と言って遺影と骨壺を撫でてからソファに横になる。娘を抱っこしたくなるときは、骨壺を抱っこしてソファに座っている。骨壺を抱っこすると、生前ミルクをあげていた時を思い出す。こうして娘のことを考えながら寝るのだが。夢から覚めた瞬間。すぐに娘のことが頭をよぎる。すぐに娘の遺影を見て、骨壺を見て、今娘がいないことを理解してから激しく落ち込む。「いない。」「いない。」「やっぱり
前出の上司さんのお母さんのお写真(遺影)を見せていただいた父方の祖父母はずいぶん前の葬儀の時に撮られた喪服の写真父は一緒に働いていた方が撮られたというスーツ姿の笑顔の写真時代で背景は変わるよう祖父母は白父は緑今回見せていただいたお写真背景が薄い桃色蒼い服を着られていたのでとても映えて見えたいい笑顔で映られていて改めて可愛らしいおばあちゃんと思った上司さんの奥さんは写真の加工技術が素晴らし
故人のブログに今更御長男の結婚報告その前に報告しなきゃならないことがあるのでは?コ○ナ禍での逝去のため家族葬(直葬だという残念なお話も)だったと言われてますが、節目の弔事の報告が家族でカラオケだとか食事ばかり球界でお付き合いのあった方々の中にも、お線香をあげて手を合わせたい方々が多数いらしたでしょうに。お別れ会のご予定は?納骨のご予定は?お節介は承知しておりますが、あまりにお気の毒で。あのスナップ写真を引き伸ばした遺影や仮祭壇、なんとかなりませんか?しかも自分のブログを貼り付け
母が亡くなったことを知ってる人からは色々お悔やみの言葉をいただく決まって私は言う96歳まで生きてくれて大往生ですよ最後まで子どもに面倒かけることなかった母でしたから本音を言えば、もっともっと生きて欲しかった介護もしたかった母のために何かすることが嬉しかったもう今は何もできない…遺影に話しかけるだけ…脳梗塞で倒れ、3ヶ月間、お見舞いに行くことしかできなかったが、母に会えるのが嬉しかった言葉は発することができなかったけど、表情で言いたいことは分かったスマホで撮った母の動画を何度
この感覚って過去にも経験したことはあるけど今が一番苦しく想うずっとずっと同じくらいの寿命を一緒に生きれるって信じていたのに・・・そういう一番大事で一番愛した人が亡くなってからこの胸の苦しみって本当につらいなと・・・息ができないような感じ本当は号泣してすっきりしたほうがいいんだろうけれどそれをしたら明日はすごい腫れた顔になるのは知ってるから号泣は週末まで我慢逢いたくて逢いたくて遺影を抱き締めるしかできない切なさいつまで・・・
7月21日、私と亡き彼女の友人達3人とそして見えなくなった亡き彼女と。5人でかつて友人達と写真を撮りに行ったという岩手県のみちのくあじさい園に行ってきました。(友人の方に車に乗せてもらって行きました。本当に感謝です。)3年前に亡き彼女は友人達とみちのくあじさい園に行っています。また同じ時期に今年行くことになりました。なぜこのみちのくあじさい園に行きたかったか。それは私が亡き彼女の遺影に選ばせてもらった写真がこのみちのくあじさい園で撮られたものだからです。綺麗な淡い青のあじさいと共に笑顔で
いろいろあって精神的に疲れました気持ちがさがったり、あがったり...先週三回忌が終わって少しスッキリはしたけどやっぱり悲しい今日は妻の遺影を数分間見つめていました楽しかった思い出も頭で描けた今までは辛い思い出ばかりが頭にうかんでいたこんな日もあるんだねそれにしても、楽しかった日々がうそのように静まりかえっている部屋この空間は、まだまだ慣れないなぁ悲しいけど、また会える日まで必死に生きぬかなくちゃね
暑い桜耳のぶちが、寝ていました。ぶちにハナのキャットフードお供えの花を整えました。家内の遺影の正面に、掛軸を下げるフック金具を付けました。家内は、怒るかも。入れ替え作業で出した題不明の1本。分かりません。新盆でお焚き上げ以外の品を、仏間の天袋にしまいました。では、また。
出張撮影専門スタジオたいとうです。当ブログをご覧くださり誠にありがとうございます。『出張撮影☆7月&8月は土日祝も平日料金!!』出張撮影専門スタジオたいとうです。当ブログをご覧くださり誠にありがとうございます。ファミリーフォトも出張撮影特別なイベントの日も、何気ない普通の日も…ameblo.jp『浴衣デートにもおすすめ!!☆ロケーションフォト』出張撮影専門スタジオたいとうです。当ブログをご覧くださり誠にありがとうございます。さて、出張撮影のご案内です。浴衣姿
