ブログ記事18,010件
おはようございます♪くりたまです。神奈川県にある石垣山一夜城へ参拝しました小田原駅から車で10分のところにあります。野積みの石垣がゴロゴロ安土桃山時代の天正18年(1590年)、豊臣秀吉公が北条氏政、氏直親子を攻めた小田原城包囲戦で、この石垣山一夜城を築きました。海が見えます相模湾の青い海が綺麗明るく氣がいい自然豊かなパワースポットです。天守台跡このアングルが桜井識子さんの今月のカレンダーですね5匹のクロアゲハさんと5匹のトカゲさんに歓迎してもらえて、嬉しい石垣山の神様に
🌿豊臣秀吉ってどんな人?一言でいうと👉ゼロからトップまで上りつめた人です。🌿超シンプルに昔の日本は👉生まれた家で人生が決まる時代でも秀吉は👉農民からスタートして👉最終的に日本のトップになったかなりレアな存在です。🌿何がすごかったの?①人の心をつかむのが上手い👉気配り・話し方・タイミング今でいう👉カリスマ営業マン②行動が早い👉チャンスを逃さない👉すぐ動く③頭がいい(戦略家)👉戦いだけじゃなく👉人の配置や流れを読む🌿何をした人
羽柴秀吉は、尼子勝久を擁する、山中鹿介幸盛等、織田家に属していた、尼子氏再興軍に上月城の防衛を任せた。1579年、上月城を巡る毛、利氏との攻防の末に、備前・美作の宇喜多直家を服属させ、毛利氏との争いを有利に進めたが、摂津国の荒木村重が、反旗を翻したため、秀吉の中国経略は、一時、中断を余儀なくされたのである。羽柴秀吉には、1579年代、長浜城主の時代に、最初の子、石松丸が、生まれたとされる。石松丸の母は、側室の「南殿」と伝えられる。石松丸は、羽柴秀勝の名を与えられたが、その生涯は
満足稲荷はまだ行ったことないんだけど今日2日は婚活の日なんですってね私は5日にコン活します狐行列も観たいし騙されませんように馬鹿にされませんように満足稲荷いうのは豊臣秀吉がお稲荷さんを持ってきやはって地に祀ることが出来て満足満足満足稲荷の意味だそうですまだお参りしたことないんよね晴れますように
ごきげんさまです岐阜県大垣市在住やましたひでこ公認断捨離®トレーナー菱田史子ですブログランキングに参加しています。一押し!お願いいたします。にほんブログ村にほんブログ村ジパング俱楽部ってご存知ですか?シニア世代の旅を応援してくれる、ありがたい会員サービスです。私も、ありがたく利用させていただいております。年に何回か、会員向けの冊子が届きます。ジパング倶楽部公式ホームページ-検索旅の情報や特集記事、各地の見どこ
NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の視聴率の状況がわからないが、私は毎週、放送を楽しみにしている。視聴率に一喜一憂されている番組関係者の皆さん、視聴率だけじゃないと思ってほしいが・・・。さて、大河ドラマの主人公である、豊臣秀長が一躍脚光を浴びるきっかけを作ったのは、堺屋太一さんが著した小説「豊臣秀長」だろう。秀長は天下人の豊臣秀吉の弟であり、家臣であり、そして相棒であった。もしも、秀長がいなければ、秀吉が天下を獲ることはなかっただろう。秀長は人格のある方
🔷NHKBSオススメ番組🔷「#加賀百万石」を築いた前田利家・利長・利常激動の戦国を生き抜き、金沢の華麗な文化を作り上げた前田三代の知略に、#岡田准一が迫る!📺5月2日(土)[BS]夜9時00分「#ザ・プロファイラー」加賀百万石を築いた前田三代📺[BS]今夜9時00分「#ザ・プロファイラー」加賀百万石を築いた前田三代いかにして「#加賀百万石」の礎と金沢の華麗な文化を築き上げたのか!?#岡田准一が、前田家三代の波乱に満ちた人生と、その実像に迫る!信長・秀吉・家康
