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今日、妻の四十九日だった自宅にて法要そういった儀式があるから家にお坊さんが来るよと、娘(7歳)には、昨日のうちに伝えていたでも、そのことがママのことを思い出させたみたいで夜になって少し不安定に。。布団から抜け出してきた娘は「ママとぎゅーしたい」と、泣いていた妻の遺影の前でしばらく二人で抱き合っていたんだけど途中からは泣いている僕を娘が”よしよし”してくれる展開だったでも、昨夜いっぱい泣いたので、今日の法要は僕も娘も、まったく泣か
2020年12月28日④ママね…バァバのお家で、かなとの学習発表会のDVD見てたみたいで…プレイヤーの中に残ってた…それを、か〜えちゃんがババ様のコトで怒って帰った時ダビングをお願いしにじぃちゃん家に寄ったんだってじぃちゃんね…ママとキミ達に会いに行った時本当は、パパにいろいろ言ってやりたかったんだけど…じぃちゃんは、他人だから何も言えなかったんだ…って、言ってたって…じぃちゃん、ばぁちゃんにとってママは孫キミ達は曾孫じぃちゃん、ばぁちゃんに他人だからと
GWが明けて旅行に行って来ました。一人で観光している時に見かけたのは遺影の写真(写真立て)を置いて写真を撮っている男性の姿でした。最初に見たときは遺影の写真を?と思ってちょっとビックリしました。場所を変えてまた遺影の写真を立てて写真を撮っている姿を見てだんだん胸が熱くなってきて涙が溢れそうになりした。60代くらいの男性でしたがその方はどれだけ奥様の事を愛していたのか愛情の深さを感じました。きっといつも奥様の写真を撮ってあげ
ブログをご覧頂いている皆様いつもありがとうございます。このブログは、私と同じ葬儀司会者や葬儀で司会をなさる皆様に向けて、少しでもお仕事の助けになればと思い、葬儀司会の台本や雛形・葬儀ナレーションの原稿や例文等をご紹介させて頂いております。よろしければご参考になさってみてください。今回は「開式前ナレーション」からの抜粋です。祭壇の中央に置かれた故人様の遺影がとても柔らか笑顔でいらっしゃったので、遺影にまつわるお話をご遺族に伺い、開式前にナレーションさせて頂きました。--------
息子の部屋中に飾ってある写真遺骨遺髪位牌遺影その中に篭りっきりの私またまた連れ出してもらった日中は動物園夕方からは水族館どちらも息子と来たところ笑ってはしゃいで見て食べて楽しかった頃が蘇って私は本当に幸せな母親だったんだなぁって‥成人しても長男次男末娘いつも一緒に出掛けたね長男家族末娘家族次男の息子は独身だったけど甥っ子姪っ子を我が子の様に可愛がり息子の横はいつも私いつも大人数での行動だから隣にいない寂しさが‥長男
4日も空いてしまい書きたいことが渋滞している。金、土、日と忙しく過ごしていた。今夜こそ金曜日の事から振り返って書き留めて置こうと思っていたけど緊急事態。次女(年中)が本当に久しぶりに発熱。去年入園したばかりの頃は毎月発熱していたけど、この半年以上ほとんど体調を崩す事なくに元気に過ごせていたから不意打ち過ぎて焦る。さっきのさっきまで元気いっぱいだったのに、寝かしつけてたら「寒い寒い」と言い出し、まさかと思ってはかると38.3度。すぐに寝ついたけど、寒がっていたから、まだ熱が上がりきってい
友人からお香典をもらいお礼の手紙を出したありし日の娘の写真をつけて返事が来た丁寧なお悔やみの言葉に続けて半年前にめでたく息子が結婚したとあった披露宴で生い立ちを紹介する写真を選んだと4ヶ月前に私が選んだのは遺影の写真だった遺影の前の手つかずのケーキを見て泣いた
旦那さんの大きな遺影が今日も優しい目をして私を見ててくれてる写真というものがこの世にあってよかったもっと沢山とっておけばよかったとも思うけど薄れていく記憶を繋ぎ止めてくれる大きな遺影が今日も私を見ててくれるそろそろまた買い足そうかな↓【クーポンで888円OFF★4/2423:59まで】パンツS/M/L/LLレディースボトムススキニーパンツデニムスキニーレギンスパンツ大きいサイズ◆zootie(ズーティー):スタイルデニムレギンス楽天市場${EV
