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日韓旅行DAY11(Part3)お天気は多少晴れたり曇ったり・・・観覧車の後は大阪城へ~「重要文化財大阪城の櫓YAGURA特別公開」の時期と重なったので、こちらも見に行くことに(同じ敷地内なのでね)大阪城入口からすごい人ですね💦日本の名所は外国人観光客でどこもすごいことになっていますね。まずは櫓から~櫓の入口前の桜が見事♪櫓は暗めであまり良い写真がとれず・・・歴史を感じさせてくれる場所でした。ボランティアのおじいちゃんが必要であれば説明もしてくれます。次は大阪城
西国巡礼…醍醐寺の続きです三宝院と霊宝館を拝観した後は、いよいよ下醍醐の諸堂を巡ります参道側からの国宝唐門菊と五七の桐紋は金箔が貼られているのでピッカピカです✨西大門(仁王門)慶長10年(1605年)豊臣秀頼により再建本来の醍醐寺の正門は南大門で有りましたが、再建時に西大門を正門としました西大門には、かつて南大門に安置されていた仁王像が祀られています仁王像は長承3年(1134年)仏師勢増仁増の作と言われています清瀧宮拝殿慶長4年(1599年)建立清瀧宮本殿🐉醍醐寺
先日10/13(火)に「大坂城」(大阪府大阪市中央区)外周を散策した時のブログを「速報!」としてお届けしました。今回から2~3回に分けて、『「大坂城」の外堀越しから見た大坂城』『違う視点から見た「大坂城」の四大門(京橋口門、青屋口門、玉造口門、大手門)』を中心に、ブログをお届けします。外郭(北仕り曲輪)へ大阪ビジネスパークから架かる「新鴫野橋」からのぞむ天守北面普段「大坂城」に行っても、なかなか足を延ばさない場所が多いと思いますので、「へー、こんな所があったかなー」とあらためて
織田信長は今現在、無間地獄の中間層に閉じ込められています。織田信長は無間地獄に5万年閉じ込められています。織田信長は牢屋に閉じ込められています。豊臣秀吉は今現在、無間地獄の最下層に閉じ込められています。豊臣秀吉は無間地獄に50万年閉じ込められています。豊臣秀吉は半径5mの井戸に閉じ込められています。徳川家康は今現在、叫喚地獄の最下層に閉じ込められています。徳川家康は叫喚地獄に5万年閉じ込められています。徳川家康は牢屋に閉じ込められています。
桜の時期が近づくと、気合満点で出かけていたかつてのちゅんたろう〜しかしこのところは、桜とスズメさえ撮れれば満足という体たらく…何はともあれ、スズメといえば大阪城〜春らしい淡い光の中、ポーズを決めてくれるちゅんたち〜価値観はさまざま〜人間が惚れ惚れと眺める桜も、ちゅんたちには愛すべきごちそう〜「あ!見つかってしもた!」いつもはちゅんたちと一緒に帰るところなんだけど、この日はひとり残ってあちこち見学して回りました〜曇り空をつん
ブログは「石・石塁・石垣シリーズ」を掲載中ですので、どうぞご覧ください。初回プロローグでピックアップした切口による分類の下記表から「①②-(1)野面積み・乱積み」を使用しているお城の例を「東北地方」から掲載しています。本日は「近畿地方(近江)」のお城の中で「野面積み・乱積み」を導入している例をお届けします。近畿地方には、戦国時代初期から「土塁」の崩落回避等で「石」を積上げる手法「石塁」の導入が行われているお城が多いです。そして、近畿地方には「穴太衆」という石工集団があったので
秀吉様、とうとう続編配信間近ですね♪続編、巡るのかな?続く三成様も巡るのかな?( ̄^ ̄゜)秀吉様本編攻略済みだったのですが、upしていなかったので今更ながらupします♪ちなみに「秀吉続編応援セット」は真珠2個分お得です♪うーん、本編CPも復刻で真珠貰えないし、このまま今読んでる幸村様をのんびり読もうかな?共通√(共通√は両方の選択肢を載せます。後ろの名前が好感度が上がる殿です。)1「犬猿の仲」①【壱】:確かに美味しそう利家【弍】:喉を通りそうにない
