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こんにちはソラです今日はなんと「暑い」春の日でした!冬の次は春だよ、夏じゃない…さらにおコメ騒動も相変わらず何はともあれ、おコメ作りの準備は前に進んでいますつくって初めてなんぼですからねおコメ作りをする人がきちんと報われて日本人が将来も安心のおコメが食べられるようなんとかしていかないとね…こんなに広いのに、おコメが足りない日本!水田は手間がかかります田んぼに水を入れるための土のダム、黒土の畔(あぜ)づくり昔は鍬だけど、今は機械です
次に歩くのは未定と言いながらもう続きを歩いてきてしまいました、千草道。前回歩き終えた赤水バス停に、自宅を極力早く出て降り立ちました。ここからは比較的街道の雰囲気を残している・・・ようないないような。道の揺らぎとお地蔵さまのお堂があるので合格点ですかねー。振り向くと、今日初めての羽田。人家がやや途切れるあたりで四日市市を出て菰野町に入りました。最近見た中で一番力強い看板というか壁。なぜかボートと踏切が街道沿いに。ここ旧道が残ってるけど途切れてます。背後
今回歩く前と歩いた後、浅井(あざい)のことをいろいろネットを使って調べました。wikiによれば、一宮市浅井は「浅井万金膏」というものの存在が大きいようでした。江戸時代から明治大正昭和、最後は平成まで続いた全国的に有名なシップ的な使い方をする痛み止めな貼り薬があったそうです。なので江戸時代から昭和までは浅井は浅井万金膏の町として特に知られていたということです、なるほど。関係項目くれよんの記事わかりやすいpdf記事。明治時代のポスターくすり博物館HP内資料、背景に浅井
朝ゆっくり目に起きて、しかし近場でもいいのでどこか行こう。少し前から気になっていたJR東海のお得な切符の中にある「名古屋おでかけきっぷ」。名古屋を中心に関ケ原、三河三谷、武豊、亀山、釜戸、美濃太田、美濃赤坂までの範囲が乗り放題区間。範囲はまあ狭いことは狭いのですが値段がなんと破格の1500円。地元稲沢駅から武豊、三河三谷、関ヶ原あたりを単純に往復するだけでも元が取れます。1500円で一日楽しめると考えたら安いとも言えます。ただこれを買うにはちょっとめんどくて、スマートEXに登録し
<2025年3月23日>先日の日曜日、2月の唐津街道に続いて今月も遠征をしてきました。東京単身赴任時以来の大山街道<矢倉沢往還>です。前回は気分が乗らず9kmでリタイアしましたが、今回は遠征ということもあり20kmをしっかり歩いてまいりました。(前回は→大山街道<矢倉沢往還>④(江田→すずかけ台)|Eddie'sDiary)夜行バスで定刻より40分早く横浜駅に到着後、東急のすずかけ台駅へ移動し、徒歩数分の前回のゴール地点に3年ぶりに戻ってきました。国道246号線
2016年7月2日(土)の清戸道歩きの第一回、その2/2です。当日の歩行ルートは↓※ルートラボのサービスが2020年3月末で終了したのでGoogleマップを貼り直しました。1/2では、武蔵野稲荷神社の参道に入ろうとしているところまでをご紹介しました。こちらの神社の創建は不詳ですが、かつて太田道灌に滅ぼされた豊島氏の死者を祀った塚の守り神とも言われているそうです。参道を奥に進み、左側にあるきれいな随身門を通ります。金色系の色が使ってあって壮麗な感じですね。中に入る
さて、字数制限のためやむなく切ってしまった1/2からの続きです。阿夫利神社下社でお参りしたところまで書きましたね。ま、お参りも済ませたことだし、またお腹もすいてきたので、今度は茶屋を目指します。二件ある茶屋の内、左側は元気なおねえさん、右側は達者なおばあさんがそれぞれだんごを焼きながら客を誘っていますが、左のお姉さんの引きこみを華麗にスルーし、右側の茶屋を見に行こうとすると、左のお姉さん「あらあらお客さん、折角なら声をかけてる方のお店に入っちゃいかがですか?」と絶妙な反撃をしてきたのを聞いて
先日歩いた駒塚から竹鼻への道。石河邸跡を経由(これにとらわれ過ぎた)しての江戸時代由来の道を探して、でした。しかしどうもそれっぽい街道の雰囲気がありませんでした。道標も、駒塚の町の一番奥の地蔵道標の後は昭和6年の、新道が出来てからの道標がたったひとつ。そして、竹鼻の町の南に一体となって続く江吉良にあった明治40年の道標に記される、古くからの「名古屋道」。やはり逆川(ぎゃくがわ)沿いで江吉良に入る左岸か右岸のどちらかの堤防道が江戸時代の竹鼻街道だったんじゃないか?南北に長い竹鼻の町、と
<2025年3月23日>大山街道<矢倉沢往還>5回目の後半です。(前半は→大山街道<矢倉沢往還>⑤-1(すずかけ台→海老名)|Eddie'sDiary)海老名駅入口の交差点を過ぎ、線路を越えるために高架道を上がっていきます。右手に海老名駅を見ながら小田急小田原線を越えていきます。高架上から望む大山。少しずつ近づいてきた感があります。効果を下りたらJR相模線と平面交差します。当方とムスメの好きな魁力屋が街道沿いに!大山街道とは関係ないですけど....
