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こんばんは!前回の続きで京都平安神宮に来ています。お詣りの後は、神宛に行きましょう。平安神宮の社殿を取り囲むように東・中・西・南の4つの庭からなっています。最初は南神宛です。ここに短い線路があるのは、先ほど観た京都電気鉄道の電車が以前展示されていたところです。廃線跡ではないですよ。続いて西神宛です。中神宛です。臥龍橋(がりゅうきょう)龍が臥している(横たえる)姿を模して臥龍橋と名付けられました。渡りましょう。落ちないように!この丸い石材は天成17(1589)年に豊臣秀吉が造
名古屋市博物館に行ってきました現在名古屋市博物館はリニューアル改修工事中で9月5日から11月1日までの間プレオープン11月2日から再び改修工事に入りますプレオープンでは特別展の「リトアニアバルトの森に響く歌」と「名古屋には秀吉がおるでよ!秀吉と尾張の歴史」が開催されています改修工事に入るプレオープン中に是非行ってみたいな……と思っていてじつは博物館にも行ったことが無かったから思いきって行ってみたのです先ずは晩年の秀吉を想像して描いた豊臣秀吉画像写真はオッケーだけど
京都において”洛中洛外”という言葉は、単なる地域区画の線引きだけを意味するものではありません。”洛中”の基準となったのは、1591年に豊臣秀吉が築いた御土居(おどい)で都市の防衛や水害から町を守るために作られたこの土塁は、東は鴨川、北は鷹峯、西は紙屋川、南は九条まで及び、その総延長は約22.5kmにも達しました。明治時代に行われた琵琶湖疏水の建設にも匹敵する、京都の歴史上屈指の一大プロジェクトだったのです。明治以降の近代化に伴い御土居のほとんどは撤去されてしまいましたが、現在でもわずか
NHK大河ドラマ「豊臣兄弟」。第三十九回のタイトルは、「茶々の本心」です。茶々はこれまで、妹の初、江とは違い、なかなか豊臣家になじめない様子でした。母のお市が亡くなる原因を作ったのが秀吉ですから、憎くてたまらないのも仕方がありません。新しい環境に順応する妹たちに対して、茶々はいつまでも反抗心をむき出しにしていました。が、今回、その茶々が秀吉の側室になるという話が持ち上がり、家中で大騒ぎとなるのです。茶々が側室入りを受け入れるまで今回のドラマでは、豊臣家が今後も栄
呼子の続きです~朝食をいただきお宿を早々にチェックアウト日本三大朝市のひとつでもある呼子の朝市へ想像していたより露天数も少なくコンパクトな朝市でした。呼子名物のイカ焼き朝市の後は唐津へ移動して唐津城を見学豊臣秀吉の家臣寺沢志摩守広高が慶長7年から7ヶ年の歳月を費やして完成したといわれたお城。天守閣からは玄界灘、虹の松原、唐津市街を一望出来ます長崎から佐賀まであちこち観光して美
おはようございます🎉✨😆✨🎊旅行とダイビングが好きなひららです🍒小田原城、一夜城へ行った筋肉痛は、出ませんでした!毎日、職場で階段使っているからかな?でも、年を取ったら筋肉と友だちが何より大事って言うからまずは、筋肉から鍛えないとな~一夜城へ小田原城へいったならこちらへも行かないと!と来たのは一夜城!石垣山一夜城|スポット-観光スポット|リトルトリップ小田原[小田原市観光協会]小田原市観光協会が運営する小田原の観光情報を集めたおだわらLittleTirp(小田原リトル
豊臣兄弟40回の予告でサブタイトルは「あさひの輿入れ」と告知され、豊臣・徳川の和睦のために、身内を妻として差し出すよう要求してくる。あさひ夫妻が離縁させられる悲劇・・・豊臣秀吉(池松壮亮)が挙兵を決めた矢先、大地震が発生!大坂・浜松ともに大きな被害を受け、両者は和睦の道を探ることになる。😇石川数正(迫田孝也さん)が豊臣方へ出奔し、徳川家中は騒然。豊臣との戦は不可能と思われたが、家康(松下洸平さん)が諦める様子はない。秀長(仲野太賀さん)ももはや手立てがなく、秀吉(池松壮
