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<告知>名取老女とは、名取に熊野三社を勧請した熊野の巫女さんの物語です。世阿弥がお能にし、紀州と同じように三社を模してお祀りしています。さて、度々こちらでもご紹介しておりました。名取老女研究会を発足して10年近くがたちます。昨年、名取熊野神社900年勧請記念で盛り上がりましたが、研究会として何か形にするものを残したいと思い、900年祭の時期もあり、仲間たちと冊子を作りました。旅をしたヤタガラスと船と海をイメージした見開きのデザインです!1320円(税込)/B5版フルカ
2021秋の東北旅其の四十四第3章震災復興!三陸海岸編5泊6日の東北旅行、最終日6日目です!!のんべんだらりと続けて4ヶ月。さすがにそろそろ終わらせないとまずいんじゃないかと・・( ̄▽ ̄;)。あと10話!!(えっ?まだそんなにあるん?)全集中で、書き上げます!!これまでのお話はこちら三陸復興への旅路【道の駅さんりく】☆三陸海岸編⑨【道の駅高田松原】海を臨む場☆三陸海岸編⑩奇跡の一本松と震災津波伝承館☆三陸海
西尾市寺津町にある寺津八幡社の式年遷宮に合わせ、地元有志でつくった寺津大河内氏顕彰会は10月23日、中世の寺津城主で江戸時代の大多喜藩(千葉県大多喜町)主だった、大河内家の14代当主・大河内正樹さんを迎え、特別記念講演会を大河内氏菩提(ぼだい)寺の金剛院で開きました。大多喜藩主大河内家の当主が故地の寺津を訪れるのは110年ぶりという中で、大河内さんは「いろいろな縁があり、大河内家を大切にしてもらい、感謝している」と述べました。寺津八幡社の南にある瑞松寺にあったと伝わるのが寺津城で、鎌倉時代
街道には伝馬人足が休憩する場所として決められた立場がありました。人足が使った杖を立てておく事から立場というようです。また、立場には伝馬人足だけでなく一般の旅人も利用し旅の疲れを癒しました。立場の中でも宿場と宿場の中間にあるものは、間(あい)の宿といい、茶店が建ち並ぶ風景は、ちょっとした宿場のようで、ところによって名物があり、旅の楽しみともなりました。桑名宿~四日市宿の間には六ヶ所、四日市宿~石薬師宿の間には三か所の立場がありました。話のネタ「富田の名物」「焼き蛤」の本
拾餌(えひろい)親鳥がひなに餌を口移しであげている、可愛いらしい鶴です。首を少し斜め前に折るのがポイントです。【狂歌】餌を拾うように恋路の粟ばたけ人が来るやら引板(ひだ)の音する<注>引板…ひだとは鳴子の事。粟…ここでは、驚き慌てるの意味の「泡を食らう」にかけている。
令和6年4月29日犬山焼窯元尾関家蔵ギャラリーでの谷中美佳子さんの個展と犬山に伝わる伝説を描いた絵巻物の世界を語る会お話としてもとても面白そうな題材で聴きにいきたかったのですが…🍵🌸体調がもう少し良ければ、お伺いすることもできたのですが語り部によるお話しをお聴きしたかったです。犬山の地元の方たちにとっても深い意味のあるお話しとして地元の皆さんにも、親しまれ聴き継がれていくことを願いやみません。
東海道を江戸から京へ上る途中、桑名から四日市へと進むと伊勢湾を左に望むことができます。この伊勢湾では春先に蜃気楼を見ることができました。蜃気楼は文字通り蛤(蜃)が吐き出す気によって現れる楼閣という意味で、海上に現れる不思議な光景は蛤が見せるものと信じられていました。桑名では時雨はまぐり、小向や富田では焼きはまぐりが名物で、はまぐりの産地であることも蜃気楼が見える理由とされたのでしょう。話のネタ「蜃気楼」蜃気楼は、大気中の温度差(=密度差)によって光が屈折を起こし、遠方の風
資料館の2階には壁面一杯、たくさんの絵馬が掛けられています。東京都台東区今戸1丁目にある、今戸神社(いまどじんじゃ)です。今戸神社は、康平6年(1063年)源頼義、義家父子が奥州征伐の折、京都の岩清水八幡宮を鎌倉鶴ヶ岡八幡宮と共にこの地に八幡宮を勧請し創建、後三年の役の後祈願成就を感謝して再建、江戸時代に至っても今戸八幡宮と称して武家の尊崇が篤かったといいます。また、浅草七福神のひとつ福禄寿が祀られている他、下町八社巡りの一社とされています。今戸神社に祀られる福禄寿は、
野干平(やかんべい)この鶴は、妹背山と同じ紙の切り方で、同じ様に折り、頭の向きを左右反対に折ります。【狂歌】野干平つれて狐の嫁入りかな時雨もしたり日も照りにけり<注>野干…狐の意味狐の嫁入り…日が照っているのに雨が降っている天気の事を言う