***前回の記事、その42より続きです***4月5日スタートのブラタモリ新シリーズ、東海道57次に続いて今度は伊勢街道の旅だそうです。「伊勢路は途中の町が面白い」とのテーマだそうです、これは歩いたばかりでジャストタイミングで嬉しい!途中の宿場町の古くからの和菓子はかなり食べたし笑。もしかして街道ものがこれからも続くのかな??それはさておき・・・。当方のお伊勢参りの旅は無事参宮は終えましたが、このシリーズまだ行かねばならぬ場所が二つ。途上にある片参りになる寺社(wik
昨年末の12月26日に、街道歩きのために休暇を取り、鎌倉街道中道の徒歩旅の第5回として、新宿御苑から十条までの区間を歩いた旅の記録その8です。歩行ルートや立ち寄ったポイントは↓の地図の通り:寄り道併せると全部で歩いた距離は11kmでしょう。その7では滝野川辺りで、石神井川が作ったと思しき河岸段丘を見下ろし、往時の鎌倉街道を騎馬で行き来する武者の姿をAIに描かせて遊んだりしたところまでをご紹介しました(↓再掲)。街道を進んで行くと、右手に四本木稲荷神社が現れました。その一
奥州街道高倉宿の南からの古き良き街道の遠景。遠くに本宮の街並みを望みます。奥州街道歩き旅!!今回は、福島県の中心郡山から福島までの歩き旅の記録を紹介します。スタートは郡山宿の中心地会津街道との追分左会津街道右奥州街道富久山宿、久保田宿まで来ました。日和田宿緩い曲線は旧街道の証。高倉宿の五百川から望む安達太良山仁井田宿-高倉宿の間から望む山塊の遠景。自然な曲線の杣道、雪を頂く奥羽山脈。奥州街道この区間のハイライトやね。春待ちの旅人なのか徒足を止め
伊勢街道の街道歩きも最終回3/19(日)は伊勢神宮の外宮から内宮までを歩きます今まで伊勢街道の街道歩きでは、クルマで近くまで移動してから歩いていましたが、今回は鉄道(電車だけでは無いのであえてこの言い方)で移動することにしました往路はJRで自宅から東海道本線で名古屋駅に出て、「快速みえ」で伊勢市駅に向かいます「快速みえ」は、名古屋から関西本線・伊勢鉄道伊勢線・紀勢本線・参宮線と走って鳥羽まで近鉄と競合してますが、本数や所要時間で苦しい戦いです…名古屋駅の在来線ホームの中で、最も新幹
中山道歩き旅、埼玉県本庄市に入りました(2023年10月28日に歩きました)。中山道沿いにある、こちらのドライブインは不二ドライブイン。1964年オープンと今年で60年を迎える、老舗ドライブイン。老舗どころか日本で最古のドライブインとも言われているそうです。時間の都合で寄れませんでしたが、中は昭和レトロな雰囲気だそうです。不二ドライブイン(本庄/揚げ物)★★★☆☆3.08■予算(昼):~¥999s.tabelog.com本庄の日本最古のドライブイン、定
鈴鹿を歩いてる方、鈴鹿で歩いて気持ちいいところはどこでしょうか?鈴鹿でも屈指の「ここ凄そう」と思わせる鎌ヶ岳山頂から見下ろす鎌尾根。鎌ヶ岳から南に延びる県境主稜線です。恐ろしそうなその姿に畏怖の念を抱きつつ(ビビりつつともいう)↓今まで何度も鎌ヶ岳山頂から見おろしてきましたが・・・いよいよやろう!心配性なので、先日の鎌ヶ岳登山で下山ルートのカズラ谷コースと宮妻峡の駐車場、アクセス道路を見てきました。シロヤシオとシャクナゲが微妙に早いようですが、いい時期の休みに晴れるとは限らないの
中山道歩き和田峠越えシリーズはこちらから↓『中山道六十九次踏破第6話「これぞ街道歩き!迫る急峻な山々」』2024.6.23(日)~24(月)2018(平成30)年、東海道歩きも終わらないうちに、中山道を歩きたいと思い、江戸日本橋をスタートした私は、5日をかけて…ameblo.jp『中山道六十九次踏破第6.5話~中山道歩き御用達の宿、民宿みやについて~』前回はこちら↓↓『中山道六十九次踏破第6話「これぞ街道歩き!迫る急峻な山々」』2024.6.23(日)~24(月)201