豊臣兄弟、たまに見てますが史実と大分違って驚きつつたまにユーモアがあってクスッと笑えるところがあるけどいいのかな~とヒヤッとしたりしてます。ドラマの秀吉がさわやかになってますが現実はあり得ない程残酷なことをやってのけたりしてます農民出身で知性と度胸と要領で天下を勝ち取ってたけど世継ぎに恵まれなく甥の豊臣秀次を養子にとり側室の茶々に子どもができたら子どもに天下を譲りたくなり秀次が邪魔になり切腹に追い込まれて残った妻妾や子どもたちや使えてる人まで大量に死刑にさせたという残酷
10月15日の歴史天正10年(1582)10月15日羽柴秀吉が亡き主君織田信長の葬儀を京都大徳寺にて盛大に行った秀吉が自分が信長の後継者である事を世に示すための葬儀であった!!以前行った特別拝観記事を再投稿です↓↓2015大徳寺総見院秋の特別拝観大徳寺総見院京都に数ヶ所ある中の1つの信長公の墓があるお寺さんですでは総見院内を探検しましょうまずは本堂で総見院の説明会に参加念願の信長公木像と対面この信長公の像が総見院さんのご本尊様
教育心理学に於いては『遺伝』という言葉が、親からの継承性や生涯変わらない普遍性を連想させる事から、これまで遺伝要因の探究はタブー視される傾向にありました。この遺伝を強調する事により必然的な悲観的宿命論に結び付いてしまい、一般的な教育上では不都合なため低評価なまま等閑にされてきたと。本来、様々な人間の成長過程に於いては、それぞれの異なる遺伝的性向があるわけで、遺伝的影響の性質を探求し教育的な知見を得る事は意義があるはず。知能の個人差に着目する場合には、遺伝要因
ごきげんさまです岐阜県大垣市在住やましたひでこ公認断捨離®トレーナー菱田史子ですブログランキングに参加しています。一押し!お願いいたします。にほんブログ村にほんブログ来週、10月22日(木)。地元で、檀葉子トップトレーナーの断捨離®講演会が開催されます。主催は、海津市商工会女性部です。女性部に熱烈なダンシャリアンさんが所属しておられ、「ぜひ、断捨離の講演会を開催したい!」という熱意から実現した講演会。檀葉子トップト
ラサール石井onX:"ここにも日本の劣化がある。"/X↓樺島万里子MarikoKabashimaonX:"ほんと、今の日本がそのまま出ているように見える。アジア各国の選手を迎える式典で、朝鮮出兵を主導した豊臣秀吉を登場させる。「政治的意図はなかった」と組織委は説明しているけれど、むしろ私は、そこが怖い。悪意があったのではなく、"/X相手の国からどう見えるのかを、そもそも想像していなかったということだから。北朝鮮の国歌を韓国選手に流す。台湾をめぐって式典が
いつもお付き合いくださり、ありがとうございます。どろどろの悲しくて哀れな豊臣家のはじまりはじまり~~今回の茶々と秀吉の物語はいつもとは全然違う描き方ですね。ねね様と小一郎が、秀吉と茶々を説得するなんて、そんなあ!!!なんと、最初に小一郎が茶々との結婚を勧めているではありませんか。最後にはねね様の前で茶々が「殿下の妻になりとうございます」、と宣言する。あの時代に恋愛結婚で結ばれたねね様にはどうしようもない悲劇です。そんなことより、それまで側室が全くいなかったような
小早川隆景毛利元就の三男毛利海軍を鍛え上げた男そして、豊臣秀吉に天下を取らせた男秀吉の中国大返しは、小早川隆景が毛利軍を追撃させなかったから出来た。豊臣政権の五大老の1人に小早川隆景はなった。黒田官兵衛が毛利宗家に秀吉の甥、秀秋を送りこもうとしたから、小早川隆景の養子として貰い受けて毛利宗家を守った。兄の吉川元春は勇将として名を馳せた。弟の小早川隆景は、智将として名を馳せた。毛利両川この2人がいたから、毛利宗家は存在出来た。秀吉を嫌った吉川元春秀吉の懐に入り込んだ小早川隆
高橋弘樹vs秦始皇帝】新解釈キングダム!春秋戦国時代の史記はウソ!?秦王・嬴政の正体とは?史実での李信とは?【ReHacQvs鶴間和幸】【高橋弘樹vs秦始皇帝】新解釈キングダム!春秋戦国時代の史記はウソ!?秦王・嬴政の正体とは?史実での李信とは?【ReHacQvs鶴間和幸】2026/10/06に公開済み#キングダム#リハック#ReHacQ新たな視点で経済・社会を見つめ直すビジネス動画メディア「ReHacQ」!今回は映画『キングダム』中国史監修・学習院大学名誉教