「兄者の御運は開けた」小谷城攻めの成功を左右する瞬間、秀吉のもとに駆けつけた小一郎の一言「兄者の御運は開けた」小谷城攻めの成功を左右する瞬間、秀吉のもとに駆けつけた小一郎の一言戦国乱世を生き抜いた豊臣兄弟。そのチームワークが、小谷城攻めでいかに発揮されたのか――兄・秀吉と弟・秀長。そして家臣たちが一丸となったその瞬間を、史実と記録からひもときます。toyokeizai.net「浅井・朝倉に加担した人々を虐殺」比叡山延暦寺焼き討ちで信長の暴挙に加担した明智光秀"裏の顔"「浅井・朝倉に加担
にほんブログ村にほんブログ村《ダントツ美しいのは岡田准一》『豊臣兄弟!』の「囲碁指導者」が明かす大河ドラマで菜々緒がかけた「労いの言葉」【劇中の盤面にも注目】(女性セブンプラス)-Yahoo!ニュース仲野太賀(33才)が主演を務める大河ドラマ『豊臣兄弟!』(NHK総合)。物語は小栗旬(43才)演じる織田信長と要潤(45才)演じる明智光秀との間に不穏な空気が流れ始め、いよいよ「本能寺の変」が近づいnews.yahoo.co.jp『豊臣兄弟!』まだ出演“数秒”なのに…「いきな
※2026年1月26日訪問※続いては《フォトスポット①》のコーナーへ●《フォトスポット①》●▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼豪華キャスト陣の全身パネルがズラリ!来館の思い出にぜひ記念撮影を。▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲【徳川家康(松下洸平)】【市(宮崎あおい)】【織田信長(小栗旬)】【小一郎・豊臣秀長(仲野太賀)】【藤吉郎・豊臣秀吉(池松壮亮)】【寧々(浜辺美波)】【直(白石聖)】主要キャストの方々の全身パネルが並んだ様子は圧巻近くにはスタッフの方が撮影
藤吉郎と小一郎が夜遊びの帰り道藤吉郎「よいか小一郎、このことは寧々殿には内緒だぞ」小一郎「言うわけなかろうが!」藤吉郎「これもみんなお主のためを思ってしたことじゃ」小一郎「とか言って結局自分がしたかっただけじゃろが!」あのシーンが好きで何度も見て描きました。今日から放送!「僕のヒーローアカデミア」前回から8年後のストーリーだとか声優の山下大輝さん佐倉綾音さん梶裕貴さん岡本信彦さん福圓美里さん昨日は7枚の絵が完成してから休憩と散歩がてら大河ドラマ館へ行き、またスタッフと
2015-08-23柳井市阿月の神明祭りは、旧1月14日に行われる火祭りである。その起源は、遠く文禄元年(1592)、豊太閤朝鮮征伐のみぎり、阿月の領主の祖浦兵部尉宗勝が小早川左衛門佐隆景に従って出陣の際、伊勢の宗廟へ戦勝を祈願され、旧領地の忠海(広島県)に神明宮を創建せられて、礼拝された故事によるという。その後浦氏領地替とともに、阿月の東部落・西部落の海浜ニカ所に天照皇大神宮ならびに豊受大神宮を奉祀したが、ここに旧正月十四日、松・竹・椎・裏白・梅・橙・皇大神宮の大麻および扇等をもって
前田利家が豊臣秀吉に投げかけるなぞかけを、織田信長の孫、秀信が解くというかなり奇抜な設定の歴史小説です。歴史ミステリー小説という未開のジャンルをひた走る谷津矢車さん。歴史小説で犯行現場の平面図が出てくる作品は初めて読みました。豊臣秀吉や前田利家は、すでにいろいろな小説やドラマで描かれていて、新しい切り口を見つけるのは至難の業だと思いますが、すでにキャラクターのイメージが定着しているのを逆手にとって、読んでいてストーリーがスッと入ってくる
ドラマの中では、軽く触れる程度で語られた、宇佐山城の戦いですが、織田軍にとっては、かなり多くの家臣を失ったとされています舞台となった宇佐山は、現在の滋賀県大津市(琵琶湖周辺)にあり、宇佐山城は別名、志賀城とも呼ばれていましたその宇佐山城主が、森可成で、攻めの三左の異名で呼ばれる程の槍の名手だったと言われています攻めてきた浅井・朝倉連合軍は、朝倉義景、浅井長政に、延暦寺の僧兵、六角義賢らの約3万の兵だったのに対し、織田軍は、森可成、織田信治(信長の弟)らが率いる、たった1千の兵で、これを迎え
