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3.だって伊達ピアノイントロ「タン、ターン♪、タン、ターン♪、タン、ターン♪」から(本当は音楽人ならもっとうまく表現できるのだろうけど、、、すいません)もう、もの悲しさが漂う。そして名曲の雰囲気が漂う。それなのに、それなのに、伊達政宗を待って怒る豊臣秀吉の歌かよ!という話しでございます。「だって伊達だから♪」は伊達政宗をイメージして聞いてしまっていたのだけど、あらためて「だってだって・・・だから♪」と「伊達」を「だって」と聞くと歴史から離れ、あの人は来ない、でも好きなんだ、という純粋な恋
織田家の人質から今川家の人質になった家康2人の関係は離れても変わらず桶狭間の戦いで家康は織田家の敵という立場でしたが有益な情報をばれないように織田家に流していました情報合戦が盛んに行われていた当時はより多くの情報を持ったものが戦に勝利していました情報戦はどの武将も緻密に行っており反対に今川家に織田家の情報を流す家臣もいたそうです桶狭間の戦いで見事に勝利した織田信長家康は人質の立場でなくなり故郷だった三河に戻
記憶に残る一刀(日本刀)私の約50年にわたる日本刀人生の中で記憶に残る一刀を紹介してみましよう最初の一刀は短刀「備前長船住長義(名物大阪長義)」です平造り短刀備前長船住長義(名物大阪長義)重要文化財正平十五年三月日刃長、9寸1分余、やや反りがある(1分)造形は、平造り真の棟、身幅1寸弱、重ねは薄い地鉄の鍛錬は、板目肌やや大振りのところもある地映り
おはようございます☺️今日は、「大字(おおあざ)」と「字(あざ)」について。都市部だと聞くことがないですが、もともと農山村だった地域を記す住所は「大字(おおあざ)」と「字(あざ)」に分けられていました。大字は江戸時代の村を継承した範囲・地名で、字は大字より小さい集落のまとまりにつけられた地名です。その起源は豊臣秀吉が行った太閤検地にさかのぼり、元々は年貢を徴収する田畑を管理するために付けていた記号のようなもんで、江戸時代に各地の集落が拡大すると、人々が住んでいる場所でも村名の
吉水神社【内容】「初期書院造りの傑作」といわれる書院建築で、世界遺産でもあります。作法が「二礼十七拍手一礼」と珍しい形です。17の神様を祀っているからだそうです😳後醍醐天皇が「南朝の皇居」と定め、ここを拠点として「吉野朝」の歴史が始まったそうです。皇居ですから、すごい場所ですね😳ちなみに後醍醐天皇は、ここ吉野の地で病のため亡くなっているそうです。最後の地でもあるわけですね☝️源義経が静御前と弁慶を連れて、頼朝兄さんから逃げのびてきた場所でもあります。境内には、弁慶が追っ手をドン
織田信長が描いた本能寺の変のストーリー---------織田信長が理由もなく八つ当たりに近い形で明智光秀を徹底的にいじめる(表向き)それを見ている家臣たちは織田信長を鬼だと思い怯える(ここでも鬼になることを決意した信長)自分のために身を粉にして尽くしてくれる家臣をいじめる外道というイメージを周りに与え光秀が謀反を起こす理由をつくったここまで下準備段階本能寺の変の当日武田との戦いで長年頑張った徳川家康の労をねぎらう席を
いにしえの古都、鎌倉。アメブロでは未記載分も含めて、すでに四回ほど訪れている。やはり紫陽花の季節は素晴らしい。しかし御朱印巡りには、大混雑となり不向きでもある。御存じのとうり、鎌倉には複数の霊場が錯綜している。鎌倉三十三観音霊場(番外二ヵ所)。鎌倉二十四地蔵霊場。鎌倉十三佛霊場。鎌倉五山(番外:南禅寺)。六阿弥陀。鎌倉江の島七福神。そして、坂東三十三観音霊場、東国花の寺百ヵ寺霊場、神奈川二十五寺にも鎌倉エリアが十一ヶ所含まれている。「鎌倉行
1泊2日佐賀一人旅呼子でイカ活き造りをいただいたあとは、呼子大橋を渡って加部島に向かうことにしました。呼子大橋を渡る前に、手前にあるパーキングに立ち寄りました。パーキングには呼子大橋の橋桁断面が展示してあります。橋桁断面を展示してあるのは珍しいですね。お目当ては、呼子大橋の南詰の下から続いている遊歩道。本土と加部島の真ん中にある小さな島(弁天島)に向かう弁天遊歩道です。先ほどの橋桁断面を思い出しながら進ん