豊臣秀吉への批判のみをまとめます。朝鮮出兵(文禄・慶長の役)明征服を目標に掲げた無謀な侵略戦争。朝鮮半島の地理・政治体制(中央集権)への認識が極めて乏しく、過去の国内成功体験(大軍動員で降伏させる)に固執した「老害」の典型とされる。朝鮮に甚大な人的・物的被害を与え、日本側も莫大な兵力・戦費を浪費。豊臣政権を経済的・軍事的に疲弊させ、滅亡の大きな遠因となった。大義名分のない侵略であり、江戸時代の儒教的評価でも「貪兵・驕兵・忿兵」として否定された。秀次事件実子秀頼誕生後、養子・関白だった
徳川家康に対する主な批判・否定的評価を、歴史上・後世の指摘に基づきまとめます(功績や肯定的側面は一切触れません)。1.義理人情に薄い「薄情さ」・裏切り今川義元に従属していたが、桶狭間の戦い後に今川を見限り、織田信長と同盟を結んだ。小牧・長久手の戦いで豊臣秀吉に勝利しながら臣従し、秀吉死後に豊臣家を打倒した。「主家を3度裏切った」との見方があり、日本人好みの「絆」や「義理」を出世の道具としてしか見ていなかったと批判される。2.「狸親父」と呼ばれる狡猾・権謀術策三河一向一揆で一旦和睦
文化講座「豊臣秀吉の小田原攻めと埼玉忍城水攻めを中心に」が開催されます。日程:2026年10月31日(土)時間:13:30~15:30場所:県立熊谷図書館1階鑑賞室料金:無料詳しくはこちらで県立熊谷図書館文化講座「豊臣秀吉の小田原攻めと埼玉:忍城水攻めを中心に」と関連資料展を開催しますwww.pref.saitama.lg.jpお城のことはこちらでお城ファンクラブ|お城を見て、知って、楽しむサイトお城ファンクラブは観光も楽しみながらお城巡りをし、お城
私はそう言いながら、ふと家康の顔を思い浮かべた。信長と家康は長く同盟を結んでいた。殿は家康をただの同盟相手としてではなく、己と同じく乱世を生き抜く器量を持つ者として見ていたように思う。この先、家康がどこまで世に出てくるのかは分からぬ。だが、少なくとも今の私には、あの男にはこれから先も歩み続ける力があるように思えた。「そうじゃ。そうすればよい。そなたほどの者なら、いずれは一国一城を預かる身になるやもしれぬ。若いのだから、私のような者に付き従って朽ちていく必要などない」「お方様」「そうだ……」
7時34分!同じ全員寝方してるし2段ベッド使ってないって意味不明です園コンビを送ってから、今年は最愛と最幸が初めて御挨拶へ御挨拶しながら山頂へ末広家の御夫婦と1年に1回のお話と御参りと末廣大神様へ奉納しますそして御挨拶しながら地上へ戻りますこちらのお店は豊臣秀吉が店名をつけたんですよちいかわ限定店へ行ってから園コンビおむかえと家に戻り19時前から事務所行って来ました気合全開元★真【to★be★continued】
豊臣秀吉が築いた伏見城の本丸跡地に造営、廃城後は桃の木が植えられ、この一帯は「桃山」と呼ばれるようになった、、見下ろす石段は230段あり、教育勅語の発布日1890年(明治23年)10月30日にちなみ、23x10=230段となるように設計されたという俗説(都市伝説?)があることを以前、桃山陵墓監区事務所でうかがったことがある👀✨伏見桃山陵御陵印後醍醐天皇所縁のシリーズとして明治神宮の御朱印をいただいたので、その横に列びとなるようにちなみに、24時間いつうかがっても御陵印を
にほんブログ村名古屋市南区にある名山「丹八山」登頂記が今回のテーマ標高11メートル名古屋で1番低い山??らしいんだな…なので、遭難(そうなん)者はゼロ…おそらく…だけど、登頂してみると「そうなんだ???」と驚くことがいっぱい「丹八山」は、かつてここは「鳥居山」と呼ばれ、七所社(七所神社)が建っていたそう…だけど、七所神社が平安時代後期に現在地に遷座され明治時代、石川丹八郎さんの所有地に石川丹八郎さんは「鳥居山」を自身の名前に由来する「丹八山」