長谷寺参詣・・・初瀬詣でのお話です、その①の続きです。・・・近鉄長谷寺駅から初瀬街道、というか門前町をちょろっと歩いて長谷寺に着きました。いよいよ仁王門をくぐるとすぐに、大河ドラマにも源氏物語にも出てくる長谷寺の象徴的な景色が見えてきます。そう、登廊がどーん!源氏物語、実は我が家のGMのそろえた漫画で読んでいるだけですが笑。ここは「あさきゆめみし」の6巻の表紙の場所ですね。でもこの漫画でしっかり覚えられました、楽しく源氏物語のストーリーを覚えたい方ばぜひに。あと、記
2025年1月下旬に歩き旅で訪れた懐かしい場所。福島県南部に存在した旧ZUNOWディーラーを7年ぶりに訪れました。2011年(平成23年)頃に廃業したであろうこのお店店頭のZUNOWステッカーが再び迎えてくれました。冬景色の旧奥州街道(仙台松前道)根田宿付近。2018年、北国街道(善光寺街道)の御代田から海野宿までを歩いて以来、しばらく踏み出すことが出来なかった街道歩きを再開することが出来ました。見知らぬ土地を巡る歩き旅はきっと素晴らしい旅になることでしょう。撮
先日、所用があって稲沢市祖父江町を訪ねました。ぎんなんで有名な土地ですが、中心部は一昔前には八神街道の主要な町でもありました。こちらは善光寺東海別院、祖父江善光寺と呼ばれています。そのすぐ北を通る八神街道。渋い渋い、旅館澄川屋さんの建物もそのままの姿で無事健在でした。そこはかとなく街道感が漂っています。その一角にある割田屋さん、酒屋さんです。こちらに貴重な酒蔵の看板があり、これも健在でした。真ん中の小西酒造の「白雪」は今でもメジャーですね。両
熊川宿の街道歩きます熊川の宿は、若狭から京都を結ぶ重要な宿場で特に天正17年以来発展を続けました。奉行所・番所・お蔵屋敷の跡が残り、情緒あふれる街道沿いには、昔ながらの用水路が流れています。豊臣時代から藩政末期におよぶ古文書・御用日記なども保存されています熊川宿は、重要伝統的建造物群保存地区に選定され、
先週たどった旧鎌倉街道の続きは、もう来年かなと思っていた。ところが気が変わって、急遽一人で続きを歩く運びとなりました。途中で区切る地点と家を行ったり来たりするのがやっかいなので、二日がかりです。宝登山南麓、皆野町国神の里今回でおよそ、75/160Kmの進捗となった。まだ先は長い。第一回目(前回)はこちら『いざ、旧鎌倉街道山ノ道へ』旧鎌倉街道については広く世に知られている。しかし五街道などとは違って中世の道であるから、気軽に歩くには取っつきづらいだろう。派手な宿場風景は皆無、
ご訪問ありがとうございます。銀華です。ここからスタート阪急宝塚線売布神社駅(めふ)宝塚市マンホールいっぱいカラーあるようです。相変わらず方向音痴です😅グーグル君は元々ダメで(西とか北とか言われても訳わからん)駅から何とかたどり着いた「旧和田家」実はここだけの話。。パープリン全開で旧和田家は認識してたけど歴史民俗資料館も兼ねてるとは全く気付かずよって肝心の小浜宿資料館には行かず結局、歴史民俗資料館と思ってたのは小浜宿資料館でした。ごっちゃにしてました。全体
旧街道歩きの夏の休足期間中に思い立った、知多四国八十八ヶ所巡り『夏休みの日記〜知多四国八十八ヶ所巡り(まずは計画から)』令和の時代と共に始めた旧街道歩き★『■街道歩き道中記Library■』平成から令和に時代が変わる時から始めた街道歩き記録のための、道中記一覧■旧…ameblo.jp2023年10月から、歩き始める事にしました『知多四国八十八ヶ所巡り〜準備』今日から10月夏休み以降、久しぶりのブログです(いつのまにかアプリが少し変わっていた)9月はコロナに感染して高熱で