母親に恩返しのヨーロッパ旅行いい思い出遺影はかなり若いがその時のもの二人の思い出が詰まっているお気に入りの一枚海外旅行にも行った苦学生も経験した正社員とし2つの仕事外資系企業も経験インストラクターの資格も取り母校の教壇にも立った新入社員教育一人で二日間任された熱海の専門学校講師冊子の原稿料もいただいた親子体操の助手も務めた振り返ってみればワンオペもそうだがいろいろな経験人を当てにせず頼らずこれまでやれた自分介護までも私の人生訓は人に頼
梅雨が明けました。さすがに長袖では、と入れ替え作業をしました。塵も積もれば、やまとなる。戦ものは、5本とありません。結局仕事とはならなかった物です。講座を想定して、三種類、物語と絵画、和歌と絵画、年中行事と絵画、と集めました。今は、仏間の壁に掛けて、家内の遺影に、仮想講義を夢想しています。まだ未整理で、早くごみ部屋を片付けて、三種類に分けて整理するのが一番ですが、頸下がり症で、ごみ部屋が手付かず。これを機会にごみ部屋もコツコツしますか?どうにか、造り付
おはようございます。7月20日本日お誕生日の方おめでとうございます故人様へのお化粧は本当に難しい。先日お手伝いをさせていただいた故人様100歳、女性の方。老衰とのことでしたがお口が大きく開いていらっしゃいました。納棺式の時間よりかなり早めにお見えになった喪主様にお口元を閉じたお顔をご確認していただいたところ「自然なお化粧でいいわ」と。この段階ではまだ産毛そりと保湿のみだったのでそのことを説明してお顔色は出来るだけ自然な形で行いました。ちょっとした
今日は唯一の男友達とラーメンを食べにいきました。彼は地元のスーパーの精肉部門で働いて、カメラが趣味の面白い人です。私が塾講師の時に一緒に働いていた仲間で楽しかった思い出が沢山あります。彼には遺影の撮影を頼んでいます。もう少し痩せたら、撮影するつもりです。死ぬまで荷物やりたいこと、また一つできました。
続きです『葬儀の打ち合わせ』の続きです『間に合った!』の続きです『弱っていく父③』の続きです『弱っていく父②』の続きです『弱っていく父①』6月21日(金)痛みがひどくなり、医療用麻薬…ameblo.jp葬儀の打ち合わせ中、遺影の額縁を選ぶという時に、担当の方が、四十九日法要まであと飾りという祭壇を供えていただきます。遺影はそこに置きますのでお部屋の雰囲気に合ったお色目にされると良いかと思います。と仰った。兄が一瞬、ん?という顔をして、え?どこに置くの?じいじのマンションで良いんか
ふうちゃんが亡くなってからのブログ記事最後にUPしている白い額の遺影にはお花を変えてはお花どうですか?とか帰宅するとふうちゃん帰ったよーとか今もつい声をかけてしまいます亡くなった2年前の9月に一度UPした記事です↓白い遺影から産まれたのはどこだったのかな?少し暑い5月の昼に編んだ籠に入れられて初めて乗った車の窓の風が気持ちよくてね……白木の床にポッと置かれ名前をつけられおいでって呼ぶからヨチヨチ歩いて向かった
何がかといいますと、自分の感情です。夫がいなくなりもうすぐで1年7ヶ月。引っ越しもあるし、しないといけない事山のようにあるから、段取りも考えないといけない。今月末まで仕事してるから、あまり集中できないけど、それでも少しずつ始めないと。まだまだ夫のものの片付けも進んでないし。昨日は気持ち落ち込んでたのが、急に少しやる気になって、フェイスブックのマーケットプレイスで売れそうなものを、リストに書き出してました。今朝もそんなちょっとやる気のある感じの状態が続いてたのに、仕事で同僚と些細な事か
遺影の母にお供えをして、朝からエクレアを2個も食べました。朝ご飯の他に(笑)デザートは別腹なんですよね。今朝もいい1日をスタート切りましたやれることをやりきった〜!既に(笑)そんな小さな達成感を味わってます。午後はこれからなのにね今夜はDVD鑑賞をする。そう決めて、晩ご飯も作ってきたんです。帰ってからチンするだけ。鑑賞するDVDは、東京リベンジャーズ。(私はマイキー好き♡母はドラケン好き)そして、ジェイソン・ステイサムの「オペレーション・フォーチューン」(母も私もジ
アンニョンハセヨたぶん今週一杯で梅雨があけるようですが全国的な豪雨で被害が続出中台風でもなく今までにない集中豪雨でつぎの日はあれは何だったのだろう⁉️って感じのパターンが増えていますどこもかしこも異常気象❗といろいろありますが今日は記念写真のオススメです今が一番若いから写真撮ると良いねとわかってるけど写真をとらなくなってますよね?撮っても気に入らなくて加工アプリで撮ったり❗ちょうど春頃に日本から来るお友だちが遺影みたいなの撮りたいというのでびっくり?(今