かきつばたあやめです。こんにちは~。本日もご覧いただき、ありがとうございます~。竹内結子さんのお茶々さま、きれいでしたね~。でも真田丸の淀さまは、淀さまであって淀さまでない。真田源次郎幸村を魅了する妖しくも魔性の美女。九度山で一生を終えるのも悪くないと考えていた幸村を、「この方のために!」と歴史の大舞台に引き込むほどのお方。それほど魅力的な淀さまでした。竹内結子さんも「仇の側室になって跡継ぎを生む複雑な立場と心境の姫」を演じるつもりでいたら、「深いことは考えず、ただただ気軽に
このブログは私たち日本人の心の拠り所である神社の謎と不思議に迫ってまいります。星田妙見宮の歴史と周辺の神社との関わり、陰陽道や古神道についてシリーズでその魅力を調査します。その14では、なぜ、星田妙見宮の奥の院には拝殿より高い位置に豊臣稲荷神社が鎮座されているのか?について深掘りしました。拝殿より10mほども高い位置に豊臣稲荷神社があるのですが、星田妙見宮が平地に本殿を建てて成立した神社というより、妙見山そのものと巨石=磐座を信仰対象とした山岳的な聖地であることと関係する
ごきげんさまです岐阜県大垣市在住やましたひでこ公認断捨離®トレーナー菱田史子ですブログランキングに参加しています。一押し!お願いいたします。にほんブログ村にほんブログ今年も稲刈りの時期がやってきました。昔は、田植えから稲刈りまで、随分長く感じたものです。それが最近は、「ついこの前、田植えしたばかりなのに、もう稲刈り?」そんな感覚です。田植えは雨が降っていてもできますが、稲刈りは雨が降ったらできません。天気だけが頼みの綱
※今回辛口なので、ドラマ毎回楽しく見てるよ〜という方は、ここでご覧になることをやめるのをお勧めします〜〜m(__)mでも、寧々と茶々が美しかったので、イラストは描いたなんかね。私もそんなに歴史詳しくないんですよ。だから、色々言われてるこのドラマも楽しく見てましたよ。何より主役の太賀くんが好きで、周りの役者さんも熱演で、おおっ(〃゚3゚〃)と思うシーンもたくさんあって、それを残したくて絵を描いて、感想も書いて…とやってきたのですが、今回は…。……。これ、秀吉、はっきりと言っ
普段はテレビは見ない…もう30年近くたつ面白くないし今はインターネットがある今年の大河ドラマは豊臣秀長と聞いてはいた興味のある人であるがあまりにわからないことだらけの人生で調べようがなかったこの人に興味を持ったのは堺屋太一の「ある補佐役の生涯」からだだがしかし豊臣秀吉もそうだがこの人はもっと資料がない秀吉にしたって「たいこうさまぐんきの内」「絵本太功記」のイメージがそのままいまだに受け継がれている…「たいこうさまぐんきの内」は「大こうさまぐんき」の抜粋版で原本は未だ発見されていない
10月10日、大阪城散歩の続きです。大阪城に行くということは、豊國神社⛩️も行けるはず。で、御朱印帳を持参しました✌️前回⑧とは反対側⑨の鳥居から入りました。大阪城の豊國神社は、旧字体『國』と表記して「ほうこくじんじゃ」と読みます。総本社にあたる京都の豊国神社は、「とよくにじんじゃ」と読みます。前回の記事です🫱『大阪城豊國神社』大阪城観光の続きです😊大阪城公園内本丸南側には、豊國神社(ほうこくじんじゃ)が鎮座しています。この私が行かないはずはありませぬ。豊國神社は、大阪市中央
三連休の10月11日から大阪へ行ってきました。目的は大阪城ホールで開催される石田組弦楽アンサンブル公演です♪今回の公演は、予定していた友人が行けなくなったため、チケットを譲り受けて私が行くという流れで。演奏も演出も、もう本当に素晴らしくてアリーナ席の正面9列目という恵まれた位置から視覚、聴覚だけでなく皮膚感覚で音が入ってきますあっという間の3時間。最後に石田組長がホール全体を360度見渡して深々とお辞儀をされたのがとても印象に残りました。今年は6月から
今日はスポーツの日ですね。私も、この連休は、伏見稲荷大社を参拝しながら、稲荷山をハイキングしました。伏見稲荷大社といえば、千本鳥居。自然の中の鳥居をくぐっていると、「命」という、いつ終わるかわからないけれど、今、与えられている時間への感謝が湧いてきます。そして、そんな限られた時間を使って、何をしたいのか、という願いも。考えてみれば、奉納された鳥居の数だけ、先人たちの感謝や願いがある。そう思うと感慨深いです。豊臣秀吉公も参拝し、その後、休憩したお店