ブログテーマ『城郭建造物の「櫓」の内「平櫓(一重櫓)」』にスポットを当てて、具体的なお城の写真をお届けしています。「平櫓(一重櫓)」については、「はじめに」をブログで掲載していますのでどうぞご覧ください。「平櫓(一重櫓)」の「はじめに」↓『城郭建造物『全国「平(一重)櫓」を巡る”はじめに”』』今回からのブログテーマを城郭建造物の「櫓」の内「平櫓(一重櫓)」に絞ってお届けしようと計画しています。過去に、全国「復元、復興、模擬」の「天守シリーズ」「三…ameblo.jp※全国の「
【STAFF】#高木淳也のヒーロージャーニー🦸#高野山清浄心院の#傘桜は#豊臣秀吉が愛でた桜。修行中の高木はここでお茶をいただきました🍵#上杉謙信霊屋や#徳川家康の書状も見どころ🤗厳しい#護摩行を授かり、修行に励んでいます。pic.twitter.com/sVOsJN9kfL—高木淳也&スタッフ(@junyakings)May6,2024INFORMATION【会員募集】NPO法人武道の学校【人気記事】千葉真一さん、喜寿のお祝い
という質問を頂いたので簡単にお応えします。私は手相を形に嵌めて鑑定しません。なぜなら手相は「あなたは〇〇タイプです」ってそんな簡単な物じゃなくもっと繊細で細かい物(意味一緒)だからです。形に嵌めるとは、例えば「マスカケ=天下取りの豊臣秀吉」「頭脳線離れてる=KY」みたいなやつです。手相は一人一人違います。私は地味に長年分析と研究を繰り返して来ました。どんな手相鑑定をしているのかはお客様の感想をご覧頂くのが1番早いかと思いますので、幾つかオンライン鑑定(チャットではない)のご感想をご紹
今回は「キリシタン大名」を扱ってみたいと思います。キリシタン大名とは、戦国末期から江戸初期にかけてキリスト教✟に帰依(きえ:深く信仰すること)し、布教を保護した大名のことです。最初のキリシタン大名は、1563(永禄6)年に受洗(じゅせん:洗礼を受けること)した肥前国(現:佐賀県と長崎県)の大村純忠(おおむらすみただ)であると言われています。その他にも、有馬晴信(ありまはるのぶ)、大友義鎮(おおともよししげ)ら九州の諸大名、また蒲生氏郷(がもううじさと:会
うっちーこと宇都宮芳綱です今回は1-8鯖の影城主の秀吉さんの合成まずは神屋楯比売命を狙います果たして結果はグッジョブ♪('-^*)/更に行きます四至ノ神域が希望ですが、保険の天磐船が付かなければOKです果たして結果はグッジョブ♪('-^*)/なかなか四至ノ神域は付かないけど、天磐船が付かなかっただけOKですさて、最後の仕上げです極限突破素材を用意するのも大変なので、
呪術廻戦コミック全13冊セットAmazon(アマゾン)12,970〜17,850円触れたくない部分であるからこそ触れてしまいました。アマ小説の為に調べていたら精神的に参ってしまい、引き返せず追求してみたところ自分なりに辿り着いた疑問全く考えたくはないし辛い事しか考えられないのですが……串刺しについてどうもこの刑については盛られ過ぎな気がします江戸時代の磔のように手順が明文化されていないように思うんです例えば、「日本の処刑」だのという類のタイトルの本を見ても、この処刑につ
皆様こんばんは、1年前にぴったりだったズボンは閉まらなくなる、1年前はぶかぶかだった白シャツが北斗の拳のキャラばりにパッツンパツン、今も昔もステーキは美味い、ゆきとむしです。時の流れは残酷なのねん。さて獅子の如くでは1周年イベント真っ最中です。無料で縁宝地図や武将もらえたり、沈没船漁って宝物強奪など色々開催中。そんな中、日本屈指の有名武将である「豊臣秀吉」が武将訪問イベントに登場しました。早速特徴を見てみましょう。豊臣秀吉の特徴・強力なスキルを2つ持つ武将豊臣秀吉は「太閣