父親が早朝、病院で亡くなってから母は悲しんでいる暇もないくらいお通夜やお葬式の事で葬儀屋に連絡したり知人に電話をしたりとにかくバタバタしていました。「遺影」にする写真を探していた母が「丁度いいのがあった」と父の洋服たんすから出して来た写真。それは父の死から半年前、私が玄関の外で撮った写真でした。。。当時は、免許の更新時に「証明写真」を持参して行く時代でした。普通の人は、写真館で「証明写真」を2枚千円程度で撮ってもらい更新時、持っていったのですが貧乏育ちの父は、
2021年3月12日に告知されて乳がんステージ2BサブタイプHER2タイプと言われてから、まずしたことは元気なうちに写真を撮っておくことでした。HER2タイプは手術から2年後あたりの再発率が高いと知り、抗がん剤治療で抜けた髪がある程度の長さに生え揃うまで、約2年。そう計算すると、地毛で写真を撮れるのはこれが最後のチャンスかもしれないそう考えました。3月中に行きつけの美容院でカットしてもらい、写真屋さんにて、初めての肖像写真を撮影。写真屋さんは初めての利用だったのですが
旦那の火葬を待合室で待っている間、お坊さんにあることを言われました。旦那の行方が気になってしまった私は、お坊さんにいろいろと質問をし話をしてくれました。そんな中お坊さんに言われたことが「遺影に向かって話かけてあげて下さい。そうすると姿形は見えないけど、なんらかの合図を出してきます。」と言われました。その時私はへぇーー!!というくらいにしか思っていませんでしたが、のちにお坊さんに言われたことが現実となりました。火葬が無事に終わり、この後家族みんなで食事をする予定だったので、旦那の遺影と骨
旦那の遺影は旦那が亡くなる前に旅行に行った時に撮ったものだ。とっても良い写真まさか遺影に使うことになるなんて思わなかった。旦那の遺影はすぐにコレだって思って子供達に見せたら「1番父さんらしいしカッコいい」と、その写真にした。旦那は自分でイケメンだと言っていたそれからバタバタで少し落ち着いて1人旦那の遺影を見てる時にふと思った。自分がどのくらい生きるか分からない。おばあちゃんになるまで長生きするかもしれないし、もしかしたらポックリ明日死ぬかもしれない。旦那が急な事故だった事もあり人
主人が帰ってきたら…葬儀の決めごとを決めたら…あとはずっと主人のそばに居て良いと思ってた。そうは問屋がおろさない…ってことでPCの中から主人の写真をピックアップする。そう。遺影。ちゃんと整理してなかったので…あの写真はどこにあるんだろう??と、主人の携帯の中まで探し回った。古い携帯ものこってたのでその中も。笑ってる主人、真面目な顔の主人。おどけてる主人。動画もいくつか出てきた。もっと沢山写真撮ってたらよかった…。正面を向いてる写真が意外と少なかった。何かしてる時
〜波瀾万丈な人生に終止符を〜大塚まりりんです今日もブログを読んでくださり、本当にありがとうございます1年前の今日、5月2日は侑來が人生最後の笑顔を見せてくれた日ですこんなニコニコとご機嫌で最高の笑顔は見た事がな〜いなんて思いながら動画や写メを撮りまくった日ですこの写真が遺影の写真となりました…人生とは、こんなにも残酷なのかと教えてくれた息子の死それまでは、色々と沢山の苦労や苦難を乗り越えてはきたけれどそれなりに幸せな人生だと思いながら生きて来ましたしかし、それは1年前の今日まで明
2020年12月28日⑥火葬場に着くとバァバは正面玄関で降ろされたママとキミ達は少し離れた入口から入っていったんだねコロナ禍なのに車で待機して待ってくださってた方々…皆さん、涙を流してくださってたそうだよ…火葬場へ入りママとキミ達の遺影を係員さんにお渡しして…ママとキミ達の方へ行こうと思ったら足にまるで力が入らない…ジィジと、か〜えちゃんに支えられながら歩いたんだ…こんな時にカッコ悪いバァバで、ごめんね…ママ…かなと…れいと…早く起きて!起きないと
夫が亡くなって二週間後仕事に復帰した。お香典をいただいた方たちには復帰前に一通りご挨拶したけどみんな、何と言ってよいやら、という感じ。突然の事で…大丈夫…?びっくりしました…ご飯食べてる…?かける言葉が見つからない様子確かに逆の立場だったらなんて励ましたらいいか私も分からない仕事中もずっとダンナさんのことを考えてしまう半分仕事のこと半分ダンナさんのことこんな調子では大きなミスをするんじゃないかと心配になってしまう。初日、なんとか勤め上げ帰りに車に乗った