***前回の記事、その15より続きです***日永の追分を後に東海道とサヨナラしていよいよ伊勢参宮街道に進みます。歩きだしてすぐに、東海道の旅人を密蔵院薬師寺に誘う道標が四基も並んでいるのでこりゃあお参りしていきます。久しぶりの羽田看板。密蔵院薬師寺は塀もなくオープンなお寺でした。通称蟹薬師さん、なんとまあ海から蟹に乗って現れた薬師如来さまをお祀りしてます。海や池なんかで見つかる仏さまの話って多い気がする。街道に戻ります、歩道の歩きは刺激が少なくて日当
冨田一里塚。数少ない両側現存一里塚、しかも塚だけでなく植えられてる木も残ってる稀有な冨田一里塚。という解説文が多いと思いますが・・・東側の塚の木は最近残念ながら台風でやられてしまったようで、切り株です。いくつかの跡を継ぐ若木が成長中。これは2013年、ジョグ中に立ち寄った時の景色です、街道の両側に一里塚、どちらの塚にも大きな木があります。こちらが現在の姿、向かって左の西の塚は立派な榎が今もそびえますが、右の東の塚の榎は有りません・・・涙。2013年の東塚。でもこのころか
2022年1月8日(土)と9日(日)に、その翌日の成人の日を併せた三連休を利用して、甲州街道の歩き旅の第10回として駒飼宿(駅としては甲斐大和)から韮崎の区間を歩いた徒歩旅初日の模様、その9です。2日分併せた今回の旅の歩行ルートは↓の通り。Googleマップで測ると寄り道まで含めて歩いた総距離は37km超だったようです(概ね初日28km、二日目9kmといったところでした(その後のおまけ散歩を足すと40km超といったところ)。その8では、いよいよ甲府の城下町に差し掛かり最初の曲尺手(
おはようございま〜す!!今日で3月も終わりですね〜明日から新年度を迎えますが、街道ブログは月またぎでお送りします。それでは、街道歩きスタートです!!赤坂宿から藤川宿へは11キロほどあるので、ちょっと距離がありますね〜藤川宿へはもうひと頑張りです。本宿にも城跡があったんですね〜古い記録はあまりないようですが、松平権兵衛重弘の居城と
細久手宿の旅館大黒屋さん国登録有形文化財に指定されている貴重な建物です。江戸時代、細久手宿には旅籠が24軒あったといいますが今は静かな集落で宿泊施設はこちら1軒。尾張藩の定本陣であった家です。大名が泊まる宿である本陣、脇本陣はもともと別にあったのですが手狭になって他の大名との相宿を嫌った尾州領主が問屋役の家を「尾州家本陣」と定めたのだそうです。(ワガママだなー)大井宿を出ると大湫宿、細久手宿は電車の駅から遠く次の御嵩宿でやっと駅が近く
公共交通機関を乗り継いで前回たびを終えたところまでやってきた。今回は中山道最大の難所とも呼ばれる和田峠越え(^^)。心配もあるが、楽しみのほうが大きい(^^)。前回の帰路でも利用した下諏訪町循環バスあざみ号に乗りJR下諏訪駅からここまでやってきたが、他にも同じく和田峠越えをされようと思しき方々が乗車されていた。また、今回のたびでは、どこの宿から出発せず、またどこの宿にも到着しなかったが、このブログを読んでくださる方の参考になれば幸いと思い、和田峠越えだけに焦点を当てて項目立てしてみ
3月18日。午前中、祐天寺に行った。まだ桜は咲かない。午後、下の娘が戻ってきてお土産くれた。夕食用のサンドイッチ。くるみのシンフォニーというお菓子。最中の中はくるみを水飴で固めたものかな。なかなかうまし。夜、貰ってきたパンフレット読む。箱根八里。箱根の街道歩きのためのmapです。街道歩きは人気らしく、こういう旧道紹介マップは最近見かけるようになったね。高校生のころ、箱根の元箱根から旧道を歩いたことあるけど、石畳が滑って歩きづらかったな。で、どっちへ抜けたんだっけ・・