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懺悔土下座とは少し違う懺悔土下座は許しを乞うためにしたことが多いです特に、竹刀を持つ父に土下座をしまくりましたPTSDにななるんですむやみやたらに土下座を強要させるような事が幾つもあるとPTSDになります条件反射で自己防衛本能が働いて許しを乞います必死に。そんな記憶がある土下座悲しいのと悔しいのと切ないとか腹が立つのもある土下座は良いイメージが無い懺悔は相手に許しを乞うためにするものでは無いような。ただ、ひたすらに詫びる反省をし続ける後悔
まず、言いたいことを先に行ってしまうと、労働が原因で過労や心身的苦痛を追った人々は、もはやWLB制度では救えない、ということです。つまりもう遅いし、労働者の働き方ではなく、企業側、上司の働き肩意識の変換が必要なのです。働きたいのに働けなくなった人々が落ちいる原因というものは、大抵「自分の働き方を否定されたり、人間関係が劣悪な環境の精神的な重圧」によるものです。そもそもしっかりお給料をもらっている職場で無断欠勤をしたり、調子が悪いと仕事を同僚に押しつけたり嘘をつく
まだまだ、暑い日が続きますが、それでも確実に秋の気配を感じるようになりましたね。もう、暑い日はうんざり・・・と思われる方も多いと思います。もうすぐ、秋がやってきますよ。さて、本日は、少し思うところがあって、「義に死すとも不義に生きず」というテーマでお話をしたいと思います。この言葉は、会津松平家14代・松平保久氏の言葉とされています。「義に死すとも不義に生きず」とは、”たとえ、正しい道のために死ぬことになっても、決して不道徳な生き方をしてはいけない」という意味です。不義をはたらき続ける
一気に寒さが増し、周囲では体調不良の人たちが続出しています息子たちが通う小学校のクラスメイトや社員の家族などでもインフラエンザの罹患者が出てきていて、息子の同学年では学級閉鎖しているクラスもあるとかあまりに夏から秋への移行が急だったので、心身がついていけていないのだろうと思いますが…改めて自らの心身を整えておくこと、免疫を高めることの大切さを感じる今日この頃ですさてさて先週末のことですが、息子たちが通う小学校の毎年の恒例行事『校内音楽会』に三男も連れて妻と三人で参加しました人数の関係もあ
生・死(8)我は生まれながらにして之を知る者に非ず子曰わく、我は生まれながらにして之を知る者に非(あら)ず。古(いにしえ)を好み、敏にして之を求めたる者なり。述而第七仮名論語88頁2行目です。伊與田覺先生の解釈です。先師が言われた。「私は、生れながらに道を知る者ではない。古聖の教えを好み進んで道を求めた者である」「生・死」はこの章では「我は生まれながらにして之を知る者に非ず」と出てきます。「生」は、いきる・いかす・いのち・暮くらす・うむ・うまれるなどの意味がありま