数年前に夫くんをガンで亡くしました。約30年前に結婚してからの夫親との確執、夫くんの闘病、そして、現在までを振り返り綴っています。アラフィフおばさんによる夫親への怒りが中心ですがお許し下さい。前回のお話はコチラです↓『気持ち悪いって・・①』数年前に夫くんをガンで亡くしました。約30年前に結婚してからの夫親との確執、夫くんの闘病、そして、現在までを振り返り綴っています。アラフィフおばさんによる夫…ameblo.jp数年前のお話です夫の四十九日法要が終わり、長男だった
息子にご飯に誘ってもらい行ってきました父さん(夫)が亡くなって以来、つい食べることを忘れてしまう日々が続いています不思議と息子と一緒の時は、ご飯が美味しく感じてきちんと食べられるのはなぜなのかな?家でも息子にたいした料理も作ってやれず、申し訳ない思いでいっぱいですが、文句ひとつ言わずに、たまに私のご飯も作ってくれます「まあ、今は仕方ないよ」とか言っちゃって優しい息子くんその優しさは誰に似たのかな?やっぱり父さんだよね息子の作る料理はとっても美味しいんです息子よガストでバイト
自分が死んだ後とは言え、私が納得した写真を飾ってほしいという気持ちと、残された家族の手間を1つでも減らしたいという気持ちで、ココナラで、遺影を作ってもらいました。元の写真は、↓こんな感じ背景は、菜の花畑がいいというのは、私の希望です。うまいこと作ってもらえるものですね。この写真は、がんとわかる半年前の写真なんですが、当時、体重が47キロ。で、現在は、62キロ。食べたいだけ食べて育っちゃいました~~。人生最高体重で、人生フィニッシュか・・・。
2020年12月28日⑧火葬場を出てマイクロバスに乗ってお寺へ戻ったんだよバァバはまたママとキミ達の遺影ジィジは、ママのお骨を抱えて…ママは、痩せていたけどずいぶんと軽くなっちゃったなぁ…ジィジが呟いたんだ…そうだね…遺影を撫でながら答えた…キミ達のお骨はパパのお姉さん達が持ってくれたんだよお寺に着き住職さんに百か日法要まで供養していただいた…その後の供養はバァバのお家の住職さんにお願いするコトになるいろいろお世話になりました…住職さんに挨拶してジ
先日ジブリパークへ行った時母が突然『遺影の写真撮って!』と言ってきたまぁ、背景としてはお花畑で良さげかと思ったのか一応撮ったけど色々考える遺影って何年先まで有効祖母の時は孫の成人式で撮った写真だったから亡くなる10年程前に撮った写真亡くなる時病気で痩せてたから痩せる前がいいねと言ってそれになった確かに母は今、元気で大きな病気もしていないので良いっちゃあ良いのだけど母は祖母にいじめられていたので祖母の事が大嫌い祖母は80歳ぐらいで亡くなったから恐らく遺影は
こんにちは今回は亡きご主人の写真を見て笑顔になったおばあちゃんの姿をおさめた写真を遺影にしたという内容の葬儀ナレーション例をお届けします花に囲まれた祭壇中央のご遺影は普段写真を撮られることがお好きではなかったという〇〇様がグループホームで亡きご主人の写真を見て笑顔を見せた時の1枚ですなつかしむように嬉しそうに微笑む〇〇様の表情をみておりますと仲睦まじいご夫婦のお姿が目に浮かんでまいりますひとつふたつこぼれゆく記憶の中で
今日は昼間チャコさんがチャコのニャンコ物語Chakoさんのブログです。最近の記事は「たくさんの宝物が(^_^;)(画像あり)」です。ameblo.jpパンを買って届けてくれました私が歯が悪いのもちゃんと考えてくれてやわらかいパンを差し入れてくれましたこの後、夜にいただきますいつもの如く散らかってる我が家ですが上がって貰って沢山、話が出来てとても楽しかったくぅ太も大喜びでナデナデして貰ってチャコさんは普通に歩けている事に嬉しい驚き
死者への冒涜の続きだが、祖母の遺影がないので、あまりに不憫で、なんとかならぬものかと思っていたらこんなサービスが!!写真の入らない部分を切り取り、加工してくれたり↓【早い者勝ち!最大2,000円OFFクーポン配布中!】【Lサイズカラー額入】遺影写真作成完成前にメールで確認できますレビューで20年長期保証&単3電池10本プレゼント楽天市場7,300円こちら。服を遺影用の服にチェンジ、背景も変更してくれたり。【早い者勝ち!最大2,000円OFFクーポン配布中!