掃除用具は基本的に、「洗剤」という化学の道具を使って、「汚物を洗浄」するし「汚物≒生物の汚れ」だと考えた時に、「生命倫理の尊重」がなくなると、爆弾作る必要すらない極悪非道な兵器が、色々作れてしまう連中だったりする。でまぁ、俺の知る限り、「富裕層」とやらは掃除してる人に、特に失礼な奴が多い。典型的なのは、「仕事を作ってやってる」と語って世界の問題化してる、ゴミ山問題とかね。これがお前の「兄弟盃か?」とニコニコ笑いながら、タバコの廃液を、「美味しいコ
【滋賀】【長浜八幡宮限定御朱印】【長浜八幡宮御朱印】以前お受けした【長浜八幡宮御朱印】【拝殿】【本殿】【御祭神】誉田別尊(応神天皇)足仲彦尊(仲哀天皇)息長足姫尊(神宮皇后)1069年源義家公が後三条天皇の勅願を受け京都の石清水八幡宮より御分霊を迎えて鎮座。この地は八幡の庄と称えられ庄内十一郷の産土の神として崇敬されました。当時の社頭は三千石・一山七
考え事してた訳でもなかったと思うけど大阪やのに、なんでか珍しく道に迷ってしまいましたこっ…これ、どこや…『次の信号で赤になったら、ちょっとナビ入れようっと』そして、はじめての赤信号が停まり、チラッとなにげに右側を見たら、そこにあったのは…あっ・・・・・神社や・・・ちょうどそこに神社あるとかすごい運命的ズキューンこれは、素通りできないよね…。この流れ…(笑)ちょっと車とめて、ササッとでもこの神様に手を合わせ
2024年4月15日西国三十三所巡礼の続きです清水寺の見学時間は1時間半程度は確保しておりましたが、やはり30分以上オーバーしてしまいました😭阿弥陀堂が開堂するまでの待ち時間がロス時間となってしまった様です清水坂を下り、清水道バス停🚏へ…清水道から醍醐寺方面のバス🚌がある筈なのですが、2つあるバス停には醍醐寺の文字が見つからない😱😱😱焦る私…バス停🚏の間を右往左往😭醍醐駅を通るルートのバス🚌にやっとこさ乗車そこから徒歩15分程で醍醐寺に着きました〜😅醍醐寺西国三十三所霊場札
こんにちは!今回は愛知県あま市の戦国武将ゆかりの地へ行って参りました。愛知県あま市というのは2010年に海部郡美和町、七宝町、甚目寺町が合併した市になります。このあま市にも戦国武将のゆかりの地が数多く存在しますのでご紹介いたします。まずは…正則小学校。正則って何?人の名前?と思うかもしれませんがそうなんです。ここあま市ニツ寺は戦国武将の福島正則の生誕地なのです。ここで超簡単に福島正則について解説。あま市二ツ寺に産まれる↓羽柴秀吉の家臣になる。↓山
今回のブログから暫くの間、「伏見城(指月城、木幡城)」の遺構を紹介してみたいと思います。「伏見城」の遺構が、全国あちらこちらに、伝説のモノも含めて多数存在するのをご存じでしょうか。ただ、現存城郭建造物の中で、確かにこれが「伏見城」の遺構ですよと証明されている建造物はそんなに多くはなく、「伝伏見城遺構」との表現が多いのも事実だと思います。しかしながら、その建造物が「伏見城」のモノだったということは、私達素人のお城ファンにとっては、非常に空想を膨らませたり、夢を追うことが出来てお城巡り
こんにちは!良い子ちゃんを卒業してぜんぶ欲張りに手に入れる!わがまま覚醒委員長まきです٩('ω')و今日も四柱推命のお話♪今回のお話は、書けば書くほどに思いが熱くなってしまったのでお口が悪くなっていたとしても←悪しからずでお願いします多方向から分析することができる四柱推命ですが、その見方のひとつに年柱はご先祖様からのギフトという見方がある。私の場合、年柱が劫財×劫財×帝旺なのだ。
吉水神社【内容】「初期書院造りの傑作」といわれる書院建築で、世界遺産でもあります。作法が「二礼十七拍手一礼」と珍しい形です。17の神様を祀っているからだそうです😳後醍醐天皇が「南朝の皇居」と定め、ここを拠点として「吉野朝」の歴史が始まったそうです。皇居ですから、すごい場所ですね😳ちなみに後醍醐天皇は、ここ吉野の地で病のため亡くなっているそうです。最後の地でもあるわけですね☝️源義経が静御前と弁慶を連れて、頼朝兄さんから逃げのびてきた場所でもあります。境内には、弁慶が追っ手をドン