1570年、織田信長は、越前国の朝倉義景討伐に向かい、秀吉は、従軍する。順調に侵攻を進めていくが、盟友の北近江の浅井長政が裏切り、織田軍を背後から急襲した。浅井軍と朝倉郡の挟撃という、絶体絶命の危機であったが、秀吉は、殿軍を務め、功績を挙げた。史上有名な、金ヶ崎の退き口であり、秀吉は、更に信長の信頼を勝ち得たのである。木下秀吉は、同年の姉川の戦いの後には、横山城の城代に任じられ、浅井氏との攻防戦、志賀の陣に従軍した。1573年の浅井氏の居城、小谷城の戦いでは、木下秀吉は、3
今日の一言「生誕の地」豊臣兄弟が生まれ育った名古屋中村の歴史散歩の続き中村公園の隣りにある豊臣秀吉生誕地に建つ常泉寺へ秀吉生誕時の産湯の井戸本堂山門最後に、中村公園の一角にある秀吉清正記念館へ中村で生まれ育った秀吉と加藤清正に関する資料を展示しています名古屋中村の歴史散歩でした
2023年の夏、職場の法人の研修旅行のプランニングをしまして、京都の月桂冠大倉記念館を見学するプランを立てました。そこにある伏見教会跡のことは、過去記事に書いているのでそちらにゆずります。その後は滋賀県の温泉に向かうはずでしたが、熱中症っぽい方が出たので(アイスクリームで治癒)、コース変更して「一条戻橋」に行った時の記録です。月桂冠大倉記念館には隣接して江戸時代のイエズス会伏見教会跡があり、展示にも少し触れられているということで出かけました。宣教師たちがそこから尾張・美濃までやってきて
ごきげんさまです岐阜県大垣市在住やましたひでこ公認断捨離®トレーナー菱田史子ですブログランキングに参加しています。一押し!お願いいたします。にほんブログ村にほんブログ村今、5月13日に向けて、準備しております。33俱楽部のミニ講座、「実家の断捨離」私自身が体験したこと、そしてそこから気づかせていただいたことを、皆さまにお話しさせていただきます。実家の断捨離は、ただモノを整理するだけではありません。親との関係
※2026年1月26日訪問※引き続き《衣装・小道具展示》のコーナーを見て行きます✨『藤吉郎(豊臣秀吉)役池松壮亮さんの衣装』【桑染色染地渋紙色染獅子尾模様(毛卍文)汚し麻小袖朽葉茶色染汚し麻半袴路考茶染汚し脚半色々糸縅前鎧】戦場を駆け回っていた若き日の豊臣秀吉(藤吉郎)の衣装腰には後に秀吉の馬印ともなる《瓢箪》がぶら下がっていますね✨布地の部分などにあえて汚しを多く入れてみたり、背中に指している織田家の家紋《木瓜紋》を染め抜いた幟が破れているのも、まだまだ身分の低い藤吉郎のキ
秀吉が出世した理由「人においしい思いをさせる人だった」(日本史めぐり4)黒井ドラゴンNhk大河ドラマ『豊臣兄弟』で新たな注目を集めている豊臣秀吉。秀吉が百姓出身でありながら出世できた理由は、秀吉の「土木力」のほかに、「人の心をつかむのがとても上手い人だった」からだろう。「人たらし」といわれるほど「人をその気にさせるのが上手い人だった」のである。おそらく、ほかの織田家家臣の中には、秀吉ほど「人たらし」の人はいなかったのだろう。「人たらし」であることも、秀吉の「土木力
お早う御座います。5月スタート無理せず自分のペースで素敵な一日を今日もよろしくお願いします。大阪府の今日の天気予報☁|☔最高予想気温20℃(堺市5時10分17.5℃)【成田山不動尊節分祭2026】池松壮亮×浜辺美波が登場!追儺豆まき式〈2回目〉【2026年2月3日】2026年2月3日、成田山不動尊で行われた節分祭・追儺豆まき式(2回目)の様子です。ゲストには、NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」より・池松壮亮さん(藤吉郎/豊臣秀吉役)・浜辺美波