前回のブログで、「”現存三重櫓”を色々な方向から顔・姿を見る」を番外編含め、合計12基+1基で終了しました。「現存三重櫓」(12基+1基)は、下記をクリックしてください。https://ameblo.jp/highhillhide/theme-10112595030.htmlしかし「三重櫓」は、現在でも「天守」にも勝るとも劣らず魅力的な建造物が、数多く存在しているのを見てきました。江戸時代通じて、「三重櫓」を備えた「お城」は、今回紹介してきた「お城」の「三重櫓」以外にも存在し
2023年12月10日京都観光しています、JRの稲荷駅で下車したら、行き先はもうお分かりですね。駅の出口を出てすぐの所にある伏見稲荷大社です。まだ朝早いのですが、観光客でにぎわっていました。伏見稲荷大社の境内には、あちらこちらにお狐さまがたくさんいます。何かをくわえているお狐さまであったり、何もくわえていなかったり・・・・お狐さまがくわえているものは、「稲穂」「巻物」「玉」「鍵」の4種類だそうです。こちらのお狐さまは「稲穂」でしたね。お
戦国武将占いをしたら石田三成でした。実は最初のサイトでは豊臣秀吉。そんな訳ないわーと思って、別のサイトで占ったら徳川家康。またまた、そんな訳ないわーと思って更に3度目のサイトで石田三成!もうなんだか意味ありますかね。この占い。我ながら「人は信じたいものしか信じない」という、見本のような結果になりました。でも人は信じたいものしか信じないとしたら・・・自分で自分の事を・豊かである。・幸せである。・愛情に満ちた人生である。と信じて決めてし
龍泉寺から次は継松寺へ松阪巡りまだまだ続くぞぉ〰️岡寺山継松寺【おかでらさんけいしょうじ】聖武天皇の勅願により行基菩薩が創建しています。東大寺建立の大事業が無事成功することを祈願するために建てられた寺院でした。聖武天皇42歳の厄年の際に、ここのご本尊如意輪観世音菩薩を宮中にお奉りし祈願した後、再び当山に安置したことから厄除け観音としてこの地域の厄年の参拝者が多く訪れます。山門大きい山門カッコいいよなぁ手水舎ここはコロナの影響がないみたいやねでも…杓を触るの怖い
こんばんは♪プリニー0号ッス。夏の地方予選が終わりましたね。甲子園の季節が来ました。そして、今年はオリンピックもある……。不安はありますが、無事に終わると良いですね。本題本当ならアルティナちゃんの解説したかったのですが、バトオペnextに奮闘していて(ブルーLv4にしたいですので……。)、時間が足りず……日に日に弱る豊臣秀吉。どうも真田丸の秀吉は「認知症」に比重があるようです。実際に資料にも認知症を仄めかす記載があるそうで。まぁ、認知症は今でも悩まされる病ですが、現代に入ってい
こんにちは。はづき数秘認定講師Hirokoです。今日はとても良いお天気で、幼稚園の娘を迎えに行きすがらの新緑の気持ちいいこと!!木や草花も芽吹く時期!私も『あれやりたいな、これやりたいな』と気持ちは前を向いているのですが、一方社会に目を向けると緊急事態宣言要請など行動の基準の判断が難しくなっています(娘は、森の中にある自然豊かな幼稚園に通っています)さて今日は、宿命数(誕生数7)のお子さんの数秘活用法です。【7日、16日、25日生まれ】宿命数7のお子さん◎完璧主義
今日は高座結御子神社(たかくらむすびみこじんじゃ)に参拝してきました(^O^)今、通っている西高蔵のスポーツジムのすぐそばにあります。子供の頃に祖母と来たことある懐かしい神社⛩このあたりは熱田神社も近くて神話の宝庫な土地柄です。子授け、子育てにご利益のある神社⛩街の中の静かで小さな森の中にある御神殿初孫の成長をお願いしてきました子供にこの井戸をのぞかせると疳の虫な収まり虫封じができると言われています。一緒に参拝した娘は疳の虫がわからないみたいで赤ちゃんが夜泣きしたり、かん
日本の三大遊廓とは、かつての江戸の吉原、京都の島原、かつての大坂の新町であったとか!吉原と島原は現在でも其れらしき面影と機能を残しているが、大坂の新町は全く昔の面影を失ったビル街になっている。⑴大坂(現在の大阪市西区)の新町遊廓1869年に松島遊廓ができたことや、1872年の遊女解放令布告によって外部との交通が自由化したこと、さらには、1890年の大火で廓の多くが焼失したことなどによって、新町は次第に商業地域となっていった。北隣の立売堀の影響もあって金属・機械工具の問屋が多い。1945年