いつも東京から岐阜に帰る時には、新幹線で名古屋まで行って、そこから東海道線に乗り換えて岐阜に向かうのですが、たまに名古屋駅で途中下車することがあります。名古屋駅の太閤通口の所にある「驛麺(えきめん)通り」には、美味しいラーメン屋さんが並んでいるので、そこでお昼にラーメンを食べるんです(^^)この太閤通というのは、言わずと知れた太閤・豊臣秀吉にちなんだもの……豊臣秀吉は尾張中村の生まれ……これは現在の名古屋市中村区にあたり、この名古屋駅のある周辺の地域です。名古
松原照子氏の月刊SHO4月号「地震特集」について、ちょっと気になった事。秀吉の時代を思い起こす地震が起きやすくなって来ている気もするのです。と書かれていましたので、ググったら↓が出てきました。秀吉を襲った大地震-平凡社秀吉を襲った大地震詳細をご覧いただけます。www.heibonsha.co.jp↑の内容で・・・豊臣秀吉と私たちの時代は、「活断層が活発で、内陸地震が起きやすい」という点で共通している。ちょっと読んでみたいかも。。。天正地震が出てきました
石田三成の三献の茶のエピソード。これはゴマすりとは違う。どうせお茶を出すなら、相手のことを考えた方がいい。会社で人にお茶を出す仕事は雑用だが、雑用でも全力でやることが大切。目の前にいる相手がどんな状況で、何をすれば喜ぶのかを常に考えることは本当に大切だと思う。自分はここまで気が回らないが、こういうことを意識するだけで人生は激変する。若いころからこういうことを意識しとけば、自分の人生はさらによきものになっていただろうな。今からでも遅くないかもしれないが。▼石田三成の三献の茶秀吉が鷹狩りで喉
一般的に右手は「後天的な運勢」、左手は「先天的な運勢」を表していると言われています。マスカケ相の特徴非常に縁起の良い大吉相のマスカケ相の人は、天才的なアイディアを生み出したり、得意のコミュニケーション能力で多くの人を魅了し、人の上に立って強いリーダーシップを発揮する才能もあります。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などそれで、「天下取りの相」や「天才の相」などと言われています。かなり珍しいこの手相は、大多数とは一線を画す運勢を持っていることから、集団の中にいると、その特異性から交わることが
耳なし芳一怖い、恐いお話なんです平家の怨念が根付く心霊スポット赤間神宮(アカマジングウ)主祭神;安徳天皇創建;859年壇ノ浦の戦いにおいて入水した安徳天皇を祀る。中に入ると派手派手神宮なんですが、ここから見ると不気味な感じが漂っていて、心霊スポットらしい不気味さを漂わせている神宮の入口にこんな大きな看板が目にとまる下関と言えば『ふく』、ふくの本場下関。下関ではフグのことを「フク」と、意識的ににごらず発音する人を多く見かけるという。「ふくらむ魚」からする
豊国神社は豊臣秀吉を祀っていたため徳川幕府の時代には取り壊されていました。今の社殿は明治13年(1880)に建立されたもので唐門だけは伏見城の遺構です。境内奥には宝物館があり太閤ゆかりの遺品などが展示されています。天下を取った豊臣家を象徴する立派な鳥居方広寺梵鐘「国家安康・君臣豊楽」の二節が家康の名を分断。豊臣家のみの繁栄を望む因縁の鐘です。今いる所から日本の歴史が変わったんですね。そう考えると不思議な感じがします。唐門豊国神社にある桃山時代建築の国宝建造物。本殿正面に建つ四脚唐門。