懐中温泉です、有馬湯治第十九日後半一、治療医学としての湯治江戸中期以降、医師たちが温泉の効能を体系的に論じる温泉医学書(香川修徳『一本堂薬選続編』など)を著し、湯治は“治療医学”の一部として位置づけられた。腰痛・脚気・中風・瘡毒・眼病・打身など、多様な疾患に対し、“この病にはこの湯”という対応関係が番付や案内書に示された。患者は自分の病に合う温泉を選んで湯治に出かけた。二、予防医療としての湯治農村部では、農作業の節目ごとに温泉に
こんにちは!9歳と7歳の子を育てていますアメブロの広告に嫌気がさしている方続出ですね…私もその1人です。だって、読めない!そして読んでもらえない!!アメブロ運営さま方、なんとかしてください<(__)>2026年の大河ドラマ豊臣兄弟!第17回が放送されました!日本では類を見ない大虐殺比叡山焼き討ちの回でした。その実行を担った光秀の主(義昭)への忠誠心がすご過ぎた。。でも、その主から叱責され主のために心を殺したのに救われません。。そこは分かってあげないと光秀が可
#あわら温泉春まつり#芸妓による踊り#人形#山車#桜山車#太鼓山車#福井県あわら市温泉#子供神輿#神輿#本山#花山#太鼓山#2026#豊臣秀吉#湯巡権三#ゆめぐりごんぞう#ソウシチョウ#相思鳥#LeiothrixLutea#鳥綱スズメ目#ソウシチョウ科#RedBilledLeiothrix#インド北部
豊臣秀吉の出生については、通俗的に広く知られているが、史学としては、不明な点が、非常に多い。秀吉は、1537年3月17日、尾張国愛知郡中村郷中中村で、足軽と伝えられる、木下弥右衛門となかの息子に生まれたとされる。父の木下弥右衛門については、諸説あり、足軽、名主百姓、最下層の貧民等、明確ではない。秀吉の幼名は、日吉丸とされる。日吉丸の母、後の大政所は、なかとの説が、有力であり、姉の日秀尼は、ともとされる。秀吉の弟の秀長、妹の朝日の父は、なかの再婚相手、竹阿弥で、秀吉と異父とされて
こんばんは京都は雨が降っていて少し寒いです今日は図書館記念日?なんで?図書館で最後に借りた本は?▼本日限定!ブログスタンプ図書館で最後に借りた本は…忘れたせっかくの図書館記念日なので借りてきました📚もうずっと前の会社の先輩とのランチは仕事辞めてからもずっと続いててランチの前にいつも一方的に責められるの毎回毎回ランチの前に責められるのわかっているから私も返す言葉は準備してあるの「ほんま、豊臣秀吉何がしたかったのかな」て、その話からのランチになります朝鮮人がお
安土城・・・織田信長が天正4年(1576年)に丹羽長秀を総普請奉行に据えて築城させた城。天正7年に完成、天正10年に本能寺の変の混乱の中焼失。大型の天守(現地では「天主」と表記)を初めて持つなど威容を誇った。滋賀県近江八幡市安土町下豊浦にあった。4月18日(土)~21日(月)、滋賀県に旅行に行ってきました。初日、宿泊先の南草津のホテルにチェックインしたのが14時・・・荷物整理などをしつつ、この日の観光場所を模索・・・南草津駅から安土駅まで
「ロード・オブ・ザ・リング」という映画を見たことがあります。若者たちが荒野を旅するのですが食糧の調達に関する描写がありませんでした。ファンタジーなのですから言うだけ野暮でしょうが現実味がないように思いました。(記憶が違ってたらゴメンナサイ)NHKの連続朗読番組「新書太閤記」というラジオドラマが毎日放送されています。若き日の豊臣秀吉の物語なのですがあちこち放浪する道中、手伝いや清掃をかって出て食料を得る描写がありました。ロード・オブ・ザ・リングに比べて現
いつもお付き合いくださり、ありがとうございます。いやあ、辛い話でした。明智さん、ここから信長のために人間を捨てました。戦争が人の心から温かみを消して行ったんです。心優しい人が、人の虐殺を率先して行う人になったのです。歴史的に有名な、あの「延暦寺焼き討ち」です。命からがら逃げてきた信長は、浅井・朝倉連合軍とまた戦をしなければなりません。そのために浅井の家臣である宮部継潤を調略しなくてはなりません。調略のために、自分の息子がいない藤吉郎は、義姉さんの息子を人質にする。