おはようございます!今朝は7/13のボランティアカットの写真。毎月恒例の二葉園の子供達の日。私は青山店勤務だったので、慌てて帰ってきましたが、ほぼカットは終わってました。本店の平沼店長、みいちゃん、二人でカットしてくれてありがとう!!助かります!私が21年前に始めたボランティアに周りのみんなも巻き込みながら、、、続けています。一人では何もできない私に力を貸してくれてありがとう!そして、最初に関わった当時は高校生だった養護施設の男の子のおかげで、ここまで続けてこれました。有難い出会い
おとうさん(自分の夫)と一緒のお墓に入りたくないねん( ̄з ̄)実家のお墓に入りたいのっ♬遺影はこれにしてね~♡30年以上前の写真を渡される(・・;)元気な時に雑談ぽく楽しげな口調でお願いされていたこんなに早く逝くなんて考えてもなくて「はいはい」「は~い」テキトーに聞いていたおかあさん(姑)は夏の終わりに体調を崩して翌年の5月に亡くなってしまった大正13年生まれ65才だった34年前、本人に告知するのはまだ一般的ではなかったしすでに手術ができない状態だと言わ
葬儀場の都合で父の葬儀は7月13日に決まった。葬儀前日の7月12日は湯灌をしてもらった。シャンプーや顔そりをしてもらいそれを見ているときこみ上げてきて、息苦しく感じた。父は亡くなったのだともう、いないのだと涙が溢れてきた。父は着替えをして納棺してもらった。翌日の葬儀は家族葬で、つつがなく終了した。棺の中にはたくさんのお花と好きだったパンや、団子家族写真と愛犬の写真を入れた。若い頃は、清酒が好きだったので紙パックの小さ
ダーリンの遺影大きな遺影はちょうど座ると向き合えるところにありますお位牌とお焼香する所…小さな遺影は普段食事するところで私の見えるところにあります。明日法事なので明日一緒に行くから忘れないようにお位牌のそばに置きました…今ふとみるといないのです(当然)いつも小さな遺影も私を支えてくれていたのだと気がついたのでした。私はいつでもそばにいる遺影には執着しないでおこうと思っていたのですがこうしてちょっと見えないだけで小さな遺影も存在感すごいのだと
すみません。昨夜、画像のみの下書きをアップしてしまいましたm(__)m改めまして、おはようございます、間々宮です。ご訪問、ありがとうございます。昨日は夏空が広がった埼玉。さて、私の母の新盆ではありますが、だーりん家では普通のお盆。御霊供膳とお菓子を備えました。正式には落雁ですが、ポテチとチョコ。姑が最後まで食べたがってた物です。母1人で写っている写真を発見。派手っ(*≧∀≦)お茶と花を備えて、手を合わせました。も少し地味なのがないか探そう(*´艸`)そんな訳で私の
今日、義息子がEメールのデータが一杯になって昔のメールを消去している時見つけて送ってくれた私の写真。14年ほど前の写真…当時スマートフォンは無くて写したものをお互いにやり取り出来なかったと記憶します。イタリア🇮🇹フィレンツェに住む事になった娘のアパートを探しに行った時の写真ひゃ〜若い!手前味噌ですみません!娘もこれには驚いて「葬式の遺影はこれにしてあげるわ。」ですって。14年の時の長さと歳を重ねた(つまり老いてしまった)自分に複雑な想いを呟きたく投稿しました!「また戻れないか
故能勢町議宮本吉雄議員が2003年自治体問題研究所総会の場で、〜町村の側からの財政や地方行政の研究を支援してほしい〜と提起この提起を正面から受け止め、「町村自治の可能性」の編さんへと導かれたのが、当時の研究所理事長の、重森曉先生てした。当日は、この編集の執筆者が勢揃い!20年ぶりの再会のK先生には、思わずK先生!とお声をかけてしまい、、もちろんK先生は???(アナタ誰?)でも、町村自治の可能性の書籍を見せると、おおお!と一気に記憶が鮮明にさらに12年ぶりに大阪
お通夜に続いてお葬式、とあっという間に過ぎていきました。式の後は火葬です。棺の中にはお花に加えて、父が生前よくやっていたテニスに関連して、シャツ、短パン、テニスシューズ、お菓子、旅行関連の本を入れました。奈良市の火葬場は2年前に新設されて、広くてとてもきれいなところでした。しかし、その火葬場に着いてから、不審な出来事が起こったのです。一つは、私は父の位牌と遺影を持っていたのですが、遺影のたぶん後ろのコルク部分の一部がささくれていたのか、指に刺さって血が出てしまったの
母に会いに葬儀会場へ母を本当は家に連れて帰りたかったでも、この暑さでは、家でドライアイスではもたない…直接会場に搬送しエンバーミングをしてもらった遺影は少し可愛らしく、ピンクの背景を選んだ小さい写真では、良かったけど、会場に飾ってある巨大遺影は🩷ピンクちょっと笑ってしまうかもしかも祭壇もピンクの花系…まぁ、可愛いばぁちゃんと言われていたから、いっかちょっと少女趣味の会場になりそうです