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拾餌(えひろい)親鳥がひなに餌を口移しであげている、可愛いらしい鶴です。首を少し斜め前に折るのがポイントです。【狂歌】餌を拾うように恋路の粟ばたけ人が来るやら引板(ひだ)の音する<注>引板…ひだとは鳴子の事。粟…ここでは、驚き慌てるの意味の「泡を食らう」にかけている。
街道には伝馬人足が休憩する場所として決められた立場がありました。人足が使った杖を立てておく事から立場というようです。また、立場には伝馬人足だけでなく一般の旅人も利用し旅の疲れを癒しました。立場の中でも宿場と宿場の中間にあるものは、間(あい)の宿といい、茶店が建ち並ぶ風景は、ちょっとした宿場のようで、ところによって名物があり、旅の楽しみともなりました。桑名宿~四日市宿の間には六ヶ所、四日市宿~石薬師宿の間には三か所の立場がありました。話のネタ「富田の名物」「焼き蛤」の本
権門(けんもん)とは、古代末期から中世の日本において、社会的な特権を有した権勢のある門閥・家柄・集団を指す言葉です。中国の古典に記された故事に由来する語で、平安時代初め頃から使われるようになりました。写真の「権門駕籠」は、「引戸駕籠(ひきどかご)」とも呼ばれ、江戸時代、大名の家臣(武士)や僧侶(お坊さん)が用事で他家へ行くときに用いられた乗り物です。漆塗りの屋根は上に大きく開くようになっており、また乗り口は引戸になっていて竹のすだれが掛けられています。
<告知>名取老女とは、名取に熊野三社を勧請した熊野の巫女さんの物語です。世阿弥がお能にし、紀州と同じように三社を模してお祀りしています。さて、度々こちらでもご紹介しておりました。名取老女研究会を発足して10年近くがたちます。昨年、名取熊野神社900年勧請記念で盛り上がりましたが、研究会として何か形にするものを残したいと思い、900年祭の時期もあり、仲間たちと冊子を作りました。旅をしたヤタガラスと船と海をイメージした見開きのデザインです!1320円(税込)/B5版フルカ
2021秋の東北旅其の四十四第3章震災復興!三陸海岸編5泊6日の東北旅行、最終日6日目です!!のんべんだらりと続けて4ヶ月。さすがにそろそろ終わらせないとまずいんじゃないかと・・( ̄▽ ̄;)。あと10話!!(えっ?まだそんなにあるん?)全集中で、書き上げます!!これまでのお話はこちら三陸復興への旅路【道の駅さんりく】☆三陸海岸編⑨【道の駅高田松原】海を臨む場☆三陸海岸編⑩奇跡の一本松と震災津波伝承館☆三陸海
東海道を江戸から京へ上る途中、桑名から四日市へと進むと伊勢湾を左に望むことができます。この伊勢湾では春先に蜃気楼を見ることができました。蜃気楼は文字通り蛤(蜃)が吐き出す気によって現れる楼閣という意味で、海上に現れる不思議な光景は蛤が見せるものと信じられていました。桑名では時雨はまぐり、小向や富田では焼きはまぐりが名物で、はまぐりの産地であることも蜃気楼が見える理由とされたのでしょう。話のネタ「蜃気楼」蜃気楼は、大気中の温度差(=密度差)によって光が屈折を起こし、遠方の風
西尾市寺津町にある寺津八幡社の式年遷宮に合わせ、地元有志でつくった寺津大河内氏顕彰会は10月23日、中世の寺津城主で江戸時代の大多喜藩(千葉県大多喜町)主だった、大河内家の14代当主・大河内正樹さんを迎え、特別記念講演会を大河内氏菩提(ぼだい)寺の金剛院で開きました。大多喜藩主大河内家の当主が故地の寺津を訪れるのは110年ぶりという中で、大河内さんは「いろいろな縁があり、大河内家を大切にしてもらい、感謝している」と述べました。寺津八幡社の南にある瑞松寺にあったと伝わるのが寺津城で、鎌倉時代