私は、歴史が大好きである。当ブログを読んで頂いている方であれば、おわかりだとは思うが、私は、野球は勿論、様々な事柄についての歴史を調べたりするのが非常に好きであり、人生において、歴史を学んでいる時が、最も楽しい時であると言っても過言ではない。ところが、最近、私の知人が、こんな事を言っていた。「歴史なんて、1mmも興味が無い。昔の事なんか知ったって、何の意味も無い」と、その人は言い放ったのである。私は、それを聞いて、「うーん…」と言ったきり、何も言葉を返せなかった。人そ
HP大阪府HP大阪市HP福島区生まれ。武士の行事。(勝手に...。)大阪府HP東大阪市出身ですが。20代は、HP東京都HP千代田区神田佐久間町在住でした。大阪城天守閣を眺める新年。HP大阪城公園(エンタメ会場HP大阪城ホール)HPチケットぴあ・HPeプラスHPローチケ・HPRakutenチケット(その他、ブログリンク掲載以外の阪・神間エンタメ会場等はブックマーク一覧へ。)近隣には日生球場跡地。(旧HP
この1ヶ月、秀吉強化月間になっていたので、せっかくですし「系図で見てみよう」シリーズで取りあげてみようと思います。秀吉と言えば、裸一貫で天下人まで成りあがった立身出世の代表格。そのため譜代の家臣がおらず、また本人も子供に恵まれませんでした。これは、武家として天下に覇を唱えようとする者としては、大きなハンデ。そこで、秀吉は「親類縁者から後継者や子飼いの武将を育てる」…という方針を取りました。親類縁者というのは、具体的には自分の実家「木下家」と、妻・ねねの実家「杉原家(≒浅
本日の「天守台シリーズ」は、第89弾「柳川(柳河)城」(福岡県柳川市)です。現在多くの「天守台(天守代用の櫓台含む)」が残されていて、更にはその上に復元、復興等の「天守(御三階櫓)」が再建されている場合も多くあります。「天守台」だけがひっそりと残っている場合は、「天守」が取り払われたケースの他にも、江戸時代には機会が有れば「天守」を建築するために「天守台」だけは用意していたケースや、「天守」を建築したいが幕府の目を気にしたり資金面で難しかった場合は、上物は建てず“権威の象徴”として
こんな美しい妹御のいる殿の元に嫁いだのかと思うと、我が身が縮こまる思いがした。このような女性を見ていたのでは城中の者たちが私を見て内心笑うのも分かる気がする。今さらながら私はどうしてもう少し美しく生まれてこなかったのかと少し悲しくなった。殿は私を見てなんと言うだろう、そう思うとため息しか出てこない。それでも殿のおいでを今か今かと待っていたのだが朝まで続く宴(うたげ)の中にも、殿はとうとう姿を現さなかったようだ。ようだ、と言うのは私がその宴に朝まで同席していたわけではないからだ。今で言えば新婚初
1596年(慶長元年)9月5日に慶長伏見地震が発生。伏見付近にある有馬-高槻断層帯と六甲・淡路島断層帯が震源となった直下型地震で、マグニチュード(M)は7.5程度と推定。豊臣秀吉の居城であった伏見城の天守閣が大破して、城内で上臈や中居下女など約500人が圧死、堺でも600人あまりの死者が出たようです。戦国時代後半には、日本列島の中部以西で大規模な災害をもたらすような大地震が相次いで発生していました。慶長伏見地震の直前にも9月1日に慶長伊予地震、9月4日に慶長豊後地震が発生しており、秀吉は
8/18(金)に「青春18きっぷ」を使い、岐阜・愛知3城巡りに出かけました。1城目の「竹中氏陣屋」から2城目の「清州城」(愛知県清須市)へ向かいました。JR「清洲駅」で下車すると、所々に「清州城」への道案内が出ていたので分かりやすく約15分位で「清洲古城跡公園」へ着きました。「清州城」への道案内↓「古城跡」内には「信長」を祀った「信長社」がありましたが「古城址」碑を見落としてしまい、そのまま「五条川」を渡る「大手橋」手前に到着しました。「古城跡」内に「信長」を祀った「信長