3.だって伊達ピアノイントロ「タン、ターン♪、タン、ターン♪、タン、ターン♪」から(本当は音楽人ならもっとうまく表現できるのだろうけど、、、すいません)もう、もの悲しさが漂う。そして名曲の雰囲気が漂う。それなのに、それなのに、伊達政宗を待って怒る豊臣秀吉の歌かよ!という話しでございます。「だって伊達だから♪」は伊達政宗をイメージして聞いてしまっていたのだけど、あらためて「だってだって・・・だから♪」と「伊達」を「だって」と聞くと歴史から離れ、あの人は来ない、でも好きなんだ、という純粋な恋
普段は吞んだくれのハチャメチャなおじさん実は以外に信心深き小心者(´艸`)会社の神棚も毎日お供え物を新しくしどうか楽に稼がせてと商売繁盛・無事故安全を祈願していますよ今回御縁ありまして天下人、豊臣秀吉公ゆかりの「三面大黒天」の木像をお祀りする事に!天部右に「弁財天」様天部左に「毘沙門天」様「大黒天」様の福徳は右手の小槌、背中の大きな袋、足元の俵うちでの小槌は、振れば振るだけ財宝を施し、背中の大きな袋は無尽の智慧を内蔵し
秀吉「今夜はいつにも増して賑やかな宴だったけど、疲れてないか?」「ううん、みんなの気持ちが嬉しかったし楽しかったよ」秀吉「そうか、よかった」婚姻を結んだ秀吉さんと私のために、安土城のみんなが盛大な祝いの宴を開いてくれた。楽しかった宴もお開きとなり、御殿の部屋に秀吉さんと戻って寝支度を整えた。秀吉「このあとは、俺とお前のふたりきりだな」いつものように優しく髪を撫でながら、秀吉さんが微笑む。「うん・・・・・・」夫婦で初めて迎える夜であることを意識して、思わず視線を伏せる。ふと頭上から、
信長以外も操作出来るようになって色んな無双奥義・皆伝が見れるようになったー徳川家康version秀吉が新たに登場!すばしっこくていい感じ羽柴秀吉version濃姫version絵が綺麗でたくさんスクショ撮ってしまう
🌸おはようございます🌸京都🌸⛩高台寺🌸住所京都市東山区下河原通八坂鳥居前下る下河原526山号鷲峰山宗派臨済宗建仁寺派ご本尊釈迦如来創建年1606年正式名鷲峰山高台寿聖禅寺豊臣秀吉の正室北政所が秀吉の冥福を祈るため建立した寺院近年では夜間拝観を京都で最初に始めた自院です💐高台寺には波心庭と呼ばれている枯山水の方丈庭園がありそこに咲く枝垂れ桜🌸が毎年見事なんです絵になる枯山水の庭園とかなりの樹齢の枝垂れ桜🌸が素晴らしい高台寺です💐私も約3年ぶりに参拝しまし
『神戸へ』先週金曜日、早起きをして神戸へ大人の休日倶楽部では、東海道新幹線はのぞみは安くなりません。なので、ひかりで行きました。ちなみに、往復乗車券も神戸だと割引になり…ameblo.jpたくさん食べた後、大丸神戸店でツマガリクッキーを購入して、三宮まであるきました。そこから地下鉄に乗って新神戸まで戻り、電車を乗り継いで有馬温泉へ豊臣秀吉とねねの銅像少し歩いて、行ってみたかった猪名野茶房へ緑が素敵です。こちらで、できたてわらび餅を
こんにちは本日も引き続き各武将の【花押の意味】を紹介していきます三日目の今日は豊臣秀吉です。ご紹介の前に、そもそも皆さまは「花押」の意味を知っていますか「花押」とは、戦国武将たちが私的な文章の最後に署名として記載したものをいいます。名前をくずしてアレンジしたもので、現在は「サイン」として使われています。ちなみに語源は、”花のように美しく署名する(押す)”というところからきているそうです。さて、本題に入りたいと思います。こちらが豊臣秀吉の花押です。この花押の元の字は、
中江準五郎邸を出て外村繁邸へ向かいました。お屋敷の中央にに飾られた嘉永6年(1852年)作の貴重な「豊臣秀吉公の陣中飾り」が圧巻でした!立身出世を願って飾られた太閤さん。猿やハゲネズミと呼ばれていたイメージとはかなり違うイケメンさんです(´ー`)「山陰の麒麟児」と呼ばれた山中鹿之介幸盛や「賤ヶ岳の七本槍」七将の一人として知られる福島正則の人形もありました。張子の体にすが糸(よりをかけていない絹糸)を丹念に植え付けて動物の毛の流れを精巧に表現した「毛植え細工」。既