皆様沢山の暖かいコメントを有難うございました。1つ1つ読ませて頂き、夫の何気ない日々が、皆さんの心の中に少しでも残ってくれたようで、夫の生きた証になり、とても嬉しく思います。個別のコメントは差し控えさせて頂きますが、ごーちゃんの事を思い出して頂けるよう、遺影にした写真を置いていきます。辛い時もありましたが、こんな笑顔の瞬間もあったことを、皆さんに知って頂けたら幸いです。本当にお世話になりました。
母が亡くなりそろそろ1ヶ月が経とうとしている。わたしの毎日は仕事で忙しく過ごしているせいか母が亡くなった実感はあまりない。遺影に手を合わせたりお水やお茶を供えたりすることはもう淡々とした日常だ。だけど何気ない日常の中でふと母を思い出すときがあってそんなときは「おかあさん」と声に出して、つぶやいたりする。そのときは切なくなる。今までは普通に「おかあさん」と呼ん
病院を途中で抜け出し、死に際一緒にいれなかった私は、4日ぶりに遺体の旦那に会いました。この日はお葬式でしたが、葬儀場に入った瞬間真っ先に旦那の遺影が目に入る。本当に亡くなったんだなと改めて実感し悲しくなりました。旦那は棺の中に入っていましたが、私は最初顔を見る勇気がありませんでした。旦那の家族には、苦しんでる顔じゃないし、鼻もシュッとなって良い男になったよ!イエスキリストみたいな顔してる!と言われ、私はそれを聞いて安心し旦那を見ることになりました。恐る恐る棺に近づき旦那と4日ぶりの対面
ブログが急激に伸びてる・・・「もしや・・・」と思ったらアメトピに掲載していただいてたんですねありがとうございます。夫の3回忌の記事でしたが夫が亡くなり本当にあっという間の2年間でした。今でも時々「うそなんじゃないか」と思うことがあります。この感覚はいつまで続くのだろう・・・先日、職場の先輩からこう言われました。「あなたまだ40代半ばでしょ?第二の人生があるわよ!良い人がいたら良いわね
皆さま大変ご無沙汰しております3月27日は夫の一周忌でした24日の日曜日に身内のみで法要を済ませましたあっという間の1年間私はこの一年で何が変わったのだろう取り敢えずは夫の死を受け止める事はできたそれだけですプライベートはずっと引きこもりです何もできません💧夫の遺影も見れる時と見れない時があります何時になったら立ち直れるのかなぁ。。。孫の陽音(おと)ちゃんにはいつも本当に癒されています
2020年12月25日③バァバの会社から出た所でパパからラインが来たんだ葬儀の日程が決まりました。写真も選んでほしいのでお邪魔しても良いですか?って…良いよ〜ってバァバは返したけど…そっか…ママとキミ達がお空へ逝ってしまったらパパとは他人になってしまったんだ…パパの言葉遣いで、そう思ったバァバのお家に戻るとか〜えちゃんが居たんだけど、パパが車の中で待ってた。中に入ってもらってジジ様が書いた、葬儀のメモをいただいた。キミ達の解剖が終わり次第、パパとバァバに